ビジョンクエスト ■海辺で見た東京■


 7月の終わり、広島のKさん(クリアボイスのKさんとは別の人)のセッションを受けた日の夜、ちょっと不思議な夢を見た。
 夢の内容はあまり覚えておらず、ただ言葉が残っていた。
 それはこんな言葉だった。


 食料が一年分あっても、水が一月分しかなければ、それだけしか生きられない
 水も食料もあったとしても、酸素が一時間分しかなければ、それだけしか生きられない
 水も、食料も、酸素もあったとしても、「希望」がなければ生きていけない
 


 そんでなぜか村上龍の「希望の国のエクソダス」を読まなきゃ、と思い、ブックオフに買いに行ったりした。
 結果的にこの小説自体は最後まで読めなかったんだけど、でも「希望」って・・・うーん
 「希望」という言葉を聴いて、みなさんどう思われるでしょうか?
 希望は大切なものでしょうか?こんなような時代に希望も夢もあったもんじゃないでしょうか。

 僕は悟りの思想とかにながく影響されていたので、「希望」なんていうのは現在に生きることを妨げる妄想だというような考えが無きにしもあらずでした。でも夢に出てくるということは「希望」という言葉についてちょっと考えた方がいいのかとも思った。

 でもKさんのセッション内容とはあまり関係なさそうなので、別ソースの情報かとも・・・
 ところがKさんに言われた内容(というか・・・僕のガイドスピリットさんが言ったらしいけど)

 「人に何を提供できるか、どのような人間になるのかをさがしてください」という事と、この「希望」が実は結びついているのではないかと気づいた。

 最近、希望とか夢、ビジョンについての考え方がかなり変わってきた。
 生きてると思い通りにならないことばかりだし、「希望」を立てても仕方ないとか、どうせ立てても叶わないという気持ちがあったのだけど、よくかんがえてみると、自分もビジョンによって導かれていたということがわかった。

 つい今さっき思いついたホヤホヤのことではあるけど、ビジョンには『力を持つビジョン』と、『力のないビジョン』がある。

 その見分け方のひとつはそのビジョンが、想像力のインフレーションを起こすかどうか、ということだ。

 想像力のインフレーションとはそのことを考えるととても新鮮な気持ちになったり、ドキドキしたり、考えがどんどん膨らんでいったりするかどうか。

 例えば引き寄せの法則とかの海外DVDにあるみたいに、豪華クルーザーとか、海辺の豪邸をイメージしても想像力の膨張が起きなければ、そのビジョンは力を持たない。でも、ブログを始めるとか、新しい服を買うとか、そういうごく小さなことでもドキドキのインフレーションが起きる場合はある。するとそのビジョンは経験的には力を持つような気がする。
 力のあるビジョンは例えば、「お金が1兆円あったほうがいいに決まってるから、とりあえず私は一兆をイメージします」というような左脳的・合理的発想では生まれない。

 そうではなく、自分の持って生まれた素晴らしいエネルギーが最高度に表現され、それが他の人の役にも立つ、というようなビジョンが力を持つのだ。
 言わばマズロー的な意味での自己実現と行ったらいいのだろうか・・・
 そのプロセスにおいていくつもの小さな、導きとなるようなビジョンが生まれる。 

 もう随分昔の話だけど、学生の時高知県で暮らしてたころ、がらんとした海辺の国道をよく自転車で走っていた。
 たまに海産物の店やお墓があったり、ラブホテルが建ってたりする・・でも基本的には海と、前方にどこまでも伸びる道だけが見える道だった。
 そこを走ってる時突然、なぜか僕の想像力は「東京」に関するインフレーションを起こした。

 こういう静かな広い風景とはまったく別の、『東京』という騒がしいアッパー系の街のイメージ。
 そのイメージがとても魅力的に、しつこく立ち現れた。
 そして、東京で学生生活を送ってる高校の時のクラスメートは楽しくやってるのかな?と想像したりした。
 行きたい、東京に行きたいなーー。
 そんな想いもかすかに湧いたかもしれない。
 でも、そんなことにはならない、無理でしょ、という気持ちが強かった。
 
 その時例えば「2、3年たったら、君東京でひとり暮らししてるよ」そんな風に天使に言われてもきっと信じられなかったと思う。
 
 というのは、その時の僕は半分引きこもりで学生やってただけだし、自立して生活するという自信自体なかったからだ。
 だって学校に行くのさえ怖かったんだからね・・・
 そんな自分が東京で暮らしてると言われても、それは非現実的な気分しか起こさない。
 でも理性がそのようにいくら否定しても、想像力は『力のあるビジョン』となってそれが可能であること、それが必要であることなどを教えてくれるのではないかと思う。


 結果的には、それから2年後くらいに会ったセラピストの人に「東京で呼んでるからこっちきた方がいい」というアドバイスに後押しされて、こっちにきた。
 それから早いもので、もう10年(;´Д`)
 長いこと住んでるとそれが当たり前になってくるし、もう東京なんかキライって時々思うこともあった。
 でも振り返ってみると、この都市で得られた様々な体験が僕にとって必要だったことは間違いないと思う。
 だからこそあの海辺で、「東京」は光っていたのだろう。 
 これからどうなるかわからない東京であるが、あらためて振り返ると、東京がくれたたくさんのギフトにありがとうをいいたい気分になる。
 
 ここのところメルトダウンやら、大地震の可能性やらで、山の中に移住してそこで野菜でも作って暮らすのが一番いい生き方だという人もいる。しかし、「危険から逃げる」という発想ではビジョンは描けない。「希望」が生まれないのだ。食料はある、水もある、でもそこにその人の「希望」はあるのかが問われる・・・
 
 僕は2008年~2009年の一年間くらいは、かなり「破壊的なビジョン」に支配されていた。
 必ずなにか、とんでもないことが起こる・・・
 という思いが強すぎて、生産的なことはあまりできず、ほとんど働いてさえいなかった。
 今から思うと、自分の未来に対しての悲観的な想いが、破壊的なビジョンとシンクロしてそれから離れられなかったという面があった気がする。

 しかし今から思えばもったいない、2008年も、2009年も、2010年も、僕が妄想していたようなことは何もなかったのだから。2011年までは・・・
 3月11日の午後3時前にあの大きな揺れがくるその時まで、
 別に僕は何も知る必要はなかったのだ、ある意味。
 もしそのビジョンに支配されていたエネルギーを別の方向に振り向けていたら、いろいろなことができただろう。
 個人の未来ビジョンというのは見えないけど、その人の意識や肉体にものすごく影響を及ぼしているに違いない。 

 「破壊的なビジョン」ほどではないが『力のないビジョン』を自分の未来だと思い込むことも、あまり良くない。

 覚醒者の方の瞑想会に参加して、その会のサポートをやっていた頃、僕の未来はその人の未来とくっついた形でしかイメージできないことがあった。その人の作った村にいつか住んで、その人の本を書いたりしよう・・・とか。
 それはいいなー(^O^)と頭では思うのだが、そのイメージにハートがあまり気持ちよく反応しないのだった。
 なぜなのかがようやくわかってきた。
 それは僕が誰か別の人の意図の中に取り込まれ、ビジョンでさえ、その人を中心に描くからだったのだ。
 誰か別の人のビジョンの一部となるビジョンは力を持たない。


 なぜなら、そこに自分のエネルギーが入っていないからであり、ビジョン(夢・希望)とは、
 「その人が自分のエネルギーを最高度に表現する」そのために存在するからだ

 「力のないビジョン」とはそこに自分の個性や、エネルギーの注がれていないものを言う。
 
 やっぱお父さんとかお母さんになると、子供が無事につつがなく社会的に立派になることが自分のビジョンになるということも多いと思うけど、それが子供のビジョンとがちんこしちゃうこともよくある。我を通せる子供なら心強いけど、親のビジョンに負けちゃうと、ちょっとあとあと困ったことになる場合もあったりする。


 ここに至って、「希望」に関する夢と、「自分がどんな人間になりたいか、なにを提供できるかを探してください」というKさんのアドバイスとのつながりがようやく理解できた。
 確かに、『希望』がなければ行きてはいけない。
 それは自分が成長・発展するための鍵だからだ。
 そしてこの『希望』をみつけるためには、まず自分のエネルギーの方向性や、その質を徹底的に肯定することが大事だと思う。
 自己嫌悪や自己否定が強いと、生まれ持っているビジョンがよくわからなくなるからだ。

 自分、大好き♪ 超リスペクト!からスタート☆


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セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/09/17 19:10
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