ゼロポイントからのトリックスター(ひとつの思考実験)

 
 「たとえばさ人って、何かを見るとき、気を止めたものとかは記憶に残るけど、そうでないどうでもいいものは覚えらんないでしょ?

 時々いるんだよ、目の前にエルフがいても気を止めらんないから気づけない、記憶できないって奴がさ

 なぜか坊さんにはそういうのが多いんだ 田舎のお寺じゃそうでもないけど、大きな寺院の中に入ると、よく見えなくなる。あと大都市とかね。

 旅芸人一座の占いおババが言ってたよ、え~となんだっけ

 そうそう、固い世界を持つ者には妖精は見つけられない、だっけ
?」


 漫画「ベルセルク」より 妖精パックの言葉




 ぼくらはいつもふたつの世界のはざまに住んでいる。

 ひとつは『やわらかい世界』だ。そこは驚くべき世界で、考えられる限りあらゆる宇宙が存在し
 あらゆることが可能だ。きらきら輝くエネルギーとユーモアにあふれた世界。
 曲がったスプーンや、アーモンド型の目をした宇宙人はそこからやってくる。
 妖精もモンスターもいる、地水火風の精霊たちも、地底人も、ネッシーも、霊界も、大賢者も、魔法使いも
 動物たちは話し、木々も意識を持って歌っている。風の音や火のはぜる音は精霊の声で、アニメの登場人物すら、 そこでは現実と同じリアリティーで生きている。子供たちはこの世界に大人たちよりもずっと多く住んでいる。子供たちは自分の住んでいる周りに神秘と畏怖の世界をつくりあげる。夜中にひとりでに鳴る音楽室のピアノや、トイレの花子さんは彼らの創造物だった。
 

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 ふたつめは『固い世界』だ。そこではあらゆることが確かで、決まりきっている。ファジーなことは存在できない。すべては白か、黒、あるか、ないか、1かゼロか、嘘か、ホントかだ。あらゆる外側からこころに押し付けられた基準や、義務と、限界。テストに宿題、授業、入試や就職、預金通帳、成績、業績、株価の変動、戦争、病気や、離婚、死、貧困、規則と常識、イデオロギーとドグマ、ロジック、退屈と悲観に囚われた心の世界だ。


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 上の画像は妖精、とビジネスで検索した画像だが、どちらが現実的に見えるだろう。
 一見、ビジネスの方が現実的に見えるが、「やわらかい世界」ではこの二つの現実性はイコールだ。
 ビジネスに、より現実性を付与しているのは僕らの意識に過ぎない。
 
 人は子供の頃は多くをやわらかい世界で過ごすが、大人になると固い世界で生きることが多くなる。
 しかし、固い世界とは、独立して存在しているものではなく、やわらかい世界のフィールド上に出来た結ぼれのようなものにすぎない。やわらかい世界は、固い世界をも内側に含んでいるのだ。それは無限の可能性だから。

 やわらかい世界の根源はあらゆる可能性が潜在している、ゼロポイントフィールド、もしくは「神の心」とも呼ばれる。

 このやわらかい世界から、固い世界に時々使者が送られる。
 それがゼロポイントからのトリックスターだ。トリックスターはいたずらものの元型だが、人に知恵も与える。

 それは妖怪や、ネッシー、宇宙人や、神の使者、あるいは変なおじさんとして現れるかもしれないが、その形は重要ではない。その本質は「ピエロ・クラウン」である。 


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   〓ピエ~1




 この使者たちの使命は、固い世界に囚われている僕らのこころを、無限の可能性にむかって解き放つことだ。
 ある特定の世界認識へと僕らを誘導することではない。 しかし、ひとはある「形」を見ると、すぐにそれがあるか、ないか、という議論を始める。
 宇宙人はあるかないか、神はあるかないか、ネッシーはいるか、いないか・・・

 ピエロの演じる曲芸や、バカバカしい滑稽な動きのように、常識では考えられないことを間のあたりにすると、その瞬間かれらの世界はゆらぎ、認識パターンが崩壊する。固い世界はその時溶け去る。その瞬間だけが、使者の目的だ。だが、奇跡を目撃すると必ず次のプロセスが発生する。
 
 僕らは、知性の癖として固い世界の決まりでは説明不可能なものを、別次元の秩序の現れと考える。
 そしてそこに、天使や仏のヒエラルキー、霊界の掟、神のシナリオ、神々のルール、宇宙艦隊の序列や、星間同士の興亡の歴史をでっちあげてあらたな「固い世界」をつくりあげ、それに自らとらわれるのである。


 トリックスターたちの言いたいことは、これである。

 「全ては夢なんだ。ホログラム、イリュージョンじゃないか。だから、俺の存在にもとらわれず、俺のいうことも信じるなよ。
  まあ、騙されてよかったら信じてみてもいいけどね


 
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 だから彼らは、時に彼ら自身の存在を否定するようにうさん臭く振舞う。
 奇跡とうさんくささを同時演出しなければいけないから、彼らも実に大変だ。

 人は『固い世界』から自分を解放するものにしがみつき、そこに確かなものを求めるが、そのこと自体があらたな『固い世界』の牢獄に意識を閉じ込めることを彼らは知っているのだ。

 彼らは、彼ら自身の存在をあらわしては、その奇跡に人がしがみつこうとするたびに、自分自身を矛盾や疑惑の中に投げ入れてその正当性を崩壊させる。自分自身を『固い世界』の神にするなんていうゲームは嫌いなのだ。そこまで面倒見きれんよ。すると人々は「やっぱり偽物だった!!」と叫び、固い世界に戻っていくか、別の「ホンモノ」を探しに出かけるのだ。だが、彼らが代わりに見つけるのはトリックスターではなく、『固い世界』をつくるアーキテクト(設計者)かもしれない。アーキテクトは一切矛盾や、疑惑を見せない。そのことにより、自分を「確かに、固く」みせることで「固い世界」を愛する外部志向人間をたくさん自分の体系内にとりこむ。それは一見安心を与えるが確かに見えるものほど、それはアーキテクトの設計物なのだ。

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 しかし実在するのはゼロポイントとその想像力、愛と知性だけであり
 時空間も含めて仮に、すべてが、我々の意識の投影であったとすればいったいどうなのか? 
 
 真実などはないゆえに、すべては真実である。
 幻想は現実であり、現実は幻想である。
 あ、今僕の言ったことはすべて、嘘ですよ。でもホントかも。
 どう思いますか?




※ウィリアム・ブレイク画「ニュートン」 霊感的な詩人だったブレイクは海底の岩に座り宇宙を計測する姿としてニュートンを描くことで、知性の時代を批判した。


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知覚、リアリティetc | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/01/15 12:38
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