インドぐるぐる旅日記 2006①


2006年、3週間ほどインドを旅しました。
 その時に書いた旅行記をアップしてみます。
 一応書き上げたものの、なんとなくださないまま6年も経ってましたが、もしかしたら今年の終わりくらいにまたインドを訪れるかもしれず、その前に前回の旅についてのアウトプットをちゃんとしておこうかと、そんな風に思いました。
 と言っても、なぞのサドゥーに会って神秘体験をしたりとか、LSDによりめくるめく宇宙的融合を体験したとか、旅先で過去世を思い出したとかそういうすごくおもしろそうな話は出てきません。
 ただ初のインド旅行でインド的な、こぶりのトラブルに行く先々で遭遇しつつ、旅を続ける20代後半の男の記録です。
 2006年に書いたものに、記録が抜けてるところは、今回加筆し、よく覚えてないところは少し想像でつけたしましたがほぼリアルな記録です。眠れなくて、やることがない夜とかにお読みください(笑)

ルートは下のような感じで飛行機はデリーIN、デリーOUTでした。
 デリ→アグラ→カジュラホ→バナラシ→ブッダガヤ→アウランガバード(エローラ)→ムンバイと列車やバス、タクシーで移動し、ムンバイからデリーまでは空路から戻りました。3月4日から、3月25日までのやく3週間の旅です。


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 ※この当時1ルピー2,7円でしたが、現在は円高進行で1,5円くらいになってるみたいです。
 
 
 でははじまり~(o・・o)/
                      



          まえおき



 積極的に、インドに行きたくて行きたくて仕方がなかったという訳ではない。

 ただ、十代の頃からインドは気になる存在ではあった。

 ガンジス河の岸辺では、公衆の前で遺体が荼毘に付されるというのを何かで読んで知った時に、
僕はその光景をこの目で見てみたいと思った。そのような光景を実際に見る事が出来たら、
自分はもっともっとリアルに生きられるのではないかと思った。
スティーブン・キングの「スタンド・バイミー」で、
少年達を夏休みに死体を捜しに行かせたようなそんな衝動に近いのかもしれない。
それは一種の通過儀礼(イニシエーション)への欲望でもある。

 ドラッグにも興味はあった。
 大学生の頃「ドラッグ・内面への旅」という本を読んだ。
 その本は、著者が世界各国を旅しながら、様々なドラッグを体験していくという話しだった。
 インドは、ガンジャ(大麻)はもちろん、そのほかのLSDや、MDMA(エクスタシー)などのブツも比較的簡単に手に入るらしい。
ゴアという街はその昔、1960~70年代からヒッピーの聖地と呼ばれ、欧米や日本からも既存の価値観から
ドロップアウトせんとする人々が多数集まり、そこで暮らし、また夜には盛大なパーティーが行われていたということである。
 
 インドの宗教にも興味があった。
 世界各地に聖者と呼ばれる人は多いけれど、インドほどに聖者が大量生産されている地は皆無である。
サイババがいる、和尚がいる、クリシュナムルティーがいる。
近代で言えば、ラーマクリシュナに、ヴィヴェーカーナンダ、ヨガナンダに、ユクテスワに、ラマナ・マハリシ。
さらに、古代に目を向ければ、ウパニシャッドや、ヴェダンター哲学など、
宇宙や人間の魂についての精緻に組み立てられた体系が存在する。
 少し考えただけでも、この豊穣さと、複雑さは「異常」であることが分かる。
 インドは世界における、精神文化の特異点なのだ。

 そんな訳で、インドは僕にとって、様々な興味の焦点が交わる場所だった。
 だから、ぼんやりといつか行ってみたいものだと考え、そのために貯金をしたことも何回かあるが、いずれも実現しなかった。

 ところが、去年(2005年)の年末から今年にかけて、次第に機が熟しているのを感じるようになった。なんとなくインドへの道がもうできているような気がし始めたのである。経済的には、格安航空券を購入して一ヶ月旅を続けられる位の貯えは出来た。精神的には、知らず知らずのうちに集中的にインド哲学や宗教に関する本を読んでいた。そして、ちょうど半年ほど働いていた派遣社員の仕事の契約期間が終了した。暇も出来たのだ。

 しかし、極度に出不精かつ、面倒くさがりで、好きな本にかこまれて家でごろごろしているのが無上の楽しみである僕にとって、意を決してインドまで出かけるのは、かたつむりが自分で殻をぬいで、なめくじのまま炎天下のアスファルトを歩き回る程の覚悟を必要とした。
 仕事を辞めて、だらだらとした生活を数週間続けているうちに、旅に出かけること自体が面倒くさく、また非現実的なプランであるように思えてきたりもした。虎の子の貯金を崩してまで、行くほどのものなんだろうか?
 しかし、今、他になにかやりたいことがあるんだろうか?
 別に、何もない。
 
 そして、ハタと気づいた。
 今まで、僕は、なんとか4~50万円程の貯金を作ろうと働いていたのだが、それは旅に出かけるためであったのだった。それは、ずっと以前からの目標で、半ば無意識に埋もれてしまったいたが、それ以外に特に金の使い道など僕の中では今のところ存在しない事に気づいた。そして、その旅の目的地とはこれもまた、ずっと以前から考え続けて半ば無意識に埋もれてしまっているインド以外にはやはり、あり得ない。
 これで旅に出なきゃ、本末転倒もいいところである。
 お前はなんの為に働いてきたのか?という話しだ。
  
 そう気付くと、すぐにインドいったるで~~!という波が押し寄せてきた。
 僕はその波の勢いに乗って、すぐさま航空券を購入した。
 ある意味、自分を行かざるを得ない状況に追い込んでいく事にしたのである。
 知り合いや、家族にもインドに行くことを報告する。
 これは、逃げ道をひとつづつ自分で塞いでいく手段でもあった。
 かくして、かたつむりは、焼け付く路上に出て行くより他なくなったのである。

 出発の日までの僕は、不安でいっぱいだった。
 あまりにも不安であったために、インドのガイドブックを開くのも嫌になり、なるべくインドのことは考えないようにしていた程だ。
 僕は海外に行った経験が殆どない。
 一度だけ香港のしょぼいツアーに参加したことがあるが、あれは全く海外旅行についての経験値をアップさせてはいない。英語もほとんど喋る事はできない。しかもインド人の英語はものすごく聞き取りにくいという。
 こんな奴がいきなりインドに行って、ホテルを探したり、飯をくったり、鉄道で移動したり出来るんかいな・・。

 寝苦しい夜。
 僕は、自分の無意識、あるいは「見えないガイド」に自分の不安をぶつけてみた。
 すると、「安心してインドに行って、大丈夫」という言葉が返ってきた。 
 僕はそれを信じる事にした。


 其の一 成田~デリーへ

 2006年 3月4日 成田空港


 成田発、デリー行きのエア・インディアXXX便は機内に入った瞬間にぷ~んとスパイシーな匂いがした。
まさか、カレーの匂いではないだろうが、あまり飛行機の中ではしない匂いだ。
サリーを着た彫りが深く浅黒い顔のフライトアテンダントが、入り口で合掌した格好で乗客を迎える。
ナマステーのポーズ。 航空券を見せると、座席の場所を教えてくれた。
 日本からインドまでは直行便で、だいたい8時間ほどだけど僕が乗った便はバンコクを経由して行くので12時間ほどかかる。出発が、日本時間の正午、デリー到着が向こうの時間で夜の9時前だ。インドと日本では約3時間半の時差がある。
 出発してすぐに、フライトアテンダントが乗客に飲み物を配り始めた。
 
 ま・まずい!こっちへ近づいてくる(何がだ?)
 何が飲みたいか英語で言わねばならぬようだ。

 「ノミモノイカカデスガ?(て英語で)」

 僕はなるべく冷静を装って、言った。

 「う・うぉーたー、プリーズ・・・」

 するとちゃんと水を手渡された(当たり前だ)。
 やった!英語が通じた!!
 小学校一年生の子供でも出来る受け答えだけど、こんな会話でもコミュニケーションできると少しは自信がつく。
 さて、次に英語を使わなきゃいけないのは入国審査の時だ。えーととりあえず、sight seeing three weeksだな・・・
 あ、もう一度「ちきうの歩き方」を読んでおこう。
 僕はこんな風にして頭の中で勝手にいくつかの英語を使わなきゃいけない関門を設定していた。 
 最初は飛行機の中、入国審査、そしてホテル、というように。
 しかし周りがすべて外国人とあれば、こっちの思うときだけ英語を使えるなんてことはない。
 離陸して数時間経った頃だろうか
 左隣のアジア系の男性が、僕にむかってなにか

 ぺらぺらぺらぺらぺーらぺら

 としゃべりかけて来た。
 
 「え、ええ??」

 僕は思わず彼のほうに身を傾け、聴きなおした。  
しかし、返ってきたのは

 ぺらぺらぺらぺら、ぺーらぺらぺら

 が~~ん、なんもわかりまへんがな(゚д゚ll)
 返事しない僕に怪訝な顔をした彼は、僕を通り越して、僕の右隣の女性に声を掛けた。
 僕の身体越しにはずんでいく両隣の英会話を聴きながら、さらにさらに不安は募っていくのだった。


 小さな窓から見える雲海はまるで、天国の庭のように見える。
 東から西に向かって、太陽を追いかけて飛んでいる為か、なかなか夜にならない。
 タイのバンコクでトランジットする頃には、日本時間に合わせたままの腕時計はとっくに夜になっていたが
 機内の窓から見える、バンコクの空港はまだ白々とした真昼の光の下にあった。
 僕の両隣の二人は飛行機を降りていった。どうやら成田から乗った人の大半はインドまで行くのではなくバンコクが目的地のようであった。
 僕は機内に入ってくる、かわいいタイ人のフライトアテンダントの女性をちらちらみながら、なかなか終わらない3月4日の昼間の光の中で離陸を待った。
  
 結局飛行機が、デリーのインディラ・ガンジー空港の滑走路に無事車輪を下ろしたのは、インド時間の9:30pm頃。
 予定より若干遅れての到着だったので、僕は焦っていた。
 というのは初日の宿は日本から予約し、空港までの送迎を頼んでおいたからだった。
 空港にはツーリストをターゲットにしたリクシャワーラーや、タクシードライバーが無数に待ち構えており
 彼らの言うがままに車に乗ったりすると、予約したところと別のホテルに連れて行かれたり、大金をボラれたり
 というトラブルに巻き込まれる可能性が非常に高いと聴いていたからだ。
 いや、聴いていたっていうか『ちきうの歩き方』にそう書いてあったのを読んだのだった。
 迎えの人は、空港の出口で僕の名前を書いたプレートを持って待っているということだった。
 だから早く行かなきゃと思ったのだが、搭乗前に預けた荷物がなかなか出てこない!!
 荷物はぐるぐる回るベルトコンベアーみたいのに載って、回ってくるのだが、自分のが来ない。
 なにぶんこういうのも初めてなので、焦る。ようやく出てきたマイバックをひっさげて、
 次は両替へ走る!!ドルをルピーに変えなきゃ何もできない。

 ようやく待ち合わせ場所の空港のロビー入り口に辿り着いたときは
 待ち合わせ時間を大幅に過ぎていた。 
自分の名前を書いた紙を持ったインド人が突っ立っているのだから、そんなもんすぐわかるに決まっているという僕の浅はかな予想はいとも簡単に覆された。
 空港の出口には、名前を書いた紙を持った無数のインド人が通路を隔て左右両側に並んでいたのだ。

 ずらーーっと並ぶ浅黒く濃い顔の男たち。

 おそらくその数数十人、あるいは百人近いかも・・・。

 紙を持った人の背後にもおそらくホテルやタクシーの客引きと思われる人間が無数にひしめき合っていた。
 まったく読めないすっげーきたねえ字で書いたのを持ってる者もいる。(あれだったらどうしよ(-_-;)
 この中からどうやって自分の名前を探すのか・・・って一個づつ見てくしかないよな、やっぱ。
 意を決して、通路の両側からインド人に見つめられながら、なんとも居心地の悪い空間を歩いたが、
 その列の最後まで行っても僕の名前は見つからなかった。
 
 お、おかしいなぁ。。。(焦りまくり)

 もう一度じっくりと一人づつ確認しながら、出口の方へ引き返していく。
 余程情けない顔をしていたのだろうか。
 ひしめき合うインド人がからかうように声をかけてくる。

 「Hello!」

「How are you?」

「Are you alright?」

 「HAHAHAHA!」

 僕は、不安をにやにや笑いでごまかしながらその前を通り過ぎる。そしてまた税関の出口付近に戻ってきてしまったとき、
ようやく自分の名前が書かれたプレートを発見!
 迎えの人は一番出口の近くで待っていてくれたのだが、僕が動揺していたのでさっきは発見できなかったようである。
 彼が空港で拾う予定だったのは、僕以外にも、日本人の学生の男女がいた。
 男の方は、まだ20才そこそこに見えたが、日本人に会えてほっとしている様子だった。
 それは僕も同じだった。・・・・ってまだ飛行機降りたばっかりなんやけど(笑)
 なんだ?この安堵感は。
 彼らと話しながら、迎えの人のあとをついて、駐車場へと歩いていく。
 通路にはさっそく物乞いの人が座り込んでいて、僕たちに向かって施しを乞うような動きをしている。
なんだか僕にはそれが、よく博物館とかで同じ動きをくり返している、縄文時代の洞穴人間とかのオブジェのように見えた。
 なんだが現実感が湧いてこず、僕たちはどっかの大インド展(?)にでも来ていて、
『デリーの夜』というアトラクションに入ってるようなそんな感じがした。
 そこにはもちろん、インドと言えば有名な、「物乞いの人」も展示されているのである。

 車に乗って走り出すと、すぐにあたりに漂っている独特の匂いに気付いた。

 土の匂い?
 動物の糞の匂い?
 フルーツの匂い?
 香辛料の匂い?

 それら全てが混ぜ合わさったような、香ばしくてどこか甘ったるいようなそんな匂いが夜の空気の中に充満していた。僕にとっては嫌な匂いではない。なにか有機的な空気にすっぽりからだを包まれているようだ。
  湿度は高く、日本の初夏の夜という感じである。
 車で走っていると、先ほどの不安も消し飛び、旅のわくわく感が戻ってきた。
 迎えの人の運転はあらっぽい。
 ひっきりなしにクラクションを鳴らしながら、次々と車を抜いていく。
 というかどの車もそのような運転をしているようだ。
 抜きつ抜かれつ、カーレースゲームの世界である。
 バイクはノーヘル、三人乗りは当たり前。
 車も限界まで人を詰め込み、後ろのトランクがあいて、半分人がそこからはみだしているが平気でそのままぶっ飛ばしている。
 めちゃくちゃだ。
 よく事故らないもんだ。
 僕ら同行の三人はそのむちゃな体勢をみて、おもわず笑った。 
 めちゃくちゃなものを見ると、なぜか元気が出てくる。
 僕は「大インド展」にいるのではない。
 本当にインドのデリーの夜を走っているのだ。
 風の匂いと、響き渡るクラクションがそれを教えてくれた。

 ようやくのことホテルにチェックインし、部屋に入れたのは夜の12時近かった。
 げっそりと疲れ、慣れないことをしたので頭ががんがんした。
 早いところベッドに倒れこんで眠ってしまいたかったが、身体の疲れとは裏腹に目は妙に冴え渡っている。

 ホテルのフロントから、ボーイに案内されて、部屋に入ると彼も一緒に中に入り
 頼んでもいないのに、ここがトイレで、ここがシャワー、ひねるとお湯が出ると説明し始めた。
 いやいや、それくらいわかりまんがな(`‐ェ‐´)
 一通り説明が終わると、彼はチップを請求してきた。
 えーインドでは余程の高級ホテルでないとチップは必要ないって「ちきうの歩き方」に書いてあったような・・。
 だいたい払いたくても両替したときに100ルピー札しかもらっていない。
 チップに100ルピーは明らかに高すぎる。
 僕はお金がない、と言った。
 すると案内人は「NO、Chip??」と言って顔を険しくさせた。
 とても怖かったので、僕は思わず「Sorry」と謝った。
 金がないことを了解したらしい彼は、「Ok、Noproblem」といかにも問題ありげに吐き捨てて部屋を出て行った。
 ばたん、がちゃっ。
 僕はすぐに部屋をロックし、やっと一息ついた。
 は~~っ 疲れた。

 シャワーを浴びた後、あまり眠いとは感じないが、ベッドに横になることにした。
 眠りはすぐにやってきたが、午前四時ごろに目が覚めた。
 
 あ・・・・ここはどこだ?

 そうか・・・インドに本当に来ちゃったんだ。

 昨日の記憶がどっと押し寄せると共に不安の波がやってきた。
 胸がどきどきする。
 昨日の飛行機の中、気圧の変化で痛くなった左耳がまだ痛い。
 もう窓の外は明るく、コーランの詠唱?のような声がどこか遠くから聴こえてくる。
 近くにモスクでもあっただろうか。
 それにしても、日本で考えた旅のスケジュールをすべてこなしていくのががあまりにもハードで先が長く感じる。
 しかも今夜からは宿も予約していない。一人きり。
 旅を自分でアレンジして行かねばならない。
 とても眠れそうもないので、持ってきた安定剤を一錠噛み砕き、腹式呼吸を始める。
 いくらもしないうちに、意識のスクリーンを埋めていた鋭角的な不安はとりとめもなくぼやけた想いとイメージの断片に変化しふたたび意識の全体が闇の中に溶けていった。


 2006年 3月5日 デリー


 翌日、目覚めると、昨日の疲れはほとんどとれていた。
 しかし、今日からは本当に一人で旅をアレンジしていかないといけない。
 デリーでもう一泊して、翌日の早朝に列車でアグラーに向かう予定である。
 取あえず今日は、市内を観光ということになるのだが・・・。
 
 あぁ、億劫じゃ。わしは外に出とうないぞ! 

 チェックアウトタイムぎりぎりまで部屋に粘った僕は、ホテルを出るとリクシャーに乗るのは避けて、
デリーの中心部であるコンノートプレイス目指して歩いてみる事にした。
イスラム教の礼拝所である、ジャマー・マスジッドに行ってみたかった。
コンノートプレイス方向に歩いて、途中でオートリクシャーでも拾おうかと思った。
 街を歩き出してすぐにその雰囲気に圧倒された。
 牛がいる、ヤギがいる。むっとする臭気が漂っている。
 この空間の中で、デジカメ片手にリュックを背負い、ショルダーババッグをぶら下げた自分はなんと異質なことだろう。
 数人の子供達が、ハーイと言って走り寄ってくる。
 手を差し出して、握手を求めてくる。
 てっきり、何かものをねだられているのだと思い、完全にシカトした。
 子供達は、ヒンズー語でなにかぶーぶー言い、僕のリュックを後ろからぱしんと叩いた。
 最初の頃は、純粋に外国人と握手したがる子供がいっぱいいると言う事を知らなかったのだ。
 猜疑心でいっぱいだった。
 目的地までの手がかりは、「歩き方」のマップと、コンパス。
 自分がどこにいるのか全くわからない。
 まあ、昨日泊まったホテル自体どこにあるのかよくわかっていなかったので当然だ。

 一台のオートリクシャーが僕の近くに止まった。
 歩き回るのにも少し疲れていたので、これに乗ってジャマー・マスジッドに行こうと思った。
 料金を尋ねると、100ルピーだと言う。
 これは「歩き方」で仕入れたリクシャーの相場の二倍以上だったのですぐにふっかけられているのがわかった。
 「高すぎる。50ルピー、OK?」
 と言ってみると、以外にあっさりと了承した。 (※多分50でも高いです)

 勝った!インドに勝ったぞぉ!!

 と勝利感に酔った僕は愚かであった。
 デリーでオートリクシャーに乗ったら、目的地に着いて、独りきりになるまでは決して勝利感などに酔ってはいけない。
あとで自己嫌悪に陥るだろう。
 しばらく走ると、リクシャワーラー(運転手)がエンストしたと言って車を路肩に止めた。
 そして、ちょうど前を走っているリクシャーが自分の「ブラザーの」ものなのでそっちに乗り換えてくれと言われた。
明らかにどこか怪しい展開である。
 さっきのワーラーよりかなり若い男の運転する車に乗り換えて走り出すと、彼は、ジャマー・マスジッドに入るにはチケットがいる。
まず最初にデリーの観光局に君を連れて行く。そこでは必要なものは全て手に入るだろうと言った。
その時点で断るなり、車から降りるなりするべきだったかもしれないが、僕はこの展開に頭が全く追いついていなかった。
無抵抗のまま、あれよあれよというまに、小さなオフィスに連れて行かれた。
 もちろん、観光局などではない。得体の知れない旅行代理店であろう。
 小さな小部屋に案内されると、日本語を話すインド人が現れた。
 彼は旅行の日程や、ルートを根掘り葉掘り質問しだした。
 僕はただ、この展開に流されるまま、自白剤を打たれたかのようにぱくぱくと正直に質問に答えていた。
 そもそも、ジャマー・マスジッドのチケットを買うと言う目的で連れてこられたのに、なんでこんなこと喋らなきゃいかんのだ?
という根本疑問は頭には浮かばない。彼はインドマジックを使い、僕の頭を真っ白にし、抵抗力を奪い去った。
 僕は出発前日本からネットで「ちきうの歩き方」に乗っていたインドの旅行代理店に頼み、鉄道のチケットを予約してもらっていた。
まず移動手段である、鉄道だけは確保し、それに合わせて移動して行こうと考えていた。
 インド人は、その列車のチケットを見せてみろ、と言った。
 そして、ルートが悪い、これは二等の席じゃないか危険だ、などと一通りケチをつけたあと、
本当にうまく予約できているか電話で確認してやるからと言い、チケットを持って小部屋を出て行こうとした。
 その瞬間、なにか、こいつはヤベ━━━<(;゚;Д;゚;)>━━━!!というシグナルが背筋を走り、僕をとらえていたインドマジックの効き目が切れて、はっと我に返った。

 NO!NO!,いいですよ!

 彼の手から、チケットを奪い返す。
 するとインド人は黒いけど、白けたような顔になった。
 ふうーとため息をついて

 「アナタ~、日本でもこんなに疑い深いですか?わたし今、あなたの列車が何時に目的地に着くか確認してあげようとしました。
でも、信用されないと気分悪いです。そういう人とわたしビジネスできません
。」

 強引に連れてきてなに言うか。
 僕もこんなところで変なツアーとかに申し込みたくはないので、お互い様だ。
 しかし、そう言いながら帰してくれる気配がない。
 ホテルを予約していないのは危険だ。トラブルに巻き込まれる可能性がある、私がプール付きの高級ホテルを
安い値段で予約してやるからと説得される。もしや「トラブル」とはこのような状況では・・・
 僕はまた段々思考停止状態に陥り、結局、デリーのホテル一泊、アグラー一泊、カジュラホ三泊、バラナシ一泊、
計6日分のホテルを予約した。
 値段は手数料を含め合計7000ルピー(※当時で19.000円ほど)であった。
 旅を始めたばかりの僕は金銭感覚がまだ、曖昧でそれが高いんだか安いんだか瞬時に判断がつかなかった。
見知らぬ街で、毎回ホテルを探すより今ここで宿を確保しておいた方が楽でよいのではないかという思いもあって契約してしまった。
 さらにあと、1000ルピー出せば、今日一日、ガイド付きでデリーを案内してやると言われ、それも了承してしまった。
 
「あの~ジャマー・マスジッドに行きたいんですけど」

と言うと、
 
「今日は、イスラムの集会があるから危ない。行くなら明日にしなさい(*´∀`*)」
と。

 ・・・だったら、最初からそう言わんか~い!!(゚Д゚)ノ 
 



 しかし、まあ契約してしまったものは仕方ない。
 気持ちを切り替えて、案内付きの観光を楽しむことにする。 
 案内人はバブーという、28才のなかなか男前の兄ちゃん。
 赤ちゃんみたいな名前の癖になんかエロそうだ(笑)
 日本語は喋れないが英語の発音がとてもきれいで、聞き取りやすく僕の英会話レベルでも結構コミュニケーションが取れる。

 おー初めて、英語が通じるぞ、通じるぞ~~。゚(゚^∀^゚)゚。
 英語を話す自分に酔い、快楽物質が脳内にどばどば出てる感じ。
 いやーたいした会話してないけど、気持ちいいな。
 さっきの飛行機の中でのトラウマも挽回だ~。
 案内料金1000ルピーも、英会話受講料が含まれていると思えばいいよねーとポジティブシンキング。

 彼が運転する車で、博物館や、インド門、インディラ・ガンジー記念館などをまわった。
 インド門の前では、猿回しのおっちゃんが「Hello」と言って近づいてきた。
 「サルの写真を撮ってもいいよ」というので一枚撮らせてもらった。


           カシャ


 次にサルと一緒に写真をとってあげようと言い、サルを押し付け、僕のデジカメをとってシャッターを切る。
薄々勘付いてはいたが、一枚撮ったあとで、

 「これはビジネスだ。ギブミー・マネー」

 ときた。50ルピー差し出すと、それじゃダメだ100よこせと言う。
 僕は言われるままに100支払う。
 OK,それが君の仕事だと言うのはわかったよ。 
 でも、頼むからサルか僕かせめてどちらかに焦点を合わせてくれないか。。

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 観光名所を4ヶ所ほど回ったあと、バブーが僕を土産物屋へ案内すると言い出した。
  「君はクルターパジャマを買ったほうがよい」というのだ。これは白い生地のゆったりした上下の民族服なのだがこれを着てると、今後バラナシなどの観光地を回っても、みんなインドの人間だと思ってうるさくつきまとったりしないから便利だと言うのだ。

pajama.jpg


 なんとなくあやしい理屈だが、それも最もで、顔が日本人だったらこんなもん着ててもうるさくつきまとわれるに決まってる。
 ということに「後になって」気づいた。
 
 「値段も600ルピーほどでそんな高いものではないよ」とバブー。
  これももっとずっと安く買えることが後になって判明する。

  恐るべしバブー。

 実際に店に行ってみて、気に入らなければ買わなくてもいいと言うので、とりあえず物見遊山で店に入ってみた。 
 店内は置物や、民族服、カーペットなどが所狭しと積み上げられ、天井からぶら下がっている。
 すぐに店員がクルターパジャマを出してきて、試着してみろ、と言う。
 着てみると、涼しげで、結構気に入ったのだが

 「いくらですか?」と言うと

 「1000ルピー」とのこと。1000!デリー観光もう一日分!!
 さっきバブバブは600って言ってたのに~~。と恨みがましく思うが、数人のインド人店員に囲まれて
 ディスカウントや、買うのをやめるということが出来ない雰囲気に思われ、

 「OK、それ買います」

 と言ってしまった僕のほうがよっぽどバブバブであった。
 インドで物売りに萎縮してたら、あっという間に財布が空になること間違いない。 
 服を包んでいるとき店員がにやにやしながら、

 「Do you have a girlfriend?」と僕に聞いてきた。

 「yeah・・・」と短く答えると

 彼は「ほにゃらほにゃらら、ジキジキ~?」と言う。
 最後のジキジキという単語だけが聞き取れたので

 「え?ジキジキ!?」と聞き返すと

 ワハーッハッハッハッ

 ヒーッヒッヒッヒ  

 グヘヘヘヘ

 と周りにいたインド人が全員一斉にどっと笑い出した。
 よっしゃーっ!インドで初ウケ(σ゚д゚)σゲッツ!・・・っていやいや、その前にいったいジキジキとはなんぞや。
 ただ文脈上、なにかエロ系の言葉には違いあるまいと思った。
  

その後バブー兄貴の車に戻り、今晩宿泊予定のホテルに向かった。
 彼は日本語は出来ないが、「おっぱい」とか「ち●ぽ」とか下半身関係の日本語は詳しかった。

 「I Love you ってのは日本語でなんていうんだい?」と彼が言うので

 「アイシテルだよ」と教えるとバブーは

 「おっぱい、アイシテルぅうう~~!」と連呼しながら運転しだした。
 車がサリーをまとったインド人の若い女性の横を通り過ぎるとき、彼は車から身を乗り出すようにして彼女に 

 「おっぱーい、アイシテルぅううう!」と叫んだ。
 おいセクハラや~(´゚д゚`;)
 しかし向こうはもちろん日本語がわかんないので、ノーリアクション。
 彼はこっちを向いて「she doesn't understand」とうれしそうに( ̄ー ̄)ニヤリ。
 な・なんだこの低レベルの悪ふざけは(゚∀゚ ;)タラー
 しかし、僕も気がついたら彼と一緒に

 「おっぱーいアイシテルぅうう」と言っていた。
 
 さあ、さあ、みなさんご一緒に おっぱい アイシテルぅうううう
 
 半ばヤケになりながら、日本から遠く離れたインドの地で卑猥な言葉を口にしつつ、下ネタは万国共通であり
 おっぱいとは人種や言語の壁をを越えて、男たちを連帯させるすごいものであるということを認識した。
 そんな風にしてバブー兄貴とのデリー観光が終わった。
 正直、連れていってもらった国立博物館や、インディラカンジー記念館などは歴史的には意義のあるスポット 
 ではあると思うが僕としては、インド人と英語で話して、くだらない下ネタで盛り上がるという事のほうがビビッドな体験であった。
 デリーの市内は、空気が汚そうだったけど、街路の樹の枝にリスが走っていたのが印象的だった。



  デリー、二日目の夜。
 僕はメインバザールの安ホテルの一室で、電気を消したまま街の物音に耳を傾けていた。
 考えてみれば、インドに来たのはまだ昨日であった。
しかし、いろいろな出来事が起こるので時間の感覚が引き伸ばされているようだった。
空港から一緒にホテルに来た、あの二人の日本人の大学生はどんな一日をすごしたんだろう・・・・とふと思う。
僕と同じように、ツーリストを上客にしているインド人に捕まったんだろうか・・・。
でも、二人ともまだ若いのに独りでインドに来るなんてすごいなと思う。20歳の頃、僕はそんな度胸はなかった。
ただ、イメージの中でアジアの大地に憧れていただけだった。

 メインバザール周辺には、一泊200ルピーとか300ルピーで泊まれる安宿がたくさんある。
 そして、バザール・・・。
 衣類、履物、果物、家電製品、アクセサリー。
 あらゆる種類の店が、ひしめくように軒を連ねている。
 路上は、ゴミだらけ。牛がゆっくりと、道を横断する。
 どこで手に入れたのか、少年が大きなネズミのような動物を手にぶらさげて、足早に歩いていく。
 
 ホテルにチェックインしたあと、夕食をとるために外に出ようとすると、
ホテルの人がすぐ眼の前にやすくてうまい食堂があると教えてくれた。
 教えられた場所に行き、本当にここでいいのか看板を確かめたりしていると、食堂の店員が
 
ここだよ、さあ入って、入って。ちきうの歩き方にも載ってるよ

 と言った。
 僕はその瞬間げっそりし、「ちきうの歩き方」を持っているのが嫌になった。
 ツーリスト相手に商売しているインド人は、日本人旅行者がみんなこの本片手に旅行している事も知っているのだ。
こっちに勝ち目は無い。そして、それ以上に、自分がすごく無個性な旅をしているように思えてきた。
しかし、捨ててしまう訳にも行かない。
 まあなににしろそこで食べたチキンカレーは結構うまかった。
 
 明かりを消した部屋で、クルターパジャマーを着て、数珠を持ち、瞑想した。
 インドとは、シャクティそのものではないだろうか。
 ヒンズーの思想では、宇宙の破壊を司るシヴァという神様がいる。
 シヴァにはパールヴァティーや、カーリなどの妃がいるが、
この女神達はしばしば宇宙の創造原理である「シャクティ」と同一視される。
彼女達は、「静」の男性性に対して、「動」の女性性であり、生々流転するもの全ての母である。
 静止した永遠の存在であるシヴァに対して、生と死、光と闇、男と女、
など二極性の原理をもとに展開し常に動き続けるこの世界の根源的な創造力を供給しているのがシャクティ=女神たちだという。
 シヴァを「天」とするなら、シャクティは「地」である。
 その夜、僕にとっての「シャクティ」はこのメインバザールの喧騒だった。 
 やかましい物売りの声と、リクシャーのクラクション、生々しくそこで生きている人々の姿だった。
少年につかまれて、ぶらぶらと揺れるネズミの死骸だった。
 明日は、早朝の列車でアグラーに向かう予定だ。
 インドの「シャクティ」に身ぐるみはがれてしまうわぬよう祈っておこう。
 


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インドへなちょこ旅行 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2012/06/09 21:25
コメント
なめくじ
ぎゃー、なんかいろいろドキドキしました。続き楽しみにしてます。
Re:
 古野SAWAKO様

 どうも、よんでいただいてありがとうございます!(^ω^)
 6年前の記憶を頼りに加筆した部分もありますので、インドにお詳しい古野様の目から見て、変なこと書いてましたらツッコミをよろしくお願いたします♪
読んでいて20年前にインドを旅したときのことを思い出しました。
確かにデリーに着いてインド世界の真っ只中に立ったときもしかしてこれは映画のセットか?と思いました。
非常に非現実感が強かったです。
あとジキジキいうインド人もたくさんいて21世紀になってもあまり変わらないんだなあと…。
続きを愉しみにしています。
  白蓮様

 こんにちは!コメントありがとうございます♪

 やはり非現実感あったんですね。テレビで見てたりするから余計に、ホントにこれ本物??と思うのかもしれませんね。空気の匂いも景観も、常識もまったく違うから最初呆然としてしまいます。ジキジキをネットで調べてみたところ、アジアの広い範囲で使われてる言葉みたいですね~!

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