予言者は【帆船】を隠す

 僕は、予言という現象は信じているが、自分が予言が成就するのを見ることはないというジンクスは結構信じている。

 それは、僕が・・・というよりもメジャーになり多くの人が知るところとなった予言ほど基本的には成就しないという法則がある。

  でも、人知れず、一部の人だけが知っていた予言が、現実となる・・・これはあると思う。

 しかし僕には知り合いに予言者はおらず、知るものの多くはネットだとかメディアで大規模に流布されたものに限られる。だからそれらは全くと言っていいほど当たらない。

 きっと多くの人は確実にこのことに気づいていると思うが、○○○を予知した○○が、こんな予言を!という見出しについつい乗せられて信じてしまうのだ。○○○を予知したのはホントかもしれないが、それによってメジャーになってしまった○○の予言はなぜか当たらなくなるのである。このあたりは本当にトリッキーで面白い法則だ。

 だが、僕は一部の人だけになされれた予言が成就した・・・という現象があったことを間接的に聴いたということは何度かある。それはもちろん、メディアなどには流れなかった『未来情報』だ。

 ではそれらが事前に大規模流布されていたなら、その現象は起こらなかったのか・・・?
 それはなんとも言えない。

 ただ、どうも必ず起こる本当に大きな災害や事件の情報が事前に大規模流布されることはない、というシステムがどうも存在しているように思えてならない。しかし、信頼できる身近な誰かが「あなただけに」したような類の予言はもしかしたら当たるのかもしれません。

 僕が信じない予言、それはまず第一に、私の透視能力によると●月●日に 東海地震が起こる、と言ったものだ。日付がはっきりしている、固定化しているものほど絶対と言っていいほど当たることはない。大規模流布しているものはもう確実にそうだ。僕のジンクスによると、僕がそれらが成就するのを目撃することはない。

 第二に、福島原発四号機の倒壊、富士山の噴火が必ず今年中に起こる、というような類のもの。
 危機というのは人の予想を必ずといっていいほど裏切ってくる。
 だから予想されている危機は本当の危機ではない。
 いくらかでもそれに対する心の準備が出来ているからだ。
 しかし本当の危機はいつもブラックスワンとして隠れていて、予想もしない場所から躍り出る。
 予想外の震源から発震した3・11がそうだった。
 今予想されている危機の多くは、その3・11という衝撃による想像の延長線上にある。
 3・11→地震と、原子力
 だから、それらの予想はどうもこのブラックスワンの時代には適当でない気がするのだ。
 それらはもう、群れに混じり白い白鳥になってるからだ。


 でもこれらは起こらないとも言えない。
 リスクがあることは確かだからだ。

 この潜んでいるブラックスワンは、悪い事象とは限らない。
 なにか今までの概念では解読できない多くの現象が起きる、あるいは起きている、そのようにブラックスワンとともに生きる姿勢がこの時には必要な気がするのだ。予想外を、予想するということが。
 多くの人の知覚のフォーカスポイントとなっているそことは別の場所に、黒い白鳥は潜んでいるのではないかと思う。

 意識がいつもどおりのフォーカスポイントに固着していると、周りで何か大事なことが起きていても、それに気づかないことがある。日常的な思考・行動パターンや、いつもどおりの『悩み』の感覚にフォーカスしていて、目の前に現れているのに気づかない何かがないのか、自分に問いかけるというのも大事かもしれない。

 そういえば僕の好きな映画『パッチアダムス』にこんなシーンがあった。
 精神病院に入院中、自分の4本の指を見せ、「なん本見える!?」とパッチに謎をかけてくる老人がいた。
 「4本」と答えると、お前は大馬鹿だと罵倒される。
 のちにパッチはなぞかけの答えを教えてもらうために、その老人の部屋を訪ねるのだった。


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 何本見える?


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 4本

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 違う、私を見ろ

 問題ばかり見ていると 答えが目に入らない

 問題を見ず 私を見ろ

 何本見える?
 


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cap005.jpg

 !


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 8本

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 8本、正解だよ

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 人が見えないものを見ろ

 恐れとか怠惰で 人が見ようとしないものを

 新しい世界が見えてくる。

 君は見所がある。

 気難しいイカレじじい以外の人間が見えたから、君はここに来たんだ。



 このパッチのように、フォーカスポイントをずらすことにより、僕らは現実の別の側面へ移動する。
 そこでは物事がまったく別の意味合いを帯びたり、想像できなかったような答えがあったり、問題自体がなくなる。

 以下、書籍『マトリックス・エナジェティクス』より


  どんな人も自分の信念体系を通してものを見るなら、その知覚フィルターが通すものしか見ることができない。
 『わたしたちは一体全体何を知ってるというの?』という映画の中に、コロンブスが新大陸に到着したとき
 そちらへ目を向けていても、先住民には入江に錨をおろしている大きな船が見えなかったというエピソードが出てくる。
 彼らの経験にはかつてこのような物体や出来事は存在しなかったため、従来の現実観に当てはまらないその視覚情報を意識が削除してしまったのだ。しかし、部族のシャーマンは水面の乱れに気づき、そして従来の見方では見えない対象を探し当てて、別の見方ができる状態に意識を移行させた。それでようやく船をみることができ、ほかの人たちにも見る方法を教えられたという。

 興味深いことに、ライターのアレクサンドラ・ブルースは『ビヨンドザブリーフ』という著書の中で、この話しが映画に出てきたこと自体が驚きだと述べている。これを「陳腐で証拠のない都市伝説」と断定し、その出典を突き止めたものは誰一人としていないという。たぶんその通りなのだろう。それでもわたしはこの話しが好きだ。これも「役に立つ作り話」の例だと思う。これが事実でない可能性があるからといって、見たくても見えないものがあるのではないかと考えさせてくれるという点で、たとえ話としてその価値は少しも損なわれない。もしこれによって「船」が見えるようになるのなら、その船が空想の海にしか浮かんでいなくとも一向にかまわないと思う。

 毎朝、目を覚ますと、わたしは一般的合意からはずれた現実観に入らなければ見えない船を探す。毎日、「認識することでわたしのものの見方が変わり、ひいては人々の利益になるようなことを、考えていなかったり、気づかずにいたりしていないだろうか?」と自問する。

              (中略)

  考えられること、認識できることが、達成できることの限界を決定する。したがって、ある特定のテクニックについての一連の規則とか信念や、そこで採用されている考え方を学ぶということは、そのテクニックなり体系なりの色メガネをかけるということだ。期待するものに合わせるよう学習された規則なのだ。疑問をもったり、別の視点からものごとを見たりするようになると、現実に関する大切な前提がひっくりかえる危険がある。これは物理学者が今も手こずっているのと同じ現象だ。
 観察されている電子は粒子のように振舞うのに、別の期待をもって観測したり、まったく注意を払わないと波動のパターンを見せるのはなぜか。これこそ観察者効果というものだ。
 さて、あなたが人生に満足していて、重要と思うことを実現させる能力があるのなら、ぜひともその調子で進んでいただきたい。
 しかし、ものごとの成り行きに満足していないのであれば、あなたには現実を違った風に観察し、認識する強力な能力があることに気づいてもらいたい。






 
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知覚、リアリティetc | コメント(0) | トラックバック(1) | 2012/06/01 17:00
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