卵の中の黄身

我もなく うつし世もなくなにもかも  神の中なる 神のあらわれ  BYダンテス・ダイジ

9月の修道会

 悟りと苦

 「悟りに至る前には、必ず長い苦しみの時期を通過しなければならないということがある種の本には書かれていますが、これは誰にとっても当てはまることなのでしょうか?」

 「それはわからない。それは神が決めることだから。

でもどうだろう?ラマナは苦しんだかな?ラーマ・クリシュナは歌ったり踊ったりしているうちに自然とああなっちゃったんだろ。

 でもねどっちかっていうと仏教系の完全自力の修行者の方が、ヒンズーやキリスト教の人たちよりも苦しい道を歩んでいると思う。
 どこが違うと思う?」

 「仏教系のほうにはバクティがない・・・っていうことでしょうか?」

 「そう!頼りすがるものがないんだ。神がそこにいるのなら、それを思うだけで幸福になれるんだから。」

 仏教にバクティがないというのは、正確には正しくないかもしれない。
 念仏系の宗教には、「神」という概念ではないが、向こう側に委ねきるという姿勢は存在する。
 どうも、他力系と自力系では自我を越えるにしてもルートが違う。課題となっている問題の性質が違うように思える。

 「結局すべてを決めているのは神な訳。
 俺は、スワミジ(サッチャナンダ・サラスヴァティ師)に、お前は星の配列がそうなっているからその時期がくれば自動的に覚醒するって言われた。でも俺はなにか修行しなきゃいけないって思ってた。

 次の師匠にも、「何もしなくていいからその辺をぶらぶら歩いてろ」って(笑)
 
 6年前に覚醒したとき、確かにクンダリニーは動いていたよ。
 でも上では神様がにこにこ笑っていた。」

 その言葉を聴いて、少しはっとした。
 クンダリニーの上昇→覚醒というのは、現象面で何が起こっているかということの説明に過ぎない。
 それが起こった結果、知るのは、「すべて神がやっている」という世界。
 これと同じ事は、苦と悟りについても言える。
 迷いと悟りとの間に、なんらかの因果関係を持たせて、こうすれば→こうなる。これを通過せねば→これには至らない。という絶対原則を設定するのは、少し違うのではないかと最近思い始めた。

 悟りの過程を、システマティックに記述することは出来ない。

 他にも面白かった話しはたくさんあり、エネルギーにかなりストーンしたが、なぜか書くのが面倒くさい。今日はこれまで。

 



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Comment

はいたか鳥さん、こんにちは。

面白いお話ですね。
ぜひ続きを聞かせてください(笑)

こんばんは。MIXIダイジコミュの方ですよね?
いらっしゃいませ!

ちょうど今、ハルモニアさんのコメントを読んでいました。そしてこっちももう少し書き足そうと思っておりましたので、書きま〜す。

はいたかさん
早速の追加どうもです!

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