専制君主 と KAN in my self


基本的に、人のいだく悩みは『お金』恋愛、家庭などの『人間関係』精神、肉体の『健康』、ふさわしい仕事は何か?などの『仕事』くらいにおおまかに分類されるのではないかと思う。
 だから占い師の人も経験を積めばある程度コールドリーディング的手法で、その人の悩みの核を言い当てたりすることはできるだろうと思う。

 ルイーズ・ヘイなどの考え方で言うと、これらのすべては表層的な問題で、もっと深い層にある「自分を愛していない」部分が原因であるという。確かに僕が今までにいろんな人と話す中では、自分がすごく好きだけど、こんな嫌な問題に巻き込まれているという人はあまり見たことがない。

 だから基本的には問題にフォーカスせずに、もっとその人の内部の微細な部分、愛と恐れの形に目を向けることが大事なことは確かだと思うけど。僕自身も日常で、「こんなひどい人がいて、こんなひどいことされた」という類の話しを聞くとやっぱり「へーそんな奴がいるのか、いやだねーひどいなあ」的な共感の仕方をしてしまい、ん?いいのか?(メ・ん・)?と思うことはある。

 すべては目に見えないレベルからの愛と、恐れから来ているとすれば、今目に見える現象化された現実、つまり過去にこだわり続けることに意味はない。でも人は、このもっともリアルな抽象世界を、無視してしまうことが多い。自分の愛と恐れを、表現することをとっても恐れている。

 大事なのは今、自分の全存在がどれくらい愛で満たされているか。
 そして愛以外のもの(恐れや怒り悲しみ絶望など)がたくさん見えるとすれば、それらをどれくらい愛で包んで、抱きしめることにより愛を拡大できるかということだと思う。

 前々回は<王>との関係性を書いたけど、実は自分自身の中にも独裁者や、専制君主が存在する。

 専制君主の特徴は、恐怖や、権威、名声、様々なタイプの力(体力、知力、発想力、情報力、美しさ)により人を支配しようとする衝動である。支配のために使われる力は、どんなものであれ暴力になる。

 暴力により人をコントロールしようとする性質は、やはり恐れに基づいている。
 専制君主は思っている

 思い知らせてやりたい
 見返してやりたい
 悔しがらせてやりたい
 妬ませてやりたい

 と

 それは、そのままの自分では生きていけない、愛されず、敬われず、豊かになれず、人に屈服させられ支配されるという根本的恐怖に依る。

 だが、人を恐れさせたり、感心させたり、威圧すること、暴力により愛は勝ち取れない。なぜならそれは全く正反対のものだからだ。だから専制君主は常に恐れて、欲求不満を抱えることになり、さらに残酷になる。

 この独裁者は、僕らのこころの中に生きている。
 必要なのは革命を起し、彼らを断頭台に送り込むことではなく、彼らを受け入れて慈しむことだ。

 それは全部、僕自身だったのだ。


 僕はどれくらい愛を生き、どれくらい恐れに基づいた動機に突き動かされているのだろうか?
 それを振り返ったとき、いろんなものが見えてくる。


 現代の日本では、愛を十分に生きた結果、IT系企業の社長になるひともいるだろうし、看護師になる人も、主婦になる人も、また派遣社員で働いてる人もいると思う。その場合、自己愛と自己尊重に基づいた生活ならばお互いの立場の違いにまったく差異はないはずである。
 なぜなら、もうそこには「自分」と「他者」の間に『差異』を形成してその一段高いステップに乗っかって人をコントロールしなければ不安でたまらないという強迫観念がなくなっているからだ。
 だから、その自己愛に基づいた社長にとっては、看護師さんも、派遣社員もまったく同じ土台に立つ存在だと思う。逆に自己愛の強い派遣社員さんにとっても名声や富が今付随してなくても、それらがある人を勝手に自分より上に見て劣等感を抱くこともない。また劣等感の結果として、価値を反転させ貧しさや不幸、悲しみこそが神に愛されてる証だと主張する必要もないのである。(そう主張したい自分を愛することができれば)

 なぜなら最初に自己愛に満たされていて、劣等感を抱く必要がなければ、価値を反転させる必要もなかっかたからだ。劣等感も、優越感も、自己尊重という愛からずれることによって起こってくる同じひとつのもので、「平等」という見方を拒否する立場だ。

 お互いに差異を形成するという防衛機制がない時に、自由なコミュニケーションが成立する。


 一方恐れの世界に生きることで、医師になったり、弁護士になったり、教師なったり、主婦になったり、派遣社員になってる人もいる。だから基本的には、外側の肩書きを見て、その人が愛をどれだけ生きてるか、恐れをどれだけ生きてるかはわからないんですね。

 自分でそれをチェックする方法があるとすれば、どのような地位や立場の人とも自分が本質的にイコールであると思えるかどうか、ってことでしょうか。恐れを生きていると人は『差異』があることに頼るので、おそらくイコールにすることを受け入れられないでしょう。

 僕は・・・・完全には思えません、はい(((o(*゚▽゚*)o)))でも今はいいんです♪その自分を心から受け入れまっす。本当にそう思えるようにもっと自分を好きになりたいですね。

 そしてあとは自分の生活のどれだけが、愛と恐れによって動機付けされているか観察してみることでしょうか。

 例えば、今してる仕事を続けているのは、あるいは選んだのは愛によるのでしょうか、恐れによるのでしょうか。

 それをしてないと食べていけないから?
 本当はもっと興味があることがあるけど、今はこれくらいしか自分にはできないと思うから?
 やめたいけど、新しい仕事が見つかるか不安だから?
 肩もこり胃もいたいけど辞められない?
 
 それとも

 未知の分野だけどとても興味があったから始めたのでしょうか?
 やってるといろいろな発見があって楽しいでしょうか?
 一日が終わった時疲れているけど、充実感もあって、辞めたいとは思わないでしょうか?
 仕事とは思えないほど楽しく、充実してるので、遊びと見分けがつかないくらいでしょうか?(←この域までくるとすごいですね)


 僕自身のことを書くと、リーディングの記事で書いたように介護ヘルパーの仕事はもうすぐ3年になるけど、今ちょっと新しい方向に進みたいと思い始めている。(それはHさんのリーディング通り)でも振り返るとこの仕事で学んだことはとても多かった。やってみたことに後悔はない感じだ。

 で、これを始めた動機というのを今から振り帰ってみると、そこに障害者福祉に対する立派な目標や理想があった、というわけではまったくない。ただそこに情熱がなかったかというとそうではない。どういう情熱かというと、自分の生への情熱、新しい経験、新しい自分への情熱があったことはあったと思う。

 そしてその結果、その望みはある意味かなえられていた。
 約一年間、ほぼ働かず家にこもり豚インフルの動向や、異常気象の情報、闇政府の仕組みについて考えたりしてた生活から一転。
  
 介護の一環として、

 裁判所やら、フォーク居酒屋やら、おもちゃ売り場やら、救急病院やら、AKBの生写真売り場やら、映画館やら、ジャズのライブやらを引き回されることになったのでした。そして私生活ではまず話さないような市会議員や、風俗のお姉さんと会話を交わす機会も何回かあった。ネタになる話しがいっぱいあるけど、あまりにプライバシー及び個人情報の侵害になるので書けないのが残念。

 いろいろな体験をさせてもらって感謝している。でも自分の進みたい方向を考えたとき、今度はどのような体験をできるかというよりも、どのような自分を表現したいかということをコアに仕事を選びたい。ヘルパーとして食事や排泄の介助をすることは絶対に誰かがやらなければいけない大切な仕事なんだけど、なんというかその仕事を続けてるうちに自分がもし選べるとするならやはりもっと心理的なサポートを中心にできる仕事がやりたいということに気づいてきた。これも肉体のサポートをやったからこそ気付たことのように思う。

 一段階深い(自他への)愛から選択すれば、一段階深い豊かさがあることに今は結構確信を持っている。
 短期的にはいろいろトラぶったり、困窮したりはあるかもしれないけど、最後にはKANが登場して歌ってくれると思う(笑)愛の報いは長期的なものだから。

 
   








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セラピー&ヒーリング | コメント(15) | トラックバック(0) | 2012/11/13 20:16
コメント
ああ、解らない

灰たかさん

また、コメントしてしまいました。


ルイーズヘイさんの自分を愛するアファメーション、あれはホントに鏡を見てやるとパワフルですね。
最後はいつも神様ありがとう!みたいな感じになっちゃいます。

まあ、それは良いとして・・・

全て起こることは100%自分に責任があるって、最近よく聞きますよね。

現象世界で起こることは全て自分が創造した、みたいな風潮のような。


ホ・オポノポノのヒユーレン博士は「全部、潜在意識の再生だから原因なんかまったく知る必要ない」みたいにいってるし。

確かにそれも一理あるな、とも思えます。


ただ、これって和平先生の教えとかなりギャップを感じます。

和平先生は、全ては御心というスタイルだから、なぜそれが起きたのか、マーヤ解きをした後、

御心解きを勧めてますよね。神様はこの経験から何を学ばせたいのか?

どっちの教えも正しいように思うのですが、これは単なるアプローチの違いととられるには

あまりにも違い過ぎる気がします。

こんなことを灰たかさんに質問すること自体、ちとズレていないか?
とも思いましたが、灰たかさんなりの解釈を聞かせて頂きたくてコメントしてしまいました。

なんか、難しい質問ですいません。








 子羊さん、興味深いコメントありがとうございます!
 
 いや~それは実は僕も時々考えることでありまして(笑)

 個人的には僕は、すべては個的な潜在意識の現象化だとは思ってないんです。

 それだとなんか本当に神様みんなをほったらかしって感じしませんか?
 「向こう側」には確かにこちらを目覚めさせたり、気づかせたりするなんらかの意思というかプログラムがあると思うんですね。恩寵というか、慈悲というか、そういうもので。それは文字通り本当に『恩寵』だと思うんです。向こう側から差し伸べられた手、です。ルイーズヘイに、自分を愛することの大切さということを教えたのは誰か?てことなんです。

 ただ潜在意識の尺度をとても大きくとれば、神的な意識もそこに含まれるのですが、その意識まで考えると普通の人間的観点からは「すべて自分が創造した」とは言えなくなると思います。

 僕にはすべてみこころかどうかはわからないです。
 和平先生はそう教えられてましたが、それは僕のリアリティじゃありません。

 ただ神のみこころとして、ある人々には『自分を愛するかどうかがあなたが経験する現実を決定するのだから、自分を大切にしなさい』という情報が降りるのはまったく矛盾しないと思うんです。仮にすべてがみこころ(神の意思)だとしても、身近なレベルでは類は友を呼ぶの法則とか、そういうのが働いてるのは否定できないことです。だからそのレベルの現実を改善するには、やはり自分の思考や感情レベルの浄化と変容が必要になってきますよね。

 だから、もし和平先生の教えと両立させるならば、「究極的には神の意思で、全部マーヤなんだけど、自分にとっては今これは必要みたいだからやろーっと」っていう適当スタンス(笑)でいいんじゃないでしょうか。確か先生も「マーヤと思いつついろいろやることが大事」って言われてた記憶がありますよ^^ほろ酔いでコメントしてるので、饒舌に・・・(-_-;)お答えになってるといいのですが。












   
こんにちは~。灰タカさん、お久しぶりです。
ブログ読みました^^

今回の記事とても勉強になりました。
恐れとか不安の、根本原因が

「自分を愛せていない」

というのは、ちょっと思いつかなかったです。

灰タカさん、お仕事で今方向転換を迎えられようとされているのですね。
良い流れになると感じます。

また、記事楽しみにしていまーす*^▽^*
Re: タイトルなし
 山姥さん、こんばんは~\(^▽^)/!
 お久しぶりです♪

 「自己愛」の部分が希薄だと、どうしても周りをコントロールしようとしたり、エネルギーを貰おうとしたりすることで軸がブレるという感じがします。その状態って不安になりやすいんですよね。「あなたはとても大事な存在です」と自分に言ってあげるだけでとても気持ちが落ち着くことがあります。

> 灰タカさん、お仕事で今方向転換を迎えられようとされているのですね。
> 良い流れになると感じます。

 ありがとうございます☆彡どのようなものが提供できるか、模索してみま~す!
 また遊びに来てください。


灰たかさん

確かにそうですよね。自分も、全ての原因自分説とか、潜在意識の現象化100%ではないと感じています。
極端な話、悟りとか、自分の叡智を越えた恩寵の力が存在することは明らかだと思います。

まあ、分かりえないことを考えてもしょうがないので、今出来ることをやればいいのかな、と思います。

今日も、鏡を見て自分をヨチヨチしてあげよう。

これが最近の僕の密かな喜びです。


はじめまして。
千鳥足のカマンベールと申します。
いつも素敵な文章をありがとうございます。

こちらを見ていて 鏡を見てアファメーションがいいとのこと。

自分は鏡を見て自分に語りかけるのが 躊躇というか 恐れがあるのですが
効きが強くなるなら、やってみようかな。
Re: タイトルなし

> 千鳥足のカマンベールさん

こんばんは♪コメントありがとうございます!

必ずしも鏡でなくても、一番安らげる方法で続けることが一番いいと思いますよ。

でも一度鏡を見ながらやってみて、どんな想いが湧いてくるかをただ観察するのもいいと思います。

マイナスの想いだとすればそれ自体がブロックだと思うので、今度はそれを愛してみるのはどうでしょうか。
いつもありがとうございます☆
灰たかさん

この感動、誰かに伝えたくて、またコメントしちゃいました。

ここ3週間くらい、クリムゾンコレクションの曲を流しながらルイーズヘイさんのミラーワークやっているんですが・・・

すごいぞ、すごいぞ、ミラーワーク

基本、自己愛なのですが、もう完璧アファメーションの域を越えていますね。

ひとりカウンセリングというか、ひとりお悩み相談室みたいな感じです。

なんか、ホ、オポノポノで言うところのウニヒピリのケアに通じるものもあるような気もするし、マーヤ解きにも役立ちますね。それと、神様への感謝の祈りにもなります。
自分の老をねぎらってあげると涙も出てくるので感情の浄化にも役立ちます。

毎日、朝晩、40~50分くらいやっているのですが、無理してやっているのでなく気が付いたらそのくらい時間が経っていたみたいな。

なんでしょう。この気持ちの入り具合。

このワークやるといつも気持ちか穏やかになるし不思議とハートにエネルギーが集まります

またマーヤな事、やってるのかもしれませんが楽しいので飽きるまで続けてみたいと思います。

いつも情報提供に感謝します。












Re: タイトルなし
>子羊さん

こんばんは♪感動が伝わるコメントありがとうございます(^O^)

無理せず、楽しく続けられるっていうのはまさにビンゴで、今ちょうど必要なことなのではないでしょうか。
きっと自分でやってる以上にあっち側から何か応援してもらってるのかも?しれないですね。

自分を深く愛することは神様を敬うことだと僕は思っています。
そこから始めたほうがバランスがいいのではないかと。

「自分自身を拝まねばならんとき来るぞ」とか、そんな言葉ひふみ神示にもあったような。

 情報お役にたててとてもうれしいです(((o(*゚▽゚*)o)))

 子羊さんの自己愛がさらにさらに深くなりますように!



  
灰たかさん、こんばんわ

この感動、誰かに伝えたくて(というか伝えたくても他にいないので)またまたコメントしてしまいました。

ルイーズさんのことを教えてもらって1か月くらい経ちますか?

鏡を観ての自己愛アファメーションに確かな手応えを実感しています。

ところで昨日TSUTAYAに行ったら、ルイーズヘイさんの「ユーキャン・ヒールユア・ライフ」というDVD が新作でレンタルされていました。

以前、ザ、シークレット、引き寄せの法則を観たときは、成功することだけが全面的に出ていて、まったく感銘を受けなかったのですが、

このタイミングでレンタルリリース、これは観ろというお告げか?と思い借りてみました。
DVD には他にもその道の権威者たちが出演していますが、やっぱりルイーズさんは別格的カリスマ性がありますね。

なんというか、天性の指導者というか、結局、成功する運命のもと生まれてきた人だと思います。

ルイーズさんのいいところは、教えがシンプルなところですね。

DVDよりルイーズさんのコメント

「当初は、相談者の問題を1つずつ一緒に解決していきました。でもある日きづいたんです。ありのままの自分を愛し受け入れることを教えればすべての問題は解決すると。
奇跡のようにすべての問題や障害が消えていったのです。」

要約するとルイーズさんの教えはこの言葉に集約されていると思います。

まあ、1回観れば十分ですが、なかなかよくできた作品だと思いますよ。
Re: タイトルなし
 >子羊さん

 こんばんは!ルイーズさんのDVDが出てるんですか・・
 今日TSUTAYAに行ったので、探して見たのですがこっちの方には置いてないみたいでした。
 子羊さんの情熱が呼び寄せてるのかもしれないですね^^
 また面白いことあったら教えてください♪
 
灰たかさん

またしてもコメントすいません。何だか、いちいち質問ばかりで恐縮です。

ただ、灰たかさんは一番相談しやすいと言いますか、洞察力がただ者ではない!なんて本気で思っているのでどうか、お許しください。

鏡を見ながら「愛しているよ」とか「神様から愛されているんだよ」とか、まあ、そんな感じでセルフラブやっていたら、かつての孤独感が嘘のように消え去りました。それだけでなく、他の色々な問題も解決されました。本当、奇跡的です。

ただ、まだ自分の中には将来、こう成りたい自分も存在しています。
そんな訳で「あなたは今のままでいいんだよ」というアファメーションにはメチャクチャ抵抗があります。
愛は無条件のはずなのに矛盾してますよね。

今、あるがままの自分と、将来、成りたい自分と、どう折り合いをつけていいのか分かりません。

灰たかさんのご意見を聞かせていただけますでしょうか。
Re: タイトルなし

 子羊さん、こんばんは!
 うれしくなるお褒めの言葉ありがとうございます♪m(__)m

> 鏡を見ながら「愛しているよ」とか「神様から愛されているんだよ」とか、まあ、そんな感じでセルフラブやっていたら、かつての孤独感が嘘のように消え去りました。それだけでなく、他の色々な問題も解決されました。本当、奇跡的です。

 それはすごいですね!おめでとうございますヾ(@⌒ー⌒@)ノ

> ただ、まだ自分の中には将来、こう成りたい自分も存在しています。
> そんな訳で「あなたは今のままでいいんだよ」というアファメーションにはメチャクチャ抵抗があります。
> 愛は無条件のはずなのに矛盾してますよね。

 あくまでも僕の意見ですが、ありのままの自分を愛するっていうことは、『今のままでいい=変わらなくてもいい』ということとは違うような気がするんです。確かに今のありのままの自分を愛するって、すごくいいことですよね。でもそれが今のままでいい、とは必ずしもならないと思うんです。愛情深い両親が、子供のありのままを愛する時に、それも本当だけど、その子が自分らしく素敵に成長することも願いますよね。自分に対してもそんな感じで、自分の描くビジョンも大切にできればいいのではないでしょうか(*゚▽゚*)そのビジョンも、今のありのままの自分を深く愛す、というところから始めれば、夢想的ではない、本当に必要な未来像になるんじゃないかと思いますよ。本当の自己愛が、本当に必要なものを教えてくれるのだと思います。

あと僕は時々、自分を敬う、っていうワークもしてます。
今まで頑張って生きてきた自分の肉体・心・魂に対して手を合わせるようにリスペクトすると、本当の価値が感じられるような気がします☆

灰たかさん

確かに!!

愛情深い親だと子供を無条件に愛しますが、勉強しろとかいいますもんね。
逆に、愛に欠ける親だと「家は代々、医者だからお前も医者になれ」なんて、子供の気持ち考えないでいったりしますよね。

自己愛からの行動に従えば、間違った方向にはいかないように思います。

今回もまた、府に落ちるアドバイスありがとうございました。



最近の記事でジべリッシュに関する内容が書かれてあったのでついでにコメントさせて頂きます。

奇遇かな去年、ジべリッシュ1時間と瞑想で構成させるノーマインド瞑想を50回くらい実施しました。ノーマインド瞑想はosho の代表的技法で、ミスティクローズ、ボーンアゲインと並んで、3代瞑想的セラピーと言われているそうですよ。

なんでもosho によればこの3つをトータルに、行えば他の一切のセラピーは必要ないとか。

向き不向きはありますが、自分が知る限りノーマインド瞑想はひとりで安全にできる最高のストレス発散方法だと思います。


途中、叫び過ぎて喉悪くしたのでやめましたが(-_-;)
意味不明な言葉を発するだけで、不思議なことに勝手に感情が噴出してきて爆発します。

無意味なこというだけであとは身体が勝手にやってくれるので、僕としてはただ観てるだけって感じなんで案外、楽チンです。

ただ、自分の経験上、やっぱりそれだけではダメなんですよね。

感情はN さんの言うように感じきらないと。

多分、一生やり続けるはめになると気付きました。

しかし、感情をあるがままに感じきるってすごく難しいですね。

それにはやっぱり自己愛が育たないとなかなか出来ないと思いました。

長々としたコメントすいません。
Re: タイトルなし

  子羊さん

 ジベリッシュされてたんですね!あれは面白いですよね~
 僕はきちんと瞑想とセットでやったりしてるわけではないですが、めちゃくちゃ喋ってるといろんなことに気づきます。子羊さんのいわれるように、勝手に感情エネルギーが意味不明な発話に乗ってくる、というのもありますし・・・。僕の場合は勝手にメロディになったり、変な歌を歌ってたりします(^O^)カタルシスにもなるけど、言語以前の空間の豊饒さに気づかせてくれるようで、癖になってます。

 職場に着くまでの時間ずーーっとやってて、普通に「おはようございまーす」とか言うとその普通の挨拶が相対化されて変な緊張がなくなるというか、、、あー全部ただの音とエネルギーなんだなーって感じました。

 カタルシスに偏らないで、「感じる」という方向性とバランスとることも大事ですね(^ω^)

 一見醜く見える感情でも、確かに自己受容できてれば、感じやすくなると思います。




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