2020.
12.
30
初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。 言葉は神であった。
この言葉は初めに神と共にあった。
すべてのものはこれによってできた。できたもののうちひとつとしてこれによらないものはなかった。
この言葉に命があった。そしてこの命は人の光であった。
光は闇の中に輝いている。そして、闇はこれに打ち勝たなかった。
ヨハネの福音書 1章
唐突ですが、僕は学校に通っているたくさんの子供たちのことを想うと、この<闇の中の光>という言葉を連想します。
というのは、いや~~子供は社会の希望ですねーとか そういう意味ではなく。
生まれて間もない まだ純度の高い命が、すでに様々な条件付けによって その輝きを曇らせてゆく仕掛け(闇)によって取り巻かれているように見えるからです。
こういうと極度に悲観的な見方に聞えるかもしれないですが・・・
まあ
何も学校教育は全面的に悪である!!と言ってるわけではなく
そのプロセスを通過して、立派な大人になる子供たちもたくさんいるでしょう。それはわかっています。
しかし、それはシステムの功績というよりも、それぞれの子供たちの本来持っていた内在する生命力や、まわりの大人たちの功績であると思ってる部分があります。
言ってみれば、そういう子供たちは彼らの生命の輝きを守る「サンクチュアリ(聖域)」を持っていたことにより、闇をくぐりぬけてこられたと言えると思うのです。
闇というのは、詰込み型の記憶重視の教育、評価システムであり、受験と学歴による就職を前提とした 教育制度の全てです。
「聖域」は彼らの事を本当に想う家族の愛であったり、彼らが本当に熱中できる何かであったり、本当の意味で生きる力を教えてくれる人であったりします。それが心ある先生である場合もあるかもしれません。
まだ幼く純粋で生命力(光)が強ければ、テストや授業もゲーム感覚でわたっていくことができます。学校が好きだとさえ思えるでしょう。テストが終わったら 夏休み、冬休みだ!とテンションをあげることもできます。
しかし そういう「聖域」がなく 家庭も学校とそうは変わらない評価システムに全面的に染まっていればどうでしょうか。
成績や進学、就職のことにしか興味がなく、常に子供を追い立てる両親と、何かに熱中する時間も環境もないような状況であれば・・・・「闇」に飲まれてしまうのはいともたやすいことです。
光が強かった子供たちも成長するにつれていつかは思います。
授業とテストと評価の連続・・・これはいつまで続くのか もしや 永遠に続くのかと。
その時に「聖域」がなければ 持ちこたえることは難しくなります。
もしも 教育が「光」であれば それ自体が「聖域」を提供できます。
しかし、多くの場合とてもそうだとは言えない。
だから僕は 彼ら子供たちは「闇の中の光」だと感じます。
でも
実はこれは子供たちに限ったことではなく、すべてにおいてそうなのかもしれません。
この時に生きている 僕らの命すべてが 闇の中に輝く光であるような気がしています。
多分 すべての生命がそうなのです。
ところが
日々口にするほとんどの食材が、農薬や添加物などにまみれています。土壌の微生物群は薬剤によって激減し、作物が十分なミネラルを吸収することもできなくなっています。卵や肉を提供する鶏たちは狭いケージに閉じ込められて、まったく生物としての尊厳を与えられないまま一生を終えます。
病気になって病院へ行くと、また多量の薬剤を投与されます。(すべての医療がそうではありませんが)
環境は有害な電磁波、放射能、騒音など 生命力を減退させる多くのものであふれています。
人の生活の根幹をなす 教育 医療 食 などの分野で起こっていることはいったいなんなのでしょうか。
すべての分野で同じことが起こっているのではないでしょうか。
僕には教室で、マスクをしたような息苦しい姿で受験に備えさせられている子供たち、そして ケージの中で一生を終える鶏たちの姿がかぶって見えてしまいます。
それはおそらく 同じことが行われているからなのでしょう。
同じこと。
一言で言ってしまうと、すべて生命をゆがめる という方向性で似通っています。
命を敬わない という方向性で似通っています。
すなわちそれが 闇である と思うのです。
僕らの命はその闇の中で輝いています。
とはいってもその中で今まで生きてこられたのは 多くの「聖域」が僕らを守ってきたからかもしれません。
そして 闇はこれに打ち勝つことが出来ない。
闇は 光に、打ち勝つことはできない。
なぜなら 命 だけが最初に神と共にあったものだからからです。
物理的に肉体が死んでも、このレベルの命は消えないものです。
もし自己の保身と 大衆の支配しか考えない権力者がいたとしても
彼自身が命(光)であるので そのロジックは遠からず破綻せずにはいられません。
僕らの自己嫌悪、自己憎悪という闇も 自分自身の命を否定する力はない。
光が闇よりも強くなっていくこの季節に、このことを覚えておきたいな~と思いました。
光は闇の中に輝いている。そして、闇はこれに打ち勝たなかった。
まさに!そうなるように^^
2020.
12.
24

カール・ブロッフォ 羊飼いと天使
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。9すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。10天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。11今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。12あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」13すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」ルカの福音書2章

エレメントとともに聖夜を祝します^^
アンモナイトの後ろに控えめにいらっしゃるのは、メキシコグアダルーペの聖母様です。
1531年12月9日、メキシコ・グアダルーペのインディオ、フアン・ディエゴ(英語版)の前に聖母が現れたとされる。聖母は、司教に聖母の大聖堂を建設する願いを伝えるよう求めた。ディエゴは病気の親類の助けを求めにいこうとしていたため、話しかけてくる聖母をふりきって走り去ろうとした。すると聖母は彼を制止し、親類の回復を告げた。ディエゴが戻った時、病気だった親類は癒されていた。聖母に司教へしるしとして花を持っていくよういわれたディエゴは、花をマントに包み、司教館に運んだ。司教館に花を届けた際、ディエゴのマントには聖母の姿が映し出されていた。
カトリック教会は、グアダルーペの聖母への信仰が、キリスト教が入る以前のアステカの女神、トナンツィン(英語版)と関連したものだと考えた[4]。聖母が出現した丘とは、もともとトナンツィン女神の信仰の中心地であった[5]。しかし教会は、インディオ達がキリスト教を受け入れやすくするために、このように古来の宗教がキリスト教と共存することをある程度許容した[6][7]。16世紀末頃から17世紀の初めには、聖母によって重病人が回復する奇蹟がたびたび起こり、聖母への信仰はどんどん強まっていった[4]。そして17世紀には、この「褐色の肌の聖母」はあらゆる階層の人々の信仰を集めていった。

10年くらい前に、あるスピ系の合宿旅行で参加した人たちに配られたものですが、母なるもの(聖母)の象徴として手元に置いています。
マリアへのガブリエルからの「受胎告知」 カール・ブロッフォ

こちらは使命を終えたイエスを抱くマリア、ミケランジェロのピエタ。

Nearer, my God, to Thee, Nearer to Thee!
E'en though it be a cross That raiseth me;
Still all my song shall be,.
Nearer, my God, to Thee, Nearer, my God, to Thee, Nearer to Thee!
Though like the wanderer, The sun gone to down,
Darkness be over me, My rest a stone;
Yet in my dreams I'd be
Nearer, my God, to Thee, Nearer, my God, to Thee, Nearer to Thee!
There let the way appear, Steps unto heaven:
All that thou sendest me, In mercy given:
Angels to beckon me
Nearer, my God, to Thee, Nearer, my God, to Thee, Nearer to Thee!
Then with my waking thoughts Bright with Thy praise,
Out of my stony griefs Bethel I'll raise;
So by my woes to be
Nearer, my God, to Thee, Nearer, my God, to Thee, Nearer to Thee!
Or if on joyful wing, cleaving the sky
Sun, moon, and stars forget, Upward I fly,
Still all my song shall be
Nearer, my God, to Thee, Nearer, my God, to Thee, Nearer to Thee!
(日本語訳)
わが神よ、御許に近づかん、御許に近づかん。
たとえ私を高く持ち上げるものが十字架であったとしても、
なおも、わが歌の全ては、
わが神よ、御許に近づかん、わが神よ、御許に近づかん。
さすらう者のように日が暮れ、
暗闇が私を覆い石の上に枕しても、
それでもわが夢の中でこうありたい。
わが神よ、御許に近づかん、わが神よ、御許に近づかん。
道をそこに現出せしめよ、天にとどく階段を。
全てはあなたが私に送って下さったもの、憐れみの内に与えられたもの。
み使いたちが私を誘う。
わが神よ、御許に近づかん、わが神よ、御許に近づかん。
その時、私は覚醒した思いで、あなたへの讃美で溌剌としている。
石のような嘆きから抜け出して、私は「神の家」を建てよう。
だから、私の深い悲しみによって
わが神よ、御許に近づかん、わが神よ、御許に近づかん。
もし喜びに満ちた翼に乗り、空を突き抜け、
日、月、星々を無視し私が高く駆け上っても、
なおも、わが歌の全ては、
わが神よ、御許に近づかん、わが神よ、御許に近づかん。

幼子イエスの礼拝
「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。』
・・・(中略)・・・
彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げた。」
マタイによる福音書 第2章
2020.
12.
23
先日、職場で交代のヘルパーさんと世間話をしていると、なぜかランニングの話しになりました。
ちょっと驚いたのはその方は 調子いいときは、キロ3分台のペースで5キロ走れるって聴いたこと。
いやーだいたいフルマラソンのプロレベルがだいたいキロ3分ペースらしいので、5キロと言えども3分台はかなり速いペースのような気がします。
そこから話が広がり、小中の頃から長距離やっていて、今でも週に何回か走ってるってことでした。
僕はスポーツ中の フローやゾーン状態に興味があるので、いわゆるランナーズハイについて尋ねてみました。
ランナーズハイに入ると、とても高揚感を感じると同時に、疲れがリセットされて疲労を感じなくなるそうです。
なんでもトップレベルの選手たちは日常的にランナーズハイに入ってるそうです。
それは、だらだら長時間ジョギングしてても入れなくて、ある一定以上のペースで走り続け、きつさやしんどさのピークを越えた時にやってくるということ。
僕は走ることや歩くことは割と好きで、毎日5キロ走って、週2くらいで10キロ走るという生活を1年くらいやってたこともあります。
ちなみに歩いた最高距離は40キロで、ランは20キロくらい?です。
40キロは休憩込みで9時間~10時間かかったと思いますが、もっと歩けと言われれば出来ないことはなく、多分休憩もらえれば日の出から日暮れまではあるけると思います。
でも、速さの壁に挑んだりするのはあまり得意ではなく、だらだらと長距離を歩いたり走るのが好き(笑)
だからランナーズハイには入ったことなし。。。
でも、これにはちょっと理由がありまして、、、
小学校の体育の時間、炎天下で短距離走をさせられた時、ものすごく気分が悪くなり、唇の色が変わって、視界がブラックアウトしそうになったことがあります。
吐き気と、寒気と、視界がちかちかしたもので覆われていくような状態が数時間続いて、、意識はあったもののマジ死ぬかと思いました。
結局大事には至らなかったものの、以来、子供らしくとびまわったり、息が切れるくらい全力で走るということにかなり恐怖を覚えるようになりました。
これは現在でも若干トラウマとして残っており、、、
なもんで、ランナーズハイになるくらい自分を追い込むということが生理的に難しいのです。
トラウマは走る時に現れるばかりではなく、
暑さや 息が切れること 鼓動が早まりすぎること全般に恐怖感があるので、カラオケで歌いすぎて一瞬意識がふわーっとするときも 「やばっ またアレになる・・・・!」というモードに入ってしまうことがあります。
だから、死の恐怖に襲われることなく 全力で走ったり 歌ったり ダンスしたり、体を動かせる状態にはかなり憧れるところがあるのです。
ランナーズハイや ダイバーズハイ ダンサーズハイにも憧れる (´;ω;`) 一晩中踊ってハイになるとか、いったいどんな気分なのか。
一度体験してみたい。
ということで、そんな話しを聴いて触発されたので 今日は久しぶりにジョギングに行き、キロ6分台くらいのゆるゆるペースで2,3キロ走りました。
久しぶりに走ったりすると、やっぱ来るんですよね、、、、恐怖感が。
でもある程度走ると どうやら大丈夫ぽい・・・というところに脳が落ち着いてきて
走った後はやっぱりちょっと気持ち良かったですね。日常的に走ってたらまた慣れてくるんだろうな。
天井を見つめてはあはあ言いながらもの想う。
10キロくらいはまあ 行けるよな~~ 多分 前やってたんだし
・・・・そう言えば 前見た Netflixのドキュメンタリーで トライアスロンが趣味だっていう50代女性が出てたけど、、
それ考えたら自分なんて 鍛えればフルマラソンできるくらいの ポテンシャルなんて年令的にまだ全然あるわけだし・・
まてよ・・トライアスロン完走の最高年令って 何才くらいだろう。
おそらく60代は普通にいそうだし、、、70代後半くらいかな・・・
と最初に予想をしてからググってみると
驚いた。
正解→85才
稲田弘さん(現87才)

これは普通にビビりますよね。
しかもこれ トライアスロンの中でも もっとも競技距離の長い アイアンマン・ディスタンス。
スイム3.8km・バイク180km・ラン42.195km 合計226キロです。
言うまでもなく 一般人にとってタイムはおろか、完走自体が難しい。というか、水泳が3.8キロある時点で、25メートルしか泳げない僕には無理だw
驚くべきは稲田さんは 70代からフルマラソンを始め、その延長でトライアスロンに出場されたということ。
す・すごい・・・
あ、じゃあ フルマラソンの世界最高齢はどれくらいだろう。
トライアスロンにくらべてハードルはさがるわけだから、80代は普通にいるとして、、、90代くらいまでかな・・・
と思いましたが
正解→101才w
ファウジャ・シンさん。

このシンさんは、7年ほど前にマラソンを引退することにしたようなんですが、、その理由を読んで なんか思わず笑ってしまいました。
年齢とともにレースで走ることが「しんどくなってきた」からだそうです。
そ・そりゃ 1世紀以上生きてますからね・・・神(シン)さんは
それでも
シンさんはレースからは引退しても、日課となっている16キロのランニングは続けるという。13年間、シンさんを指導してきたトレーナーはシンさんの姿勢に刺激され感銘を受けてきたと話す。「非常に前向きなのです。私が『今日は10キロ走りましょう』と言うと、『いや、20キロ走ろうよ』と言うんですよ」
ということなので まだやる気は十分あるようです。さすがシーク教徒は違います(関係ないか)
と、こういうのを読んでると
なんか 僕らが持ってる年令や健康 体力に関する常識って 根本的に間違ってるんじゃないのか
と思いました。
意図的に低い方に合わせて設定されてるというか・・・
僕が30代になったころ 風邪をひいて病院にいくと なんかお医者さんに
「お年も お年なので お大事にしてくださいね(^∇^)」と言われて
なんかすご~く いや~~~~~な×2 気持ちになったことがあります。
いや、別にその先生に他意はないと思うんですが。
でもね(`・ω・´)
こんなこと言われて元気になる?? しかもまだ30そこそこのうら若き青年にですよ
シンさんの三分の1も生きてないのに。。。
なんか いかんと思います。こういう風潮。
人の生命力みたいなものを みくびりすぎる風潮というか、、、下に見積もりすぎる風潮というか。西洋医療の顧客を増やすためではないかとさえ勘ぐってしまいます。
確かに人には寿命があり、これは様々な要因とか その人の今生の人生プランなどによって変わってくるものです。
でも人は生きている限りは 年令に関係なく 驚くべき生命力と回復力を宿し続けているのではないでしょうか
稲田さんやシンさんの記事を読んで 内なる生命力をもっと信頼できるようになりたいなと思いました。
そして恐怖感を越えて、からだを持っていることを十分に謳歌できるようになりたいものです。
ちなみに世界最高齢の出産は、67歳の中国人女性。
体外受精では73歳のインド人女性のようです。
2020.
12.
19
冬晴れの日が続いている東京です。
日照が多いのはいいんだけど、雨が降らないとだんだん落ち着かない気分になってきます。
沖縄の天気をチェックし、うおーっ気温20度、湿度80パーセントか~~いいなーっとかよくやってる。
そこで最近気に入っているのが、この雨音と暖炉の火の爆ぜる音。時々雷鳴も聞こえてくる。
この組み合わせは最初聴いたとき超絶気持ちよかった。
火と水の音。
人の心を根本的に落ちつかせる何かがあります。
冬場はよくキャンドルの火を見つめて過ごすことがあります。
PCも落とし、照明も消して、キャンドルの炎だけにする。LEDライトの明かり、スマホのブルーライトの明かり、そういう光とはまったく違うクオリティを持っている、炎。手をかざせば熱を感じる、生きている光り。リアルなもの。
リアルなものだからくつろがせると同時に、意識を目覚めさせる。
そうやって過ごしながら、近くにあったペットボトルに入ったお茶をちゃぷんちゃぷんと揺すってみました。
「これがある意味、原始的な生活ではパーフェクトな幸せなんだろうな」と思いました。
あたたまる火があって、近くに水がある。それだけで生存を保証されてる安心感を意味し、それはすなわち幸福感でもあり、心をくつろがせたんじゃないかと思うのです。
火と水があるということが、人をぐっすりとした眠りへ誘った。その記憶。
その名残が今でも人の心身を安らがせる。
僕らの生活はとても便利になったけど、生活からリアルな火が次第に消えていきました。
ガスコンロの青い炎すらなくなり、IHに置き変わった住宅がたくさんあります。
暖房器具は炎が見えなくなりました。
確かに、火災などの危険性という意味では リアル炎がない方がいいのかもしれない。
でも、その代わりに、人は便利だけど本能的な安心感が失われた環境で生きるようになったのかもしれません。
僕は雨音が大好きです。
空から落ちてくる雨は今も変わらない数少ない自然との接点で、、、それが少なくなる季節は、自然とのつながりも淡くなっているように思え、雨の音が聴きたくなります。
炎と水は 心のとても深い地層にある。
それは文明の礎かもしれない。
パソコンよりも テレビよりも 車よりも 新聞よりも 靴よりも 帽子よりも 椅子よりも 弓矢よりも
ずっとずっと古く、それがないと
闇を照らす炎がないと 何も生まれなかった。
炎を見つめていると 気持ちが安らぎ 元気になるのは 文明や生命の根っこのことを思い出させてくれるからでしょうか。
2020.
12.
17
「人は一人では生きられない」という言葉をよく聞きます。
確かにそうかもしれません。
しかし、これは聞く人の状況によっては非常にプレッシャーやストレスになる言葉でもあると思うのです。
そのへんの違和感をもとに
愛読書の一つである、トムブラウンジュニア著『グランドファーザー』の中の第五章「一人であること」を題材に話しました。
伝説的なネイティブアメリカングランドファーザー、、彼が孤独を乗り越えていったのはどのような方法だったのか・・・。
2020.
12.
15
作家のコリン・ウィルソンが著作の中でよく語っていたX機能(fuculty-X)について。
深海に潜むクジラの夢について。
アジナーチャクラ(第三の目)と想像する能力、俯瞰する能力、霊感などについて。
外部映像と想像力について。などなど(^∇^)ノ
2020.
12.
10
ヘルマンヘッセ『デミアン』第一章の冒頭を朗読しています。
プロローグ部分は↓↓
『デミアン』は個人的な小説のように見えて、時代の混乱を生き抜く力を与えてくれます。今のカオスな時代に是非読んでいただきたい名作です。
2020.
12.
07
ブログIn deep さんの以下の記事に触発されて話したものです。
物理学会から次々と示される「人間の意識は不滅」あるいは「意識は人間の脳細胞の中に量子情報として存在する」という概念。そして、宇宙という存在は、私たちの知覚に過ぎないこと
私たちが生きているこの物理的な宇宙は、私たちの知覚に過ぎない。そして、私たちの肉体が死ぬと、その向こうには「無限」がある。
また、人間の死後、その意識が平行宇宙に移動すると確信している科学者たちもいる。ミュンヘンにあるマックスプランク物理学研究所の研究者たちは、以下のように示唆している。
「死後に広がるその《向こう》は、はるかに巨大な無限の現実であり、その向こうの中には、この今の世界もルート上にはあります。この現在の現実のような存在の平面での私たちの生活は、すでに来世に囲まれています。肉体は死にますが、精神的な量子場は続くのです。この考え方に基づけば、私たちは永遠です」
マックス・プランク研究所の物理学者たちは、英国の物理学者であるロジャー・ペンローズ氏の主張に同意している。
ペンローズ氏は、人が一時的に死亡した時に、微小管(細胞の中にある微細な管状の構造)から、この量子情報が宇宙に放出されると主張する。しかし、蘇生された場合、量子情報は微小管に戻される。それが臨死体験につながっていると。
「もし彼らが復活せず、死亡したならば、この量子情報は魂のように、おそらくは無期限に体外に存在し続ける可能性があります」とペンローズ氏は言う。
途中から話が、奇蹟と黒魔術の違いについてに脱線してしまった( /ω)
2020.
12.
07
日常的に行っているお祈りについて話してみました(=^・・^=)
2020.
12.
03
アメリカ大統領選挙の混沌について、なんとなく話してみました。
あんまし時事ネタに振り回されるのは好きではないのですが、今回の選挙はあまりにもメディアのトランプたたきが激しく、そんなにトランプが好きではなかったのに、逆に応援したくなってきた部分があり・・・
この報道だけを見てもなにか異常なことが起こっている感がひしひしと伝わってくるので その辺のところを話してみました。
僕はニュースを徹底的に読み込んだりはしておらず、自分が信頼できそうな方の意見を統合して取り入れているだけなのですが、、
ドイツに今回の集票マシンのサーバーがあって、米軍のデルタフォースがそこを差し押さえたとかって言う情報とか、、、個人的にある程度信頼してる方々が言ってて、しかし、表のメディアには一切出ないっていうこの感じってホントどうなってるんだろうと思います。
↓今年のコロナ発生時から時々見させてもらっているかじ兄の動画↓
マドモアゼル愛さんのお話し。
ヨハネの黙示録の解説動画をみさせていただいていた中川牧師さんのお話し。宗教的に偏っていないとても客観的な分析だと感じます。