言霊セラピー

 
 この頃、言葉のもつ力についてあらためて実感していることがある。

 なんかこれもまた前振りがあって、その前フリは多分、Kさんという女性のクリアボイスセッションを受けたとき「あわの歌」というその昔言葉が乱れた時に歌われたという言い伝えの歌を教えてもらったことかもしれない。

 そしてなんだか今年からは発する言葉の現実化力が強くなってるというのも聴く。
 このことを僕が感じるのは、ここ数ヶ月とか一年くらい振り返ると、なにかをイメージしたりある話しをした場合の、「その世界に入る」という感覚がなんか前よりも強くなっているように思うからだ。で、感覚としては、その別の世界に入ると、さっきまでの世界はあんまりあとをひかない。容易に切り替わる感じ。

 だからある言葉を発すると、以前よりも「その世界」に意識が同調しやすい。
 そのため自分がどの世界にいたいかということをはっきり意図することが、とても重要になってる気がする。

 先週は相方が好きな、沖縄在住の精神科医の先生の講演会に行って、一緒に

 「私、てんさーい!」とか「私、大好き!」とか叫んできた。

 最後にはみんなでカニ踊り(ネタバレ)を踊って、「あれ・・・・俺ってこういうやつだっけ?」と一瞬ゲシュタルト崩壊。

 ちょっと自己啓発セミナー的な・・・(-_-;)

 まあ、楽しかったからいいんだけど(*^^)v

 そいうのもあったりして、言葉ってやっぱ大事だなと。 

 ウザイ世界 ムカつく世界 死んだらいいのにの世界にいたいのか 

 ありがたい世界 うれしい世界 命の世界にいたいのかをはっきりさせて、もし後者が好きならそこに近づく言葉を選択したほうがいいのかもしれない。

 「ありがとう」とか「愛しています」とか「全部うまくいっている」とかは万人向きの言葉の方舟になる。

 しかしより、ピンポイントにその人のコアビリーフを変容させるような言葉のセラピーも可能なんじゃないかと思った。
 まず日常会話や、悩みの相談などでその人の会話に頻出する単語や、センテンスをとらえそれがどのようなコアビリーフとつながっているかを分析する。

 例えば、携帯に『また変なメールが来たよー』と何気なく言う人がいるとする。

 見てみると、それは楽天かなんかの宣伝メールで、自分で登録したものだ。
 別に『変なメール』ではない。
 そのような場合、その人は、『変なものが来る』というコアビリーフを持ってる可能性はある。
 例えば、変な人が寄ってくるとか、なんか変な出来事によく会うとかだ。
 そのコアビリーフ変容のサポートとなるような、なんらかの言葉とかイメージを処方するということはできないのだろうか。
 素敵な出来事とか、妖精とか、可愛い動物や、子供たちがたくさん寄ってくるようなイメージとか、そのような文章とか。

 その改変の方法がそのようにうまく行くかはちょっとわからないが、何気ない口癖や言葉の選択が潜在意識の信念を表しているということは確かだと思う。

 無意識下の不均衡が大きいほど、使用する言葉も偏ってくるのでわかりやすい。
 例えば、今日、こんなことに気づいた。

 仕事で関わる障害を持った人のよく使う言葉が、『全然わからない』というものだった。

 左脳に障害が出ているようで、いいたいことを表現する適当な言語が出てこなかったり記憶が曖昧なとき、『全然わからないわ』という。すごく言いたいことを伝えられないというジレンマが強く見ていてこちらもちょっと辛く感じる。

 でも理解してほしく、『(言いたいこと)わかった?わかった?」と尋ねられる。
 が、僕もテレパシーが使えないので、なかなか理解できないでいると時々

 「なんでわかんないの?あれだよ、あれ!」

 とか「もーわかってねえな!」と軽く責められることがある。
 
 自分の「全然わからない」が、人に対する「なんでわからないんだよ!!」に転化する。
 そしてその裏には、きっと「わかってよ!!」という想いがある。
  

 そこまで考えて、それは本当に言いたいことを「わかってよ」ということだけだろうか?
 と思った。表面的にはそうなのだが、もっと深層のレベルでは

 「僕の痛みをわかってよ

  僕のこころをわかってよ

  僕の存在をわかってよ

  なんでわかってくれないんだよ」 という強い願いがあるような気がしたのだ。

 潜在意識のわかってもらえないというコアビリーフが、病気の症状や、それに関連した口癖として表現されているのを僕が聴いているように思えた。

 それはその人の生活の中に垣間見える、ある種ニグレクトの犠牲者的な雰囲気からも考えさせられることだった。

 そしてそれは僕自身のコアビリーフの成分としても存在するものではないかと思う。
 だからこそ何かがシンクロして、僕はその人の「わかってよ」という言葉を聴いている。

 「わかってよ、わかってくれよ、もっとしっかり見てくれよ(理解されない、無視されている)」

 もちろんその人だけではなく、人間の根本的な願いとしてのそれが十分満たされないと感じている人は多いだろう。「エヴァゲリオン」のようなアニメがヒットする現代の日本においては、むしろそのような欠乏感を抱えているほうが多数派なのかもしれない。 

 そのような状況下において、有効なのはやはり「わかった」「よくわかる」という言葉の処方ではないだろうか。

 これはある意味かなり信念の飛躍だ。「わからない」というゼロを「わかる」という1に切り替える。

 普通「わかる」というのは、いろいろな要素のつじつまがあって、最終的にピカっとひらめくものだと考えられる。
 しかし、いくつものステップを踏むのではなく、最初から「わかっている自分」を選ぶ。
 わからない自分ではなく、わかっている自分を選ぶことで、「わかる」という現象を得る。
 考え方を逆にする。結果を先に、選ぶのだ。
 言葉にはそれができる。「わかる」と「わからない」は同時並列的に存在している別々の世界だからだ。 
 それが言葉を慎重に使うということの意味ではないかと思う。
 「あーわからない、わからない、わからない、俺にはなんにもわからない」と言い続けていると、「わかる」チャンネルには切り替わらない。
  「私は自分のやりたいことも、むいてる仕事も、全部わかっている」そのようにして言葉を開くことによって「わかる」チャンネルの電波を受信しやすくなるというのはあると思う。

 まあ簡単に「お気持ちわかりますよ」とか言っちゃうと、口先だけで綺麗事いって!!と怒られちゃうかもしれないけど、祈りとして「よくわかりますよ」という言葉を発するのは良いのじゃないでしょうか。

 一応チャンネル(言葉)だけは、自分の見たい宇宙に合わせるように・・・


 あとねー「おかしい」ってのが口癖の人もいるんですよね。

 で、ここ日本語の面白いとこでここには「不条理」って意味での「おかしい」と、funnyって意味での「おかしい」が含まれているようでした。で、不条理な出来事に怒りを感じつつも、日々の「おかしい出来事」もすごく楽しんでいるんですよね。

 なんか無意識的に日本語の多義性で遊んでるみたいで、ちょっと見てて「おかしい」んです。


 

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セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/09/15 20:43
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