3・11以降~目覚めの始まり~④

 リトリートから帰ってすぐ体調が悪くなった。

 原発で注水作業が中断した翌日。のどがイガイガして、体も少しだるく熱っぽい。

 前夜、リトリートで他の参加した人から、3・11の地震を的中させた小林○夫さんのことを聴き氏のツイッターを見てると過去最大の警戒警報ですとか言ってる。不気味なので電気つけて寝る。
 夜中は大丈夫だったが、朝8時ごろ千葉震源で最大震度5の地震。東京も4程度か。

 PCをチェックするとリトに参加したご夫妻から、ブログの投稿フォームより家も同じ東京西部だし、もしもの時の為にメアドを交換しませんかというメッセージが届いていた。数年前修道会に参加し始めたご主人が即効でバキバキになり「あがり」になってしまったYさん夫妻だ。こころ強い連絡でうれしかったが、同時になにか有事感が強まってきた。
 少し外出し、買い物をして日高屋に入ってご飯食べてると、ポケットの携帯がまたあの嫌な音で鳴った。緊急地震速報だ。鉄筋の建物の1Fだが、上の照明が揺れている。「揺れてる!揺れてる!」と近くのおばさん。携帯からWEBに接続して調べると、また福島で震度6の余震が起こっていた。

 家に帰り、ネットでいろいろ見てると、去年の春アイソレーションタンクを体験しに行ったECCOのMさんが阿蘇に
行ってしまっていた。あと1月頃に買ったあるアセンション系の本の著者は、自分のサイトで「日本が新たな災難に襲われるのはもう避けれない」と日本脱出を勧めている。こういうの読むと東京にいるのがヤになる。夕方、○夫さんのアラートは解除された。こういうのにいちいち振り回されるのもどうかと思うが。なんか2011年は待ったなしの感があるようで怖かった。

 風邪気味だった体調は、本格的な風邪に移行して熱が出始めた。
 それから約一週間ほとんど僕は寝込んでいた。
 余震はその間もずっと続いていた。いったいいつまで揺れ続けるのだろうか。。。
 一週間経ってそろそろ大丈夫かとAさんの介護の仕事に行くが、ふらふらしていてとても夜の9時まで持ちそうもない。事業所に電話して、体調悪い旨を伝え、少し早く交代してもらうことにした。交代時、僕より若いヘルパーに

 「オーラみたいなのが弱ってますよ、大丈夫すか」と言われる(;´・ω・)
 
 うう・・・体に力がはいらんのじゃ。
 頭ががんがん痛み出し、下がったはずの熱がまた38度台に戻った。もう一週間経つ。
 なんだろう?揺れのPTSDや原発やいろんな情報ネットで見たりして免疫が弱ってるんじゃないか。
 大丈夫か、俺(# ゚ Д ゚ #)

 とにかくフルーツとアイスだけ食べて、ひたすら寝続ける。
 明日熱下がってなかったら病院イコ(;'A`)

 翌朝未明4時過ぎまたグラっと短く強い揺れで起こされる
 秋田で震度5弱

 翌朝、熱は7度台に下がってたので病院に行くのはやめたが、この風邪が多少回復しからだに力が戻ってきたように感じたのは4月23日ごろだった。風邪を引いてから約10日が過ぎていた。

 調子が良くなってきたので彼女と会う約束をしたが
 久しぶりに相方に会うと彼女は、僕の手をつまんで軽く振り

 「やだーなんかぺらぺらしてる~~」と言った。

 揺すられるままにからだがかくんかくんした。
 いったんもめんになったみたいだ。
 翌日、駅まで彼女を送っていった帰り道東の空にまた虹を見た。
 それもしっかりとブリッジ状の半円をしたハンパない大きさの虹だった。
 その虹の橋のたもとをを日を受けて輝く雲が流れて過ぎ、言葉に出来ないほど美しい光景だった。
 こんなすごい虹を見たのは、久しぶりで多分二回目か三回目くらいだと思う。
 まだからだはぺらぺらしていたが、感動してしばらく突っ立って見つめていた。

 虹に意味なんかないかもしれない。

 でも、リトで見た虹をまたこんな形で見ると、それはよき知らせのサインのように見えた。
 

 5月1日の日記

 昨夜はなんか目が冴え眠れず
 夜中一時ごろにも地震があり雷?か風の音が大きく何度も目が覚めた。
 ネット見すぎてまた変かも。
 幼稚園児が5月に東京で地震があるって言ってるとかいうのはデマっぽいけど、妙に気になる。

 なんか今までと違って、自分が直接体験する可能性のあることだから気になるのだろう。

 しかし、そんなこんなで朝むくっと起きて鏡見るとすごく疲れて見えたので本日はネットなし!と決めた。

 ホントこの情報漬けだと不安やもやもやが高じて免疫とか低下しそうだから、こころ休めないと。

 実際の地震の揺れよりも害あるかもしれんので。。。

 去年の今頃は馬乗りに行ったりして、平和だったなあ。



 5月6日

 今日は(I先生の)瞑想会休む。

 なんか昨日の朝くらいからエネルギーが変わったというか、すやーっとした感じだ。
 僕だけじゃなく、全体的に・・・だと思うが。

 管首相 浜岡原発停止要請 という良さげなニュースも。

 ただ深夜二時ごろ、福島浜通りで震度5と強め。今日はやや地震多いか。しかし東京ではもう長いこと揺れは感じていない。

 修道会、I先生のブログ、村に住む、覚醒、などの概念を一度すべて捨てる。(I先生に依存するアイデンティティ)←ということを昨日の朝考えて瞑想会を休むことにした。

 だが神を捨てることは出来ない。


変な風邪を引いたのは、ストレスによるものか、あるいは放射能によるものかわからない。だが、「情報」によってダメージを受けていることは確かに思えたのでまったくネットに接続しない日を設けたり、地震や原発についての情報は見ないという時間を意識的に設定するようにした。 

 情報によってダメージを受けるとすれば、その多くは「不安、恐怖」という感情によるものだと思う。それら収縮系の感情が、呼吸を浅くさせたり、また未来を悲観的に考えることで自己破壊的な、あるいは刹那的な行動をとらせたりする。免疫系に対してもあまりいい影響を及ぼさないはずだ。

 また3・11以降、情報は「怒り」という形にも多く転化して言った。
 自然の力に対しては怒りをぶつけるというわけにもいかないので、その分の怒りも含めて責める相手が存在する人災的な側面に集中砲火が行われるのかもしれない。やり場のない怒りというが、そういう怒りはやはり発散される「場」を求める。
 僕も今回の災害を経験する前は、政治や大企業という存在に対してこれほど具体的な怒りを感じたことはなかった。具体的な怒りとは、簡単に言うと「ボコボコ」にしたいと思うことである。

 原発、ひどいニュースばかりでイヤになる

 まあ僕が福島県民なら、東電幹部とか政府関係者ボコボコニしてもまだ足りないと思うだろう。

 これでも暴動や革命が起こらないなら、それがいいのか悪いのか、僕は知りません。

 そもそもあんないい加減な原発建てた時点でテロ特措法かなんかにひっかからないのか?
                          
                                       5月12日の日記

 また怒りは、そういった企業や国にたいしてだけではなかった。
 「節電」と言われれば、電気を使わないことがなにかボランティアのようないいことをしていると考えるような風潮や、それを煽るようなACのCM、デマに惑わされないようにと言いながら安全デマを流す人間や、それを煽るようなACのCMや、実際に深刻な汚染が進んでいるにも関わらず、風評被害とかいう言葉をひろめて「食べて応援」などいう本末転倒の思考を何かボランティアチックな美しいことに摩り替えようとするような小細工、正確な情報も流さずに「がんばれ日本、ひとつになれ日本」とだけ言い続ければ、単に大本営発表のもとでの盲目的一体化を促すことにしかならないことを自覚しないマスメディア、多少の放射能はホルミシス効果により体にいいんですという学者、こういったものすべてに胃が痛くなるような怒りを僕は感じた。

 僕の怒りは、スピリチュアルな指導者にも向かった。
 日本脱出を勧めていたくせに、安定感が戻るとのこのことまたブログを書き始めた人の分厚い本を酒に酔って、全部びりびりに破って燃えるゴミに捨てた。

 このごに及んで

 メッセンジャー、あるいは教師だと勘違いしてるやつらの90パーセントは

 アホだ。
 
 教えを垂れて 人を導くのが趣味の偽預言者だ。

 このバカヤロー!
                     5月8日


 このバカヤローて・・・
 相当荒れてますな(o・∀・o)

 しかし、これらの怒りはもしかしたらそういう外側の情報に振り回される自分自身や、なにを信じていいかわからない状態、希望の喪失感、そういうものにも向けられていたのかもしれない。
 「怒り」は対象があるものだが、自分の内に存在する「怒り」はその対象ではなく、自分自身の身心を蝕む。おそらく「恐怖」と同じく免疫系・循環器系などにマイナスの影響を与えるだろう。
 好ましくない存在のことを考えて、自分を蝕むのは全く馬鹿げている。だから「怒り」については忘れるか、許すか、あるいはそれを冷静な行動へと転化させ、状況を変えるようにアクションするしかない。 
 僕自身に関して言えば、「情報」自体に距離を置くことと、毎日ある程度からだを動かして肉体を鍛えること、ポジティブな感情を作り出すこと、壊れていく世界ではなく「光」を意識するということを5月ごろからやり始めた。それは自分自身に再接続することの始まりでもあった。昔親の本棚から借りてきたこの本が役に立った。

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 5月25日

 Aさんの介護で夕方からフォーク居酒屋へ。
 団塊の世代の皆様に演奏してもらい、尾崎豊を歌うという想定外の事態に。
 しかし気持ちよかった。
 もっとうまく歌いたかった。いや、もっと俺に歌わせろ的なところもあり、いつもカラオケなので譜面見て歌うのが難しく「卒業」は歌詞が途中でわからんようになる。続けて「I LOVE YOU」も。おもしろかった。


 武蔵境駅から歩いて5分くらいのところにある、小さなフォーク居酒屋。
 一応小さなステージがあって、お客さんがギター弾いたり歌ったり出来る。
 養護学校の先生をしていたママさんが始めた店らしい。
 フォーク居酒屋、という名の通り集まるのは50代前後の方が多い。
 あくまでAさんの付き添いなのだが始めて行ったので、自己紹介させられ、いつのまにかステージに上げさせられていた。すでに生ジョッキ一杯飲んでたのであまりテンパリもせず・・
 フォーク居酒屋で尾崎ていうのも微妙にずれてるが、生でギター伴奏してもらい歌うのは大変気持ちよかった。また、居酒屋だけど、いちおうステージだ。聴いてる人もいっぱいいる。程よい緊張感と気持ちよさがあってよい。 
 仕事(なんですこれでも(;^ω^)が終わって居酒屋を出ると、みんなが楽しそうに歌ったり飲んでるあの雰囲気を思い出し、あたたかい気分になった。
 パソコンの前に座って、情報を集めてる自分が深刻になりすぎてる気がした。
 いや、実際深刻な事態が進行中かもしれない。
 でもだからこそ、楽しむことも必要なのかも。

 もう5月も終わりに近づき、夜に自転車で走っても寒くない季節になっていた。







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3・11以降 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/12/18 15:30
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