魚の日

「あわの歌」はかつて国が乱れ、言葉が乱れた時に歌われ、その状態を整えたと言われているらしい。

 「言葉が乱れた時」というのは、まさしく現代もそうだと思うけど、これは「正しく美しい日本語が使われていない」とか以前に、「言葉」の聖性が剥奪されている状態を意味しているのではないかと思った。

 言葉の聖性というのは、言葉を光と捉えるような見方であり、宇宙の根源的なプログラムであると捉える見方だ。現代の言葉は、ただの記号、コミュニケーションの手段としてのみの側面がクローズアップされている。これは、言葉の「物質化」とでも呼べるような状態だ。
 言葉が垂直次元とのつながりを喪失し、平面的な意味しか持たなくなっている。

 それが「言葉の乱れ」の根本にあるのではないかと思う。
 言葉などというものは、いつも新しく「若者言葉」が日常化して、どんどん変遷していくものだから「言葉の乱れ」などと嘆くこと自体が頭が固いというような意見もあるが、「言葉の乱れ」の根本は、その言葉への意識、言葉を聖なる光と見る観点の喪失だろう。

 もし、創造の原理としての言葉(垂直方向の存在)と、コミュニケーションの言葉(日常言語)が同じ実体の二つの側面であるという意識が浸透していれば、軽々しく人を罵倒したり、ネガティブな事を口走ったりはなかなかやりにくくなる。そのような神の言語を僕らは話しているという認識をもつことによって、初めて「言葉の乱れ」はおさまるのではないかと思う。

 意味的垂直次元の喪失は、あらゆることに及んでおり、僕は最近、ごく当たり前の事物や行動についての認識を実はとんでもなくあやまっているのではないかと思うことがよくある。
 
 これは半田広宣さんの「シリウス革命」の一部を読んで思ったこと。

 科学的思考の発展の上で、コペルニクス的転回、いわゆる天動説から地動説への展開は、理性の目覚めとして語られることが多い。それはもちろん、科学者であればそう考えるだろう。しかし人間の霊性を考える人たちも、このコペルニクス的転回を魂の目覚めとして歓迎することが多い気がする。

 閉じた天蓋が開かれ、その外側に無限の太陽と、無限の地上世界がある可能性に人は目覚めた、という訳だ。

 そこでスターウォーズや、スタートレック的想像力の端緒が開かれた。
 確かに星の海と、その永遠の歴史、そこに存在するであろう知性や不思議な現象の数々はロマンを掻き立てるものではある。
 しかし、僕はそれと引き換えに失われていった世界観があったような気が以前からしていた。

 それはこの地上の意味の喪失である。
 ここは神のつくりたもうた唯一の世界ではなく、宇宙に浮かぶ無数のつちくれの一片と化してしまったのだ。
 「天」がある上方は宇宙空間では、上でも下でもなくなり、南米にとっての天国は、日本人にとっての地獄の方角にあるに過ぎない。
 コペルニクス的転回と、宇宙空間の認識により、「上下」という概念に含まれていた超越的意味はその多くを失った。

 宇宙空間に絶対的な上下があるわけではなくなり、ただ惑星という球の中心に向かい重力のベクトルが働く方向を僕らは「下」と呼んでいるにすぎないのだ。
 この方向の相対化というものはやはり、現代のあらゆる価値の相対化と、垂直次元の喪失と関係しているように思う。

 だから僕は、学生の頃、バイブル原理主義的世界観に生きる人の意識は、現代科学的世界観に生きる人の意識に比べて本当に無知だと言い切れるのかとよく考えていた。そりゃ確かに、神が七日で世界を創造したとか、エデンの園や、ノアの洪水、黙示録の預言をそのまま信じることはできない。
 だが、神の創造した世界に人は生き、その摂理の中でものごとは動いているというはっきりとした感覚、この目に見える生命現象のすべてが絶対なる知恵や実体に基づいているという感覚、それらを彼らがバイブルという触媒をもとに持っているのなら、不安と不確実さに怯える現代人よりもある意味で、勝っているのではないかとそう思った。

 僕らは孤児ではない。
 常に、どこにいても宇宙の父母とともに生きている。
 そしてすべてはその絶対なる無限のあらわれである。言葉も、生命、動物も、植物も、人も、昆虫も、水も、風も、火も、大地も、太陽も、月も・・・そのように、あらゆる現象がその垂直的次元を取り戻す時、僕らはエデンの喜びを、この世界に生きながらも体験することができるはずなのだ。

 「シリウス革命」の中で、それは神の臨在であるパルーシアと呼ばれていた。


 僕は断言していい。
 イエスキリストの意識は、いや無意識の海に沈んでいたプレアデスからオリオンへと至る人類の創造の記憶は、もうまもなく、そのすべてが甦る。世界六十億の人間たちの覚醒として、そして、また歴史の中に息づく数え切れない死者たちの魂の復活として。

 その時、人間は、自らが火であり、大地であり、風であり、水であり、太陽であり、月であり、星であり、銀河であり、歴史であり、言葉であり、死者であり、他者であり、時間であり、空間であり、・・・永遠であることを知るだろう。そして、この覚知こそが世界の完成、神の臨在たるパルーシアなのである。その時、天上と化した地上は、光り輝く黄金の十字架で埋め尽くされる。聖なる大地、聖なる地平、そして聖なる眼差し・・・その眼差しに照明された日こそが、あの伝説の「魚の日」なのだ。



 1999年 半田広宣著 「シリウス革命」より


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アセンション考 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/07/20 22:00
コメント
3/16半田広宣講演会in京都
はじめまして。
関西ヌーソロジー研究会を主催しております、Awakes(統心)と申します。
失礼を承知で、半田さんやヌーソロジー、オコツトに理解のある方々にむけて告知をさせて頂いています。
3月16日京都で半田さんの講演会をします。詳細は特設ページをご覧下さい。
既に情報をキャッチしておられて申込済みでしたらゴメンナサイ。
以上よろしくお願いいたします。

「2013:人類が神を見る日」著者
半田広宣2013講演会3月16日in京都
特設ページ www.kansai-noos.com
 Awakes様

 半田さんの著書はとてもインスピレーションをかきたてるものですね。僕はちょっとスケジュール的に参加できそうもありませんが、必要な方に伝わりますように~☆パルーシア万歳♪

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