インドぐるぐる旅日記 2006⑤

 バナラシ 2006年 3月13日 


 翌日、ガンガー沿いのホテルはチェックアウトして、バナラシ最後の夜はデリーで旅行代理店で予約させられた、スーリヤホテルというやや高級ホテルに泊まることになっている。
 僕はまずスーリヤホテルにチェックインし、荷物を部屋に置いてから、近場の仏跡サールナートなどを観光しようと思っていた。スーリヤまでは、歩いていけないのでオートリクシャーを利用することにする。

 もう読んでて、リクシャワーラーとのやり取りは飽きてきた方もいると思うが、あえて書く。
 というのはそのリクシャワーラーのやり方は今までとちょっと違うパターンだったからだ。

 僕は、もうオートリクシャーに乗るときの『コツはつかんだ』と思っていた。
 高すぎるのには、自信を持って値引き交渉すること、そしてこちらの言い値でダメだという相手にはやめる振りをすること。
 こんな強く言っていいのかな?くらいでちょうどいい場合が多いということなどだ。

 僕が乗ったのは、オートではなく、自転車で引っ張るタイプのリクシャだった。 

rikisha.jpg

 (⁰︻⁰) ☝こーいうの(画像検索から拝借しました)

 リクシャワーラーの方から声をかけてきて、ホテルまで50で行くと言うので、意外とすんなり交渉がまとまった。ところがこの運転手は走り出してしばらくしてから

 「遠いから、やっぱり100ルピーだ」 と言い出した。

 えっΣ(゚д゚lll)今言う?
 
 しかし、こんなことで負けてたまるか。もうインドマジックには、マホカンタだ。(すみませんドラクエ世代にしかわからんネタ)

 「さっき、50って言ったぞ!」と強くいうが、シカトしやがる。

 「STOP!! もう降りる、から止めて」とかなりでかい声で怒鳴ると、しぶしぶ「OKOK」と最初の言い値で了承した。いやー俺もかなりたくましくなってきていはいるな、うん( ゚ー゚)( 。_。)

 と、そうこうしているうちにホテルに到着。料金を払おうとすると

 「very very hardね。100ルピーにしてください」と言った。

 えっΣ(゚д゚lll)まだ言う?

 まあ確かに、暑い日だし、自転車に僕を載せてここまではきついだろうなとは思ったので、

 「もうじゃあ、70あげるよ」というが受け取らない。
 どうしても100でないと嫌なようだ。プラス20上乗せしてるのに手を振って受け取らない。なんてわがままなんだ。おもちゃ売り場の子供か。やだやだ100ルピーでないと~゚(゚´Д`゚)゚が、こっちもそんな甘いことばっかりしたくない。日本人はふんだくり安いという観念を植えつけたくない。
 うーん、どうするかなとちょっと思ったが、70ルピーを彼の服の内側に強引にねじこんで、その場を離れることにした。追っかけてこなかったからひとまずOK!ここで、僕は料金を無理やり相手の懐にねじこむ、という日本ではほぼ使わないであろうテクニックを習得したのであった。


 あ~~~しかし普通に乗れたことないぞ、リクシャー(-_-;)
   
 このあと、ホテルにチェックインして、外に出た僕は、またまたハプニングに見舞われる。

 道を歩いていると、前方で子供たちがすごいテンションではしゃいでいる。
 ん??なんだろう?と思って見てると、みんななぜか顔や洋服が紫色の液体で、派手に汚れている。
 どうも手に色水のはいった水鉄砲を持ってるようだ。
 それを見たとたん、イヤーな予感に襲われた。

 4、5人が「Excuse me, excuse me sir・・・・」といいながら僕に近づいてきた。
 咄嗟に危機感を感じ、「ノーノー」と言いながら背中を向けてUターンする。
 水鉄砲から紫色の液体が、びしゃーーっ と、シャツの背後から浴びせられた。
 
 こらーなにすんねん!!・"(>0<)"・

 しかしこっちには対抗する武器もなし、なりふりまかわず逃げ出す。

 P3130134.jpg

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 (⁰︻⁰) ☝結局、このありさまで観光を続けることになってしまった。

 しかし、これも実は来たるべきハプニングの、プロローグに過ぎなかったのである!

 僕は単に、この辺の子供たちはこういう遊びが好きなんだろうと思っていたが、この色水鉄砲無差別テロには実はもっと深い意味があったのだった・・・・。


    
      其の5 ブッダガヤーのホーリーナイト


budda.jpg


 バナラシの次の目的地は、ブッダガヤーだった。
 あのブッダが悟りを開いた地として有名な場所だ。
 ブッダガヤーは比較的こじんまりとした村なので、鉄道は通っていない。
 最寄りのガヤーという街まで列車で行き、そこからはタクシーやオートリクシャーなどで向かうということになる。
 ガヤーへ向かう列車は、バナラシを朝の午前5時20分に出発する。
 列車には絶対乗り遅れられないので、かなり余裕を持って午前3時に起きた。
 オートリクシャーが駅に着いた時には、朝もやの中駅はまだ静まり返っており、あちこち、地べたに直接寝ている人がいっぱいいた。なんとなくそれは幻想的な光景に見えた。

 バナラシSt 2006年 3月14日

 いったいどういうことなんだろうか?

 もう発車時刻になってるはずだが、列車は来る気配がない。

 おかしい。もしかして他のホームに着てたらどうしよう・・・と周りの乗客や駅員を捕まえて、チケットを見せて尋ねてみるが、曖昧な返事しか返ってこない。うろうろしてるとそのうち5、6人のニホン人学生グループに出くわした。どうやら彼らも、同じ列車に乗る予定だが、列車が来ずに状況がわからず若干テンパっているようだった。ヒンズー語と英語のアナウンスはひっきりなしに聞こえるが、どうも何言ってるかわからない。

 「おかしいすよね。遅れてるんですか?」

 「うーん、僕もいろいろ訊いてみたけどちょっとわからないんです。」

 僕は心細い状況なのでそのまま思わず、彼らのうしろに金魚の糞のようにくっついて行きそうになったが、情けないのでそれは思いとどまった。まあこの状況は遅延としか考えられない。もう発車時刻は30分も過ぎてるが、乗り過ごしたということはないだろう。

 僕は落ち着いてベンチに座って待つことにした。
 ホームの鉄骨の柱には野生のサルがいっぱい走りまわっている。
 しかしここからが勝負だった。
 列車がどれくらい遅れてるか、いつまで待てばいいのかという情報が全く入ってこないのだ。
 
 午前9時を回った頃、僕は眠気でもうろうとしてきた。すでに駅に来てからゆうに4時間は経過している。
 昨日は、もっともっと旅を続けてやる!という気持ちになったと思ったら、今日はまた負けそうになっている。インドの底抜けの非常識さに。

 9時・・9時半・・・・・10時・・・・・・・10時半

 時計は段々ゆっくり~~としか進まなくなってきた。
 もうまだまだ来ないのなら一回駅を出て食事にでも行きたいのだが、情報がわからないからそれもできない。
 仕方ないので駅のホームで売ってるバナナを大量に食べて、お腹を満たす。

 11時半になろうとしたころだろうか。
 轟音とと主に、目の前のホームに列車が入ってきた。
 えーと、た・た・多分こいつだと思うんだけど・・・と確信がない。
 予約席なのでチケットには座席番号が書かれている。それをみながら、僕の車両を探すのだが、日本の新幹線みたいな1号車、2号車、とかああいうわかりやすい表示はない。いや相当テンパっていて僕が気づかなかったのかもしれないが。そうこうしながら、到着した列車の周りをうろうろしていると、ガタン!!と音がしてもう列車が走り出そうとした。ドアもしまってないのに、唐突すぎる!

 おいおいおいっー!!゚(゚´Д`゚)゚

 なんで6時間待たせて、そんなにすぐ走り出す!!時間を挽回しようとしてるのはわかるがなにもわからない日本人観光客のこともちーとは考えてくれーと心の中で叫びつつ列車に飛び乗った。すると僕のあとからさらにたくさんの人がなだれ込み、背中を押され、むっとする熱気がこもった車両の連結部に追いやられた。日本のあんなスマートな連結部じゃない。なんつーかホントに連・結・部!!て感じの、足元は金属で、不安定に揺れ続け、薄暗く、熱がこもりむっとする暑さ。そこに多数の人間が詰め込まれているのだ。その空間の中に、今度は前の車両から足の不自由な人が、腕だけで跳ねるようにぴょんぴょん移動しながら、物乞いをしに入ってきた。なんだここは現実の世界なのか・・・・あまりにも強烈な環境と暑さと疲労に頭がくらくらとした。
 ここにガヤーまで4時間もいるのか??
 もうダメだーっ!頼む日本に帰らせてクレーっ と僕は何回目かの心の絶叫をした。

 しかし、天の助けはいつも思わぬタイミングでやってくるようだ。
 僕が心の絶叫をした直後、車掌がやってきた、そして僕にチケットを見せるように言うと、「ついて来い」と言い、人ごみをかき分けて、指定の席まで案内してくれたのだった。あの時ほど駅員が頼もしく見えたことはない。僕はお礼を言って、親子連れのインド人の隣りの座席に腰をおろした。

 はぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~これでガヤーまでは安心できるなぁ~(;´Д`)

 と気を緩めすぎたのがいけなかったのか。

 うとうとしながら、それとなく時刻は気にしていたのだが、乗車後約4時間が経ち予定の時間を過ぎても、ガヤーにつかない。おかしいなあ。と思い、近くの人に聞いてみると

 「ああ、ガヤーはさっき通り越したよ(^ω^)」

 ぬはっっ(;゚Д゚)!

 さっき停った駅・・・もしかして、と思ったのだが、アナウンスが聞こえなくて降りなかったのだ。
 さっきのがガヤーだったのか!

 ど・ど・ど・ど・どうしよー

 とにかくこれ以上乗ってても目的地から離れるだけだ。
 降りなければ。
 次に停った駅で、僕は反射的に飛び降りた。
 
 降りた・・・降りたけど

 どこここ?

 小さな、小さな田舎の駅 駅に書かれた名前は

 KODERMA

 あっ、KODERMAか(;・∀・)

 って、どこやねん、それ(゚Д゚)ノ

  読み方もわからん・・!

 ガイドブックをぱらぱらめくるがどこにも載っていない街。
 プラットホームの向こうにはもう真っ赤な太陽が沈みかけている。

 お・おちつけ~とにかく明後日の16日にガヤに居れば、次の目的地オーランガバード行きの列車に乗れる。
 最悪今夜ここで泊まることになっても、明日の朝一番の列車でガヤーにつけば大丈夫。時間は十分ある。
 と、自分自身をなだめてみるのだが、決めてきたルートをドロップアウトしてしまい、西の空に沈みゆく太陽を見ながら、まったく地図にもない街にいるという事実は嫌が応にも不安をかきたてる。 

 とにかく戻りの列車のチケットを買うために、駅を出ようとしたところ、駅員さんに呼び止められた。

 「どうしたんですか?」

 「電車を乗り過ごしてしまいました、ガヤーに戻りたいんですが、どうすれば(カタコト英語で)」

 「ああ、それなら向かいのホームにガヤー行きの電車がくるからそれに乗ってください」と駅員さん。

 えっっ・・・・。
 ああ、そうか、そんな簡単なことか。
 幸い逆方向の列車がまだあるようで。
 日本で乗り過ごした場合と同じわけだな。
 ちょっとパニックになりすぎたかと、やや恥ずかしい。

 ホームから線路に降りて、線路を横断して向かいのホームに渡る。
 線路を横断するとか日本ではあり得ないが、インド人は普通に向かい側のホームに渡るときは
 ホームから線路に降りて、歩いていく。一番手っ取り早い行き方だw
 プラットホームから線路に立ちションしてる姿もよくみかける。
 どうやらインドではプラットホームは、トイレも兼ねているらしい。

 向かい側に渡って、次のガヤー方面列車はいつごろ来るのかと思案しながらしばし立っていると、一人の30代くらいのインド人男性が、どうかしたのか?という風に話しかけてきた。駅員さんではなく一般の人のようだ。

 僕は I miss the train・・・と乗り越してしまったことをなんとか伝えると、
 彼は、ふむふむ、そうかそうか、とうなづきながら聞いてくれて、最後に、右手を差し出してきたので、握手しすると、彼は去っていった。

 ん?(n‘∀‘)η

 それから数十分後、、、彼はまた戻ってきた。そして、ご飯をかきこむような動作をした。どうやら飯を食ってなかったら、一緒に行かないかと言っているようだった。付いていって大丈夫だろうか、また何かぼられたりするんじゃないかという警戒心も特になくOKと言って僕は彼のあとに付いていった。

 もう駅の外はすっかり夜。
 その駅前の広場に、屋台がいくつも店を出していた。
 僕らはその中の一軒に入り、僕はまたターリーを注文した。
 ホテルでは大抵スプーンやフォークが付いているのだが、ここではそういうものがない。
 やはり庶民にとっては手で食べるのが標準スタイルなのか。
 ということでインドに渡って初めて、右手を使って素手で食事をした。
 何分慣れてないので、ちょっと食べにくい特に熱いものをつかむのが結構大変だ。
 彼は、僕の食べる様子をただ見てるので、「食べないんですか?」と尋ねるが自分はいいと言って何も食べず、僕が食べるのを、じっと見ている。

 ああ、気まずいのお。のど通らんのお・・・

 この人は純朴ないい人ぽいというのはなんとなくわかってきたが、会話がうまく噛み合わなかった。何回かこちらから話しを振ってみるのだが、それに対して返ってくるのが超ウルトラインドなまりの英語だった。注意深く聞くと確かに英単語が混ざっているので、英語をしゃべっていることは確かだが何を言っているのかがわからない。今思えば、デリーで市街を案内してくれたおっぱいマンバブーは、なんと流暢だったことだろう。あれはきっと上手すぎるのだ。欧米女性のおっぱいと友達になるために死に物狂いで勉強したに違いない。

 食事を終えて、さっき居たホームに戻ると、彼も僕の隣りに腰をおろした。
 どうやら彼は僕が列車に乗るまで一緒にいてくれるつもりらしかった。
 相変わらず、会話は続かなかったが、それでも彼はじっと僕の隣りに座っていてくれた。
 彼が財布から一枚の写真を取り出して、僕に見せた。
 
 「she is my wife」という言葉が聞き取れた。
 古い、いくらか色落ちした写真の中には彼と、一人のインド女性が並んで写っている。
 結婚式だろうか。二人とも正装しているようだ。

 「she is beautiful」と僕が言うと、朴訥な印象の彼が照れたように少しわらった。
 もうこうなったら、この流れでいくしかないので、僕も財布から彼女と、撮ったプリクラを渡して、「僕のガールフレンドだよ」と言った。彼は、それをみて「very very beautiful!!」と何度も言ってくれた。

 が、話しはまたそこで終わってしまう(;・∀・)

 僕は悲しいかな今までの経験から最後まで、彼が金品目当てではないかという疑惑をどこかに持っていたが、最後にはそうではなかったとわかった。ようやく待ちわびたガヤー行きの列車がくると、わざわざ一緒に入って座れそうな席までとってくれて、向かいの席の乗客に「この日本人はガヤまで行くみたいだから、着いたら教えてやってくれ」というようなことを言ってくれているようだった。
 僕は窓から、彼に向かって手を振った。
 そのときやっと、純粋に親切な人だったということがわかった。
 列車を乗り過ごした知らぬ外国人のために、彼は、食事の心配までしてくれて、僕を屋台につれていき、列車がくるまでずっと僕のそばに居てくれたのだ。生真面目で無骨な感じの彼の言葉を超えたやさしさと気遣いがはっきり感じられた。もっと早くそれが感じられ、信じられればよかった。

 列車は漆黒の闇の中を走っていた。
 窓の外は原野なのか、民家の明かりも、電柱の明かりも、人工の明かりらしきものはほとんど見えない。
 ただその闇の中から、濃密な、緑と土の匂いが風に運ばれてくる。
 その列車は今まで乗った中ではもっとも庶民的な、各駅停車のローカル線という感じだった。
 向かい合わせになった四人がけの座席に、僕はインド人と向かい合って座っていた。
 
 と、突然車両の前のほうで、缶のようなものを叩き、リズムを取る激しい音とそれに合わせた大きな歌声が響き始めた。やがて同調するように歌声はいくつもいくつも重なり、乗客たちはそちらを振り返る。手拍子を取る者、一緒に歌うもの。車内は即興のライブ会場に早代わり。まるでそれに合わせるかのように車両の電気が、ちかちかとついたり消えたりした。このプリミティブなリズムと、歌声と、外の濃密な闇から流れ込んでくる夜の空気に僕は酔ったようになる。車内に響く音楽とリズムは、まったくの異邦人の僕をも自動的に、ある種の一体感の中に引き込んでいく。
 窓の外の闇にまた目を向けると、巨大な闇のかなたにひとつの大きな炎が燃えており、その周りを小さな火があやしく飛び交っているのが見えた。「狐火」という言葉が、頭の中に浮かんだ。 

 漆黒の闇の中、遠くのほうで、ちらちらと踊るいくつもの炎。あれは一体何だろう?
 街灯も、店の明かりもないこんな暗闇の中に揺れる炎は、どこかこの世のものではないような妖しさと美しさを持っている。

 列車がガヤー駅に到着したのは、21時過ぎ。
 今日もいろいろなハプニングがあり、朝の4時頃ホテルを出てバナラシの駅で電車待ち始めてから16時間くらいが経過。
 でもまだだ。ブッダガヤーまで今夜中に行っておこう、と僕は思った。ブッダガヤーまでは16キロ。だいたいオートリクシャーで2、30分の距離のはずだ。駅前にはまだこの時間でも運転手たちがたくさんたむろしており、僕はあっという間に囲まれたが、僕が100ルピーで行ってくれというと、みな一様に首を振り、

 それは(ヾノ・∀・`)ムリムリ(ヾノ・∀・`)ムリムリみたいな雰囲気だ。

 こいつら~口裏合わせてまたふっかけようってつもりか(。>皿<。)、しかし多勢に無勢だ。
 
 そんな僕を囲むリクシャワーラーの輪に、ターバンを巻いた男性がずいっと入ってきた。なかなか貫禄がある。頭のターバンから見るとシーク教徒なのだろうか。

 「いくらだ?」と言うので

 「100ルピー」と言うと

 「100ルピー、ok!カモーン」と僕を輪の中から連れ出してくれた。

 ひゃ~助かった、ターバン、カッコイイ最高!
 なかなか毅然とした感じの、信用できそうな運転手だった。
 というか、インドに来て初めて、「信用できそうな」という言葉を使ってもいいようなリクシャワーラーに出会ったと言ってもよい。
 こっち来る前にある人から「シク教徒は割合、信用できる人が多いよ。金にも汚くない。」という話しを聞いていたが、ホントにそういう傾向あるんだろうか。
 リクシャワーラーは「どっから来た?」「名前は何だ?」「仕事は?」「家族は?」「結婚してるのか?」「次はどの街に行くんだ?」などとひっきりなしに話しかけてくる者も多いが、彼は比較的無口で車に揺られながら夜の郊外の風を気持ちよく楽しむことができた。

 そんな彼が、「今はホーリーだ。君は良い時に来た!」と言った。

 街のいたるところでは、積み上げられた薪が燃え上がり、巨大な炎が夜空をなめている。
 炎の高さは数メートルにもなるだろうか。
 まるでゴッホの描く糸杉のように燃え上がり、至るところで夜空を焦がしている。
 ホーリー(Holi)は3月に、春の到来を祝って北インド全般で行われる祭りだ。
 そのお祭りのことは「ちきうの歩き方」にも書いてあったので知っていた。
 が、自分がそんなバッタリとこの祭りに出くわすとは想像していなかった。
 しかも奇しくもそのホーリー前夜に、僕はブッダガヤーに到着することになったらしい。
 
 オートリクシャーのずっと前方に、さっき列車の中で見た「狐火」がいくつも現れた。
 あ・・・また・・・一体なんだろうと目をこらしていると
 今度はリクシャーの進行方向の道路上に舞い踊る炎の群れ。
 あっと思う間もなく車は炎に突入し、その間を走り抜ける。
 ほんのつかの間の瞬間だったが、狐火の正体がわかった。わらかなにか燃えやすいものに火を点けて、それをひもで振り回している。
 小さな子供たちが何人もはじける炎を振り回しながら、楽しそうに走っていたのだ。
 これもお祭りの余興だろうか。
 もしかするとさっきの列車の中の即興ライブもお祭りの前夜だったからかもしれないなと思う。




 続く

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インドへなちょこ旅行 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/06/20 18:15
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