同時性のパンデミック2011

職場で久しぶりにテレビを見たら、ぽぽぽーんやこだまでしょうか?のACCMが消えていた。

 いつの間に終わったんだろう?

 代わりに通常の企業CMで「日本はすごいアピール」を表現したものが目立つようになっていた。

 今日見た動画。

 愛川欽也パックインジャーナル4/23(土)「原発事故20キロ以内封鎖」




http://www.youtube.com/watch?v=Wmv-brxh-Uw&feature=mfu_in_order&list=UL





http://www.youtube.com/watch?v=VZDoGbQPr3M&feature=mfu_in_order&list=UL

 この番組初めてみたが、キンキンが静かに熱い。

 ○ドイツ首相原発推進から脱へ迅速な転換
 ○電力会社から放送局にかかる圧力
 ○一万人高円寺デモをとりあげないメディア
 ○行政によらない全国各地の避難・疎開ネットワークの紹介(連絡先電話番号あり)
 ○代替エネルギーの議論

など

 かなり腹を割って皆さん話しているように見えるのでみていて気持ちがいい。
 メジャーなニュースやワイドショーはコーティングがかかっていて、イラッとすることがある。
 昨日職場で見たニュースは娘さんをなくされた被災者の方が、娘さんの遺体がみつかった報告を受けると言う内容で、見ていて何もいえなくなる感じだったが、核心的な議論を今メジャーなメディアでおこなわないと、こういう誰の感情にも訴えかけ言葉を失ってしまうニュースがあたかもコーティングに使われているようでちょっといやな気分になる。

 仮設住宅が出来上がるのを待つよりも、上の画像にあるような有志の支援ネットワークにあたってみる方がよい場合もあるのかもしれない。

 水面下で多くのうねりが起こっていると思うが、コーティングも活発になってきてる。
  
 2009年にブログに引用した辺見庸氏のインタビュー記事
  
 「同時性のパンデミックを語る」

 昨今の状況を見通しているように思える。





 私がここで言うパンデミックというのはとても広い概念で、神話的であり、フィクショナルなものでもあります。現前しつつあるものとしたら人類にとって今が初めてと言っていいでしょう。ご承知のように、パンデミックというのは感染爆発、空間的にはエピデミックに対応する言葉です。エピデミックが東京とか、地域的に限定されているのに対して、パンデミックはもっと規模が大きく世界各地で起こるようになった状態です。

 しかし私は試みに病理を越えた概念としてパンデミックを用いてみたいのです。ペストが流行った昔と比べれば、いまは地球上の交通や流通の速度、量が格段に違う。いまは瞬時にして地球の裏側に物事が広がっていきます。戦争や紛争にしてもかつては核兵器や巡航ミサイルはありませんでした。いまはボタン一つで地球の裏側を攻撃できる。空間と時間の実質がまったく異なるのです。
 資本も情報も同じです。コンピュータ操作によって数秒で数億ドルのカネが動く。病理に限らず、この間のグローバル化によってエピデミックという危機の地域的な限定は困難になりました。
 私の言うパンデミックというのは、そうした異質の破局、さしあたり破局という言葉を使うしかないのですが、その破局が世界的規模で同時進行して起きる状態を指します。

 この破局はしかも、ワンディメンションではなく多次元にわたる。 一つは経済の問題。現在の世界大恐慌です。
 次に地球温暖化を背景とした気候変動や大地震の脅威など。
 三つ目は感染病の問題。新型インフルエンザなどです。
 そしてもうひとつは、目には見えないが、価値システム全体に大きなクレバス(亀裂)が生じていることです。

価値システムとは、十八世紀、十九世紀以降育てられ、共同幻想ともなった人権とか自由・平等・博愛のような近代的な平等概念であり、資本主義およびカネや市場のシステムも包含されます。また、これまで自明とされてきた人間の道義の問題、モラルの問題、社会規範の問題、さらには疑うべからざるものとされてきた「民主主義」のありようさえもが足元から揺すぶられ、危うい実態が白日の下にさらされてきている。いま起きている破局と言うのはそのように広義にとらえるべきだと思います。

 政治やマスメディアは、「100年来の金融危機」とカテゴリーを限定し、まるで自然災害のように、自分たちにはなんの責任もないかのように言い募りますが、そんなたやすい問題ではない。100年どころか、人類史上初めての大きなクレバスをいまわれわれは足元に見ているのではないか。仮設であり、試論でもありますが、大きな仮説を立てないと私の言うパンデミックはとても説明できないのです。

 人格の崩壊と生体の悲鳴

 Q:経済、自然災害、病理など外部の破局と同時に、内面の崩壊もまた進行していると辺見さんは指摘されます。人間の内面はどのように崩壊しつつあるのか、あるいは崩壊しているのか?

 これもまた明示的に言うのが大変困難です。いまは物事をメタフィジカルに語る、あるいは暗喩的に表すことを受け付けなくなっています。隠喩的、暗喩的に表現すると言うのは旧約聖書の時代から人類がやってきたわけで、人智であったのです。それは明示的に1プラス1=2というのとは違うのであって、例えば「バベルの塔」だとか私の好きな「コヘレトの言葉」などのなかには人とその世界の謎について明示的ではないけれどもいわく言いがたい暗喩的示唆や警告がある。並べるのは変ですが、マルクスの著作だって隠喩的知の宝庫です。「疎外」を彼以上に深く表現しえた人物はいません。こうした「知」を現代人はテキストに閉じ込め、人間論、文化論から排除して資本主義総体の反省のための知として生かすことが出来なかった。

・・・・もっと短期的に見た場合、現在のパンデミック状況の予兆のようなものが昨年六月に起きた秋葉原事件。これを文化論的に考えてみる必要があると思います。犯人の青年はつかまったが、「真犯人」はまだわかっていない。ここが極めて深刻なところです。彼はごく普通の青年ですが、あの青年の突然の発作のようなもの、痙攣のようなものは何に起因するのか。そのことを社会はメディアを含めて深く掘り下げようとしなった。これを単に個人のcrime(犯罪)として考えて、私たちのシステムが日々生成しているsin(原罪)としては掘り下げようとはしなかった。したがって、真犯人がわからないまま類似の事件が次々と起こる。このなかには、内面の崩壊、人格の崩壊からきているものがある。つまり、生体、生きた身体にとって現在の資本主義的負荷はもう耐え難いものになっているということではないのか。

 近代以降、人間は精神病理にたくさんの名前を付けたのだけれど、名前をつけたから病症が増えただけではなくて、ちょうど十九世紀から二十世紀になる時アスピリンが出来たときは大変な頭痛症候群があったわけです。換言すれば、アスピリンで儲ける資本主義は頭痛症候群の蔓延を必要とした。それと似たような形で高度資本主義は精神疾患のパターンを極度に増やしている。PTSD(心的外傷後ストレス障害)や統合失調症や鬱の新たな症状は病名が追いつかないほどでしょう。
 患者は学生にも多く、現役記者にも多い。新聞社や出版社の現場に鬱の類の病がいかに多いか。社内に専門の医師を置かなければならないほどとりわけマスメディアには多いのです。私はこうした実情を新聞社は外部に発表すべきだと思う。マスメディアは非常に間違った日常のコーティングをしているのです。日常はかつてと変わりなく進んでいるような物言いに終始している。マスメディア内部で無意識の精神のすさみが起こり、それを隠すことで社会はますます歪んでいくのです。極論すれば、まっとうな生体はいま狂わざるをえないのです。
・・・僕自身が身体の調子が悪いなか、数年来この問題を考え続けていますが、まだ見えない、暗中模索です。ただ、強い関心がある。その理由はですね・・僕は1944年生まれで、ちょうど戦後と一緒に生まれ育った人間です。その戦後をたどってみても、今ほど精神の根が狂(たぶ)れている時期はどこにもなかった。不況やいろいろの危機的状況、それはあったわけですけれど、いまのような、名状しがたい内面の危機と不安状況というのはかつてなかったことです。現在の世界同時不況も明らかに1920年段階とも、30年段階とも違っている。加えて異質の危機が折り重なって迫ってきている。それに気がつきながら、今日は昨日の続きという風な、僕の言葉で言えば慣性の法則、つまりはイナーシアを正気を装ってつづけている。主としてマスメディアがそのように仕向けていく。このような状況は、僕が記憶する限りかつてない。





 2009年 2月 3日の記事 「2009年以降のビジョン①辺見庸同時性のパンデミック」より


 2009年は夏に皆既日食があったが、なんか2011年と2009年が、2010年をはさんでシンクロしてきているような感じがする。

地震と原発に対処する日本の外側では、また過酷な気象現象が起こっている。


アメリカ(巨大竜巻と暴風雨で死者190名に)

米南部を襲った竜巻を含む暴風雨による死者は28日、190人を超え、最も被害の大きい【アラバマ州】では最低でも約150人が死亡しており、死者数はさらに増えるとみられています。

また、原発3基も電源を失う事態に陥りましたが、なんとか回復させることが出来たと報じられていますが、今、世界中を襲っています自然の猛威は、今まで我々人類が経験してきたことがない規模になりつつあり、今後更にあり得ない自然災害が地球上で猛威をふるうかも知れません。

夏に雪が降るとか、夏の気温が50度を超えるとか、南半球の冬の気温がマイナス30度になるとか、考えられない自然環境になるかも知れず、富士山が噴火するかも知れませんし、ハワイが噴火で海底に沈むかも知れません。

今までの「常識」が通じなくなってきているのが今の地球であり、何が起こりましても我々は受け入れるしかありません。


http://blog.livedoor.jp/nevada_report-investment/



http://www.youtube.com/watch?v=Sq2jBd6gngQ

 今必要なのは、とにかく災害に備えて少しでも身軽になる(原発停止などの措置)をし大規模なパンデミック、激流くだりに備える体制をつくることだろう。
コーティングしてもすぐにはがれちゃうと思うので、むしろメッキは早いとこそぎ落としたほうがよいのかも。。


 あと、こういうこと一切忘れて、自然に溶け入り、人工的なこころの枠をはずすことも必要。


スポンサーサイト
3・11以降 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/04/29 13:15
コメント

管理者のみに表示