2021. 04. 27  

吉幾三さんのバイオハザード、イメージソングが面白かったw


  

  もと歌はド田舎が嫌だから東京へいくだ~~という歌ですが、どっちかというと今東京がバイオハザードという状況。

  田舎の村の人気が逆に急上昇中の昨今です。 

  あ

  ちょっと面白かったので貼っただけで、今回のネタとは関係ありません(*- -)(*_ _)ペコリ

  今回のネタはと言うと サウナです(#^.^#)

  世事に疎いのでまったく知らなかったんですけど、「サ道」(2019年)というドラマがあったりして 一部サウナブームだったんですね。

  サウナって1950年代からあって、前回の東京五輪の頃 フィンランドの選手団がサウナを選手村に持ち込んで話題になって それがきっかけで広く知られるようになったらしいです。

 なのでもう50年以上(意外と歴史浅い)日本にはあるわけですけど、このタイミングでドラマ化されたりブームになるって なんなんだろう。面白いですよね。

 僕もサウナは何回か入ったことがあります。

 多分、10秒くらいかな(=∀=)

 いや~~もう あの暑さ無理!! ほとんど入ったと同時にUターンした経験しかありません。

 お風呂ですら10分くらいつかってると ぐてーっとしてゆだってくるし、暑さで頭がぼーっとする感覚が好きではないし

 なので、あんな炎熱地獄に座ってる気が知れない。そしてそのあと水風呂とか意味わからんし。

 冷やすなら最初から入るんじゃねえ!!ε=ε=(怒゚Д゚)ノ

 と・・・永遠に自分とは縁がないものと思っていました。

 しかし ですね

 最近入浴含む体温をあげる療法を調べてた関係で、そう言えば

 サウナってどうなん??(好きではないが)

 と思いつき 

 調べてみると 丸ごと一冊サウナっていう本が何冊も出てたり、「サ道」っていうドラマがあったり、微妙にサウナブームになってたことを知ったのでした。

 なんでも 脳科学的にサウナの効用を分析した本もあり おーー面白そう 読んでみたいと思いました。

 なんか好きなんですよね 脳科学的に分析する系(笑)


 

 買おうかなと思ってたけど なんと近所の図書館にあった ラッキー

 で、簡単に言うと サウナというのは サウナ室や水風呂で 生命の危機を感じるような状況をつくり 交感神経をあげ その後外気浴をすることで リラックスしているが 覚醒している という瞑想のような状態をつくるらしいのです。

 サウナーたちはこの状態を「整う」というらしい。

 MEGという機器で測定したとところ サウナのあとは右側頭頂葉にベータ派があらわれるらしいのです。

 ベータ派はその脳の場所が活動的であることを示しています。

 右側頭頂葉は感覚を司る場所らしいです。

 ここが活性化するので、感覚が鋭敏になり、ゾーン(極度の集中状態)に入ったような状態になる・・・と。

 サウナにそんな深い精神性があったのか~~((((;゚Д゚)))))))と ちょっとびっくりでした

 他にも深い睡眠の時間が二倍になったり、ウツ病にも効果があったりするという。

 もともとサウナはフィンランドの伝統としてあったようで、昔からフィンランドの人々は長く厳しい冬をサウナでしのいでいたようです。それくらい フィンランドではサウナは健康をととのえるものとして重要視されてるようです。

 フィンランドが幸福度が高い国ランキング上位にくるのは サウナによる部分もあるのではないか??と書いてる本もありました。


 
 こちらは かわいいイラストの描かれた絵本形式の本です。

 


 フィンランドのサウナの写真などあるので なんとなくあせくさ~いイメージが払しょくされて、、「サウナありかも」と思わせる本です。


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 しかし1週間くらいの間にサウナの本をこんだけ読むとは・・。
 というか世の中にサウナの本がこんだけあるとは(笑)

 こんだけ読んだら 行かないわけにはいかないだろう サウナ。

 水風呂もホント嫌だけど 入ってみよう

 と思ったいたんだけど、、、このタイミングで バイオハザードのため入浴施設はすべて臨時休業に(o゚□゚)o≪≪≪ワアァァァァァァッ!! コンナムラ イヤダーーーッ

 というわけで 3冊くらいサウナの本読んだのに まだ行ってませんw

 でも魂の部分で激しくサウナを欲してる自分もいます(どないやねん)。


 ちょっと思ったのは サウナって考えてみればスエットロッジに似てるな~ということ。

 スエットロッジはネイティブアメリカンの儀式で・・・

 密閉された空間の中 熱した石に水をかけて 蒸気を充満させ、その中で長時間過ごすようです。

 変成意識状態になりビジョンを見る人もいます。

 そして すごく感覚が浄化されると何かで読んだ記憶があります。

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 サウナにはドライサウナという乾燥タイプもあり、スエットロッジとまったく同じではありませんが、「整う」ということと」スエットロッジの変成意識状態はもしかすると関係が深いかもしれません。

 
 サウナに入ると、からだが急激な変化にさらされるために 自律神経が鍛えられるそうです。

 最近の 気候変動による極端な天気の影響は多くの人の感ずるところだと思います。

 気候の変化に対応できず 体調崩しがちということもあるでしょう。

 なんかサウナってそういう時代にもフィットしてて 必要なツールだから見直されてるのかもしれないなあと思いました。


 というわけで サウナに行けたらまたレポートしたいと思います(*- -)(*_ _)ペコリ


 

2021. 04. 25  


 


 『私は愛に溢れた意識である・・・自分を愛に溢れた意識だと認識することで、意識のヴェールをぬけることができる』ラムダス


 マウイ島に住むラムダスが、生涯を振り返り 愛や死を語るドキュメンタリー。

 ハーバード大学の教授で権力のみの世界に生きていた彼が、LSDやグルであるニームカロリババとの出会いにより、愛・愛・愛の世界を見つける。

 LSDにより内側に輝きがあることを悟り、やがてニームカロリババの無条件の愛に触れる。

 どちらの時も 彼は

 「I’m Home!! I’m Home!! (帰ってきた)」

 とつぶやいた。

 脳卒中はグルの恩寵だったと語る ラムダス。

 短い映像ですが 観ていると意識がクリアになっていきます。

 しかし フィルムに残った動いてるニームカロリババの存在感はやはりすごい。胸が熱くなります。



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 この笑顔^0^


 ラムダスをご存じない方はやはり「Be Here Now」から入るのがおすすめです



2021. 04. 23  

 どうも鹿島が気になるので 巡礼してきました。


 初鹿島です。というか 茨城自体もしかして初訪問かもしれません。

 鹿島神宮は、地震を起こす大鯰を抑えている『要石』があることで有名な場所。

 前から 一度 要石見とかなきゃなと思っていました。

 とても歴史ある場所で、平安時代に神宮と呼ばれていたのは 伊勢神宮のほかに香取神宮とこの鹿島神宮だけだったとか。

 アクセスは簡単で 東京駅からバスで2時間ほどで到着(^-^)/


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 とにかく 森がすごかった~~

 敷地内のかなりの部分が 原生林のようなやや鬱蒼とした森になっていて その木々の間を歩くことができます。

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 樹齢の古そうな巨木ばかりなので、違う時間の中に入っていくような錯覚におそわれます。

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 こういう道を歩いてくと↑

 要石に到着! しばし お祈り_(._.)_
 
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 こちら御手洗池(みたらし池)↓ すごい雰囲気的にキラキラしてました。

 もともと禊をする場所のようです。

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 湧水が湧いていてペットボトルで持ち帰ってる方もいらっしゃいました。

 自分的には 森と このみたらし池周辺が とてもパワーを感じる気がしました。

 みたらしだけに 池の前のお団子屋さんで小休止。

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 (食べかけの写真で なんかすんません) 

 とてもおいしかったんですが あんこときな粉がいっぱいでジーンズがきな粉まみれになった(すぐこぼす習性あり)

 鹿さんに人参をあげたりしました。

 鹿の目って結構マジなので一瞬こわかった。

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 神宮から 鹿島神宮駅まで戻り 田んぼの間の道を30分ほど歩くと 一の鳥居です。
 
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 近隣のどかですごいなごみます。げこげこ 蛙の声を聴きながら歩く。

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 ただ ひとつ注意点!! (*`皿´*)ノ

 それは 

 車ないと移動手段が ホント少ない(´;ω;`)

 日頃歩き慣れてるので 神宮駅から一の鳥居までの往復(5,6キロかな?)は、余裕でしたが 海岸の鳥居から宿泊先のホテルまでは15キロほどあり さすがにこれは荷物も重いし夕方だし無理。

 で、ホテル方面までバスの時刻をググると 

 待ち時間→あと2時間ほど (o゚□゚)o≪≪≪ワアァァァァァァッ!!

 やってしもうた・・・先に調べとけばよかった。観光地だしなんとなく一時間に2,3本はあるかと甘い予測が裏目に^^;

 やむなくミニストップさんで コーヒーとチキンを買い 時間をつぶすことに。。。あー疲れた・・・ぐったり

 旅行行くと あまりプラン立てずに動きまわりがちなので 結構こうなる。

 今回も二日で25キロ以上歩いてた (*σ´Д`*)

 ホテルとるなら 鹿島神宮近辺がよいかも??


 
 有名な聖地に行くのは 去年の春に久高島に行って以来です。

 しかし なんでこのタイミングで鹿島行ったのかな。

 帰ってからゼロ磁場に関する本を読んでて、中央構造線沿いにパワーのある神社が多いということを知りました。

 中央構造線は日本列島を横断する断層ですが、この断層の近くには 磁場がゼロとなるポイントがいくつかあるようです。

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 で、この中央構造線上のパワスポ 東端が 鹿島!! なんですね。

 観光の看板に「はじまりの地」って書いてあったけど、大地の気の流れ 龍脈みたいなものの東の始まりって意味もあるんでしょうか。

 伊勢と天河はだいぶ前に訪れました。

 四国~九州 と 東の方はまだなので、次は諏訪大社を皮切りに ちょっとこのラインをせめてみたいなと思ったりしています。

 諏訪大社って 中央構造線と 糸魚川静岡構造線がクロスる場所にあるんですよね~~なんかすごい。

 しかも ここってユダヤ文化の名残があるお祭りがある地じゃなかったかな。モリヤ山もあるんだよな~


 よし、次は諏訪行く(*・`ω´・)ゞ 


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2021. 04. 21  

  ◆ゆがめられるモード

 
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  新型コロ助の影響で、コミュニケーションの質が変わってきています。

  人は対話する相手の声の調子、表情を知覚しながら、コミュニケーションを調節している。

  でも、今マスクのために表情の全体像をとらえることが出来なくなり、主な情報は音声のみとなっていますが、この音声情報もなんだかフィルター越しでもごもごしている。

 生の笑顔がなかなか見ることができません。

 口腔を見せることに罪悪感を覚えさせるという状況です。

 どうせ顔の下半分はないようなものなので もう毎朝ひげを剃るのをやめて久しいという人もいるかもしれません(笑)

 ZOOM LINEなどの動画通話はその状況を補うものですけど、やはりモニターを通じて デジタル的に変換された情報なので微妙なずれがたくさんあります。 

 相手の顔全体を見て、雰囲気や体臭的なものも感知しながら、会話するという古来何万年も続いてきた社会生活のベースとなる部分が捻じ曲げられているように思える部分あります。

 まあ、これは非常事態 パンデミック下の一時的な対応で、仕方ないのかもしれない。

 来年や、再来年になれば状況はまた変わってきている コロナ以前とはいかないまでも こんなウィルス予防医療パラダイムに社会全体が統制されたような状況は薄れている・・・と信じたいです。

 もしそうならなければ、対面のコミュニケーションモードは半永久的に封印され、それにとってかわるようにデジタル的な情報(音・画像)、管理が加速するのは避けられないのではないでしょうか。

 しかし、よく考えてみると、そもそも僕らは 本来人間として持っている多様なモードのごく一部しか機能させないような文明の中に生きていたのではないかとも思えます。


 ◆ スクールプリズン


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 小学校に入学した時、オリエンテーションみないなことがあり 5年生くらいのお姉ちゃんたちに質問された。

 「勉強するの好き?」

 「うん、好き!!」と僕は答えました。

 ええかっこしたかったわけではなく、僕は本当に勉強というのは楽しいものだと思っていたのです。

 実際、四、五年生くらいまでは授業中に退屈するという感覚はなく、成績自体もまあまあ良かったです。

 ところが逆らい難い眠気や倦怠感のようなものが 中学生になると授業中に時々襲ってくるようになりました。

 それでも僕は 暗記物が割と得意なので、歴史のテストとかはクラス一位ということがよくありました。えっへんv(o゚∀゚o)v

 高校生の後半になると、授業に出てる意味がわからないというか、虚無感や 座ってることがダルいというのが極限にまで達し、体育館裏の金網から抜け出して勝手に帰ったりよくしてました。

 成績も特に苦手な理系分野はだだ下がり。

 僕がとったもっとも悪い点数は 確か代数幾何の8点 とかで 通知表はもちろん「1」でした。

 えっへんv(o゚∀゚o)v

 出席日数もぎりぎりで、いくつかの科目ではあと1時間休めば単位落とし留年という状況。

 英語の先生に指導室に呼ばれ、「私の担当クラスから単位落とすものがでると、迷惑なんだ。(だから授業出ろ)」と言われたことがありました。

 迷惑・・・・悲しくなりました。

 結局、誰も どうして僕が学校が嫌になってるか、行けなくなってるかという部分をケアしてくれる先生はいなかったわけです。

 今となっては 確かに「迷惑だ」というその先生の気持ちもわかります。
 査定かなんかに響くのでしょう。

 というか、ある意味 その先生は至極正直で 学校教育の裏側を見せてくれる言葉だったとも言えます。

 私はいやいや教えてるし 君らはいやいやでも勉強しろ。
 それができないなら迷惑だからやめてしまえ。

 こういう面もあるわけです。

 なんか乾燥してる印象の人物でしたが、きれいごとでぐちゃぐちゃ言わなかったことは確かでした。

 
 大人になってからよく 小学生(あるいは幼稚園)から 高校生までのあの学校で過ごした12年くらいの時間というものはいったいなんだったんだろうと考えることがあります。

 どうして最初はイキイキしてたのに、勉強も楽しいと思てったのに、何もする気がなくなってしまったのだろう。

 どうして、ほとんどの時間を 学習机に座って 黒板の前に立つ 先生の話しを聴くという時間を過ごしたのだろう。

 あれが 本当に 子供にとって幸せな しかるべき時の過ごし方 「教育」 だったんだろうか。

 テストや成績表というものは 本当に必要だったんだろうか

 もし まったく異なった時の過ごし方があれば もっと豊かな人生を生きていたのではないか 

 そんな疑問が 折に触れて湧いてくるのでした。

 
 そして ちょっと悲しいですが ひとつの結論として 

 学校教育は そもそも 子供たちを幸せにするために存在しているのではない

 という事実が導き出されました。 

 個々に眠っている潜在能力を最大限発揮し、育むための場所でもない。

 それが目的ならば わざわざ落ちこぼれを生み出すような評価システムを使用する必要はありません。

 そこは 非常に狭い範囲での能(脳)力、身体能力の使い方に長けているものが評価されるシステムであり、規律に従うという条件付けのシステムであり、究極的には国家的な秩序に奉仕するための訓練をする場所、そういった時代の名残を今も引きずっている場所であると思えます。


 子供たちの試練の始まる場所。

 スクールプリズン。

 遥かな未来には 歴史の1ページにそうしるされるかもしれない場所。

 僕らは そこのサバイバーです。



 ◆封印されたモード


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 なぜ、学校トラウマみたいなことを長々書いたかというと、、、

 僕らがスクールプリズンに入所したころから、人間が本来持っている多様なモードを制限する(発達させない)という試みが始まっているからです。

 感性、感覚、想像力を養わない、記憶力偏重、生活技術を学ばない、人間関係を学ばない 自然とのつながりを学ばない、主体的に行動すること、自分で選択することを学ばない・・・などなどです。

 このなどなどがあるために、スクールプリズンに従順で、その評価システムで優秀であるほど、生命体として折れやすいというようなことになりがちです。
 逆にヤンキーの方が 生きる力や ぎらぎらした生命力にあふれてることはしょっちゅうです。

 ヤンキーはグーでなぐり合ったりします。

 無免許でバイクに乗って パトカーから逃げたりしますw

 ニコチンや酒に酔います。

 一般のおとなしげな生徒が 使わない古代のモードを 彼らは幼い時から 発達させるのです。


 彼らはグーで殴られたり、殴ったりするとどういうダメージになるか知ってるのです。

 僕は窓ガラスが割れまくってた公立中学出身なので 彼らをごく身近で見てきました。

 彼らはヤバイやつらでしたが、それでも 潔いヤンキーとか、かっこいいヤンキーというのも確かにいました。

 不思議なことにヤンキーの見せる優しさというのは 本当に優しく見えるんですよね。

 でもそういうヤンキー自体、今では少なくなっているようです。 


 人類が古来から使っていて、今は忘れかけている、退化しているモードをいくつか書いてみます。

 伝説のネイティブアメリカンの長老、グランドファーザーに教えを受けたトムブラウンジュニアが その著書の中で述べています。

 人間が学ぶべき基本は サバイバルアウェアネスであると。


 サバイバルは、いわゆる Fire Food Water Shelterを自然の中で見つけて 生き延びる能力です。

 ネイティブアメリカンのある伝統では、自然の中で一人で生きられて一人前という考えがあったようですが

 現代ではエド・スタフォードやカメ五郎さんしか出来ないかもしれない技術です(=∀=)




 

 一方アウェアネスは 自然や 動物 人間 自分の心身に対する 気づきのレベルを高めることで、サバイバルと一体になっています。

 千日回峰行をしているお坊さんは、からだを酷使したり食事をあまりとらないことにより精神が研ぎ澄まされ、アウェアネスが高まります。山の空気の匂いで いろいろなことがわかったりするそうです。

 そもそも人のアウェアネスは気象予報では知らせないような情報をキャッチする能力を持っています。

 一日の大気の状態というのは おそらく気圧、気温 晴れか雨かだけでは測れないような その他の要素も内包していて アウェアネスの高まりによってそれをとらえることが出来るようです。

 何かがおかしい・・・という感覚と連動して 地震や事件が起こるという体験を多くの人がします。

 暑いとか寒いとか そういう言葉で言語化できない微妙な違和感・体感、こういうこともアウェアネスには含まれます。

 こういった感覚を駆使して、自然の中で生きていくことが本来人間にはできたようなのですが、成長するうえでそれが開発されず、その代わりにスクールプリズンで教育される限定的なモードの中でのみ 生きるようになるわけですね。

 暗記 テスト 評価 競争に勝つ 人に合わせる 権威に従う 異端者をいじめる 無視する などなど 

 それらはある意味 この世界でのサバイバルテクニックでもある。

 しかし

 数万年 数十万年にさかのぼる 人類の歴史の中で、忘れ去られてしまったモード、意図的に封印されてしまったモードはどれくらいあるのでしょうか?

 焚火の周りで踊ったり 獣と命のやり取りをしたり、またテレビもゲームもない時代に 空想の中にひたすらのめりこんだり、降ってる雨を見つめ続けたり 

 文明の進化発展という名のもとに そういう時間を失い、僕らが得た生活は ある意味でその頃よりも 人間性の中核であるモードを封印した上に成り立っているような気がします。

 そして今、あらたに人と人とのリアルなコミュニケーションというモードがプリズンからの浸食を受けてるような気がします。


 スクールプリズンにより摘み取られてしまったモード、発達させる機会がなかったモード、社会全体から忘れられている古代のモード、、、これらすべての人間性を開花することができたら いったいどれほど豊かな世界になるだろうかと夢想します。

 


2021. 04. 14  

 今回は瞑想ネタで(=゚ω゚)ノ 


 瞑想はやってない人にとって、何か特殊なことのように思えるかもしれないですけど、そのベースの部分は誰でも日々の活動の中で行っているのではないかと

 今日、思いました。

 基本の瞑想のひとつに、呼吸に意識を向けるというものがあります。

 雑念が浮かぶのを眺めつつ、呼吸を意識することを忘れない。

 考えに飲まれたら、また呼吸を意識する・・・ということを数十分くらい行う。

 この場合「呼吸」というものが、思考に対する アンカーになります。

 思考の海に漂っている状態から、海底に碇をおろして、意識をセンタリングさせるというか そういうイメージ。

 思考を相対化する作業ともいえるかもしれません。

 で、瞑想をしてなくても、何かの作業をしてる時は、これがある程度行われている。

 お皿洗うとか、道を自転車で走ってるとかでもそうです。

 白昼夢状態でぼーーっとしてると、お皿を割るとか、電柱にぶつかるとか 何かしらの負のフィードバックが返ってくるので一定の注意を払う必要があります。

 作業(ワーク)というものが、思考に対してのアンカーになる ということですね。

 だから、頭が心配事でぐちゃぐちゃな時、掃除をしたりするとちょっとすっきりしたりということが誰にでもあると思います。

 環境と相互作用する作業をすることで 混沌とした思考に 一種のコヒーレンシーがもたらされる ってことですね。

 何か意図を持った行動をする。

 それはお皿を洗うでも、記事を一本書くでもいいんですが、そうすると その行為を通じて、意識に一貫性が生まれることになります。
 目的以外の思考を排除して 意図した行為に集中する と自分の存在にまとまりが生まれます。

 で、瞑想っていうのは 作業時などに起こるカオス→コヒーレンシー作用を純化して それのみを行う っていう感じかなと。

 その場合の意図が 「呼吸を意識していよう」という ものすごくシンプルな意図です。

 僕は「意識している」という行為が 人間の脳にとってもっとも基本的な機能だと思っています。

 このシンプルな意図を 継続する。

 意図することは 『秩序化』するということです。

 で、この反対が、何も意図してない状態で、思考を相対化する意識の働きが弱まっている状態。

 まあ ぼーっとしてる状態というか 耽溺してる状態というか 眠りこんでる状態というか

 「ちょっと ぼーっとしよう ふーーー・・・」とかなら 意識的にぼーっとしてるからいいんですけど

 無意識に

 なんかテレビ見てたら くっそムカついてきたわ 酒でも飲むか(#^ω^)ビキビキ

 みたいに行動してる時は あまり自分の意図というものが働いていません。

 「テレビ見てたら なんだかわからないけど、不快になってきて そして 今オレはストロングゼロを飲んでる」という気づきの意識があればそれは、まだ目覚めてる状態のうちです。

 完全に眠っている時というのは おそらく 「思い出せない」。

 僕もアシュラムで修行してるわけではないので、ある程度意識がしっかりしてる時と、眠ったように あるいは耽溺したように過ごしている時と 微妙に波があります。
 
 時に 耽溺したように過ごしても 別にいいと思うんです。

 今日は「耽溺してたな」という 意識があれば 振り子はまたクリアな方に戻っていきます。


 ただちょっと気を付ける必要があるのは 刺激と依存性が強いもの。

 お酒 性的なこと ギャンブル ゲーム ニュース中毒 SNS ドラッグ など。

 
 これら別に「悪」ではないし 適度にやってる分には 生活に彩を添えるものかもしれません。

 ただ、こういう系に自分が ハマってた時に感じるものっていうのは
 
 静かに積み重なってきた 気づきのプロセスや 経験 コヒーレントに秩序化されていった 何かが ぐしゃっと・・・なる感じというか。

 静か~に浮かび上がってきた 美しい風景に どばっとペンキをかけるというか なんかそんな感じがするんです。

 破壊作用というか 分解作用というか ニューロンのネットワークをバラバラにするような

 まあ、秩序化されて行ってる経験や気づきが 、一度競馬に行ったから失われるとか、ストロングゼロを飲んだらパーになるとかwそういうことはないのですが。

 重度の依存になると、ぶっこわし装置を 自分の中に常駐させることになってしまうような感じでしょうか。 

 
 一方で、こういう激しい刺激や依存対象ではなく 

 なんか、じわーーっと気持ちいいとか 地味に楽しいとか 静かな好奇心とか

 そういうものっていうのは、秩序化を促進するような気がしています。
 

 散歩して花を観るとか、ハーブティーを飲むとか お風呂とか なんかそういうようなことで

 まあ 刺激性が薄く 地味なほどある意味瞑想には近いんですよね。

 
 僕も 時々 地味に浮かびあがってくる水彩画よりも 極彩色のペンキの色がいいと思う時はありますけど

 特にイライラしたり 落ち込んだりしたときは


 でも心を静かにすると見えてくる 『絵』というのが確かにあり それを大切にしたいと思います☆


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2021. 04. 07  

僕が初めてスピリチュアルなセラピーセッションを受けた時のことです。

  時は21世紀初頭w

すでにいろいろ世の中おかしくなってましたが、今と比べればまだ経済大国日本の平和ボケムードも十分残っていたころのことです。

  セラピストの方が紙に陰陽図を描いて、僕に見せました。

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  曰く 「すべて陰陽のバランスなんですよ」とのこと。

  いくらセラピーを受けたりなんだしても 陰の要素がなくなることはあり得ない。

  辛いのは 陰陽のバランスが崩れてるから。

  でも楽しいことを増やしたり、自分の好きなところを見つけたりすれば、そのバランスの中で生きることがずっと楽になる。

  とか  そういう話しでした。

  その時は わかったような わかんないような というか・・・あー陰陽図ねはい、はい、知ってますよそのくらい僕は みたいなそんな感じもありました(嫌な奴かい)

  でも この原理って割とセラピー的なことの根本というか、、、その後、ソマティックエクスペリエンスを勉強した時、トラウマの渦とリソースの渦を接近させる というアプローチなどにも この陰陽の構図を感じました。

 その当時の日本の空気感を想うと、以後 震災や疫病やこれだけの陰がやってくる時代に生きるとは想像もできませんでした。



 陰陽の話しは抽象的な話しではなく 生物学的な事実というか 神経学的な事実というか そういうものでもあり

 人間トラウマ体験や 辛いこと 苦しいことばかりだと シャットダウンして動けなくなってしまいますが 安心すること うれしいこと  楽しいこと があると頑張れる。

 やっぱり要は そのバランスです。


 死←← →→誕生

 闇←← →→光

 冬至←← →→夏至 


 またきわめて過酷な陰の状況には この世の真理が顔をのぞかせることがある。

 僕がよく思い出すのは、フランクルが『夜と霧』で書いてるエピソード。

 ユダヤ人収容所に入れられた人が 一本の樹に 「永遠の生命」を観る話し。


 ドラマは陰性と陽性の相克によって生まれる。


 人見知りでコンプレックスの強かった女性が 歌で自分を表現する楽しさを発見したり

 王子様が一日だけ 橋の下の乞食になりたいと思ったり

 戦争で焼け野原になった国が ビルの立ち並ぶ経済大国になり

 原発を誘致し それが爆発する

 すべてを流した津波に 一本だけ流されなかった木が残る・・・などなど

 優越感は劣等感なしにはあり得ず

 上品さは下品さによってしか認識できない。


 対立する要素を並べるだけで、それらがどう相互作用するかというイマジネーションが生まれます。

 これはやっぱり物語の定石みたいなもんですね。

 ちょっと前に珍しく日本のドラマを全編観てしまったのですが、これは容姿が可愛い子とそうでもない子が入れ替わるというストーリーでした。

 で、おもろいのは もともと可愛い方の子は性格も良くて そうでもない子は性格も陰湿という ++(陽陽) & --(陰陰) の組み合わせなんです。(陰湿なゆえに魔術的な方法で 可愛い体を手に入れようとするわけです)

 そこで中身が入れ替わることで 可愛いが陰湿 そうでもないが超性格美人 という +-(陽陰) & -+(陰陽) が生まれるんですね。

 僕はあまりかわいくない子(海根さん)の笑顔がすごい好きなんですけど、、、もの語り上は、この笑顔の素敵さは可愛い子(あゆみちゃん)の心が宿ってるあらであって、、、でも実際は海根さん役の女の子の演技力とか素の現れなんだな~ ん?? しかし、かわいくない子の役するのって一体どんな気持ちなんだ とか考えてるとわけわかんなくなってきて面白い。 

 観てるとだんだん 混乱してくるけど この二人が 最終的に和合してゆくというとっても良いお話しです。


 


 僕らの実人生にも、特有の陰と陽があって それらが互いに相互作用しています。

 陽の部分の恩恵は 陰ゆえにあったりします。

 ノートに自分の人生の陰と陽を書きだす。

 そして互いの要素がどう関係してるか分析したり、陰の要素を陽の要素とイメージの中でフュージョンしてみると結構面白いです。

 どこまで続く Ying Yang Game ○o。(○゚ω゚)ノャァヽ(゚ω゚○)。o○

 



2021. 04. 05  

  全世界的に、マスクやソーシャルディスタンスが常識となってそろそろ一年を越えました。

  去年の今頃、コンビニのレジ前にビニールカーテンが現れた時、「うわっ なんやこれ とうとうこんなことに・・」と思ったのを覚えています。すごく こう・・・非常事態感を感じました。

 1年たつとそれにも慣れてしまい、むしろ ビニールカーテンがなかった頃のことを思い出しにくい。

 多分どこかのコンビニ入って、ビニールカーテンもなくて マスクもしてない店員が「いらっしゃいませ!!」と真っ白な歯を見せて笑顔で言ってくれたら ドン引きしちゃいますよね。(一軒くらいあってもいいと思うけど)

 そしてマスクなしで平気で歩いてた感覚というのもどんなんだっけ。

 そんな自分の感覚を照らし合わせて思うことは、

 これ、いつのタイミングでやめるん?
 
 ここまでやっちゃったら 絶対やめれないよね これ。

 今年のどっかのタイミングでいったん落ち着いても 冬になったらまた増えるし、、、そうして来年になり ・・・ え?いつやめるん、マジでと。

 日本の状況というのは諸外国に比べれば感染者数も少なく、マスクに法的な義務はまだないし、ある意味平和にも見える。

 でも、このモードに完全に慣らされてるという意味では 海外とまったく変わらないのではないだろうか。

 あんまし陰謀論的なことは言いたくないけど、この状況は世界レベルで あたかも社会工学的なライフスタイルの改変が行われてるように見えて仕方ない部分があります。

 社会工学というのは、ひとつの社会の構造を 人為的に変える方法論というか、、詳しく知りませんけど・・そういう学問体系があるようです。 

 通常の常識的な見方ですと、ロックダウン、ソーシャルディスタンス、マスク、ワクチンと今後検討されている「ワクチンパスポート」などという対策すべては 人類がウィルスと戦い 克服するための 手段とみなされています。

 つまり、ウィルスは自然発生で ロックダウン ソーシャルディスタンス ワクチン すべて人類の善意に基づいた対策であると。    

 一方 ウィルスの発生から ワクチンパスまでの流れは全て ソーシャルエンジニアリングのプロセスであるという見方もあります。

 僕には どちらが正しいのか証明するすべはありません。

 しかし、後者の場合、もう完全に それにハマってるな・・・と思うんですよね。

 ここまで条件づけられたらなかなか やめれないから。

 マスクもソーシャルディスタンスも。あのスーパーのレジ前に書かれた立ち位置に立つ習慣も。

 なんか 言い過ぎかもしれないけど、大戦中のユダヤ人強制収容所にいつのまにか世界中が入ってるような感じというか そういう不気味さがあるんですね。

 最近、「ああ・・・ずっとこのままなら いっそ 無人島で 犬とか豚とか 鶏とかに囲まれて暮らしたい。」と思うことがあります。

 いや、まあ 半分冗談ですけど ちょっと本気な理由は

 もしかして 永遠に マスクを外して笑いあったり出来ないんじゃないかと そういう空気って 二度と戻ってこないんじゃないかと そういう不安に駆られるのです。

 生の笑顔っていつ見たんだっけ?と。

 ZOOMで家族や知人と話すこともあったり、、、東京から京都の実家に帰った時はさすがに ノーマスクで団らんします。

 一般的に言って おそらくマスクなしで 会話をするというのは パートナー 家族などごく親しい間柄であるか、あるいは、一緒に食事をしたり 飲みに行ったりする時 だけだと思います。

 まあ一緒に食事に行くというのも、おそらく同僚とかコロナ以前からの付き合いのある相手ということになるんでしょうね。

 だから 現在、生の笑顔が見れるかどうか、という格差が生まれていると思われます。

 つまり、生の笑顔が見れたり、身体的に接触したりできるというグループと マスク人間とソーシャルディスタンスの世界しかないというグループ。
 対人的リソースの格差と言ってもいいです。 

 僕ももともとそれほど人づきあいが多くない・・というか引きこもりに近いので後者に属します。

 この世界になって、今までいろんな見知らぬ人とか それほど濃い付き合いではない人たちからたくさんリソースを得ていたんだなーと気づきました。

 だから 一人で生きてるように見えて 結構いろんなところからもらっている部分があったんですが そこがごそっと抜けたので時々バランスを崩した感じになり 先に書いたように「ああ、ずっとこのままならいっそ無人島で、、、(略)」という空想をしてしまうことがあります。

 動物だったら うつすんじゃないかとか うつるんじゃないかとか そういう思考全くなしに すり寄って来てくれますから癒されます。 
 いや、真剣に この状況にストレス感じてて 動物飼える環境の方は なにかの動物を養子に迎えるのがよいかもしれません。 

 
 僕が最近癒されたのは 介護の仕事でのこと、50代後半のYさん♂ という方がいて この方は公園で水浴びしてるところをうちの事務所のケアマネに拾われたという野生的な方です。

 昔は5,6匹の猫と一緒に公団住宅に住まれていて、僕はYさんの家の仕事がある日は 「今日は猫カフェの日か・・・」と想ってコーヒー持参で行っていたものでした。マンチカンの可愛い子猫がいて、癒されました。

 今のアパートは猫が飼えないとこなので残念ながら猫カフェではなくなってしまいましたが、Yさんは動物とよく友達になります。

 その日も、外出で仲のいい飼い犬を見つけて近寄って行かれました。

 まだ子犬でしたけど、僕にも全力でじゃれついてくれて あちこちなめられたりとか軽く甘噛みされたりとか ホント犬って全力でじゃれついてきますね。

 べろべろされながら ある意味 これって 無条件の愛やん~~と思いましたw


 他に知的障害のKさんという方。

 この方はマスクしてません。コロナやマスクという概念がないし、

 多分誰かが付けても 5秒でむしり取ってしまうと思います。

 だから僕は Kさんが大声で笑ったリ ぎゃーと言ったりしてるのを 横で観てることができます。

 うつすと思われるんじゃないかとか うつすんんじゃないかとか そういうような思考が一切ないKさんのフィールドにいると 僕もなんだか気が楽になります。

 ことKさんの介護に関する限り コロナ以前とあまり変わったところはありません。

 笑顔格差難民に落ちこんでる僕にとって Kさんの笑顔は貴重な 生笑顔となっています。

 介護の仕事はストレスもあります。

 でも この状況下で自分が救われてる部分も割とあったりするのかなと。


 ロックダウンできない笑顔や愛に気づく機会をもらえるという意味では 笑顔難民も悪くないかもしれません。


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プロフィール

はいたか鳥

  • Author:はいたか鳥
  •  Only in silence the word,
     only in dark the light,
     only in dying life :
     bright the hawk's flight on the empty sky


     ことばは沈黙に
    光は闇に
    生は死の中にこそあるものなれ
    飛翔せるタカの
    虚空にこそ輝けるごとくに

    ゲド戦記 エアの創造より


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