今度は本物のチャイルド

 仕事で小学校に行ってきた。

 母校ではないのに、学校は懐かしい雰囲気だった。

 子供(小4)のPC研修をサポートした。

 小学生への研修なのに、どの先生もまず最初に個人情報保護の話しをするのがなんか面白かった。まるで派遣社員向けのEラーニングみたいだ(笑)。

 僕ら外からの講師に対しては物腰の柔らかな先生も、授業中には動物の調教師のように怖くなる。まるで手に見えないムチでも持っているみたいだ。

 確かにこれは動物園のようだ。子供達は好き勝手をする。これを統御することが現在の学校教育のひとつの目標である。その是非は別として・・・。

 しかし先生達の負担はとても大きそうだ。僕が見た授業は3コマあり、全員女性の先生だったが、最初の二人は目に見えて疲れがたまっているようだった。正直、目が怖かった。でも無理もないと思う。
 現在のシステムが、必要以上に教師に負担をかけるように出来ているのだ。
 小学校でももっと教科ごとに分業してもよいのではないだろうか。
 
 最後の50代位のベテラン先生だけはちょっと違った。
 怒っている時にも、そこに余裕がある。
 個人的な怒りの感情がほとんど入っていないのである。
 そしてその怒る事を、次の瞬間にはユーモアに転換させるような技術がある。あそこまでいけばほとんど職人技であろう。
 若い先生はどっかマジギレしている。無理もないけど。
 でも子供にはそれがわかる。
 
 教師という仕事は、一種「聖職」と考えられていた。先生と言えども人間なので、そういうのは時代遅れの考えであるとも言えるが、やはりすごい修行であるなと思うのである。
 つまり先生という仕事をしてるからと言って、聖人君主であるとは限らないのだが、もしもその仕事をやりとげ教師として完成したならば、その姿にはやはり「聖」としかいいようのないムードが漂うのである。

 ま、なんでもそうだけど(笑)

 ちょうど小学校4年生くらいというのは、僕の中では自意識の葛藤がなかった最後の年代かもしれない。
 その頃、僕は学校へ行くのが楽しかった。放課後、校庭でドッジボールやキックベースや、鬼ごっこをして遊んだ。
 でも5年生になり転校し、新しい学校に通いはじめた頃から少しづつ周りとのギャップを感じはじめた気がする。

 そんなことをあとから思い出した。

 僕らはみな、『大人』という着ぐるみを着た子供だろう。
 時々はそれを脱ぎたくなる。









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未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/09/07 22:32
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