2021. 12. 31  


  『私はあらゆる時を生きている、無限の存在である


 KIMG1391.jpg



 『私は あらゆる場所のエネルギーと 見えない糸で結ばれている。 糸を意識するとそれは震え すべてとつながる

 KIMG1393.jpg





 今年もご訪問いただきありがとうございました☆

 今年初めて 来ていただいた方も、前から読んでいただいてる方も どうぞ良いお年を☆☆☆


 ☆彡💛LOVE🌸☆彡 







2021. 12. 27  


  今、前から読もう読もうと思ってた、この本読んでる↓


 

 医療マフィアは【伝統療法】を知って隠す なぜ《塩と水》だけであらゆる病気が癒え、若返るのか! ? ローコスト&ハイクオリティな養生法の超実践ガイド!


 なんか今年は、ご神水 とか 湧水とか 水のパワーとか そういう方向にリードされてるような気がしていて。

 この前も、近所のコインランドリー行くと、こんな本がさりげなく目のつくところにあったりして。


 


 パラパラめくってみると、いろんなミネラルウォーターが紹介されてたりして、面白かった。 

 水のむと元気になるのね、はいはい 

 ありますねそういうの(´・_・`)

 ・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・え・・水? (;゜0゜)

 水ーーーーーーっ!!!((((;゚Д゚)))))))

 今 のまねばーならぬーー(o゚□゚)o≪≪≪ワアァァァァァァッ!!

 と、また変なスイッチが入った(。-_-。)


 いや、これ この本ともつながってるんだな↓




 水、塩、尿、海水、羊水・・・この辺全部 つながってるんだ Σ(゚Θ゚)
 
 あんまし、尿、尿と書くと 尿ブログになってしまうので、このネタはもうあんまし書きませんがw ↑はホント読んだ方がいい。常識が覆るから。

 飲尿と絶食と水分1,7リットルをとる生活をある期間続けることで 難病含め様々な病が癒えた記録が書かれている。

 まあ尿は置いておいても、水分をとるということは、からだがリカバリーモードに入る時には 絶対に必要なようだ。

 だからファスティング中も特殊な場合をのぞいて 水はしっかりとる。

 この場合の水分と言うのは お茶とか コーヒーとか いわんや甘いソフトドリンクではなく きれいな純水。

 どうも 飲み物をたくさん飲んでも必要な水分はしっかりとれてない場合があるそうだ。

 一日に1,5リットルとか2リットル飲んだ方がよいというのは あくまで 。 お茶とかそういうの含めずに、水だけで1,5リットルとかそれ以上。

 特に 甘い飲み物で水分補給する習慣は 脱水状態を引き起こし のどの渇きを感じさせて、さらに甘いものを飲むという悪循環を起こしてしまう。

 いろんな飲み物があふれているので、現代人は水そのものを意識的にとろうとしないと水分不足になってしまうという。またなぜ水と塩がそれほど重要なのか。その辺のところが書かれてて面白い。



 医療マフィアは【伝統療法】を知って隠す なぜ《塩と水》だけであらゆる病気が癒え、若返るのか! ? ローコスト&ハイクオリティな養生法の超実践ガイド!



 僕自身は 甘い飲み物を飲む習慣はほぼ皆無だ。

 ボトルでソフトドリンクとか絶対買わん。

 飲んでるのは ミネラルウォーターか野菜ジュースか 麦茶。そしてうちでいれる珈琲。
 
 あんましヤバいものは飲んでないと思う。お酒もほぼ飲まんくなったし。

 だけど、この本読んでもっと 水飲んでみたくなった。

 特に、本文に紹介されてる 水に天然塩を入れて(水の量に対して0.1パーセント、1リットルにつき1グラム) 飲む、塩水セラピーはとても良いのではないかと思う。 (精製塩は絶対入れちゃダメ

 俄然、水と塩に興味が出てきた。

 いつも冬場は 水分のむ量、超減るんだけど、ここ数日はめっちゃ飲んでる。


 結構いい感じですよ (ノ´▽`*)b☆


 食料備蓄するなら 良質な天然塩もあるとよいですね。



 ダウンロード



2021. 12. 24  


07025cdf46756e5c2c2705c94b9152dd.png



  静かに座って、あなたの胸の中央の空間へと意識を向けます・・・

   その空間に ひとつの小さな光が存在することに 気づきます・・・

   その光は あなたにとって もっとも素晴らしい世界への 入口です・・・・

   その光の中へと 入っていきます

   
   ここは あなたの 存在の中核に位置する やわらかな光で溢れた ハートの空間です

   ここには かつてあなたが愛したもの 今愛しているもの この先愛するであろうものが

   すでに存在しています

   ここには 深いなつかしさと 憧れが同時に存在しています

   もっとも深い、夢や希望があります


   ここに何があるか 感じてみてください


   ふるさとの光景があるでしょうか?

   幼い時の心やすらぐ記憶があるでしょうか?

   あなたが強く憧れる土地の光景が見えるかもしれません。

  
   あなたのソウルメイト 魂の双子 ソウルグループは

   この空間で 常にあなたと共にいます

   愛で結ばれている絆は 決して離れ離れになることはなく

   この空間では常に 彼らはあなたと共にいたことが明確になります

   
   誰かの顔や姿が浮かぶでしょうか?

   
   またあなたを守り導く存在、スピリチュアルなマスターもここで 常にあなたとともにいます


   光の泉へと潜るように   

   さらにこの光の奥へ奥へと 入っていきます

  
   そこには何が見えるでしょうか? あるいは誰がいるでしょうか

   どんな音が 香りが感じられるでしょうか?


   銀河の輝き 天の世界や

   壊れない平安と至福をみつけたあなた自身

   神の子のように奇蹟をおこなうあなた自身

   幸福な惑星で 生きるあなた自身がいるかもしれません



  ただひとついえることは あなたにとってもっとも素晴らしいものが そこにあるということです。

  あなたが探しているものは このハートの泉の中に最初から存在していました

  そして これからも ずっと なくなることはありません



  それを意識すればするほどに 泉は沸き立ち

  ハートからは光があふれて 外へと広がっていきます

 
  その光は 今 あなたのからだ全体を 光の繭のように包み込んでいます

  あなたが望むもっとも素晴らしいもの その光によって 包み込まれています

  あなたがどこへ行く時も 常に この光によって 守られています
  
  この光に包まれ この光と共鳴するものを あなたの生活の中へと引き寄せることができます

  


  泉からの光は こんこんと溢れ続け

  その源泉からの光はあなたの心身を変化させ

  あなたの人生を変化させ

  やがて 世界そのものを変えてゆきます

  



  あなたは光に包まれています

  あなたは光の中にいます

  あなたは光です   ・・・・・・・


  あなたにとって もっとも素晴らしいものは いつも あなたとともにあります


  
           (*´∀`人 ♪  Merry Christmas  (〃▽〃)


  





2021. 12. 22  

  ダウンロード (13)



古代人の『時』と、現代を生きる僕らの『時』は、どう違うのだろうかと考える時がある。

  これは完全に僕の憶測に過ぎないが、古代文明の一部の人々は 現代人とは異なった時空感覚を持っており、もっと巨大な時を生きていたのではないかと思えてならない。

 ストーンサークルや巨大なピラミッドをつくった人々が 現代人と同じ時空認識を持っていたとは考えにくい。

 こんなイメージが浮かぶ。

 時を大きな河だとするならば、古代の人々は その中に住みながら 遥か下流や上流をも見渡し、時の一点にありながらある意味ですべての時をも生きていた。

 何世代も先の子孫を想い、また自分たちのルーツともコネクトしていた。

 その河には彼らの意識を さえぎる障壁物がなかった。

 一方で、現代の時は同じ河の中にありながら、また僕らはその中に住む生き物でありながら、周囲をパーテーションのようなもので囲まれている。

 パーテーションに囲まれながら 時の河を下っている。その為、時間の中で迷子になっており、上流や下流との接続も途切れがちになっている。

 だから100年とか 1000年という単位で物事をとらえることが出来ず、すべてはなんとなくこのまま続いてゆき、ずっと昔からこうだったような錯覚を生む。

 パーテーションの中には 西暦であるとか元号や 12か月のカレンダーがかかっており、一定の間隔でスピーカーからクリスマスの音楽が流れたり真夏のラブソングが流れたり なんかする。

 それを基準に時の河を生きるのだが、その時の指標には何か決定的なものが欠落している。

 パーテーションの中はどんどん複雑に、種々雑多なエネルギーに満ち溢れるようになるが、その複雑さが「時の河」の悠久さを逆に見えなくするように働く。

 そんなイメージだ。

 古代人は一糸まとわぬ裸身で時の河に生きていたが、現代人は何か補陀落渡海で用いられた 外の見えない木船のようなものに入れられて河を下っている とも言える。

 このため人は時の流れを自分の人生を基準として考えざるを得ない。 
 そして、宇宙の長期的なリズムではなく 欲望を基準として 文明を構築せざるを得なかった。

 高層ビルや高層タワーはそのような構築物であり、どう見ても 1000年、2000年を耐え抜くように設計はされていない。

 コンクリートのビルはもろいだろう。決して古代の巨石建造物のように千年、万年の時を越えることはない。
 東京タワーやスカイツリーも無理だろう。
 人が手を加えて補修し続ければ別かもしれないけど、果たしてスカイツリーを数千年補修し続けようとするだろうか?

 そのように考えると、もともとこの世界の建造物というのは巨大な時を前提に作られたものではなく、うたかたのはかない文明の夢としてつくられたものである。

 というのは1000年、2000年という時間が 現代人にとっては膨大過ぎて 意味をなさないからだ。そんな先のことを考えても仕方がないというレベルの未来だ。

 だから、とりあえず、数十年~100年くらいの 当分立ってればよいという認識であろうと思う。

 でもおそらく、ピラミッドやスフィンクスの建造者にとってはそうではなかった。
 その起源については諸説あるけど、少なくとも数千年~場合によっては1万年ほど経過しているという見解もある。

 古代エジプト王朝自体が何千年も続いた。
 それと比較すると、今存在する近現代国家と言うのは100年単位のもので、エジプト王朝の数十分の1程度のものでしかない。

 この混乱した資本主義的原理に基づいた世界が、何千年も続くと想像するのは難しい。
 100年でさえ微妙だ

 それをグレートリセットによって社会主義的な世界に更新したところで、同じだと思う。

 構想されている社会主義的な世界とは、牢獄であるため、実現したとしても、人々が自由に欲望を謳歌してきた資本主義的世界よりも短命だろう。

 長く継続する文明とは、シンプルであり、かつ自然と調和したもの、「時の河」との接点を維持したスタイルのものでしかありえない。

 ・・・・なんかこのようなことを今年はよく考えていた。

 コロナとかワクチンにより、世界が分断してよりクレイジーになっていくように見える中で、これらの現象も「時の河」の中のうたかたでしかないという見方にシフトしたかったのかもしれない。

 今あるもののすべてが形を変え、消えていくというのは無常であるけど、それは救いでもある。

 1000年後、コロナやワクチンはもちろんのこと、東京もないし 米中もないし、核ミサイルもないし、セブンイレブンもなければ成田も羽田もないだろうと想像すると、僕は 不謹慎(でもないか) かもしれないが とてもワクワクする。

 すべては絶対的なものではないし、はかない「今だけのもの」であり 実は何の力も持っていないということがわかるし、では1000年後その代わりに 何が出現しているのか という 妄想も楽しめるからである。

 そのようなイメージ どんなに確からしく見えることも 形を変え、忘れられてゆく・・・ということを考えると 気持ちが解放され 「時の河」の流れを少しだけ自分に取り戻せるような気がするのだ。

 ずっと続くと思うから憎らしく見えることでも、うたかたのものだとすれば 愛を抱くことだってできる。

 もうひとつの方法は、 自分は思ってるよりも ずっとずっと長く生きると想うことだ。

 あらゆる混乱を乗り越えて、22世紀を観ることが出来ると。

 現代の医学でも人間は種々のアンチエイジングで 120才くらいまで生きるポテンシャルは十分にあると考えられているらしい。

 120才と言えば 今70才の人でも あと半世紀の時間が残されていることになるからすごい。
 
 今40才なら だいたいあと80年 30才なら90年くらいある(笑)
 だいたい3分の1とか、4分の1しか生きていない。
 60代でもあと 半分くらいある。

 120年説に沿っていえば 4,50代以下なら 22世紀を観ることは不可能ではないことになる。

 あと80年の間 からだをもって 生きているとすればどうだろうか?

 2101年のニューイヤーから 現代を振り返ってると 想像すれば いったいどんな風に『今』は見えるだろうか。

 きっとあなたが思ってる以上の喜怒哀楽と 歴史の変動を あなたは経験しただろう。
 そして、そのすべてを乗り越えてきたあなたが 今 安らかに 「そこ」にいる。
 もはや なんの恐れも持たずに。

 その歴史の証人と比較するなら、まだまだ僕らは子供みたいなものだ。

 あと80年の時を生きる自分の可能性を考えた時、僕らはもはや 刹那的に「時の河」を生きることはできなくなる。

 120才まで生きられなかったら どうするかって?

 どちらにしろ、人の意識は不滅の存在だと 僕は思う。
 120才までこの世界で生きられなかったら 別のどこかで 生きている。
 先は80年じゃなくて 永遠、だ。

 だったら馬鹿みたいに長生きして、歴史を目撃してる自分を想像したって そんなに悪くない。

 それによって 意識が広がり 巨大な時の河の流れを 少しでも感じることが出来るんだったら・・・

 よくない?(〃▽〃)





 西暦2021年の冬至に寄せて


callanish-standing-stones--chris-combe-flickr.jpg

 

2021. 12. 18  

 
 

   Om Tare Tuttare Ture Soha

  時々すごく聴きたくなる マントラです。

  ターラー菩薩のマントラ。

  Deva Premalのチャントしているメロディが好きというのもあるけど、マントラ自体から感じられる女性的な深い慈愛の雰囲気が良い。

  ダウンロード (12)


  こちらグリーンターラ菩薩。

  チャントを聴いたりとか、マントラを唱えながら、ターラー菩薩が自分の胸の中心にいるとイメージしたり、

  ターラー菩薩と一体化するようなイメージで 周囲に 愛や癒しのポジティブなエネルギーを発していると意図するのもよい瞑想になります。

  女性はもちろん、男性でもこのエネルギーが好きならレッツターラーですね♪
  一体化したいと思えるかがポイント。

  こころが閉じていると感じる時、何か それを口ずさめば開いていくような マントラソングを見つけておくと結構役に立ちます。

  特に今のようにマスクやら社会との考え方の違いやらで、心が閉じがちな時、気持ちが冷えすぎないようにするのが大事ですよね。 いろいろとひどいことがまかり通っていますけど、やわらかいものに心を向ける時間は確保して行きたいです。

  まことは明るく、楽しいのだ、って宮沢賢治さんも言ってますしね。

  心をひらくにあたって、

  ありがとう や 愛しています というような言葉もそのきっかけになると思うんですけど、やっぱ音楽がついていて メロディアスに口ずさめるものというのは 経験上とてもパワーがあるようです。

  ローズや ネロリ、ジャスミン など多幸感を呼び起こすフローラルなアロマと併用するとより効果的です。

  同じく Deva premalのこのチャントもハートを振動させてくれるので、💛オープンのマイリストに入ってます。

  




2021. 12. 16  

 

量子深淵からの輝き 地球「超」アンダーワールド[内部次元]への侵入 クラリオン星人がガイドする〈次元壁ブレークスルー〉のからくり(超☆どきどき)




  以下、2012年2月に出版された、UFOコンタクティーのマオリッツオ・カヴァーロさんの著作 『地球「超」アンダーワールド』からの引用です。

 カヴァーロさんが体験したビジョンのようですが、昨今の状況と似てる感じがしたので ご紹介します。






 地上界・近未来の光景




 一つの旗印の下、あらゆる人種の若者たちが、兄弟姉妹であると認め合うようになっていました。
 
 限りない欺瞞に心底辟易した男女は立ち上がり、世界中の街角で終結し、一斉に叫び声をあげています。権力者たちに対する嫌悪感を、自らが覚える屈辱感を、抑えきれない怒りを訴えているのでした。

 人類は集団であること、大衆としか見なされないことに疲れ果てていました。獣や家畜と同一視されることに嫌気がさしていたのです。ここにきてようやく、自分の人生を生き、幸福を味わい、自由を満喫する権利を主張したいと欲したのでした。

 無論、闇の政府は反撃に出ました。報道管制し、検閲を行い、インターネット閲覧を規制し、昔ながらの強硬策に打って出たのです。

 彼らは手始めに心理作戦に訴えました。人々を威嚇しておいて、民衆蜂起を食い止めようとするのです。そして・・・。

 突如、陰鬱な想いに囚われました。不吉な予感がしたのです。今後起こるかもしれない出来事を無意識のうちに予見したのかもしれません。不吉な未来の恐ろしい日々が垣間見えました。しかし、これは隷属状態から脱却し、偽りの政体を打開するために必要な代償なのかもしれません。




( 太字 はいたか )


 コロナ禍で、世界の何かが決定的におかしい と いや、そもそも最初から何かが決定的におかしかったのだと気づかれる方が多いようです。

 大衆であることに疲れ果てる というのは、条件付けされ、コントロールされ、一定の方向に誘導され 真の情報には触れられないというような そういう状態かと思います。

 ただの統計上の数値、年令や性別 職業や収入などで切り分けられ 管理される存在でしかないもの。

 そのやり方というのが 世界規模であり あまりにもあからさまであるので、気づく人も多くなる。

 コロナからおかしくなったのではない、ずっと前から ある種 人は 柵の中で 管理されていたのだと。

 そして メディアの報道では この世界の仕組みのほんの一部しか 語られないということ。

 そのように扱われることにうんざりすることが、 「大衆であることに疲れ果てる」ことであり、この一連の巨大な社会実験は多くの人にそのような疲れや憤りを感じさせています。 

 僕は、広くて自然の多い場所に行くとよく感じるんですけど・・・

 自分が名前や性別、年齢などで切り分けられる 国民とか市民とかいうようなものでは全くなくて 天と地の間で軸をつくっているエネルギー体というか意識体である と思うんですね。

 その軸みたいなものを感じるときは 自分はある種すべての「中心」だと思うんです。

 そして 誰もが そうなんです。

 天地の間で 自然を感じ 自己を感じている時、唯一無二のひとつの軸というか ボルテックスのような存在になっている。
 そして自足している。

 大衆であること 大衆と扱われることの疲れは そういう状態では解消される気がするんです。

 で、 こういうことに基盤を置かない文明はやはり牢獄なんです。

 通常の社会は それぞれが天地の軸であるというような認識はなくて

 天地から切り離された構造の中で 社会的アイデンティティを与え 競わせ そうしてできた自分を自分として 生きよと暗黙の裡に言うんですよね。

 社会的1個人。あくまでも社会的1個人でしかない。部分であり、部品。
 年令 職業 性別 収入・・・

 それらは部品のスペックです。
 

 社会的肉体的病理の根本と言うのは ここにあるんじゃないかと思う。

 天地や、自己と切り離されたマトリクスの 『部品』として 生きるあり方に。

 『部品』であっても良いんです。
 もっと大きな自分がいることを予感できていれば。愛情をもって『部品』が演じられる。
 でも、『部品』でしかないと思い込むとき 問題が起きます。

 コミュニズムの社会形態というのは、こういうマトリクスがより先鋭化したものと言えるかもしれません。

 その中では人は 「人民(部品)」でしかない。

 こういう社会に反旗を翻し
 デモや 権力者への抗議も意味はあるのかもしれないんですけど、、、

 「自然」「神」「自己」

 これらとつながらないと 「大衆であることの疲れ」は癒せない。

 人は社会的自己である以前に これらとつながった 宇宙的な存在である。  


 そんなことを想います。


 昨夜は冬の夜長に 久々にsingh kaurのクリムゾン聴いてくつろぎました(〃▽〃)


 
 


2021. 12. 11  

 KIMG1321.jpg





一昨夜見た夢。

 大学のキャンパスのような場所を泳いでいる。

 あたりは水に浸っているが、殆どの人は特に気にする様子もなく歩いたり話したりしている。

 上方へ向かって泳ぎ、水面に出て ひゅっと音が出るほど大きく息を吸い込むと、感極まって泣きそうになった。

 再び 水中?に潜り 泳いでいると 水の中で呼吸しても大丈夫なことに気づいた。
 とても楽しい。

 そんな夢。

 ちなみになぜか裸で描いてしまい これじゃ飛ぶ変質者みたいだけど

 夢ではちゃんと服は着てたw 露出願望とかじゃない。




 僕は時々こういう種類の夢を見る。

 だいたいは、空間に微妙に浮かんでいるという形を取ることが多い。

 ちょっとしたこつがあり、それを習得すれば 簡単に浮かび上がることができるのだ。

 夢の中ではいつも そのコツがわかり、ああ こんな簡単なことかという想いで 室内を漂う。

 空を飛び回るとかではなく、室内空間の中にふわっと浮かんでいる。
 それだけでも、なんとも言えない 解放感や楽しさはある。




 まれにその変形バージョンとして、日常的風景がすべて水に浸っており その中を泳いでいるという夢もある。

 水の中のキャンパスも そういうタイプの夢だった。

 大学生活は トラウマ的体験が多かったけど、それが『水』とか『浮かぶ』という要素と組み合わさって 癒し的な印象の夢だった。

 水に浸っているので トラウマ的な構造物に囚われていることもなく、そこを越えた場所まで浮上し俯瞰して 自由に移動できる。




 キャンパスだけではなく 色々なバージョンが考えられる。

 水の中の教室とか 水の中の都市とか 水の中のオフィスとかそういうのも面白そうだ。

 苦手な場所を、イメージの中で 水に浸してみる。
 そして浮かびながら 周囲を回ってみる。

 すると少し異なった感覚を得られる。
 水に浸った大都会はなぜか 優しく見える。

 水の中で浮かんで ギスギスすることなんて、出来るだろうか?


 飛ぶ というのは常に落下の心配と紙一重なのだが、浮かぶ というのはそうではない。

 高層ビルや車を見下ろしていても 「浮かんでいる」のなら 自分から潜ろうとしない限り 下方に落下していく心配はない。

 安全と超越 それを兼ね備えたのが 「浮かぶ」こと。液体の中に存在することでもある。





 目が覚めて 見慣れた街並みを見て ちょっと思った。

 目に見えないだけで この世界も見えない水に浸されている とすればどうか。

 少し世界が 違ってみる。 
 安全と 超越と 自由というクオリティが 日常の風景にオーバーラップする。

 この世界は 見えない水に浸っているという想像はそれほど間違ってはいない気がする。

 見えない 何か 希薄な水のような媒体により 浸され 包まれ すべてがつながっているのだ



 人生は 右か左か 前か後か だけじゃない。
 
 打つか打たないかだけでもない。

  そう思うと 死にたくなる。


 「上」という方向性も常にある。


 たとえ 夢の中でしか 「浮かぶ」ことはできなくても その視点は内的世界では常に存在しているのだ。


water.jpg



2021. 12. 02  






 ケイミズモリさんの「超不都合な科学的真実」の中でフンザ族の長寿の秘密は、彼らの常飲している水にあるのではないか・・・と書かれています。パトリック・フラナガンという科学者はその水(フンザ水)の秘密を研究していたようです。

 で、ミズモリさんは、尿とフンザイ水の類似(表面張力の低さ)に関して述べられていて、こう書かれています。


 「ご存知のように、尿を飲用する健康法が諸外国に存在する。飲尿で効用が現れることには諸説あるが、フラナガンの研究結果を振り返ると、飲尿はフンザ水同等の表面張力でソマチッドが含まれるコロイド液を飲むことに相当するという、新たなとらえ方もできるかもしれない。


 飲尿ね(´・_・`) はい、はい ありますね、そういうの


 ・・・・飲尿?? あれ(*゚Q゚*)ピキーン


 飲尿ーーっ!??(」゚ロ゚)」(」゚ロ゚)」(」゚ロ゚)」オオオオオッッッ と変なスイッチが入り
 


 で、飲尿全般について調べてみると まず古舘伊知郎さんが実践しているという情報、森繁久彌さんがながらく実践して 逸見政孝さんががんになった時に 逸見さんに飲尿療法を勧めた・・というようなエピソードが出てきます。 

 古舘さんがテレビでそのことに関して話した際、「ションベン飲むとか正気の沙汰ちゃうやろ。ホンマこのオッサン気持ち悪いな」という意見がSNS上で相次いだと書かれています。

 正気の沙汰ちゃうって・・・

 なんで、そんなにディするのかね。
 そこまでアカンことしてるのか?。。。と
 
 しかし、飲尿実践のYoutube動画は結構あり、古来から現在まで脈々と続いている感じがします。
 
 その動画の中で 飲尿とブレサリアン(不食者)について話されているものがありました。

 いったい おしっこ飲むことと ブレサリアンと どーいう関係があるというのじゃと 思いましたが、、、その動画の中でJ・W・アームストロングという20世紀初頭の民間尿療法家が書いた「生命の水」という書籍が紹介されており、、

 これは読まねばスイッチがピーンと入ったので、購入しました。

 

生命(いのち)の水―奇跡の尿療法


 アームストロングさんは 絶食+飲尿というすさまじい組み合わせで、多くの病人を治療してきたようなのです。

 ご本人は36才の時に 45日間 水と尿しかとらずに、絶食し、すべて終えた時には

 「私の体重は63キロで、元気に満ち溢れ、実際よりも11才ほど若く見え、若い少女のような肌をしていた

 そうです。(ホンマかいな・・・(=∀=))

 45日の断食というのは、通常はやらないレベルの長さであり、しかも尿を飲みながらというのは驚いてしまいます。

 驚くのは 尿を飲みながらなんて 普通以上にからだに負荷がかかるんじゃないかと 思ってしまうからなのですけど。   

 どうも彼の記録を読んでると 逆のようで、長期間の絶食において飲尿がからだを維持するうえでプラスに働いてるとしか思えないようなふしがあります。

 彼が指導した最長期間は100日以上だそうで、これは普通の断食であっても 無事やり遂げられるかかなり怪しくなってくる長さです。でも飲尿が生命維持にプラスに働いてるとするならば 理解できるんですよね。

 だから 飲尿→ブレサリアン というのも あながち 間違ってはいないし 無関係ではないかも。

 遭難して食べれないとか 長期間の食糧危機とかもし起こったら、普通だれも パニックになります。

 しかし 「よしゃ 飲尿断食するチャンスやっ!!o(o・`з・´o)ノ」と なれば 落ち着いてられるかもしれない。

 まあ、そうは思わなくても、本当に尿飲むしかないような状況で「仕方ないやるか・・・ 尿飲んでること自体 終わってるし・・あぁぁぁ」となりながらやるのと 「これで病気をいっぱい治した人が居るんだ.゚+.(・∀・)゚+.」と思いながらやるのとでは まったく違いますよね。

 体内に 生命維持を支えてくれるものがある・・・と いう安心感。


 長期にわたり実践してないので 本当にそういうことが可能か 僕は保証できないんですけど、、、直観的にはこれは事実なんじゃないかと思います。

 こういうことをすることに、人が嫌悪感を感じるのは 尿は汚物であるという先入観なんですけど、どうも本当にそうなのかもわからなくなる。だいたい赤ちゃんはお腹の中では尿の中に浮いてるみたいなもんで。

 添加物まみれの食事や わけのわからない化粧品をからだに刷り込むことには抵抗を感じないのに もともと子宮の中ではその中に浸っていたであろう自分の体液を忌避するというのは ちょっと変なことかもしれないと思うんですよね。

  メッセンジャーRNA注射を自然の英知の結晶である人体に打ちまくることと 体内の英知により濾過された液体を飲むことと どっちがクレイジーなのか。 

 そうそう、そう言えば この著者のアームストロングさんは「医学はどこへ向かうのか」というあとがきの中で 免疫療法を強制するような「科学」の名のもとによる専制を 案じていらっしゃって 

 その内容は完全に現代の 対感染症医療ファシズムそのものであるので 思わず 「むむ・・・(*`ω´*)」と唸ってしまいました。この方は炯眼です。そしてこれは完全なる80年前からの警告です。

 その部分を今回アップした動画の冒頭で 読み上げました。


 ↓メカニズムについて詳細が掲載されてるブログ

  自然治癒力研究所のブログ 


 自然療法クリニック光のいずみ


 ↓はきれいな女性が飲尿療法について語っているので 実践のハードルが低くなりそうな動画です。







プロフィール

はいたか鳥

  • Author:はいたか鳥
  •  Only in silence the word,
     only in dark the light,
     only in dying life :
     bright the hawk's flight on the empty sky


     ことばは沈黙に
    光は闇に
    生は死の中にこそあるものなれ
    飛翔せるタカの
    虚空にこそ輝けるごとくに

    ゲド戦記 エアの創造より


      ↓ご意見・お問い合わせなど なにかありましたら こちらのメルアドにご連絡お願いします。↓

      haitakarainbow@ のあとに gmail.com をつけてお送りください。

      よろしくお願いいたしま~す☆

     時々メールチェックをよく忘れて、ご迷惑おかけしてしまいます。2,3日中に返信がない場合は、メールしましたよ~~とコメント欄に一言書き込みいただけると助かります(*'ω'*)ゴメンサイ
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム
ブログ内検索