自然のエネルギーにすっぽりと包まれて時間が過ぎていくと、細かいことや、先のことがどうでもよくなっていく。

 鳥や、虫の声、草木の匂いなどが通常の脳の働きと、違う場所を機能させ始めるかのようだ。
 そしてそこに存在する命の数、一本のおおきな樹の内部、草むらの中、土の中にも、存在する圧倒的な生命の個体数が、自然のパワーそのものでもあるのかもしれない。

 木の根元にしゃがみこんで、幹を這うアリの動きなどを目で追っていると、『その時間の流れ』に一体化してしまい一瞬自分がどこにいるのかも忘れてしまうようだ。そして思うことは、これらの命の活動の方が、僕ら人間の行なっている様々な価値活動、経済活動よりも本質的な、マクロな世界ではないかということだ。

 つまり彼らは自然の中にいると感じるある超越的な知性に基づいて活動しており、それは人間の硬直的かつ近視眼的な知性活動と異なった原理に基づいている、

 蟻や蛾が活動しているのは、銀河や惑星の世界なのだ。

 そして僕らが通常生きているのは、「文化」や「常識」という人間的知性の囲いの内部である。

 思うに、これらの世界と人の意識とは、かつては連続的につながっており、僕らは多くの生命宇宙とコミュニケーションすることができたのではないだろうか。しかし、これらの世界との連結を妨げる人間特有の意識活動が始まったことにより、僕らはそれを忘れてしまったのではないだろうか。

 足元を見ると、蛾のような虫が歩いている。
 まだ羽が短く、蚕に小さな羽が生えたような、まるでやじるし → のような姿をしている。
 その動きもとても不器用だ。
 至るところで、つまづき、ひっくり返り、じたばたして、木の根っこにたまった雨水に溺れそうになったりしながらも一心にどこかに向かって歩いていく。
 やがて一本の木の根元にたどり着くと、その幹を登ってゆき、ある箇所でじっと動かなくなった。
 彼はそこで変容の瞬間を待ちわびているようだった。
  
 20分ほど経って、その場所に戻ってみると、もうすっかり羽が長く生え揃った一匹の蛾が樹の幹にとまっているのを見た。

 「すごいね、おめでとう」と僕は言った。

 一匹の完成した生命がそこに息づいていた。
 背後でカラスがぎゃーぎゃー鳴いている。
 もしかしたら、この超越的な智慧に導かれて、ある生命を完成させたこの生き物も、一瞬のあとには捕食者に食べられてしまうのかもしれない。

 しかし、それにも関わらず、無限の生命が、誕生と完成をその不可思議な知恵と情熱、衝動に導かれて、成し遂げている。この世界、この宇宙。

 
 『世界の進歩などより、一匹の蟻の行進にわしは意味深いものを見た

 というインディオの言葉。その意味が少しわかるような気がする。






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知覚、リアリティetc | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/07/26 00:15
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