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基底通音

 よく自然のすべては音を出していると言われる。
 それは可聴音域にあるものだけではなく、その存在自体が発しているような音だ。
 宇宙は『振動』からできており、個体として存在して見えるものは、すべて『虚空』がかき鳴らされたために生まれた『振動』であるという見方もある。この見方からすれば、存在するということは、振動しているということと等しい。

 存在とは、振動なのだ。

 そのような万物の存在性そのものから聴こえてくるような音を、昔人間は聞き、それを翻訳して歌うことが出来たのかもしれない。そして、その歌が、また万物に振動を加えて、あらたな旋律を生んだ。日本語が、風や木とも話せる言葉だったというのはそのような意味合いにおいてだろうか。

 万物の音としてよく知られているのは、AUM あーうーむ(ん)だ。

 それがどのような音なのかわからないが、メロディと呼ぶにはあまりにもプリミティブかつシンプルな、リズムと音、心臓の鼓動や赤ん坊の喃語に近いものかもしれない。だが、それは朝も夜も決して途切れることのない生命の旋律だった。永続する生命を表現するような常に存在するものだった。ポップスでも、クラシックでも、ジャズでもないもっと根源的な音であり声だったように思う。

 音、波動が現実の深部を構成しているパターンであることにより、人は音を聴く、あるいは声を発することにより異なった振動世界へと意識を移動させることができる。人は、自然の基底通音と同調することにより、命の一部としての永続する自己を認識することができた。

 だが今、音の多くは騒音となり、これがまたひとつのマトリクスとして基底通音との接触を妨げているようにも思える。メロディにあまりに人間的な、思想や悲しみ、欲望が乗ることによって部分的な振動しか感知できなくなっているのだ。そのような音楽や、人工的な雑音が溢れている。 
 音が、騒音となっているのだ。


 ああ、いい音~♪よりも、うるせい!(゚Д゚)ノと叫びたい状況が多いのだろう。


 どんな音楽も、それ自体悪であることはないと思う。
 ハードロックも、ヒップホップもAKB48も全部それらが好きで、元気づけられる人がいる限り意味を持つとは言える。僕も好きなバンドの歌をカラオケで歌う。AKBは職場でよく見るのであまり覚えてくないのにメンバーの名前をたくさん覚えてしまった。
 しかし、ふと思ったのだけど、いろいろ思い浮かべてみても、大自然の中で演奏されて違和感なく調和して聞けるような音楽ってものすごく少ないような気はする。だいたいヒット曲のPVを見てもCG的な空間だったり、都市だったりするのはやっぱりそういうイメージの方がフィットするからだろう。

 根源的なものとつながった音世界というものが、あまり存在しないのだ。
 根源的なものというのは、ただ在るということ、生きていることの喜びであるとか、神秘であるとか、ありがたさだと思う。
 
 「はじめに言葉ありき」
 と言われる。
 言葉とは、音であり、振動だった。

 A アレフ ア 

 は最初の響きだとされる。
 それには意味以前の意味がある。
 歌以前の歌がある。 
 そのように思えてならない。

 あ の次は い だ。

 あ い

 愛 

 最初に愛が現れるのは偶然なのだろうか。
 この愛も、通常の男女間の愛などより深部にあるコズミックラブだと思う。
 言葉の中には、宇宙構造がコード化されているのだろうか。

 先日、公園でいつも声をだしてるところに行くと、日本の横笛を吹いてる人がいた。
 その音は鳥の声のようで、楽曲は名前は知らないけど、シンプルできれいなものだった。
 あーこの音は森の中でも違和感ないなーと思った。
 逆に自分の声が粗雑で申し訳なくなってきた^^;

 こういう笛の音とか、雅楽の演奏ってなんか、自然とすごく相性がいいんだろうなと思った。
 それ自体が空間の中で、自分を主張しすぎることもなく他の音と風の音や鳥の声と一体になってるように聴こえる。

 








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知覚、リアリティetc | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/06/01 15:00
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