60年サイクルの終了と日本の立替

  以下の記事は四月終わりに書いたので浜岡原発は起動中だった。





 ■3月13日の日記

 大震災より3日目。
 3・11よりもしかすると日本は決定的に変わってしまったのかもしれない。
 被害者の数や、原発の事故、そして食料の消えた棚などを目にするとそう思ってしまう。
 そう感じている人も、感じていない日本人もいる。
 しかし関東以北に住む人たちは多かれ少なかれ、肌でそれを感じているのではないだろうか。
 マグニチュードは9.0と修正され世界的にも過去最大クラスの地震となった。
 僕らはそれぞれ証人となり、これらを目撃していることの意味を考えねばならない気がする。


 この震災が起きてから、また「ひふみ神示」が気になり始めた。
 というのはあまりにも巨大な災害が、大きな変化を予期させるということもあるが、この地震の震源が日本の北東丑寅の鬼門に位置しているからでもある。 

 「ひふみ神示」に登場し、世界の浄化と更新をおこなうクニノトコタチノミコトは丑寅の金神であり世界の東北に位置する日本に封じ込められたとする神でもある。
 丑寅の金神は「たたり神」とされてきたが、そうではなく世界の更新を担う重要な存在であるということが明かされたのが、江戸末期から日本に出現した宗教、金光教、天理教、そして出口王仁三郎に大本教の教えにおいてだった。これらの宗教はいわば「金神ルネサンス」でもあったわけだ。

 神示には何度も「北から来るぞ」という言葉が出てくる。
 これは北方から何ものかが侵略してくるという意味に解釈されがちだが、もしかすると今回の出来事も暗示しているのかもしれないと思った。

 「北から来るぞ。神はけもない時から知らしておくから、よくこの神示、心にしめて居れよ。一日一握りの米に泣く時あるぞ、着る物も泣くことあるぞ。いくら買いだめしても神のゆるさんもの一つも身にはつかんぞ

 「北から攻めてくる時が、この世の終わり初めなり、天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出てきたら、この世の終わりと思えかし、この世の終わりは神国の、始めと思え臣民よ、神々様にも知らすぞよ、神はいつでもかかれるぞ、人の用意を急ぐぞよ

 「海の津波気をつけてくれ。前に知らしてやるぞ


 ■60年サイクルの終了

 僕は予言とかなんとか抜きにしても、今回の災害で1945年終戦以降の戦後66年にわたるひとつのサイクルが完全に終わったと考える。

 それは天皇制を中心としたひとつの絶対的な価値の喪失ののち、今度は欧米的な物質的充足を至上の価値として追求してきた66年だった。その結果日本は物質的にはほぼ世界一とも言える繁栄を享受し、1980年代後半にはその絶頂を極めた。しかし90年代に入るとまもなくかげりが見え始めた。バブル崩壊による不況と、それに続き95年には阪神淡路大震災、オウム事件など前代未聞の天災、事件が起こる。戦後50年のこの頃からすでに、日本は新しい方向へ舵を切るべきタイムリミットにきていたのかもしれない。

 それは例えば経済至上主義からの脱却や、農業の保護と食料自給率の向上、ヨーロッパにならった高福祉国家への転換、自然エネルギーの積極的導入などである。

 しかしほころびを見ないようにして、既存の路線を走り続けざるを得なかったこの国はさらにおかしくなってきた。日本人は新しい航路へ舵を切ることではなく、繁栄の幻影を見続けることを選んだ。
 労働力を商品化して使い捨てにするという全企業的方針は、企業の業績をあげたが、その代償として一生を派遣労働で過ごさざるを得ないという膨大な「層」をつくりあげた・・・。

 2008年の世界的金融危機では、企業の都合により早急に解雇された無数の人たちの「派遣村」が形成されるほどになった。多くの人たちが今も低賃金労働に従事し、国民年金も払えず、国からも会社からも何の保障もないという将来に大きな不安を抱えながら、希望が喪失した非常にストレスフルな毎日を生きている。

 つまり戦後66年にわたる経済至上主義の発展は、その最終段階においてごくごく一部の「持つもの」と多くの「あまり持たざるもの」そして一部の「きわめて貧しいもの」という分化を引き起こし、「一億総中流」はまったく過去の神話となった。それはある意味で資本の原理が、もっとも先鋭化した姿で出現した「強いもの勝ち」の世界ともいえる。

 日本はふたたび強い国になんてなる必要はない。いったいその「強さ」とはなんだったのか。多くのものを犠牲にしたうえでの肥え太った強さではなかったのか。僕らは考えねばならないところにきている。
 

 ■大本の神話、二度目の立替え  

 出口ナオ、出口王仁三郎の起こした大本教は過去2度の弾圧にあっている。

 王仁三郎は大本は日本の「型」であると考え、大本に起こることは日本にも起こると考えた。
 一度目の弾圧は日本の敗戦という形で現実化したと多くの研究者は考える。
 世界初の核兵器を投下され、空襲で都市部を焦土にされながらも日本は復興し、経済大国となった。

 しかし「二度目の弾圧」はまだ現実化されていない。
 ひふみ神示によるならば、日本は一度ぼろぼろになり、また盛り返すが、またぼろぼろになりそしてまた立ち直るという。その部分は次のような言葉に見られる。

 「神の国、一度負けたようになって終いには勝ち、また負けたようになって勝つのざぞ

 「日本の国は一度つぶれたようになるのざぞ。一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るぞ。その時にお陰おとさぬよう、しっかりと神の申すこと腹に入れておいてくれよ

 「同じこと二度繰り返す仕組みざぞ。この事よく腹に入れておいてくだされよ。同じこと二度

 「またどえらい事出てきて日本の国は愈愈潰れたというところへなって来るから、皆がマコトの神魂(カムダマシ)になって来んとマコトの神は出ないのざぞ、マコトあるところへマコトの神働くと申してあろが、マコトないところへ働く神は悪神ぢゃぞ。よう気つけてくれよ

  今回ひふみ神示関連の本を読み返してみて、ひとつ気になった箇所がある。

 それは次の一文だ。

 「天も地も一つに混ぜし大嵐、攻め来る敵は駿河灘、富士を境にまっぷたつ、まず切り取りて残るもの、七つに裂かん仕組みなり。」 

 ここから読みとれることは、「敵」が駿河湾から侵攻し、富士を境に日本を二分してしまい、そののちそれらを七分割するということだ。
 なぜ気になるのかというと、駿河湾は東海地震の震源となる可能性の強い場所であるし、すぐ近くには浜岡原発がある。もし今東海地震が起きて、浜岡原発が致命傷を受けるとすると福島よりも広範囲に被害が及ぶ可能性が高い。浜岡から100キロの場所にちょうど富士がある。ということを考えると地震と新たな原子力災害により東西日本が分断してしまうという可能性が浮かんでくる。

 というのは僕の妄想に過ぎないが、事実として30年以内に80パーセントの確率で起こる東海地震に備えるには、どうしたって早く浜岡原発を停止せねばならない。

  下は、ネットでみつけたジョン・タイターという謎の人物が描いた2020年の日本の図と言われる。

6e6a168e.jpg



 こんなご時世にこんな地図はきわめて「不謹慎」かもしれないが、注目すべきところは関東・東北が政府管理の立ちいり禁止エリアになってるところだ。そして日本は二分割されている。

 気になったのは現在の状況を暗示しているようなその、「管理区域」とともに、日本が「二本立て」になってしまっていることだ。それはひふみの「攻め来る敵は駿河灘、富士を境にまっぷたつ、まず切り取りて残るもの、七つに裂かん仕組みなり」を思い起こさせる。

 ※注※この地図に関して、いつごろかかれたのかなど詳しい検証はしていない。
 しかし、10年前に書かれたとしたら、かなり興味深くはある。
 だが、このタイターという人物の予言は外れてるものがいっぱいあるようだ。
 ムー的な話として、考えた方がいいと思う。
 まあ仮にインチキだとしても、そこに真実が混入する可能性は大いにあるのだが・・。

 
 大本系の予言体系に従えば、日本の二度目の立替えは今始まったような気がする。これがどの程度の規模と混乱の伴うものになるかは個々の日本人の意識に託されているのかもしれない。



 ■預言と現実の間

 「ひふみ神示」は宇宙的量子転換を描いている預言書だ。

 宇宙的量子転換は、そのもっとも素朴な形ではバイブルに、そしてホピの預言などにも暗示されている。

 「ヨハネの黙示録」においては様々な艱難ののち天空から「新しきエルサレム」が降りてくる。

 「それから私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と地は過ぎ去っており海はもはやない。また聖なる都市新しいエルサレムが天から下ってくるのを。

 神は彼らの目からすべての涙を拭い去ってくださり、もはや死はなく嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである


 『量子転換』を予期していると思われる預言は無数にあり、それらをパズルのピースのように並べていくと来るべき未来図がぼんやりと浮かび上がってくる。パズルのピースには以下のようなものがある。

 ひふみ神示、大本神諭、ホピの預言・神話、新約・旧約の聖書預言、アドルフ・ヒトラーの予言、クラリオン星人の言葉

 予言は無数に存在するが、「量子転換」を予期しているものと思われる予言は、まったく違う宇宙、あるいは生命の出現を予期しているという点でその他のものとはまったく違う。僕は今はやりの「アセンション」という言葉はもうあまり使いたくないし、2012年という年号ももはや意味をなさなくなっていると思う。「量子転換」は映画「2012」にあったような大災害が起こるなんていうものではない。そんなものよりすごい、宇宙自体の更新なのである。もちろんその過程においては、あの映画のようなこともないとは言えない。僕の認識は「何が起こっても不思議ではない時代に生きている」というものだ。映画として少し近いのはおそらく「ノウイング」だろう(が、あれは量子転換ではない)。

 僕のイメージではそれはPC(宇宙)に新しいOS(法則)をインストールするようなものだ。

 一端すべてはリセットされる。が、バックアップされたプログラムは新しい世界に再び解き放たれ、そこで生き始めるだろう。
 
 もしすべてがリセットされるなら、今生きていることにどんな意味があるのか?
 それは僕らの最終的な意識が、新しき世界の「種」となるからではないか。 少し前から僕はそんな風に想像するようになった。

 しかし、想像というだけであって
 もちろん「量子転換」が本当かどうか、それが起こってみないと僕にはわからない。


 ただ「量子転換」に関する情報を総合すると、そういうことを描いていると思うようになっただけだ。 


 そして突拍子もないシナリオに、僕の中の何かがものすごく真実味を感じてしまうというだけだ。もしかすると「量子転換」は人間の積もり積もったルサンチマンを根っことする願望想念パターンに過ぎないかもしれない。本当にわからないのだ。

 だから3・11によってひとつのサイクルが終わったことに共感する人はいても、これが「量子転換」の始まりではないかという考えに同調する人はすくないかもしれない。まだお日様は三つも四つも現れてはいないし、世界的に異常気象が続発しても(これを書いている今もコロンビアでは史上最悪の水害が襲っている)それはこの宇宙の法則内で理解できることだからだろう。

 僕は預言と、混沌としていく現実の間に引き裂かれながら、日々生きている。

 ただ日本の立替が始まったという予感は強くある。
 この立替はやがて世界全体に移写していくのではと思う。
 ひふみ神示には、「量子転換」がすべて完了したあとの情景が描かれているが、なぜか僕はこれを読むたびに強い感動がこみ上げてきて泣きそうになることがある。それはもしかしたら神話的イメージの持つ謎めいた力なのかもしれない。真の意味で日本の再生を願って、ここに引用したい。





 「富士を目指して攻めよする、大船小船あめの船、赤鬼青鬼黒鬼や、大蛇悪狐を先陣に、寄せ来る敵は空おおひ、海をうずめてたちまちに、天日暗くなりにけり、

 折りしもあれや日の国にひとつの光現れぬ(偽救世主)、これこそ救いの大神と、救い求むる人々の、目に映れるは何事ぞ、攻め来る敵の大将の、大き光と呼応して、一度にどっと雨降らす、

 火の雨なんぞたまるべき、マコトの神は無きものか、これはたまらぬともかくも、命あっての物種と、兜を脱がんとするものの、次から次に現れぬ、

 折りしもあれや時ならぬ、大風起こり雨来たり、大海原には竜巻や、やがて火の雨地震(つちふる)え、山は火を吹きどよめきて、さしもの敵もことごとく、この世の外にとうせにけり

 風やみ雨も収まりて、山河静まり国土(くにつち)の、ところところに白衣(しらぎぬ)の、神の息吹によみがえる、御民の顔の白き色、

 岩戸ひらけぬしみじみと、大空仰ぎ神を拝み、地に跪き御民らの、目にすがすがし富士の山、富士は晴れたり日本晴れ、富士は晴れたり岩戸あけたり






スポンサーサイト
3・11以降 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/06/02 16:10
コメント

管理者のみに表示