新たな視点

 自閉症スペクトラムに属する人は、全人口の数パーセントは存在しているようなので必ずしも稀な存在ではない。40人のクラスがあれば一人や二人あるいはもっといても普通だろう。この割合で行けば日本人一億二千万ののうち数百万人は自閉症スペクトラムのどこかに位置しているかもしれない。しかし逆に言えばそれだけ多くの人が脳機能の障害による、先天的な生き辛さを抱えている、ということになる。

 そしておそらくそのほとんどが生き辛さの根っこが、自分の脳機能の異質さにあるということに気づいてはいないのだろう。

 僕はこの自閉という概念を知ったことで、自分の精神的な症状へのヒントを得たような気がする。
 自閉症スペクトラムに関して、二次障害という概念がある。
 自閉体質の人が、対処できないストレスに遭遇した時に起きやすい、うつや不安、強迫症状だ。
 僕が経験したものは次のようなものだった。

 ①自分ルールに拘束されて日常生活に支障をきたす強迫症状

 ②心臓や脳血管の病気で今にも発作を起こすのではないかという根拠なき不安と心配でにとらわれる症状

 ③寝てるときに突然、体がおかしくなったというパニックに襲われ、跳ね起きる、あるいは外に飛び出る


 現在は①、②はほぼなくストレスがたまったり、長時間人と過ごしたり、リトリートのような集団生活になると③がたまに起きる。あとはまあ不安やうつ傾向は常に結構ある。薬(安定剤系、デパスなど)は仕事の前日眠れないことが多いので週に一、二度半状程度飲むくらいだ。ただ③のパニックが真夜中に起きると、あまりにも不快な不安感が波状で襲ってくるので服用する。

 僕は今まで①~③をばらばらに考えていたのだが、実はすべて自閉スペクトラムの二次障害なのではないかという可能性に気づいた。

 心地よい環境にいれば機能不全は起こさないのだが、ストレスの多い環境になるとエラーを起こす。
 それは誰でも同じだが、僕はOKの範囲が著しく狭いのだろう。
 疲れて、情報が処理できなくなると、ひどいと発作的な行動をしてしまう。
 例えば、忙しい仕事があと少しで終わりそうな夕方、全員参加の飲み会があるとか言われると、そこら辺でぷつっと何かがキレてどこかへ失踪するような可能性がある。

 実際「キレて職場を放棄してしまった」ということは、二、三度ある。
 過密で、人が多く、ぴりぴりしたようなところは特にダメで耐えられない。
 おそらくヘルパーの仕事は、関わる相手が一人しかいないことと、一日12時間働くが休みの日が多いので続いているのだろう。

 人と喋ったり、交流することは嫌いではないのだが、長時間になるととにかく情報過多になってかなり疲れる。 するとそのあと→一人で酔っ払いたくなる。このパターンは今でもある。

 というかスーパーに買い物に行ったり、ちょっと散歩するだけで自分はなんでこんなに疲れるのか、ムカつくくらいよわっちい奴だと苛立たしく思っていた部分もあるが、

 そうか、自閉体質だったのかw

 と考えれば謎が解けて少しすっきりする。

 思い返せば①も②も家庭や学校生活で何かの不適合感を感じていたときに起こったような気がする。
 僕は何か、ネガティブなエネルギーが自分の中に潜んでいるのではないかとさえ思っていたが、どうもそれらの症状の母体はこの「体質」ではなかったのだろうかと思う。

 それは変えるべきモノでも、癒すべきものでもなく、自分の特性として自覚して受け入れ、それと共存してなるべく心地よく生きていくものだったのかもしれない。

 それは「ヒプノセラピー」とかでよくなるというような性質のものではなかった。
 どうも僕は自分の体質への理解が甘かったようだ。
 僕の弟も発達障害で苦闘しているが、このことを教えてくれたのは先日やってきた知人と、弟かもしれない。
 
 アスペルガーチェックをしてた頃母から電話があり、ニキリンコさんの名前を教えてもらった。

 そして面白そうなのでアマゾンで注文した。

 USEDで買ったニキリンコさんのその本の発送者は、弟と同じ名前であったから・・・・







 
結局、お勤めをあきらめて、自宅でできる仕事に焦点を当てて勉強することにしたのですが、それが可能になったのも、「お勤めができない人間は、わがまま」「社会人失格」「ばか」「のろま」という普通の価値観から抜け出すことができたからこそ、でした。

また、〈とちゅうで予定が変わったり、急に別のことを頼まれたりすると混乱する〉とわかっていれば、〈細かい仕事をたくさん受注する職種〉ではなく、〈日数をかけて、高価な大型商品を一個ずつ生産する職種〉を選べばいいはずです。こんなこと、ちょっと考えればわかることです。でも、それを実際、自分に許すためには、「自分のできることをやればいいんだ」という意識改革が必要だったのです。

私にとっては、「できないことを克服してからでないと、人生の本番は始まらない」という思いこみを捨てて、「これまで克服のための不毛な訓練に空費していた時間を、できることを仕事に結びつけるための努力にふり向けよう」と思い直すことは、自分の能力のデコボコを一つの異文化と位置づけることとおんなじことだったのです。

 日常のもっと細かいことでもそういうことはあります。たとえば、体を揺すらないように気をつけるとか、手を噛まないようにするとか、髪の毛をぬかないように気をつけるとかいう努力は、かなりエネルギーを食うものなのです。それを、「これは私たちにとっては正常な状態なのだ」と思って、少しくらいはいいか、と考えるようになると、実際、ほかの分野での機能レベルが上がるんですよ。落とし物が減ったり、迷子にならずに帰って来られたり、理路整然ととまではいかなくても、他人に理解可能な受け答えができたり。

それどころか、「手を噛んでもいいさ」と思っていると、かえってあまり噛まなくてすむようになる。「髪の毛くらい、抜いてもいいや」と思うようになったら、抜く量が減る。あるいは、「しゃべれなくなったら筆談すればいいもんね」と思って準備をしていると、なぜかしゃべれなくならないのですよ。不安レベルが下がるからでしょう。つまり、「髪の毛を抜かないようにしなくては」と思うストレス自体も、髪の毛を抜く原因の一つになっていたわけです。

私にとって、「自閉には自閉の生き方がある、暮らし方がある。私はアスペルガーなんだから」と考えることで、これまで健常者をまねるために浪費していた莫大なエネルギーを、勉強をしたり、仕事をしたり、HPを作ったりすることに回せるようになったのです
。」

                                       ニキリンコ

 障害を文化と考えるのは、実用的 より
 



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知覚、リアリティetc | コメント(3) | トラックバック(0) | 2011/07/31 20:33
コメント
灰たかさん、こんにちは。

僕もアスペルガーチェック、やってみました。

点数は16~18くらいなので、そんなに高い数値ではないと思います。

でも、僕は昔、不安障害と診断され、以来、ずっと薬を常用しています。

なんていうか、どうでもいい場面で異常に緊張しちゃうんですよね。

よく、アガリ症だ、っていう人いますが、僕から言わせれば

そんなの、アガリ症のうちに入らない、といいたくなるような。

僕を見ろ。これがホントのアガリ症だ!みたいな(笑)

一番、厄介なのは、付随的にピクピク動く顔の筋肉で、これがうるさくて

参ります。

まるで十字架を背負っているような、この肉体にいる事自体、重荷に感じます。

こういった問題を克服するために、思えば色々やりましたね。


催眠術、アファメーション、ボディワーク数種類を何十セッションか。

はたまた、瞑想、座禅、ホ、オポノポノ等。

徹底的にやりこみました。


確かに、効果を実感するのもありました。ボディワークとか。

あまりにリラックスし過ぎて、立つのも困難みたいな、足腰抜けたかと思うくらい、
強烈なやつもありました。

ただ数日で、もとの状態に、すぐ戻っちゃうんですよね

残念ながら。。

結論から言うと、あんまり、僕には、どれも効果ありませんでした。



言ってみれば、無駄な闘いをやり過ぎたのでしょうかね?

今は、ただ、神様に祈ってます。


御心に従えますように、と。







Re: タイトルなし

 >子羊さん

コメントありがとうございます。お返事遅くなりました!

やはり受け入れることで、なにかが変わっていく、っていうのはあると思いますね。

「受け入れるぞ!受け入れるぞ!」と肩に力が入りすぎるとまた微妙に違うんでしょうけど。

 まあ受け入れられなくていいやー的な受け入れ方が最近は好きです。(;^ω^)


同感です。

完璧に受け入れられたら、100%解放されるにのは分かっていますが、それが出来ないから困っているわけで、
だからお祈りなんですよね。

受け入れられますように。

みたいな、ぬるい感じで、やってます(汗)

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