2021. 08. 30  
2021. 08. 29  

今週末は、山梨は小淵沢で過ごしていました。

  あのあたりはちょっと以前から縁があるようで、清里のペンションでのI先生のリトリートに参加した時が初訪問で、他によくブログを読ませてもらってる方が2人ほどいらっしゃったりします。

 去年は先史文明研究家の浅川嘉富さんの「徳乃蔵」でのエネルギーアート展を見させてもらいにゆきました。

過去記事

 浅川嘉富さんが東京で講演会をされてるころ、何回かお話を聴きに行ったことがあり、いつか「徳の蔵」も訪れてみたいとずるずる思ってましたが 去年の今頃 もうパンデミックやなんやらで人とも簡単に会えなくなるかもしれないから 今のうちに行っとこう と思い切って出かけました。

 金龍の掛け軸のかかった和室で 他の方と一緒に お話しを聴かせていただきました。

 その後 こちらも時々拝見しているブログIn deepのOKAさんも 去年浅川さんに会いにいらっしゃったことを後から知ってちょっと驚いたり。  

 なんかいろいろなものが結びついてる場所なのかもな~と感じています。

 龍神系なんかな?いや、よくわからんけど(笑)

 
 で、今年は ヒャッハーブロガーの玉蔵さんのイベンに参加してきました。

 セーブ・ザ・リーフ上映会8/27(金)& 不思議な光触媒トリニティ体験会

これは、生体融合型光触媒 トリニティーZを使った久高島・久米島などでの珊瑚再生のお話し、そしてトリニティーを使ったスキンケアの体験会ととても充実した内容で 楽しめました。

 大変面白かったので、またあらためて記事にしたいと思います☆

なぜか ほぼ全員マスクをしていない・・・

 うほっΣ(゚Θ゚)(この擬音はおかしいかと最初 思いましたが  

 僕もどちらかというと、通常はしてないと目立ちすぎるから つけてるだけなので ほとんど気にはしてません。

 自転車で緑道を走ってる時ですら ノーマスクだと 微妙に日傘でガードしたりするくらい感染症対策を徹底してる人もいらっしゃる都会で若干疲弊していたので、 

 うわ~~すごい 久しぶりや こういうの~~ と興味深く観ていました。

 なぜ みんなしてないのか どういうパラダイムにいるからかは よくわからないけど、ここではしないのが普通だよ みたいな。

 あごマスクをしてる人すらいないので もう外すことにした (゚∀゚)

 だいたいスキンケア体験もあるので、つけてたら無理です。

 ちょっとホッとする部分もあります。

 どこに行っても アルコールに 検温に マスクに って まあ それを全否定はしないんですが、世界中がz-っとそうなって 本当にいいのか と  

 しかも それやっててワクチン打って この現状。 2回じゃいまいちきかんから もう一回 打っとく?(´∀`σ)σってなってるし。いったい 僕らは何をしてるのかと 時に思います。

 闘わず 放っておいて 時が過ぎるのを待てばよかったのではないか。という疑念が消えない。

 だから 異論はいろいろあるかもしれないけど やっぱり 個人的にはこういう場所 あってもいいと思う。

 それがおかしいとか 禁止とか 取り締まれるとかなったら もうこの世界 本気でヤバいですよ、きっと。 

 「ワクチンを打っていない人々のせいで 家族がこんなことになった」とかっていうニュース報道が流れてるけど、そういうような人に罪悪感を植えつけ、人を分断する、コントロールするミームがはびこると誰も幸せになりません。

 打ちたければ打てばいいじゃない。

 注射をしてるかしてないか そんなしょうもない理由で 人をたてわけて分断するなと言いたい。

 他に もっと大事なことはないのか?

シャーマンのように マスクのある現実も ない現実も どちらも自由に渡り歩く方を 僕は選びたいです。 

 鼻と口を隠したい気分の時は そうすればいいし。僕もそういう気分の時はあります。


 (※ 僕はコロナは存在しない、とか ただの風邪であるとか そういう意見ではありません) 


 そんなこんなで 最近のメディアに乗っかる 社会意識の流れは いろんな意味で ますますクレイジーになっているので 個人的にはますます 外部情報から遠ざかる時間が貴重になってきました。

 この一週間はニュース的情報に触れる時間を極力減らして、過ごしました。

 そうすると、ニュース的情報というのは 「世界で起こっていることの客観的な知っておくべき 情報」なのかどうかが 疑わしくなってきます。

 まるっきり嘘を報道してるとは思いませんが、それらは  無数にある情報チャンネルのひとつです。
 別に、ニュースを一月見なくても死にません。

 なのになぜ、僕らはそれを見るのかと言うと 世界について知っておくべき主要な事実だと 認識してるからでしょう。

 でも、本当にそうなのか。

 音楽を聴くことだって 語学や数学、歴史を学ぶことだって 瞑想することだって 世界について知るための方法でしょう。 

 優先順位はありません。

 なのに なぜ気が付くとヤフコメをだらだら読んでるのでしょうか(僕のことです)

 実際 ニュースという社会意識の流れは それら無数のチャンネルの中の ごく小さな 小さな 一部でしかないのです。

 この時期だからこそ もっともっと豊かにチャンネルを広げたほうがいいのかもしれません。

 そうすることが むしろサバイバル的なことにもつながってくるのではないかと 僕は思います。

 
 また場所を変えるというのも やはり つながるチャンネルを変える方法として とても有効です。 

 まあー これも社会意識の流れの中では 怒られたりするかもしれないですが ・・・ Go to travel(笑)

 小淵沢って 標高1000メートル弱くらいで・・・

 あっちに行くと ニュース的社会意識との断絶感がちょっと増しました。 

 人口密度の少なさと、もしかすると 高度も関係あるかもしれません。

基本的に 物事が 水平軸ではなく 眼下で起こってるという感覚がどっかでてきます。

 日中は10キロとか歩き回り、夜は数えきれないくらいの 星が輝いているのを見ていました。
 あんな星空はかなり久しぶりか、もしくは初めてでした。

 
 答えはニュースの中あるのではなく、それ以外の「色々な現実」のなかにある。

 それを是非体験しましょう。


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2021. 08. 20  
  
   「あなたは良き星のもとに生まれ 精と火と露より創られた

                                    ブラウニング
」 赤毛のアン冒頭より

   「いま曲がり角にきたのよ。曲がり角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。それにはまた、それのすてきによいところがあると思うわ。その道がどんなふうにのびているかわからないけれど、どんな光と影があるのか―どんんな景色がひろがっているのか―どんな新しい美しさや曲がり角や、丘や谷が、そのさきにあるのか、それはわからないの」 アン・シャーリー


 2019年の12月、以下の記事を書きました。


  「赤毛のアン」が鉄板な理由

 Netflixでたまたま配信していたのを 何気なく見始めたのがきっかけ。

 まったくどんな話しかそれまで知らなかったんですが、全話通して観てものすごく感動した。

 特に成長したアンがマリラに優しい言葉をかけ、マシューが神に感謝するシーンは涙なしではみられません。

 以下その記事より引用

 「アン」には 成長する時に避けられない 喪失とか離別も 子供向けアニメとは思えないほどしっかり描かれています。

 成績が優秀だったアンはクイーン学院という高等部の試験に合格して グリーンゲイブルズをしばし離れることになる。
 その前日の夜に 美しい服に身を包んだアンを見てマリラは 自分が愛したあの小さな赤毛の女の子が消えてしまったような寂寥感を感じます。

 それにアンはこう答えます。

 「マリラ 私はちっとも変わってないわ 

 ただ少しはさみを入れたり 枝を伸ばしたりしただけなんだわ。

 本当の私はその後ろにいて 今までとまったく同じなのよ。

 本当よ マリラ。どこへ行こうと どれだけ外見が変わろうと 心の中では これから先も ずっとマリラの小さなアンなのよ。

 マリラとマシューの このグリーンゲイブルズの 小さなアンだわ
。」

 こんなことを言える子供は・・・・いない。
 でも、これほど保護者側の心を打つ言葉もないような気がする。
 しかも、実の子ではないというところがこのセリフをより感動的なものにしています。

 アンとマリラのやりとりを聴いていたマシューはいたたまれずに 戸を開けて星空の下へ出てゆきます。
 そしてこうつぶやきます。

 マシュー「そうさのう(←マシューの口癖) あの子はそう甘やかされもしなかったようだ。

      時々わしがおせっかいしたのも 別に害はなかったようだ。あの子は利口で綺麗で、それになによりいいことに優しい子だ。
    私たちにはお恵みだった。

 スペンサーの奥さんが間違えてくれて運がよかったというもんだ。もっともそれが運ならばの話しだが・・・

 どうもそれとは少し違うようだ。

 神の思し召しというものかもしれない。

 全能の神が、わしたちにはあの子が必要だと 認めてくださったんだ
。」

 

  そして 最後にこう書きました。


  これは、確かにフィクションなんだけど
  20世紀初頭に書かれた19世紀の話しで インターネットはおろか 自動車も飛行機もなく ふたつの世界大戦も 核兵器もないころで 
 かといって科学技術(蒸気機関や印刷技術)が全くないわけでもないという・・・ちょうどいい感じの 文明の悪夢が始まる前の 人が素朴でいられた最後の時代の『夢』みたいな印象を受けます。

 そういうところも魅力だったのかもしれません。




 まさか、この記事を書いていた時にはすでに中国でパンデミックがはじまっていたとは夢にも思わず、これほど社会状況が変質し人間性が脅かされる状況になるとは予想しませんでした。

 今振り返ると 平和だったな・・・とちょっと感慨深いものがあります。

 まあ、そういうことは置いておいて、、、



 最初アニメを見た感じから受ける 「アン」というキャラクターは なんちゅーサイコな子供だ と同時に 火と風の子共だな・・・と その時思いました。

 赤毛だからとか、冒頭のブラウニングからの引用の影響もあるかもしれないけど、キャラクター全体がそういう印象。

 いい方にも悪い方にも激しやすいところや、移り気なところ、強烈な想像力など

 そのどれもが 燃え上がり 自由に飛翔するような性質で あまり彼女からは「地」や「水」という要素を連想できない。


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 赤毛をからかわれ、クラスメートのギルバートの頭で石板をたたき割るアンw 

 一方、アンの親友となるダイアナ・バーリーという少女は

 もう見た目からして 「地」と「水」です。

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 なぜか 水辺が似合います。

 もし心霊スポットを探索した後で、夜中に金縛りになるとすれば それは多分 アンではなくダイアナでしょう。
 (エネルギーを吸収しためこみやすいイメージ) 

 ダイアナという名前の語源は「月の女神」であり、月と水は深い関係性にあることも暗示的です。

 一方 アン・シャーリーは 窓辺でこころをさまよわせているのが本当に似合います。
 窓は空とつながる場所 風の吹きこむ場所です。

 アンの養育者であるマリラは50~60才の女性で、保守的な完璧主義者、やや厳格で 家庭の万事をこなす有能な主婦。当初少し乾いた印象がします。が、マリラはアンの飛び回る気質に対照的な「地」の要素が強く、アンをグラウディングさせているように見えます。
 アンは学業に集中すれば非常に優秀で、のちにクイーンズ学院という名門の高等教育に進みます。

 しかし子供の頃は 本当に 火と風の精霊のような 人間としての危うさと 存在としての純粋さを表現しており そこがある種魅力なのかもしれません。  



 アン・シャーリーはその感受性の強烈さからみて完全に、HSPであるように思われます。 

 彼女の感受性の鋭さを表現するシーンは物語の冒頭から登場します。


 マリラの兄マシュー・カスパートのひく場所に乗り、リンゴの花の咲く並木道を通るシーンです。

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 「ああ、カスパートさん。さっき通った、あの場所は・・・あの白いところは・・・なんと言うの?」女の子はささやくように言った。

 マシューはしばし、どこのことかと、じっと考えた。

 「そうさなあ、ああ、並木道のことかい。あれはまあ、きれいなとこだね」

 「きれい?きれいなんて言葉は、ふさわしくないわ。美しい、でも足りないわ。そんな言葉では遠く及ばないわ。ああ、すばらしかった・・・ただもうすばらしかったわ。想像の世界よりもすばらしいものを、初めて見たわ。私のここが一杯になったの」

 ・・・女の子は胸に掌を押しあてた・・・

 「ここが、不思議と変な感じに痛いの。でも気持ちのいい痛みよ。おじさんもこんなふうに痛かったことある?」

 「そうさな、そんなことがあったかどうか、もう忘れてしまったな」

 「私は何回もあるわ・・・すばらしくきれいなものを見ると、いつもそうなるの」


                                              「赤毛のアン」 モンゴメリ 松本侑子訳より

 


 また日曜学校でみんなでピクニックに行くことを聴いた時には 「興奮のあまり体中が冷たくなった」とあります。

 「鳥肌のぞくぞくが、背中をあがったりさがったりしたのよ、マリラ!本当にピクニックがあるかどうか、実は、その時まで信じられなかったの。私が想像していただけじゃないか、心配だったのよ。」前掲書


 これも若干心配なセリフですが、どうも 感情状態が体にあらわれやすいのは、HSPの特徴のひとつのようです。

 ダイアナはアンに比べるとHSP度は低く 普通~やや高めのあたりかもしれません。

 ここでアンとダイアナというキャラクターを「火と風タイプ」「水と土タイプ」としてあえて対比してみたのは HSPやエンパスもどういうエレメントが強いかによって かなり存在のあり方に違いが出るのではないかと思うからです。

 地水火風という 西洋的4元素論の他にも、アーユルヴェーダのヴァータ(風)・ピッタ(火)・カパ(水)の3元素論とか中医学の気・血・水などから考えることもできます。

 ヴァータのHSP ピッタのHSP カパのHSP・・・などですね。

 HSPとして刺激への感受性が強い、というのは同じなんですが どういうエレメントが影響してるかによって その行動、適応・不適応のパターンが変わってくる。

 アンは 「火」が強いので 何か気に障ると 口や手がストレートに出ます。あるいは 失踪や家出という行動をするでしょう。
 また感情の強度が針が振り切れるほど時に高まります。

 一方、アンはギルバートを憎めば憎むほど、それと同じ激しさで、ダイアナを、小さな胸の底から、全身全霊をかけて愛した。アンは愛情も憎悪も同じように激しいのだった。


 しかしダイアナの場合は彼女のHSP度がアン程度に高くても、そうはならない。
 どちらかと言うと 内側にため込み 自傷行為などに向かう可能性が高そうです。

 また、アニータ・ムアジャーニさんが描かれているような 「ドアマット」になるHSP・エンパスのタイプというのは おそらくダイアナタイプです。

 嫌なことがあるとアンは 学校に行かない という決断を意図も簡単にしますが ダイアナはそういう反社会的・反体制的なことは簡単にはしません(できない)。
 
 「もう二度と、学校へは戻らないわ」

 ダイアナははっと息をのみ、アンが本気かどうか、じっと顔を見つめた。

 「マリラが家にいさせてくれるかしら?」

 「そうさせてもらうわ。あんな先生のいる学校なんて、絶対に行かないわ」

 「おお、アン!」ダイアナは今にも泣きだしそうな顔になった。
前掲書


 逆に言うと、だからこそダイアナタイプは対人関係の中で 踏みつけにされる可能性はあっても 社会的にドロップアウトするという可能性は少ないとも言えます。

 何が言いたいかと言うと、同じHSPやエンパスというくくりの中にあっても アンタイプとダイアナタイプでは それぞれ異なった処方箋が必要になってくるんじゃないかな ということです。

 <水と地>は 関係性や社会性の内側で こころを蝕まれる可能性があり

 <火と風>は 関係性や社会性の外に飛び出して アウトサイダーとして孤立する可能性がある。

 <水と地>にとっては誰かに「NO」を言うのが課題かもしれないけど、<火と風>にとってはすべてを燃やし尽くし、空に舞い上がった孤立状態の中で「NO」を言う相手というのがそもそも特にいないかもしれない。

 前回紹介した「Sensitive is the new strong」の中で、著者のアニータ・ムアジャーニさんは、「HSP・エンパスは五感的存在のために設計された世界に生きる六感的存在である」という趣旨のことを述べられています。



 HSPエンパスの持つ生きづらさは、五感で感じられることがすべてであるという暗黙の前提のもとに設計されている世界で、見えないエネルギーや過剰な五感の負荷を感じながら生きなければならないことかもしれません。

 またHSPエンパスの多くが生まれつき持っている、見えない世界とのつながり 内的な世界の豊かさも なかなか正当に評価される機会が少ない。そのため、多くのHSPエンパスは自分自身を不適合者とみなし、自己評価も低くなりがちです。

 極端な言い方をするならば・・・人間として普通に生きる権利を剥奪されている、と感じる場合さえあるかもしれません。

 「赤毛のアン」は強烈な感受性と豊かな想像力を持った、風変りな女の子が、時には奇異な目で見られながらも自分を偽ることなくその感性を全開で生き、自らの居場所を得ていく物語です。
 プリンスエドワード島の自然や、信頼できる人々との絆が アンが困難を乗り越えてゆくための大きなリソースとなっています。

 そして彼女自身の「想像力」も。

 フィクションであるとはいえ このような物語は 多くのHSPエンパスの心に今も生きている 繊細な幼子を勇気づけ、癒しを与えてくれるような気がします。

 だから 大人になってからこの物語を知っても こんなに感動できるのかなと思いました。




2021. 08. 18  




   平和がなくなることはない

  たとえ 人がそれを感じられなくても

  それは ひとつの周波数帯として 内なる領域に永遠に存在する

  地上に何が起ころうと 
虹の七色が永遠に存在するように 

  すべての「良いもの」は 本質的に消えることがない

  空から虹が消えた時は 目を閉じて

  内なる場所にそれを見つけることができる



   unnamed (10)

 art by Ingo swann



2021. 08. 15  





  アニータさんの新刊「Sensitive is new strong」を購入して ちょっとづつ読んでいます。

  アニータさんのことは今までに何回も書いてるけど、臨死体験ののちステージ4のリンパ腫が短期間であとかたもなく消滅したという体験の持ち主です。

 おもに臨死体験で触れた世界や、自分を愛しケアすることの大切さをメッセージされていますが、、、

 最近あらわれたもうひとつのテーマは HSP(高度に敏感なタイプの人々)やエンパス(人の思念を察知したりエネルギーを吸収する人)が その体質に圧倒されすぎず それらをギフトとして受け入れて生きる こと。このテーマでもよく話されています。

 で、今年の3月に出た新刊はもろにそのことが主題となっています。

 僕はだいぶ前に 自分がHSPとエンパススペクトラムで結構 濃いい部類に入ることに気づき どういう風に過ごせばバランスを崩しにくいか多少わかっていた部分があります。

 コツとしては外的な刺激の過負荷に注意することとか、刺激の強い食べ物には注意するとか、あまり怪談を聴きすぎないとか(好きなんだけどね)・・

あと、コロナワクチンのことや JAL123便の事故のような 真相追及系というのもよく記事にするけど 結構ダメージが来るのでバランスをとらなきゃ容易にダークサイドに堕ちてゆきます。

 ネガティブなものに注意すると同時に、自然の美しいものやアートにも影響されやすいことがわかってきたので、そういうものをなるべく生活に取り入れたりしています。

  でも、アニータさんがエンパスであるという話しは 初期の本には書かれてないので、それを話され始めた時は より一層共感できるようになりうれしかったです。

 邦訳されてる2作品はどちらも読んでいて、この「Sensitive is new strong」も遅くても来年くらいには邦訳が出るんじゃないかなーと思ってましたが、ちょっと待ちきれなくて洋書で購入しました。

 まだ読み始めたばかりですが、エンパスの特徴として、「批判を回避し、承認依存になる」というのが書かれており もっすごいわかるな~~と思いました。

 まあ 誰でも批判されるのは嫌でしょうけど、エンパス・HSPの場合は 物理的にぶん殴られるくらいの衝撃を受けるので、それを回避するために 人を喜ばせる人やアニータさんのいうところの「ドアマット」になってしまいやすい。「NO」というのが苦手です。人の話しを全力で聴くので、愚痴の聞き役や感情のゴミ捨て場にもなりがちです。

 エンパス・HSPとしての負の要素に振り回されないためには ある程度「NO」を言えるようになる必要があります。

 僕は意識的に練習しました。というか自分の場合、20代初めに昔の友達にものすごくキレまくったことがあり、、今までおとなし気な様子の自分は仮面なんだ、ホントはもうちょっと激しいやつなんだと気づき、、「YES」と「キレる」の両極端にふれるのをなくそうとしてきたようなところがありますが^^;

 一般によくあるのは こういうような感じではないでしょうか。

 例えば電話で2,3時間つまらない話しに付き合わされ、あとからぐったりするとわかっているのに 古い付き合いだから電話に出てしまうとか そういうことってあると思うのですが

 でも、電話にずっと出なかったら、もう連絡してもらえないんじゃないかとか 嫌われるんじゃないかとか そいう動機でコミュニケーションしてるというようなケースなど。

 だいぶ前にアドラー心理学の「嫌われる勇気」とか言う本が売れていました。

 読んでないんですが そういうタイトルの本が売れるということは 日本人はもともとかなりエンパシックで、ゆえにそのために問題もかかえているのかなという感じがしますね。

 「NO」を言うと一時的に 相手と気まずくなったり疎遠になるかもしれないけど、愚痴を聞くのをやめて疎遠になるなら それはもう いいんじゃないかな(笑) ある種 定期的に血を吸われているようなものですからね。(エナジーバンパイア)

 最初は血を吸われなくなってさびしいと思うかもしれないけど あなたの血を吸うのではなく 普通に話したいという人が 多分いっぱいいるはずです。

 エンパス度が低い人から見ると、何をちっちゃいことを気にしてるんだとか、人に嫌われることなんか気にするなとか、もっと図太くなれとか そういうアドバイスをしたくなるかもしれません。

 でも、そういう一般論をたやすく実行できれば そもそもエンパス度は高くない。

 エンパスにとってそういう種類のアドバイスは なんか 感覚を麻痺させろと言われているような ものすごくごりごりとしたものに思えるはずです。

 エンパス・HSPには、気持ちが明るくなるような熟練のエンパス・HSPからのアドバイスが必要であって、そういうヒントがこの本にはたくさん詰まっていそうです。


 最近の以下の動画では  影響されやすいエンパスが パンデミック下で 生きる大変さ 信念(コアビリーフ)と信頼を失わずにいるヒントを話されています。とても共感できます^0^☆☆☆









2021. 08. 10  

  

この前、飛火野 耀さんの「もうひとつの夏へ」という物語を紹介しました。


  






  この物語で僕が好きなポイントは10代~30代くらいまでの境遇もバラバラの登場人物たちが、廃墟の都市の幻を見るという現象で結びつけられて 交流を深めてゆくことです。

  こういうパターンって、よく密室劇的なドラマで現れるもので、沈没する船とか 山奥の山荘とか 災害の現場とか 外部との連絡が絶たれた空間で 様々な人が協力し合うというようなストーリーにみられます。

 その中では、社会的な立場みたいなものは ある種チャラになっており、それぞれの人間性とか能力のみが浮き彫りになっていきます。まあ、沈没する船では口座にいくらお金持っててもあんま関係ないですからね。

 で、「もうひとつの夏へ」にもそういう密室劇的なところがあって、この場合は空間的に隔絶しているのではなく、ある異常な現象を共有することによって 一般的な世界から精神的に隔絶してしまったという感じです。

 もともと彼らは社会のメインストリームに乗っかっていけるタイプではなく、そういうメンバーがあちら側を 覗き込んでしまう。

 そしてキタロウという謎の人物から あちら側(世界線の異なる1999年)へ行って世界を救ってくれと 懇願されるのです。

 彼らは少しづつお互いに心を開くようになり、いったい世界に何が起こっているかということを 時に高揚しながら 時に不安を感じながら話し合います。

 そういうような状況が 普通なら接点がない 彼ら (高校生の男女 ケンとヒロコと フリーターの青年タカシと 作家の『僕』)を結び付けてゆくのです。

 以下のシーンは 彼らが『僕』のアパートに集まり、向こう側について、社会に対してどうすれば危機を知らせられるかミーティングを持つシーンです。彼らは話し合ってから、高校生の女の子が作ってきたお弁当を分け合って食べます。





 そんなわけで、ぼくらはヒロコの作ったかわいらしい弁当を、半分づつ食べることになった。ヒロコとケンは仲良く同じ弁当箱から食べ、ぼくはタカシが半分食べた残りをもらった。

 デザートには、一個しかない桃を四人で分けあった。ナイフで一切れづつ切り取ったあとの芯の部分は、ジャンケンでタカシのものになった。彼はほとんど種だけになるまで、桃をしゃぶりつくして満足気な表情になると、べとべとになった両手をジーパンのもものところでぬぐった。

 雰囲気はこれで一気になごやかになった。ヒロコが、何かレコードを聴かせてくれと言い出した。



 そんな流れで音楽の話しになり、『僕』は一枚のCDをプレーヤーにセットしてスタートさせます。



 四百五十年以上前に作られたジョスカン・デ・プレのミサ曲が、大聖堂ならぬぼくの部屋の中いっぱいに響きわたった。

 ポリフォニーの横糸が声の織物を形作ってゆくその有様は、ある人が評したように、翼のある天使たちが乱舞しているようだった。

 「きれい・・・」

 ヒロコがつぶやいた。ほかの二人も、神妙な顔でじっと耳を傾けているようだったが、あまり長くなって退屈しはじめないうちに、プレーヤーを停めた。以前、趣味の違う友達に聞かせて閉口されたことがあったからだ。

 ぼくは次に、最近一番印象的だったCDをかけた。それは、ソ連領エストニア生まれで数年前に西側に亡命した、アルヴォ・ペルトという作曲家の「樹(アルボス)」というCDだった。

 音楽がはじまると、部屋の空気が急にひんやりしたように感じられた。窓の外は相変わらず真夏の太陽がふりそそいでいたが、ぼくらの周囲にだけ、どこからか夕闇が忍び寄ってきたようだった。

 この中世の教会音楽のようでもあり、現代のミニマル・ミュージックのようでもある、不思議な静けさに満ちた音楽は、あたかも、生まれる以前の記憶をゆりうごかして、ここではないどこか、今ではないいつかへのあこがれをかき立てるように思われた。

 タカシはと見ると、目を閉じて聞き入っているようだった。ケンは相変わらず無表情だったが、ヒロコの目には涙が浮かんでいた。

 「ねえ・・・」彼女はふいに口を開いた。

 「向こう側って、どんなとこなんだろう・・・・」






 このシーンは物語の中でも特に好きなシーンです。

 はじめてこの物語を読んだとき、「不思議な静けさに満ちた音楽」で、「あたかも、生まれる以前の記憶をゆりうごかして、ここではないどこか、今ではないいつかへのあこがれをかき立てる」って いったいどんな曲なのかと 想像をたくましくしました。

 「樹(アルボス)」という言葉の響きもとても 趣があるな~ 聴いてみたいなーと思っていたのですが 当時 アルヴォ・ペルトなる作曲家について調べる手段も限られていたし、ほぼJPOPしか聴いてなかったので そのままにしてました。

 最近数年ぶりに読み返してみて やっぱりこのシーンはいいなと思いつつ、あ、今ならここに出てくる音楽について簡単にわかるんだったと気づき、まずジョスカン・デ・プレのミサ曲に該当するものを探してみました。

 多分、これかな。

 


 ・・・と軽い気持ちで聴き始めたのだが 圧倒されました。
男女混声の音の、、、こういうのをポリフォニーっていうのもよく知らなかったけど 意識が若干飛びそうになるような感じです。

 なんつーか ホントに時を越えたような楽曲だと思います。

 時間のない天から 時空の場におろされた曲で 今が1600年だろうと2000年だろうと関係ない ずっとその場で鳴り響いているというか そんな感じがします。 

 で、問題の「樹{アルボス)」に関しては ユーチューブではそれらしい音源が見つからなかったのだけど、アルボ・ペルト(Arvo Part)という方の作品はいくつかあがっていました。

 この曲なんかは不思議な静けさに満ちていて、とても好きになりました。





 シンプルだけど ずっと聴いていたくなるような旋律です。

 「樹(アルボス)」もCDでいつか聴いてみようと思います。


 「もうひとつの夏へ」という作品は 自分にとって非常ーっに特別な物語であるのは確かですが どうしてこんなに好きなのかはわかりません。

 ただ 好きなものっていうのは 何年たっても 自分に何か与えてくれるんだなーと思います。

 
 それではアルボス!!(^-^)/ (多分 使い方違う)


2021. 08. 07  




 テーマは「人は一人ではない」。

 前に人は一人でも生きて行けるという動画を撮った記憶がありますが、、これは同じようなことでもあります。

 Sense8のキャラでは サン(ペドゥナ)が好きだな~~

 格闘の動きが超かっこいい。 なんかプライベートでもやってる?

 ずっと刑務所入ってるからある意味一番つらい境遇なのだが、それに、負けない鉄のような意志と優しさを兼ね備えているところが魅力。
 そして 刑務所に入っていても 世界中のクラスターとつながり 風景を共有したり、バトルシーンでは誰かにシンクロしてあっという間に複数の敵を倒してしまったりする。

 サンはひとつの場所に囚われてるから、一層感応者の特質が彼女を通して描かれてる感じ。




 





2021. 08. 04  

 




 最近では、アニメ「シュタインズゲート」などで複数のパラレルワールドのタイムラインを現す「世界線」という言葉もメジャーになりました。

 ですが、90年代に初めてこの小説を読んだころ、1989年から1999年にトリップするだけではなく、別の世界線の99年に行くという設定が最初良く呑み込めず混乱した記憶があります。

 今思えば、とても斬新な設定だったんだなーと。

 89年の世界に蜃気楼のようにあらわれる荒廃した東京の光景、そしてそれを見えなくさせるために水道に混入された薬品、パソコン通信で情報を集めつながっていく仲間たち・・・世界を救うために訪れた別の世界線の1999年、東京。

 彼らがその世界で過ごすのが「もうひとつの夏」です。

 そして ずっと心に突き刺さるような切ないラストシーン

 バブル期の時代背景の中での もののあわれというか 透明な悲しさのようなものを読んでて感じます。 

 僕は本のタイトルや 著者名から この本絶対面白い!! と感じることがよくあります。

 「もうひとつの夏へ」というタイトルも 見た瞬間 絶対に読んでみたいと思わせる何かを当時持っていました。

 その直観は正しく 今でも絶対捨てられない1冊に^^


 世界がどんどん視野狭窄に陥っていくように見える中、「もうひとつの夏」を想う力をなくしたくないなと思います。








プロフィール

はいたか鳥

  • Author:はいたか鳥
  •  Only in silence the word,
     only in dark the light,
     only in dying life :
     bright the hawk's flight on the empty sky


     ことばは沈黙に
    光は闇に
    生は死の中にこそあるものなれ
    飛翔せるタカの
    虚空にこそ輝けるごとくに

    ゲド戦記 エアの創造より


      ↓ご意見・お問い合わせなど なにかありましたら こちらのメルアドにご連絡お願いします。↓

      haitakarainbow@ のあとに gmail.com をつけてお送りください。

      よろしくお願いいたしま~す☆

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