無限界①


 「ポルターガイストという現象がありますね。あれは本物の心霊現象なのです。
 自分で自分を思い込みの檻に閉じ込めてしまった霊が、貧乏ゆすりをしているのです。
 彼らは無限を知りません。それさえつかめば、自由は約束されているのです。どこへでも自由に行き、望み通りの姿をとれるのです
    
                               聖なる量子力学9つの旅 より


 ◆限界のはじまり


 仕事で一日を終えひどく疲れてしまっている時など、僕らはこのポルターガイストのような意識状態になっているのではないだろうか?まだ週の中日で、週末までまだ随分働かないといけない。今日くらいうちで酒でも飲まないとやってられない。この気分を良くしてくれる気晴らしがいくつか浮かぶ。特にそれがしたいわけではないが、何かで気分を紛らわせないと息が詰まってしまう感じがする。自分が幾重にも幾重にも制限された、小さな存在のような気がしてくる。そのような気分を味わったことのない人はあまりいないだろうし、自殺者が毎年これだけ出ていることを考えると、むしろそのような気分は集合意識の底を流れる基調低音でさえあるかもしれない。

 だが、そんな時、僕らは本当に制限されているのだろうか?
 心配や、気がかり、ストレスは頭の中に存在するだけで、本当は心を開放すればいつでも「無限」をつかむことができるのではないのだろうか。ちょうど、このかわいそうなポルターガイストが自分で自分を縛っていることに気づき『無限』に心を開きさえすれば、神の無限の多次元世界に旅立てるかもしれないように・・・

 少なくとも可能性は大いにある。
 なぜなら、人は幼い頃を少なくとも大人よりも自由で、柔軟なこころを持っているからだ。
 自由ということは、何が可能で、何が不可能かという概念化が行われていない状態だ。
 だからこそよく特番の実験であるように、子供はスプーンを曲げたり、透視をしたりというような超能力を大人よりも簡単に発揮する。
 大人になることがもし成長であるとするならば、成長過程でより自由になり、よりとらわれない心で生きることができなければおかしい。しかしなぜか、人は成長するとこのなんでもありという意識を失い、かわりに「限界」を手に入れる。それは「そんなことできない」という意識だ。無限界を差し出し、限界を手に入れるという不可解なトレードを行う。
 
 ではこのトレードはいつ頃から始まるのだろうか。
 完全に精神が自由な状態というのは、おそらく自分が自由であるとも自覚していない、乳児や胎児の時期にある。グロフがBPM1と呼んだ、母体との完全な融合状態がそれにあたる。
 もっとも自由な意識とは、「ひとつ」である状態だ。無‐境界が、無‐限界なのである。
 このひとつの状態から「他者」が意識に出現することによって、徐々に限界が課せられていくのだ。

 もっとも原初の他者とは、母もしくは父だ。
 完全な融合状態が徐々に失われ、両親との関係は「条件付き」のものになっていく。
 こうすれば、エネルギーがもらえる、こうすればもらえない(殺される)、あるいは自分は居ないほうがいい、父母と同じ価値を持たねば、などという無意識の学習が、意識に制限を課していく。
 BPM1において完全に無条件で与えられていた生命力が、条件付きのものになって、「生存不安」が発生する。このようにして、すべての他者との関係性の元となるシナリオと限界を決定する「制限」の原型がつくられるのではないかと思う。

 BPM1に近い意識状態を体験できるアイソレーションタンクで、癒しや潜在能力の解放が起こるのは、おそらく母体内での無限界の意識と再接続するからだと思う。そこでは肉体と、外界という最初期の「制限」発生の基盤となる分離が解消されるのだ。自分という存在が、宇宙から断絶した「個」であるという意識にあらゆる苦痛や、「制限」のルーツがある。
 すべてのパワーというのは突き詰めればワンネス、「ひとつである」こと、無境界状態から来ている。
 タンクはおそらく肉体レベルでの一体性からアプローチし、徐々に固定した観念をも解消するという方法論だと思う。
 

 ◆依存症と強迫的プログラム


 「限界」は物理的に実際に存在するものというよりは、意識内の囚われであると言ったほうが近い。
 長期間の休暇をとった時、最初は開放感いっぱいなのだが徐々に退屈になってきたり、自由がそれほど素晴らしいと思えなくなるのは結局のところ、人が不自由を感じているのは外的環境というよりも自らの意識構造であるということを如実に表していると思う。

 仮に自由があふれるほどあったとしても、毎日同じような機械的行動パターンでいると段々煮詰まって嫌になってくる。人の下位の自己である無意識は、生存を再重視しているので、基本的に昨日と同じことをしたがる性質を持つ。昨日を無事に生き抜いたから、下意識にとってはそれがもっとも安全なパターンなのだ。しかし、このプログラムにだけ支配されていると毎日は「したくもないけどなんとなく不安だからやっている行動」の集積となっていく。 
 充実を、自由を感じる想いはハートの、高次の自己から来る。あまりにも強迫的プログラムが強いと、高次の自己のささやきが聞こえず恐れに基づいた行動ばかりになってしまいやすい。すると毎日は無味乾燥な車輪の中でからから回るコマネズミ君の様相を呈してくる。ポルターガイストとは、下意識にとらわれた魂、あるいは死に際して分離して残った下意識そのものかもしれない。

 もうひとつポルターガイスト的な意識状態を構成するものに『依存』がある。

 無限界といってしまえば、アルコールも、タバコも、ドラッグも、Hなこともなんでもあり!という感じもする。基本的には僕個人としても、「これはやっちゃダメ」という絶対的な戒律のようなルールは存在しないと思っている。だがなんでもありなのだが、それはホントなんでもありっていう自由な意識でやってるのか、ただそれにとらわれて、それがなきゃダメだと思い込んでいるのかということを見極めるのは重要だと思う。これは後から書く、制限されてるが故の願望と、真の願いの違いにも通じるものがある。例えばタバコでも、それを吸うのもありだよ、全然悪いことじゃないよ、というのは限界がないように見えるが、タバコを忘れてきてブルーになってわざわざ出先で買いに行ったり、カフェで喫煙席がないと入れなかったり、食後の一本を吸わないと気持ちが悪かったりすると、これは明らかに行動がとらわれてる要素の方が多くなってくる。
 僕は全然嫌煙者ではなく、今でも稀に葉巻買って吸ったりもしてるが、シガレットを日常的に吸ってた時のことを考えるとやはり不自由な部分が多かったなとは感じる。今はどちらかというと煙よりもアルコールにとらわれている(それもいかんやろ笑)
 嗜好品への依存と、強迫的プログラムというのはかなりのところでかぶっている。どちらも根底に、それがなければ生きていけない、気分よくいられない、というような根深い不安感が存在しているのだ。


 ◆制限された願いと、真の願い


 僕が「引き寄せの法則」的な考えの一番疑問に思う点というのは、人がどのような状態で願う願望もすべて同列においている点である。人の考えや、エネルギー、愛情などを制限するリミッターがフル稼働している状態の願望と、無限と接続されてる時に抱く願望はまったく違うのだ。

 誰もがハリウッド俳優のような豪邸とクルーザーを願うわけではない。でも、それがすごいという刷り込みがあまりに強いと、自分はそれが欲しいんだと思い込むかもしれない。もっとわかりやすい例で言うと、重症の麻薬中毒なら、どんな願望も叶うと神様に言われても、「ヘロイン100キロくれ」としか言わないだろうということだ。まず、このジャンキーには麻薬を断たせて、心のケアをしてということをしたあとに何が欲しい?と聴けば、「彼女が欲しい」とか「やりがいのある仕事を見つけたい」とか、「ヘロイン100キロくれ」よりももうちょっとまともな願いをいうようになるはずだ。

 これは極端な例だが、多かれ少なかれ多くの人は自分が何を欲しているのかわからず、見当違いのものを求めているということではこの重症のジャンキーのような立場にいるのである。
 だから「ヘロイン100キロ」をそのまま実現できますよ、というような考え方はちょっとヤバイと思う。願望というのは、自分が「無限」や高次の自己とつながった状態で初めていくらかまともになってくる。制限された自分で制限された願いを望むのではなく、まずは、自分がいろいろな制限から自由であると知ることが必要だ。人には確かに想いを現実化する能力がある。にも関わらず僕らの願いがすべてかなわないのは、おそらく「制限された自分」の願望を全部かなえていたら、この世界がむちゃくちゃになるからだと思う。

 ミヒャエルエンデの「果てしない物語」で「汝の欲することをなせ」という文字が刻まれたペンダントをつけたバスチアンは、ファンタジーの世界ですべてを実現する神のような力を与えられる。だが、彼は最初は制限された自分でいたから、太ってブサイクな容姿のコンプレックスを解消するために美しい王子の姿を、非力さには誰にも負けない怪力を、そして知恵や、創造性すべてを自分のものにしていった。だがその結果は、自分をすべての存在の上に君臨させる独裁者とすることとなった。それらが敗れ去ったあと、彼がたどり着いた最後の、そして真の願いは『本当に愛することができるようになりたい』というものだったのだ。
 そう、愛と離れているということがおそらく人の根源的なリミッターなのだろう。バスチアンは物語の最後ですべての願いは、愛の代用品であったことを理解した。そしてすべての願いが自分をここまで導いてくれたことも知った。そういう視点でいえば確かに「ヘロイン100キロ」も愛とつながっているのだろう。





 続いて、知性が形成するリミッターの仕組みについて少し詳しく考えてみたいと思います。


 つづく






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知覚、リアリティetc | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/01/24 21:25
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