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楽しいことあった?



 昔から、「楽しい事あった?」と尋ねられるのが少し苦手だ。

 なぜか考えてみた。

 おそらく「事」という言葉があるからだろうと思う。

 楽しい「事」という何か特別なことが起こってなくても、気分はいい場合はある。

 でも「楽しい事?えーと特にないなあ」と答えると、自分でその「事」に依らない楽しさを否定しているようで、なんかブルーな人のような気分になるからだろう。

 「楽しい、ある?」と訊かれると答えやすい。

 今、楽しいか、楽しくないか、これはわかりやすく答えやすい。
 ただぼーっと座ってるだけでも、すごく楽しい時はあるし、つまらない時、イライラするときもある。

 楽しいは、必ずしも「事」に依らないと思う。

 逆に、何か特別なことが起こったら、それがストレスになりまったりした楽しさが失われることもある。
 
 だから「今日は何もないけど、なんか楽しいなー」という気分は大切な気がする。

 雨の音聴いてるの楽し~っ とか
 深呼吸してるの気もちよくて、楽し~とか

 一見地味だけど、そういう楽しみは「事」に依らず、日常的に手に入るので実はとてもしなやかで強い。

 言わば放っておくと、アスファルトの隙間からも顔を出すような雑草みたいな楽しみ。

 バラや百合が咲いてる庭ではなくても、雑草が適度に生い茂っていれば、たくさんの蝶やミツバチがやってきて賑やかになるかもしれない。

 そのようにささやかな楽しさは、さらに毎日を豊かにしていく基盤のようなものかもしれない。 

 最近はオポノポノなんかもメジャーになってきたし、ポジティブなアファーメーションを口にすることの大切さを書いた本も多い。

 昔からある、神様の名前を唱え続ける「ジャパ」というのもある。

 でも僕は、こういうオポノポノ的なことや、ジャパを必死でやってて、

 ある時、えーと、俺って今ホントにこんな必死にやんなきゃいけないいけないほど、追い詰められてんの?

 と思った。

 もしかしたら、こうやって何かにすがりつこうとしているその姿勢、その態度自体が、大きな勘違いをもとにしてるのでは・・・と。別に、そんな大層な状況じゃないかもしれないのに。

 あー神様、神様・・・虚しいですー疲れましたーもうダメですーとやってたような気もする。

 アファメーションには大きなパラドクスがつきまとっているように思え、

 例えば「全ては完璧」とか唱え続けているとすると、「全ては完璧なのに、なんであなたは、そんな必死で完璧、完璧って唱えているんですか?それは本当は完璧って世界にいないからですよね」という疑問が生まれてくる。

 結局すべての行動は、その行動自体を動かしているエネルギーの質が重要で、不安、イライラ、欠乏などが動機になるとその「不足の自分」が元になる。ひふみ神示でいうところの「キ」となる。

 ここで重要なのは、実は単純な自律神経のスイッチングではないかとも思う。

 呼吸法などによって、雑草のような快、「楽しみ」が増大すれば、今に対して受容的になり、『アファメーションをする自分』の質が変わる。行為主体が「歓びの自分」に少しシフトするのだ。  

 それによってアファメーションが実現するかどうかとかそーいうことは僕は一切わからないが、なんかこれは呼吸と組み合わせることで有効になるのではという予感はある。

 ただ言葉や、イメージのみではこのスイッチングは難しく、同じような心身の活動領域をループするような気がする。

 発声練習を一定時間続けていると、口先だけから、体全体で歌ったり叫んだりしている感覚に徐々に切り替わっていくのがわかる(相方に「すごい・・マイク使うよりうるさいよ」と言われたことがあるw)けど、呼吸法も続けていると心身の活動領域が頭のごく一部から体全体に拡張していくような感覚が感じられる。


 脳、意識、身体の活動領域を移すこと、拡張すること そのことにより

 このwhollyな状態にシフトすることが、楽しさや、歓びの根本にあり、それは~を叶えるためというよりもそれ自体が楽しく、気持ちいいものだ。




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セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/08/17 22:02
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