インドぐるぐる旅日記 2006⑦

               
                   
  
          其の6 熱気に揺れるエローラ

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 マンマッド 2006年 3月17日

 ガヤーから、マンマッドまで二等寝台の旅。
 狭苦しい空間の中で、体を丸めて寝たり起きたりしている間に時間の感覚も希薄になり、いつのまにやらマンマッド駅に到着していた。時刻は朝の6時。モハメドさんに見送られてガヤーをたってから、24時間以上が経過している。だが、マンマッドはあくまでも乗り継ぎの駅でしかない、次の目的地は、エローラやアジャンタ遺跡観光の拠点となる街オーランガバードなのだ。オーランガバード行きの列車は、午前9時50分にくるので、それまで4時間ほどここで時間を潰す必要がある。が、観光情報やマップもなくそれほど駅から離れる訳にもいかないので、24時間の乗車で固まったからだをほぐす散歩程度にとどめておいた。

 食事は、プラットホームで売っていた揚げパンのようなスナックを3個10ルピー(27円くらい)で買って食べた。でも微妙な味でお腹は減ってるけど全部食べる気がしない。物乞いの子供や、おばあさんがホームで待つ僕のところへもやってきて口に食べ物を運ぶ仕草をするので、僕はこの微妙な揚げパンを差し出すのだが受け取ろうとはしない。ルピーじゃないとダメなのか。彼らもこの揚げパンは好きではないのか・・
 
 汽車は定刻通りにマンマッドに到着し、2時間ほどの乗車のあと僕はオーランガバードへ到着した。
 それから24時間の列車の旅の間「ちきうの歩き方」を見てきめておいた「Maya hotel」という宿へ、駅前のリクシャワーラーたちを突っ切り歩いてたどり着いた。 幸い部屋もあいており、一泊300ルピー程度の自分で決めた宿に、やっと宿泊することが出来た。インドへ来て13日目・・・。今までひたすら振り回されて、成り行きまかせだったので自分の思い通りになったことが妙にうれしい。

 ベッドに横になってくつろぎながら思う。
 なかなか300にしてはいい部屋だ。
 喉が昨日の朝、ブッダガヤー滞在中からちょっとイガイガしていた。
 変な風邪じゃないといいな。せっかくよううやくブッダガヤー滞在中に胃腸の調子が普通に戻ったんだから。
 いちいち経過報告は省いていたがアグラーではじまり10日近く、腹痛と下痢が続いていたのだった。
 僕はベッドでくつろぎながら、またパイプを取り出すと、黒い塊に火をつけて、何回か大きく吸い込んだ。
 喉によくはないと思いつつ、やってしまう。
 どうもリラックスするためにこいつに頼る習慣がついてしまったようだ。
 なにしろ、これを使うと、まったく見知らぬ異国でも、そういうことが問題でなくなり無条件でリラックスすることができるのだ。日本でさえ不安神経症気味の僕にとって、これはインドの旅を心地よくする非常に貴重なものだった。例えて言うなら、僕は母親に抱かれたインド人の子供になり、彼がどこへ行こうとも母の胸に抱かれていれば不安を感じないであろうように、黒い塊を吸い込めば僕もこの初めてのホテルの一室を一種の安心できる母胎と化すことができたのである。
 そして僕は、少し危ないことをも考え始めた。 
 これ・・・・こんな小さい塊なんて、日本に持って帰っても絶対バレないだろうよ、と言う・・・。

 そして・・・・


 (/ω\)ん~なんか熱っぽいな・・・・


 (-_-;)ヤバ これ結構ヘビーな風邪かも


 (@_@;) んあー はあ はあ はあ・・・


 バタッ☆⌒(>。≪)
 
 こ・これは、風邪だ しかも結構熱ある気するし・・・

 なんだ感染症? 鳥インフル? まさか・・・ ああ、だるいキツイ・・・

 ベッドでひたすら寝てるしかない。

 効くのか必要なのかもわからぬまま、気休めに日本から持ってきた抗生物質を僕はぱくぱく飲んだ。(細菌に対するものなので、普通の風邪やウィルス性の病気には無効)
 ああ・・・明日もし悪化してたら、ホテルの人に頼んで病院を紹介してもらおう・・・。


 オーランガバード Maya hotel 2006年 3月19日
 
抗生物質がきいたのかはわからないが、体調は回復に向かってるようだ。
 一時は悪いことばかり考え、医者を呼んでもらおうかと思ったけど。ブッダガヤでもあまりゆっくりできなかったし、24時間列車に乗りっパだったりで疲れが出たのかも。変な病気だったらどうしようかと思ったが、この調子ならムンバイにたつ前にオーランガバード周辺で観光もできるだろう。ムンバイではいけたらエレファンタ島い行きたい。というか海の気に触れたいだけなのかもわからん。船に乗って・・・。

 2006年 3月20日
 
 朝、ぴくりとも動かない天井のファン。
 (また停電だ)
 汗をじっとりかいて目が覚める。
 体に力が入らず、頭もぼーっとする。
 今日も一日部屋で休んでいようかな。


 3月21日朝 

 不思議な夢を見る
 レストラン
 混み合っているが、そこで相席するとそれだけで一種の家族とみなされる
 僕の席は「9」という数字の席だ
 そこにはもうすでに1組の夫婦が座っている
 傍らには「100年の樹」というタイトルのCDが置かれている
 
 あたたかさと こまやかな感性に満ちた世界

 僕はそこが自分の席であり彼らと相席すると知っていたが、そこに行くのが恥ずかしく、気後れして、わざとウェイターに自分の席を尋ねたりした。ウェイターに案内され席に戻った時には、彼ら夫婦はもう席からたったあとだった。
 

 今日はからだをならすために、丸一日ぶりに外出する。
 「歩き方」に載ってた、オーランガバード駅近くの小さなレストランへ行く。
 看板にシルディ・サイババの絵が描かれて、店の中にもサイババの絵。


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 汗がだらだら流れるような暑さだ。
 店主とサイババの話しがしてみたかったが、英語が思い浮かばない。
 チキンカレーおいしかった。
 外の物売りからオレンジを3つほど買って、ホテルへ帰る。
 ベッドに横たわりうとうとするも、蒸し暑さにすぐ目覚める・・・

 それにしてもオーランガバードだけではないが、インドの大都市は空気が東京よりも汚い。
 ここは、かなり欧米化された街だ。
 道端に子供が座っていたり、牛がのうのうとしていたりインド的風情もあるがファーストフード店やファッション関係の店など、欧米的な店舗が軒を連ねる場所もある。
 そのうちマックとかケンタッキーも出来始めるのだろうか。
 しかしインドにはきっと100年後もいまと同じような暮らしをしている場所がありそうだ。

 3月21日 21:00pm

 ホテルの屋上にあがってみる
 星空と飛び交うこうもりたち
 
 神様なんて・・・人間が作った概念じゃないのか

 この星空を覆い尽くす言葉はどこにもない

 
 頭上に広がる星空に驚きつつも、体力が回復しつつある僕は、この旅全体に対していくらかネガティブな思いに囚われていた。あと4日ほどで、僕はこの旅を終えて日本に帰る。結局これはなんだったんだろう。前半は下痢と腹痛にやられ、後半は風邪にやられるような旅・・・。貯金を崩してインドくんだりまでやってきて何かを僕は得たんだろうか。いったい、これら全部にどんな意味があると言うんだろうか。

 僕はインドに来る前にやったように、これらの答えを求めつつ、眠りに入る自分の意識を観察することにした。
 そうするとまどろみかけた意識のそこから何か思わぬ答えが返ってくることがあるのだった。
 その時見えたのは、「階段」、ステップだった。
 それもまだ頂上にはたどり着いてはいない。
 登りかけの階段だった。

 階段。
 この旅は、では、なにか別の物事へとつながるワンステップに過ぎないということなのだろうか。
 インドという神秘的な国への旅。その中でなにか奇跡的な出来事や、出会い、驚くような変容を少しも期待していなかったと言えば嘘になる。だが、今回の旅、それはより驚くべき旅へのひとつの準備なのかもしれない。もし、これが次につながるものならば、どんな経験といえども決して無駄になることはありえないだろう。僕はただ、ステップにいるに過ぎない、そこには必ず「今」があるからこそ現れる次の一段がある。何も無駄になることはない。それは不思議に心を安らがせるイメージだった。


 エローラ 2006年 3月22日


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 まだ体がだるく、完全に回復してはいないがオーランガバードも今日が最後。
 昨日頼んでおいたタクシーに乗って、エローラまで行った。
 
 エローラは熱気と、僕の内部の疲労に揺らめいていた。
 何もかも非現実的だ。
 一体どのような情熱とエネルギーがこれだけの神々の像を彫らせるのか、僕にはわからなかった。

 恐ろしい数の洞穴とまたヒンズーの彫像が存在し、そのすべてを見る気力はまだ到底なかった。

 CAVE16カイラーサ寺院の巨大さはもちろん圧倒的なものがあったが、個人的にはなぜか小さな仏教の寺院にハッとするものを多く感じた。

 それと誰も人がおらず、静けさに包まれていたジャイナ教のCAVE31がよかった。
 聴こえる音といえば、小鳥のさえずりや、遠くからのかすかな人声。
 それらが途絶えるとすぐに悠久の沈黙に溶けいってしまう。
 沈黙
 蝉の声
 日に焼ける岩窟と
 綺麗な色の鳥たち
 何かを探しているように石の回廊を走り抜けるリスたち。

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 これがもし観光地ではなく、例えばたったひとりジャングルの奥地へわけ入り、偶然幾重にもつたがからみついたこれらの巨大遺跡を見つけたのだとしたら・・・体中が総毛立つような興奮を感じるだろう。

 もともと廃墟・遺跡とは、そこにたった一人で向かい合うものだ。
 そうしておおきな時と一人で向かい合ったとき、始めて遺跡はその真の物語を語りだす。
 時の重みと、過ぎ去った無数の祈りの痕跡を

 どうも僕はこの旅において、ヒンズー的なものよりも、仏教がインドに残した痕跡に心惹かれてるように思えた。なぜか?ヒンズー的な神々のダンスは日本人の集合意識にはあまりに異質なのか、あるいは、僕がもし過去世インドにいたことがあるなら仏教的なものとの結び付きの方が強かったのだろうか。

 そんな思考も熱気の中でゆらめく、確かめようのない妄想に過ぎない。

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 エローラ遺跡群の中で、日本人の女の子とひとりすれ違った。
 真っ赤に日焼けした顔で、案内らしきインド人とも楽しそうに話し、元気に挨拶してくれた。
 会う人皆が、なぜか僕よりもしっかりと旅を楽しんでいるように見える。
 比べることに意味がないとわかっていても、なぜかそんな気分になってしまう。
 
 明日の朝には、もうムンバイーだ。
 そこは今回の旅の最終目的地である。


 ムンバイー行きの列車は、オーランガバードを夜の22時頃に出て、翌朝7時にムンバイーに到着する予定だ。
 夜遅くの駅で列車を待ってると、二人連れのインド人が話しかけてきた。
 二人は友達同士のようだった。
 日本語はしゃべれなかったけど、英語でどこの国から来たのかとか、どこへ行くのかというような話しをした。「日本遊びにきてくださいよ」と僕が言うと、彼らは苦笑いして「行きたいけどね」という感じだった。やはりごく多くの一般のインドの人にとって海外に行くということはまだまだ現実味のないことなのだろうか?
 
 「君の名前は?」と尋ねられ
 「マエダ○○」だよ、とフルネームで答えると、彼らの一人は、僕の下の名前より「マエダの方がいい」と言って、僕のことを「マエダ」と呼び出した。ファーストネームも気にいって欲しかったが仕方ない(^v^) 彼らのうち一人は物静かで、僕と友人との会話を聴いていることの方が多かった。今こうして思い返してみると、交わした言葉はあまり覚えていないのだが、確かに気持ちのやりとりをしたという感覚は残っている。拙い外国語でコミュニケーションすればするほど、こころのキャッチボールのような感覚に敏感になるようだ。

 30分以上は話していたと思うが、彼らの列車の方が先に来るので、そろそろお別れになった。
 よく喋る方は僕の手帳に自分の住所を書いて、「手紙送ってくれよ」と言った。
 二人と握手して、さよならしたあとホームをうろうろしていると、走り始めた列車からさっきの彼が顔を出し、「グッバーイ!マエーダ!!」と手を振った。

   
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             其の7 ムンバイー ~大地・尽きるところ~

  ムンバイー 2006年 3月23日

 オーランガバード→ムンバイー行きの列車は定刻より40分ほど遅れたが、無事発車し翌朝の8時にはムンバイーCSTに到着した。三段式の寝台車、枕も毛布もなく咳も出て少し寝苦しかったが・・・

 インドのホテル泊は今日が最後。
 最後くらいは見晴らしのいい、できたら海が見えるところに泊まりたいと思った。
 駅の近くで声をかけてきたタクシードライバーがいたので、海岸沿いにタージマハルホテルなどが並ぶインド門近辺まで行きたいと言ったが、

 「そのあたりのホテルは全部高い。自分は300ルピー程度の安宿を知ってるのでそこにしないか?」と言った。ムンバイーのホテル事情はあまりよくなく、確かに値段の高いホテルが多いと聞いていたので、とりあえず部屋を見てみることにした。

 しかし行ってみると、300RSの部屋は、部屋にベッドがふたつあるのみ窓もなく、トイレシャワーもないのでそのホテルの600Rsでトイレシャワー付きの部屋に泊まることにした。が、案内されて部屋を見ると確かに一応設備は悪くないのだが窓から外をのぞくと、下の街路はゴミ捨て場のように汚く、誰も通らない路地が見える。他に見えるのは向かいの建物の壁。なんとなく気が滅入る。

 しかも、僕がいるこの場所は、いったいムンバイーのどこなんだろう?
 やっぱり最初に決めた通り、インド門まで行ってホテルをさがすべきだった。
 そうすれば今頃、海が見える部屋にいたかもしれないのに。
 自分はまだこのゴミゴミしたインド的路地裏の風景に囚われている。
 明日で旅も最後だというのに。
 そう思うと、気がさらにどんどん滅入ってきた

 あー海が見たい。
 
 クラクションも、物売りの声もない、開けた風景が見たかった。
 大地の匂いではなく、海の匂いに触れたかった。

 このどこまでも続くかに見えるこの群衆、大地もどこかで終わることを確認したい。
 あらゆる多様性が、単一性へと回帰する地点。
 それは、海だ。

 特に行き場所を決めずに、正午過ぎにホテルの部屋を出る。
 フロントでホテルのアドレスをもらっておいた。
 足はやはり、海が見える西の方角へと向かっていく。
 ムンバイー
 交通量、人の数、店の数、騒音 何もかもToo muchだ。
 しかし声をかけてくる人は少なく、自分のペースで歩き風景を眺めることができる。
 それだけここは都会であるということか。


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 だがここはやはりインドなのだ。
 道端で、毛布にくるまって寝ている人がいて、その上からものすごい数のハエがたかっている。
 それはホームレスというよりも、衰弱して、その場所で死を待っているようにしか見えなかった。
 
 僕はひたすら西へ西へと海のある方向へ歩いて行った。
 やがて大地が終わった。
 目の前に青いアラビア海が開けていた。

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インドへなちょこ旅行 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2012/06/27 15:18
コメント
旅日記
「なにもかもとぅーまっち」たしかに~。

マンマッド、たしかそっから車で1時間弱?くらいで、シルディサイババの村なんですよ。
シルディサイババのお墓もある。

私もいつかエローラ行ってみたいです。

ムンバイの砂浜きれいですね!(少なくとも写真ではきれいに見えます~)


インド青年?の二人の表情見るとマエダさんとどんな感じで時を過ごしたのか伝わってきたような気がしました。


「インド」にくいついてごめんなさい。笑

SaiRam
 
 古野SAWAKOさん、ありがとうございます♪

 え~
 シルディサイババの村が、マンマッドからちかいのですか?(;゚Д゚)!
 まったく知りませんでした。知ってたら、行ったかも・・・!
  
 次行く時はサティアサイババの街にも行けたら行ってみたいと思っています。
 できたらサイババが体にいる時に一回お会いしたかったのですが

 ムンバイのビーチは結構きれいでしたよ。
 夜中の駅で会った二人は友達感覚で話してくれたので、なんかなごみました^^


マンマッド
はいたかさん


お返事ありがとうございます。

私の記憶ではシルディ村はマンマッドからタクシーで1時間弱だったと思います。
マンマッドは確かたくさんの列車が来る大きい駅ですよね。

ちなみにシルディ村に一番近い駅はコパルガオンという小さい駅だったと思います。

コパルガオンからはタクーシーやリキシャで30分くらいだったと思います。

どっちも、駅で降りて「シルディ」に行きたいというと連れて行ってくれると思います。

コパルガオンとサイババアシュラムの最寄り駅
(SSSPN シュリサッティヤサイプラシャンティニラヤム、という名称だったと思います→駅からアシュラムまで10キロくらい)も
デリーからバンガロールをとおってマイソールまで行くカルナータカエクスプレスで1本でつながってます。(コパルガオンからSSSPNまでの乗車時間は一晩)


11ヶ月くらい前から、ガリプラットとかいう、バンガロールとシルディのみを結ぶ専用列車も週2本くらい出てるらしく、
それは聞いたとこによると、「ガリ」→プアーの意味らしく貧しい人でも富める人でもどの車両でも同じ乗車料金らしいです。

この列車はシルディの村の中まで乗り入れてると今聞いて、そんな列車の出現に、わたしも今ちょっと驚いてるところです。笑


インドは疲れるけど、旅行するにはその適当さがなんでも起こりうるかんじで面白い国ですね。



サティアサイババの町はさいらむさいらむのサイばばわーるどがOKだったら、過酷な旅に疲弊したバックパッカーには良い保養地となっています。笑

西洋式の食堂もあるので食事もOKだし、単独だったらアシュラム内のドミにベッドを借りて宿泊できます。

(グループや家族連れだと個室とかになります)

話の種に一度訪れるのも面白いかもと思います~。


さいらむ 
Re: マンマッド

 古野SAWAKOさん、情報ありがとうございます!
 感謝です♪(*^▽^*)

 シルディ村は行けるかわからないのですが、サティアサイババの街には是非行ってみたいですね~
 ドミトリーがあるのですね。
 確かに、なんでも起こりそうってわかります。
 自分が列車の遅延とかにでくわすと、相当イライラしますけど、なんかその適当さが好きっていう自分がどっかにいたような(笑)あのルーズさみたいなのは、ずっとなくならないでほしいと思いました。

 

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