卵の中の黄身

我もなく うつし世もなくなにもかも  神の中なる 神のあらわれ  BYダンテス・ダイジ

 現在、心身ともにマーヤな嵐の中にいる。

 まあ、嵐というまでは行かなくても運動場で発生する小型の竜巻くらいはある。

 こころとからだに同時に来られると、負けそうになる。

 一寸先は闇。

 ナイトシャマラン監督の「ヴィレッジ」という映画を見た。

 目の見えない女性が、たっと一人で化け物が棲むと噂される森を抜けていく。正体が見えないと、恐怖はいくらでもふくれあがる。なぜなら、すべて恐怖は自分の中にあるからだ。

 そのような時にはふたつの方法があるように思う。

 ひとつは、決して光(希望)を忘れない、ということ。
 もうひとつは、運命(神)に身を委ねる、ということ。

 それは最終的には同じことだろう。
 神という希望を忘れていない時、運命に身を委ねることが出来るのだろうから。

 僕は恐れる。

 神よ、私は、あなたのものです、と言う事を。

 みんなそうなんだろうか?

 主体性が奪われ、任意の運命が消滅することが怖いのだ。

 つまり神(世界)を信頼してはいないということになる。

 しかし、僕らは宇宙の中にいる。

 僕の部屋の中にあるものが、僕のものであるなら

 宇宙の中に在る僕は、宇宙のものに違いない

 僕らは神のいとし子である

 あまりにも見慣れたこの肉体と日常は 
 不可解な恵みであると同時に
 すべて仮のもの
 かりものに過ぎない

 神よ、私は、あなたのものです

 そう祈る事によって
 僕は僕のものであると言う幻想と
 僕が僕のものであるがゆえに起こる
 恐怖とを手放す

 そして神の意志に
 意識的に従う準備をする

 神よ、私は、あなたのものです

 私は、私の、役割を演じます

 これが、私であるところのあなたによって定められた

 愛のシナリオであるがゆえに

 わたしは、あなたのものとなり

 わたしは本来のわたしとなる



≪ たった一つの限りなき命ホーム『超宗派的瞑想』 ≫

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  • Author:はいたか鳥
  •  鳥が卵から無理に出ようとする
     卵は世界だ 
     生まれようとするものはひとつの世界を破壊せねばならない
     鳥は神に向かって飛んでいく
     その神は名をアプラクサスという


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