2020. 11. 30  


 久しぶりに怪談を朗読しました。

 『預言者』(小原猛さん著 「マブイグミの呪文」より)と『スーマンボースー』(同じく小原さん、「ベーベークーの呪い」より)。

 『預言者』は今年の世界的大混乱を予言していたかに見える、精神疾患の男性とその主治医のお話です。

 なんか怖いんですけど・・・煽ってるわけじゃないす。物語としてお聞きくださいませ。

 『スーマンボースー』は、東日本大震災で東北から沖縄へ避難してきた母娘に起こる怪異の話し。涙腺にくる系。







 なんか・・・録音レベル間違えたかなちょっと小さいのですけど、よかったらイヤホンなどでお聞きいただければ幸いです^^


 ↓本はこちらから ご購入いただけます。↓




 




2020. 11. 30  
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   宇宙天気ニュース


  昨夜、M4クラスの大きめの太陽フレアが起こっていました。

  ここ数年、太陽活動は低調に推移してたのですが、サイクル25という新たな活動期に入り急に活発になってきたみたいです。

  今日は18:30に満月も迎えるので、通常よりも強力なエネルギー状態になってるかも・・・?しれません。


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 巨大フレア発生時は目がさえるとか、いつもよりエネルギッシュになることもあると思いますが、イライラ、ネガティブな感情が強くなることもあると思うので、ゆったりダウンタイムを過ごすのがいいかもですね。

 個人的には適度にフレアが起こる方がテンションがあがり楽しいです。

 あんまし多すぎるとテンパってきますけど(#^ω^)ビキビキ 3・11前はXクラス、Mクラスが連発して ものすごかったんですよね。









2020. 11. 26  

  ■クリスマスと黒いブーツ■


  



  今日はなぜか以前よく聴いていた、Blankey jetcityの曲が聴きたくなりこれを聴きながら首をぶんぶん降ったりしていました。


  「クリスマスと黒いブーツ」はめっちゃ好きだった曲で、歌詞も好きだし 特にイントロが鳥肌が立つくらいかっこいいです。

  うわーっ久しぶりに 首ブンブン振ってるよ・・・

  しかしなんかテンションが変だ。

  ここのところ微妙に胸騒ぎがするというか、血が騒ぐというか、、すごく何かが起こりそうでわくわくするみたいなそういう気持ちをたまに感じるのです。

 その予感がパーソナルなことなのか、あるいはワールドワイドなことなのか、もしくは錯覚なのかはよくわからないですけど。

 夜に窓を開けて、風の匂いを感じながら外の闇を凝視していたいような気分というか・・・(あぶねーやつだな)

 なんか台風が来る前みたいな気分に近いです。

 最近太陽活動が少し動き出してきてるのでその影響もあるのかな・・・?茨城沖で地震もあったし。
黒点、結構出てます。基本的には黒点が多かったりフレアが多発すると、生物の生体を刺激するので、ことが起こりやすいです。


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 まあそれはおいといて、Blankeyですけど、このバンドにハマってた時って20代半ばくらいですごく混沌としていました。

 Blankeyの曲は全部聞いてるわけではないんですが、世界観が退廃的かつ透明感があるみたいなそういう感じで、とても当時の自分の気持ちとフィットしてたのかもしれません。

 ここまで演奏が異常にかっこよく美しく感じるロックバンドっていうのは、僕はあまり知らなくて・・・。

 よく自転車に乗りながら 歌っていました。
 高知県にいたので、あまり人も多くなく、わりと大声で歌っていました。

 リアルにその曲の世界の匂いや風景が感じられるというか・・・そういう曲ってすごいですよね。
  
 「クリスマスと黒いブーツ」はファンの多い神曲だと思います。

 他にも、やはり神曲の「悪い人たち」そして 「ICE CANDY」とか「小麦色の斜面」とか「PUNKY BAD HIP」とか好きな曲はたくさんありますが、

 あえてもう一曲紹介するとすると それは「ジョンレノン」という曲で、射殺されたジョンレノンへのオマージュになっているものです。

 だいたいどの曲にもある退廃感がぬけて、レノンへのリスペクトと 純粋さや透明性のみが感じられる印象の曲で大好きです。

 


 僕は音楽を聴くと、それが好きだったころの その時の自分に一部戻ります。

 そういう人は多いと思うけど、その当時の体感とか周りの匂いみたいなものがニューロンを駆け巡りばちばちする感じになります。

 これは好きな映画でも起こるし、本でも起こります。マルセルプルーストが小説の中で書いてるように、お菓子の匂いが過去を鮮やかに蘇らせるようなこともあります。

 しかし、音楽の持つ想起力っていうのもまた特別ですね。

 誰でも10代の時に好きだった曲や、子供の頃みたアニソンを聴いてトリップするような感覚は味わったことがあるはずです。

 なぜトリップするかというと、その曲がエピソード記憶とか感覚記憶の膨大なメモリーを解き放つカギになるからですね。

 「あーなつかしい・・」という感情は実は膨大なメモリーが解き放たれた結果だと思います。

 顕在意識ではそのすべてを理解できなくても、心の奥が波立って、ものすごくたくさんのリアリティがざわざわしているのです。 

 
 音楽ってすごいなーとあらためて感じていた時、今年の夏ごろに読んだ、「ベロボディアの輪」という本のことがふと思い出されました。


 ■時間の流れをコントロールする女性■

 



 この本はロシアの精神科医が書いた本で、その一つのテーマは「不死」です。

 主人公の精神科医が、ある村で20歳そこそこにしかみえないのに 実は、40歳を越えていて子供も産んでいるという女性と知り合います。

 なぜ彼女がそんなに若く見えるかというと、彼女は体内の時間をコントロールすることが出来るからでした。

 肉体の時間をコントロールすることにより、文字通り「不死」ではないにしても、通常の人とは異なった時の中を生きているのです。

 僕はこの話が本当かどうか保証はできませんが、、こういうことはありそうだなと思います。

 で、ですね、その女性が時をコントロールしているその方法が面白くて、、、

 彼女は毎晩寝る前に、意識の中で時間をさかのぼり、赤ん坊になってから眠りにつくというのです。

 通常一日が終わり眠りにつくことは、また1日分年を取ることを意味するわけですが、彼女は何十年か時間を遡って、生まれたての命になってから眠るんですね(意識内で・・・ですが)

 こんなことをして本当に時間をコントロールできるかどうか ・・・またまた保証はできませんがw とても面白い話しです。

 というのも、僕は子供の頃のことを書いたり、思い出してると、、結構強めのトランスに入り、、今いる場所がとても不思議に感じられることがあります。大げさに言うと、「あれ、ここどこだっけ?」みたいな。

 この感覚はなんらかのレベルで体に影響を与えてるだろうなと思うほど、そのトリップ感が強い時もあります。

 だから子供心をまったく忘れてる人と、部分的にでもアクセスしてる人では、心身に違いが出ても不思議ではないかなと。

 そしてちょっと思ったのは、音楽によってトリップできる人なら、これを利用して幼少期までさかのぼれるんじゃないかということなんですね。


 ■タイムトラベル用プレイリスト■



 10曲とか20曲とか、タイムトラベル用のプレイリストをyoutubeとかで作ります。

 最初に最近の好きな曲を配置して、最後に行くほど幼稚園とかそれ以前に聴いた曲を置きます。

 選曲は、自分にとってとにかく好きだったり、思い出がこもっている曲を選ぶのがポイントです。

 好きなアニメのオープニング曲、好きなドラマのテーマソング、好きなバンドの曲、みんなの歌、音楽の教科書の歌、童謡、家族がよく歌っていた歌など。

 最後にはもっとも昔に覚えた曲、、、僕の場合はなぜか「ハクション大魔王」のテーマ曲になりました。

 幼稚園の頃、家に帰ったら「ハクション大魔王」を見たいとバスの中で思ってたのを覚えてるので、多分それなのかな~~と。

 でも、最後は胎内音や心音がいいかもしれません。

 人の音楽の歴史は全員違うけど、始まりはやはり、全員がこういう音を聴いていたのですから。

 

 

 出来上がったらプレイリストを聴きながら、心に浮かんでくる情景や体感を観察します。

 次第に自分の心身が大人の自分から、少年・少女、幼児を経て赤ん坊の自分へと戻っていくのをイメージしてみます。
 そしてその無垢な存在のまま 宇宙に身をゆだねて眠りにつきます。

 子供へと戻れない場合は、自分の横に、10代の自分、子供の自分などがいると想像し、手をつないだり抱きしめてあげたりしてみるのもよいかもしれません。

 
 基本的に僕らに活力を与える生命エネルギーは 今・ここの自然界や暗在系にあるもので 過去にあるものではありません。

 幼い子供はだいたい今・ここにしか生きていないので、生命力があるということは過去を振り返らないことだとも思えます。

 しかし、今・ここにある世界の神秘や生命力、可能性をよりオープンに受け取る心身の「型」は過去にあるとも言えます。

 つまりより情熱的であったり、純粋であったり、夢多かった心身のあり方です。それらは失われることなく保存されています。その「型」と今の心身を統合できるなら、過去にトリップすることは意味があります。

 子供の頃好きだった曲を思い出すことで、現在の夜空が神秘的に見えるなら、「今」からの印象を受け取る能力が拡大してるわけですから。

 ・・・これが実際にアンチエイジングにまで効果があるかはわかりませんが、、、

 ちょっと日常を踏み出したシャーマンの旅になることは確かだと思います。



  ※幼児トラウマ、胎内トラウマが強い方はご注意ください。不快感やトラウマ反応が出る場合は、中止して、現在にフォーカスできることをしてくださいね※


2020. 11. 23  

  


作家の加治さんの上の動画を見て、海外では履歴書に生年月日、年齢を書かないという話しを聴き目からうろこでた。

  確かに日本人は異常に年令を気にするし、人にもきく・・・もう年令なんて、えーと自分は198✖年生まれだから3✖才かーあれ?もうそんなになってたんだっけ? と気づくくらいでよいような気がします。

 ところが実際、現代人は年へのこだわりが強すぎて 自分の頭の上あたりに 氏名 + (57)とかってのが常に表示されているようなイメージです。

 カラオケボックスに入る時にさえ、年令を書かなきゃいけないので、覚えていることを強いられ、その年令イメージでアイデンティティさえ変わります。  

 しかし、そもそも年を数えるという習慣は時空を超えて普遍的なものではなく、世界各地のネイティブにはその習慣がありませんでした。

 生まれて何年たってるとかは彼らにとって意味をなさなかったのです。

 
 年令というのは、生まれてから、地球が太陽の周りを何周したかという数値です。

 ただそれだけのことです。

 そして誰もが知ってる通り、40才なら40才、50才なら50才をたくさん集めても、その見た目年齢はまちまちです。

 好奇心のレベルや、身体能力も違うし生体のエネルギーレベルも違う。

 40代でも平均的30代以上のレベルでバイブレートしてる人はたくさんいる、、、

 まあ見てたアニメは共通かもしれないですが(=∀=)

 また逆に身体的に実際より年をとって見えても、霊的に開けている人というのもいます。

 そして現代ではアンチエイジングや美容整形などの技術がどんどん更新されているので、そのうち望めば誰でも3、40代の外見を維持できるようになる可能性は高い気もします。

 そういう意味で僕は、今後太陽年令というのは徐々に意味をなさなくなるのではないか・・とよく思います。

 年齢の呪縛からの解放はいつか起こるはずです。


 この世界の振動数の上昇に従って、「死」の意味付けが少しづつ変わっています。

 肉体の死が高次元への移行であるという認識が広がるにつれて、生と死の境というものが今までのものではなくなります。

 肉体の死がなくなるかどうかはわかりませんが、その移行はこれまでのような悲しみに満ちたものではなく、もっとスムーズな「旅立ち」に似たものになるのではないでしょうか。

 それと並行するようにして、人は太陽年令では計測できない時空を生き始めるのではないかと思います。 



 考えてみれば僕は、10代が終わる頃とか、20代が終わる頃とか それなりに凹んで もうダメかも(´;ω;`) という気持ちになっていましたが、、、そんな自分に今は背後から飛び蹴りをくらわしてやりたい(笑)

 なんで、まだ何も始まっていないそんな時期から、年令にとらわれていたんだーーっ と思うんですよね。

 最近20代初めの男子と話した時も、なんかもう年気にしてて、、おいおいーと思いましたが、まあ風潮的に今もそういうもんなんですよね。

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 今がすごいスペシャルな時間であることを、僕らは忘れてしまいがちで、それは20代でも、30代、40代でも、80代でもきっと変わらない。


 そういえば 2チャンネルの名言で、こういうのがありました。



 10年後にはきっと、

 せめて10年でいいからもどってやり直したいと思っているのだろう。

 今やり直せよ。未来を。

 10年後か、20年後か、50年後からもどってきたんだよ今。




 ついつい過ぎ去った時に目を向けて戻りたいと願ってしまう心を逆手にとった、熱い言葉ですね。

 未来からじゃなくてたった今、君は死後の世界から戻ってきたんだよ でもいいかも。 


 死後の世界の自分からの飛び蹴りを期待してます(o‘∀‘o)*:◦♪



2020. 11. 19  

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  東小金井駅北口『はだめし』さんのお弁当☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

   一見、なんてことないお弁当のようにも見えますが、一度食べると、毎日のように食べたくなります。

   な・なんでだ((((;゚Д゚)))))))

   最初食べた時、辛味好きの僕としてはうわーすっげー薄味~~(*゚Q゚*)と思ったのですが、、食後のすっきり感がすごくてまた食べたくなり、今けっこうリピート中です。

  特徴のひとつは 酵素玄米・・・ 

  酵素玄米は、それだけで完全食と言われるほど栄養価が高いらしく、玄米と小豆に天然塩を加えて炊きこんだものを2、3日~以上保温して寝かせたものです。

 僕は家では普通の白米に、玄米を混ぜていて玄米歴は長いですけど、酵素玄米は初。

 玄米と比べると、よりもちもちしてて食べやすい感じがします。

 おかずは基本すべて薄味で、素材のうまみを味わえる感じです。

 ひとつひとつのおかずが、どれもおいしく量は少なめですが、不思議と満足感アリ。

 ベジ食ではなく、かならず、魚かお肉が少量入ってることも、僕的には好きですね~~なんか動物タンパクは多少採ってた方が自分は体調良いので。

 しかし ですね 決してがっつりではない!←ここがポイント。どーんと、魚とか肉が載ってる感じではなくむしろ野菜に埋もれるように控えめに入ってるのですが、チキンもポークもものすごく柔らかくて味わい深くておいしいんです。なので、これくらいで十分という感じがします。これくらいが負担にならない からだの許容量なんじゃないかな。

 薬膳の知恵と、からだの巡りをよくするスパイスが使われているらしく、食べた日はマジでなんか調子がいい気がする・・・。

 あまりにもハマったので、今、自分ちの炊飯器でも酵素玄米熟成中です(((o(*゚▽゚*)o)))
  


 今年の初め頃、書いたような気もするけど、最近 出来合いのお惣菜とか弁当を見ると 「うえっ」となることがよくあり、自炊に切り替えていた時期がありました。

 いったい何が「うえっ」とさせるのかと考えた結果、品目の少なさ とか 野菜の少なさとか 調味料(添加物)の気持ち悪さなのではないかという結論に至ったのです。

 白米+肉+キャベツの山 みたいな食事であるとかもしんどい。こういうのも、キャベツにトマトとか人参とかが混ざってべじダイバーシティができてると、まだよいのですが、、、

 最近 社会的な意味でのダイバーシティがよく唱えられています。

 これって すべてに言えることで 生態系もそうだし 土壌も微生物のダイバーシティが必要だし 食事もそうなのではないかと。

 とりあえず、肉の塊だしときゃいいだろみたいな料理は、まあ言ってみれば スカイツリーたてとけばすごい街に見えるだろ?みたいなことだと思うんですよね(ちょっと違うかw)

 ただ、そういう料理の方が流通に乗せるのには便利なのかもしれない。

 味付けも添加物、砂糖、人口調味料を大量にのっける。ある意味、薬品漬けです。


 そういうことで、食欲を失ってた気がするので、この薄味で栄養価が高そうなお弁当には、本当にすごく感動しました。

 からだにやさしい料理を自炊できるようになりたいです。

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 ↑今日の日替わりお弁当はこれだった。600円という良心的価格帯。

 今日も おいしかった~~☆


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 ↑袋もビニールではなく、可愛い形をした丈夫な紙素材です。

  こういうお店が 日本に本当にたくさん増えてほしいと思います。なんかスーパーでお年寄りが出来合いのお惣菜選んでるの見ると、ちょっと悲しくなる。近所で気軽に買えれば、多くの人がこういう食事をチョイスすると思うんですよね。
 スーパーのお惣菜がダメってわけじゃないけど 食事一つとっても もっといろんな選択肢が増えていくといいなあ。

 ↓玄米スムージーなるものもあり↓

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 はだめしさんのサイト





2020. 11. 15  

  

  
 



  最近知った、山本靖久さんというアーティストの作品です。



  人類にとって普遍的なイメージのひとつとして、遥かな過去の失われた楽園の記憶があります。

  エデンや、レムリア、アトランティス、などという半ば伝説上の場所もあれば、日本の縄文時代などにその面影が求められることもあります。

  人が南の島に憧れを感じるのも、その遠い記憶の残像を探してるのかもしれません。

  そこでは気候は一年を通して穏やかで、食べ物は豊富にあり、人は動物や植物とごく自然にコミュニケーションをとっていました。

  そして、社会はワンネス的な意識に基づいていてフラットで自由なものでした。

  自由でありながら、意識はつながっているので調和が保たれていました。

  それぞれの個性が権威や常識により、抑圧されることもなく、それぞれに花開いていました。

  セクシャリティは男・女の二種類だけではなく、数多く存在し、それぞれがそれぞれのありのままで愛し合い生きていたとも言います。

  そのような楽園世界は、黙示録のラストに現れる「新しい天と地」同様、実際にあったかどうか、これから訪れるかどうかにかかわりなく、人類の意識の底には確実に存在して、その元型イメージによって、今でも僕らにささやきかけているように思います。  


 このアーティストの方の作品は、動物・植物と人間が融合して生き、世界の正気が保たれていたそんな楽園の記憶を描いたもののようにも感じられました。




 丸みを帯びたキャンバスがとてもキュートで美しいです。


 ちかくで展覧会があれば、絶対行ってみたいです☆ 

2020. 11. 05  

  ■ ヨハネの黙示録の結論 □


  


  今年の5月頃から聴いていた、全40回のヨハネの黙示録レクチャーをだいたい聴き終わりました。

  僕が聴いていたのはプロテスタントの牧師さんのお話で、こういうのは教派や人によってさまざまな解釈が存在していると思います。

  でも、おおまかなところでの内容はだいたいわかってきました。

  ヨハネの黙示録は、災害、事故、戦争などの預言書として紐解かれることも多く、そこに多くの人のフォーカスが集まりがちだと思います。

 しかし、読んでてホントにぶっ飛んでるなーーっと僕が思うのは、その結末部分です。

 結局、666の独裁者が現れようが、最終戦争が起ころうが、それはこの時空の同一平面上の出来事なのですが、、、

 イエスの再臨後、至福1000年王国の統治が終わったのち、この世界は消え去ります。

 それをあらわしているのが、黙示録20章11節と、21章1節です。

 また私(ヨハネ)は、大きな白い座とそれに座っておられる方とを見た。その方の前から天と地は逃げ去り、それらのための場所は見出されなかった。(20:11)

 それから私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と地は過ぎ去り、海はもはやない。(21:1)


 海はもはやない・・・で表現されてるように、その新しい世界では、通常人間を生かしている海、太陽などが消滅していることから、それは僕らが見知った時空ではないことがうかがえます。

 また夜はもうない。彼らはともしびの光を必要とせず、太陽の光も持たない。神が彼らに光を与えるからである。(22:5)

 そこではすべての苦痛も消滅しています。

 また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり、もはや死はなく、嘆きも、叫びも苦痛も、もはやない。以前のものは過ぎ去ったのである。(21:4)


 これらの言葉を読んでいると、何か、深いレベルの真実性を感じます。

 もしかすると、それはヨハネの幻想かもしれないし、あるいは何かの象徴かもしれない。文字通り、こうなるということではないかもしれない。

 クリスチャンではない僕はそういう風にも思いますが、一方で、これはあるレベルにおいて完ぺきに真実である言葉なのだとも思うのです。 新天新地とは死後の世界のことなのだろうか、、、あるいは人間の集合意識の奥に眠る、誰にも侵せない楽園の記憶なんだろうか・・・それはわかりませんが、、、

 どこかのレベルで、これは存在しているし、どこかの時空で確かに現れるという直観のようなものを感じます。

 このように黙示録は、その結論部分において、地球が救われるとか、世界がハッピーになるとかそういう話しではないようです。

 それは魂の絶対的な救済に焦点がおかれていて、現在の天地・世界というのは「過ぎ去る」ものです。
 
 「神によって新しくされた永遠の領域で、人は至福の中生きるようになる」、というのが黙示録の結論でした。

 
 ■ アクエリアスの風 □


 今、占星術的にいうと現在地球は、うお座の時代と、みずがめ座の時代の境目にあると言います。

 占星術では黄道十二宮の星座が、それぞれ2160年周期のひとつの時代を司っていると考えます。

 うお座の時代は権威的で、男性的な価値の支配する時代でした。

 が、みずがめ座の時代、アクエリアスエイジになると女性的価値が花開き、よりフラットで、愛にあふれた精神的な時代になるということです。それが2020年の12月から始まるようなのです。

 2160年周期の各時代を並べると、以下のようになります。

 しし座   BC 10940~
 かに座  BC 8740~ 
 ふたご座 BC 6620~
 おうし座  BC 4460~  
 牡羊座   BC 2300~
 うお座    BC 140~ 
 みずがめ座 2020年12月~

 (↑は2020年12月を起点として、単純んに2160年づつ引き算して計算したもので、占星術的な区分として正しいかはわかりません)


 多くの研究者が、アトランティスや、ホピ族の伝承により『第3の太陽の時代』と言われた、超古代文明が滅亡して新しいサイクル(第四の太陽の時代・今回の人類史)が始まったのがしし座の頃ではないかと考えています。ちょうどこの頃は地質学的に、ヤンガードリアス期と呼ばれています。

 7万年間の最終氷期が終わりに近づき、地球の気温は上昇し始めていたのですが、突然急低下して低温状態が1000年以上続きました。この時期がヤンガードリアス期と 呼ばれていて、気温低下の原因となったのは隕石群が複数地球を直撃したためとも推測されてるようです。

 もしそうだとすれば、人類は、地球規模のグレートリセットののち、約1万3千年かけて現在のポイントにいるということになります。

 この1万3000年を、例えば24時間であらわすと(しし座の始まりを午前0時と設定する)、僕らが歴史として記憶している大部分は、日付が変わる数時間前の夜に起こっています。

 例えばイエスが現れたのは 2000年近く前。そういうと、はるかな過去に思えます。しかし、1万三千年時計で観ると、 もう晩御飯も終わって、テレビでも見てゆっくりすっかな~ていうくらいの

 夜の20時過ぎです。


 コロンブスがアメリカ大陸を発見したのだって、かなり大昔に思えますが、この時計に置き換えると、

 真夜中前の 23時。



 フランス革命が起こった時には、23時半を回っていました。



 王政が廃止され、帝国主義が起こり、列強が激突を繰り返し、二回の世界大戦が起こります。

 それは日本へのふたつの原爆投下により終結しました。(23時52分ごろ

 アポロはだいたい24時6分前に月面に着陸しました。

 4分前に旧ソビエトで、チェルノブイリ原子力発電所事故発生。

 3分半前、ソ連の崩壊と、冷戦の終結。

 24時2分前くらいになると、ワールドトレードセンターに旅客機が突っ込み、

 1分前くらいに、日本の東北で大きな地震が起こり、原発が全電源喪失メルトダウンします。

 そしてあと、1秒ほどで、しし座のグレートリセット期から始まった、1万3千年時計は、24時を迎えます。
  

 いや~~この10分くらいの間、ホントにいろいろありましたね(笑)

 こんな激動の時を選んで生きている僕らは、結構すごいんじゃないですかね。


 まあ 

 ちょうど、年明けのカウント10秒前くらいで、パンデミックが発生するとは、なんちゅータイミングかと思いますが^^; 紅白の会場に催涙弾投げ込むみたいな わざと?w


 このギリギリの現在、周囲を見回すと、、、

 未知のウィルスによるパンデミックと、それによる経済の危機、社会不安、気候変動、地殻変動など、、、アクエリアスの時代というよりも、ヨハネの黙示録の第1の封印あたりか?? という気分になることもあります。

 アメリカ大統領選も、かつてなかったカオスになっています。あまりのカオスにクマも駆り出されるほどです。


 


 ヨハネの黙示録の場合、冒頭に書いたように、どんどん世界は悪くなり、あり得ないようなことが頻発し、最後の最後に大展開が起きて神への信を失わなかった人が救われるという構図です。

 だから黙示録的にのみ予測すると、基本的に世界がよくなるということはありません。

 だから読むのがかなりしんどかったんですが(笑)、

 しかし

 これほどひどい展開が、これでもかというほど描かれていることになんらかのメリットや意図があるとするならば、本当に世の中が厳しくなった時に、預言通りになっている、ということは神の御国は近い・・という希望を保てることかもしれません。

 逆にちょっとお花畑的な未来観のみだと、そうならなかった時に、人はすべての信を失ってしまいます。

 負の要素と正の要素があわさってることで、正気が保たれる場合もあるんです。

 まあ、僕としてはヨハネの黙示録や日月神示に、人が正気のよりどころを求めるような世界にはなってほしくはなくて、、、この先いろいろあるかもしれないけど、アクエリアスエイジの素晴らしい世界に少しづつ向かっていると、シンプルに信じたい思いも強いです。

 いったい僕らを待っている未来はアクエリアスなのか、黙示録なのか、それともその両方なのでしょうか。

 そのふたつは同じ意味なのでしょうか、どちらかが間違っているのでしょうか。

 長年考えてるテーマですけど、まだ結論は出ません。


 どちらにしろ、時代の風は強くなっているのを日々感じます。

 その風が・・・アクエリアスの風でありますように
 

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プロフィール

はいたか鳥

  • Author:はいたか鳥
  •  Only in silence the word,
     only in dark the light,
     only in dying life :
     bright the hawk's flight on the empty sky


     ことばは沈黙に
    光は闇に
    生は死の中にこそあるものなれ
    飛翔せるタカの
    虚空にこそ輝けるごとくに

    ゲド戦記 エアの創造より


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