Fragment to myself 2009


送信履歴に残っていた、大分前に携帯にメモった文章。
 どういう状況で思いついたのか、いまいち覚えてないけど・・・。
書いてたのが朝の五時とかだったw



 2009 2 8

 この世界に在ること・・・
 それらはすべて白か黒かで割り切れるもんじゃないんだ
 誰の人生の中にも否定できない愛のエッセンスが染み込んでいる
 そしてインチキ臭い部分、闇に染まった部分もある
 白か黒かじゃないんだ
 総体として 人間をどちらかに統一されたものと見ることから
 狭い世界が生まれる

 あなたが光だと思いたがっているもののうちにも光があるし 
 また闇がある
 あなたが闇と思いたがっているものの中にも光がある

 みんなそれを認めるのが怖いんだ
 犯罪者のこころにも美しい愛の記憶が
 それを感受するこころがあることを

 だからすべてから距離を置き
 すべてを包み込みなさい
 真実はあなたの内に見つけるものだ

 あなたが愛になればいい
 あなたは自分が愛じゃないんじゃないかなんて
 悩まなくてもいい

 何がホンモノかなんて
 浅ましいことは考えなくてもいい

 本物か偽物かは
 そんなレッテルは
 ただこっちの都合だ

 夜明けに鳴く鳩の声はずっと昔から
 君に真実を語っていた


2009 3 6

 失われた自己を求めて
 僕は歩いていく
 僕は出来合いの いろんなものを求めようとした
 失われた僕自身の代わりに
 外側から語りかけるたくさんの言葉に耳を澄ますとき
 僕は僕自身の未来と 僕自身の日々と 僕自身の愛と
 僕自身の青い夜明けを失った
 この世界を見限った振りをしながらも
 この世界に未練げな目を向ける僕は
 終りを夢見た
 それもまた失われた自分の代わりに
 僕の手が掴み取った 偽りの希望でしかなかった
 または大それた神々の戯れに目を向けるということで
 失われた僕自身の代わりに
 巨大な虚像をつかもつとした

 ・・・でも、そんなものは、もう、いいんだ

 僕にとって必要なのは
 出来合いの未来や 偽りの愛や 大きな虚像なんかじゃない

 小さくてもかまわない
 僕自身の姿
 僕自身の愛や希望の形だ

 

 
 2009 12 3


 その状況を自分自身の一部として
 受け入れ 愛したものが
 その状況の救世主となる
 
 そして逆説的だが
 自分自身を救い主と思わぬことが
 それを癒すコツである

 なぜならそれは自分自身の一部に他ならないからであり
 そのことを認めず 外的な悪のみを設定すると
 ただ自分が『してあげている者』となるからだ

 そうではない
 僕の見ているものは僕の意識とのシンクロなしには
 存在しえず
 そこに見出した問題は
 僕の意識の中のひっかかりが外面化したものでしかない
 それゆえにそれを外側の問題として
 退け続けるなら
 いつまで経っても自己の意識内部のしこりに気づくことが
 できない
 
 そうすると、外的にはその状況に対して
 善と思われることをなしていても
 それを自分自身として受け入れていないなら
 意識の中で
 自分が一方的な善行者とならざるを得ない

 それは自分の意識の現れとして
 その現実に遭遇しているという意識の不在である

 現象が自分自身の意識のほつれの現れであり
 それは自分がそれを超えるために
 招き寄せ遭遇しているとするならば
 それを受け入れ 愛し 感謝することもできる
 なぜならその現象のおかげで
 それにひっかかる自己の意識を自覚出来るからだ
 そして意識することによりそれから解放され 救われる

 そのような意味において
 その状況に対して愛や感謝を
 つまり物事を改善するエネルギーを注げるのは
 その状況により救われていることに気づいている
 人間なのである




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詩集2(火水の子供たち) | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/12/20 20:37
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