2013.
01.
03
布団に入って、照明が落とされるとまだ呼吸を始める前からドキドキしてきた。
どういう世界に入ってしまうのか少し心配だ。
頭近くのスピーカーから結構大きいBGMが流れてくる。
Nさんが近くに座り「ハーっ ハーっ」というその呼吸の速度に合わせて、僕も目を閉じてブレスを開始する。
「ハーっ・・・ハーっ・・・ハーっ・・・ハーっ」
閉じた目の裏でめまいがした時に見えるような光の模様がぐるぐると回る。
5分もしないうちからすぐに、手が指先から肩くらいに至るまで強く痺れ始めた。
やがてそれは頬のあたりや顎にも広がっていく。と、同時にエネルギーが入ってきた時に起こる、泣き出す前のようなしゃくり上げが時々出始めた。
「ウェっ ウエっ ウエっ(;_;)」
「はい、それをそのまま感じていってくださ~い」とNさん。
もう少し経つと、まったく寒くないんだけど胸から肩のあたりにかけて震えがつよくなってきた。
感じとしてはドキドキした時の武者震いの、強いの。でもそれが強すぎて、なんだか歯までガチガチ鳴り始めた。上半分痺れと、震えと硬直でなんだか深呼吸どころではなくなってきたので、声をかける。
「あ・あの~なんか震えて歯がガチガチして、呼吸するのが辛いんですけど」
「わかりました。じゃあ今からちょっとそのエネルギーを流すワークをしますね。私が今からまったく意味のない言葉を しゃべりますから。あとから続いておなじようにやってみてください。」と言うと・・・・
「アウオウイイエオロイエアウーウケリュオオアオアチュカカイエウー」と、原始人の言葉のようなものが聞こえてきた。
僕も若干、恥ずかしさが残りながら「オウオウオウオアアアエエイウレムアカカアエエエ」みたいな感じで続ける。
「そう、もう頭がおかしくなったみたいな感じで、少し続けてください。」
いわゆるひとつのジベリッシュというやつ??
(↑↑一人でやってもいいし、グループでやってもいい。目を閉じ、意味のない音声"ジベリッシュ"を話し始めなさい。15分~30分ジベリッシュのなかに全面的にはいり込みなさい。あなたの内部の表出されなくてはならないものをすべて表出することを、自分自身に許しなさい。何もかも投げ出すのだ↑↑ oshoのメソッドのひとつ)
「次にね、手をバタバタさせながら、こう言ってみてください。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ~~っ」
「嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だー嫌だ、嫌だ!! 嫌だっ!!!」
続けてるうちに言葉に感情がこもり、声も大きくなってくる。
そのうち突然に、どこかでスイッチが入り、泣き崩れてしまった。
でもこれで手や、顎のあたりのブロックが解除されたのか、呼吸はしやすくなってきた。
しばらくして、音楽が変わった。
そのイントロを聞いた瞬間、僕はまた泣き出すしかなかった。
それはクリムゾンコレクションのメロディだった。
I先生の修道会やリトリートでいつも流れていたBGMだ。
なんだかわからないけど、すべてつながっている、そしてすべて何か大きなものに面倒をみてもらっている、そんな想いが感極まって溢れ出した。
その感情の流れをすべて言語化するのは難しいけど、瞑想会の会場から急にふらっと立ち去ったままだということ、どうしてそうなってしまったのかという葛藤、M会や、I先生へのいろいろな想いが一度に溢れたような感じだった。
そのあとエネルギーの感じがよくなった。
上半身はまだ全体的に強く痺れているけど、それは苦にならずむしろ気持ちいい。
今度は急に楽しく、なにかはしゃぎたいような気持ちが訪れ
「あは、アハ、ハハハッ、ハハハハっo(^▽^)o」と笑い出した。
笑い声がおさまっても、気持ちはとてもいいままだった。
顔がずっと笑ってるのが自分でもわかる。
アイソレーションタンクに入った時も、気持ちよくてこういう感じだったけど、少し違うのはただくつろいでいるだけではなくエネルギーの流れに貫かれ、浸され、一体となってる感じが強いことだ。
このエネルギー感が自分の感情なのかなんなのか、どこから来ているのかも曖昧になっている。
生(なま)の感情
少しきゃぴきゃぴしたような、はしゃぎたいような気持ち。
よろこびがあふれてハグしたい気持ち
みんな可愛く思える
理性や、いつものペルソナの奥にある感情の深い立体性に触れ、それが解き放たれたような感覚。
自分がいつも自分だと思ってる自分が、なにか無味乾燥な人格のように感じられる。
Nさんがハートチャクラのあたりを円を描くように撫でた。
「あなたはあなたのままでいて大丈夫です。あなたの感じることを、そのまま感じて大丈夫ですよ」と言う。
そのあと、
違う曲にすでに変わってるBGMに合わせて、「あああああああああーーーーー」とか「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」とか声を出してみた。音の宇宙に浸って、自分てなんだったのかよくわからなくなってくる。なんか変。
ちょっといっちゃってる。身体はむちゃくちゃ痺れてるし・・・・
来るかな・・・あれ来るかな・・・・恐怖・・・冷たい感覚・・・・いつ来るかな・・・・
そんな思考がループ始める。
「・・・ちょっと、不安モードになってきました」と声をかける。
「その不安を体で感じられますか?」
「なんか痺れすぎていて、それを感じるのはちょっと・・・でも、これ実際に不安というよりも、不安だって思ってるだけなのかも。不安が来るという思考だけかもしれないです・・・あはははっ」とまた笑う。
「そろそろ時間になったので、呼吸は普通に戻していってください。そして静かに横になって内側で起こることを感じていましょう」
と言い残し、Nさんは部屋を出て行った。
終了後、椅子に座りまた熱いハーブティーをご馳走になる。
「かなりエネルギーが動いていたと思います。泣いていらっしゃった時はどんな感じだったんですか?」
「あのかかってたクリムゾンコレクションの音楽、前お世話になっていたところの瞑想会とかでよく使われてたもので、、、それを聴いたとき神様とか宇宙とか、そういうものに全部面倒を見てもらっていて、全部つながってるんだというのが突き上げてきて感極まってしまったような感じでした」
「そうですか、、、Mさん自身がね、その宇宙であり、神様でもあるわけですから全部つながっているのはある意味で当たり前のことなんですね」
「あといろんなものをハグしたいような気持ち・・・」
「はい、あらゆるものをハグしてください^^」
「痺れなんですが、上半身全体が痺れていたんですけど、足はそれほどでもありませんでした。」
痺れが感じられたのはお尻のあたりまでだったので、足はそれほどブロックがないのかと思った。
「先ほど私が足に触ったとき、左足が硬いようだったので、おそらくそこまで(呼吸が及ばず?)エネルギーが回っていなかったのかもしれません」
「このブレスワークってやっぱり一人でやるのはちょっと危ないんですか?」
「それはよく質問されることなんですが、、どうしてダメと言われるかというと一人で長くやってた時に予想がつかない突発的なことが起こるとパニックになってしまうからだと思うんです。でも、私としては例えば、5分、10分、深く早い呼吸を続けてそのあとゆっくり横になって何が起こってるかを見つめるというくらいならば安全だと思います。ただ、ここでやってるようのは私の意識と共鳴してのセッションなのでそこは少し違ったものになると思います。」
「東京に帰っても継続してブレスワークをしたいと思うんですが、Nさんのお知り合いであっちでされてる方はいらっしゃらないんですか?」
「知らないんですね~これが(^_^;)、でも近々あちらに出張してのセッションは行うかもしれません」
「そうですか、、、では機会があればまたよろしくお願いいたします<(_ _)>」
という感じであっという間に2時間が終わった。
はっきりしたビジョンが見えたりとかそういう体験はなかったが、感情の動きがダイナミックで泣いたあとに、すぐ笑い出すということがまったく何も不自然ではない、一連のつながった流れのように思えた。
これだけ豊かな運動が自分の中に感じられるのは、うれしいし、普段はやはり知性というか、頭の中でこちゃこちゃ考えてる部分を自分だと思って、感情のよろこびをかなり封印していることが理解できた。そして、そのよろこびというものは、「悲しみ」や「怒り」や「恐れ」を感じないようにしているとそれと同じようにしなびてしまうものなのだと思う。それら負の感情のビッグ3を全力で受け止めると、その度合いに応じてよろこびも生き返ってくるものなのではないかと思った。
笑ってるときや、叫んでるときや、ジベリッシュも僕の表現のトーンに合わせてNさんもエコーしてくれるのでやりやすかった。
あと、うちに帰ってからジベリッシュが気になり調べてみた。、
マインドはいつでも言葉で思考する。ジベリッシュは、この絶えざる言語化のパターンを粉砕するのに役立つ。あなたは思考を抑圧せずに、ジベリッシュによって投げ出せる。あなたのからだにも同じく豊に表現させなさい。そうしたら、同じく15分~30分うつぶせになって横たわり、母なる大地と溶け合っているかのように感じなさい。息を吐き出すごとに、自分がからだの下の大地のなかに溶け込んでゆくのを感じなさい。
これは浄化作用の高いテクニックで、表現に富んだからだの動きを促します。ラティハンをするデヴァヴァ二瞑想とは区別されるものです。
「ジベリッシュ」という言葉は、スーフィーの神秘家、ジャバールからきている。ジャ バールはどんな言葉も話さなかった。彼はただナンセンスを言っていただけだ。それ でも彼には何千という弟子がいた。なぜなら、彼の言っていることは、
「あなたのマ インドはジベリッシュ以外の何物でもない。それを脇に置くことだ、そうすればあな たは自身の存在を味わうだろう」
ということだからだ。
ジベリッシュを使いなさい。意味のある言葉を話さないこと、あなたの知っている 言語を話してはいけない。もし中国語を知らないなら、中国語を話しなさい。日本語 を知らないなら、日本語を話しなさい。ドイツ語を知っているなら、ドイツ語を話し てはいけない。
初めて自由を手にしなさい。あらゆる鳥たちが持っているのと同じ自由を。論理性 や理由づけ、意味や重要性などは気にせずに、ちょうど、鳥たちがそうしているよう に、ただあなたのマインドにやってくるものを許しなさい。
「Live Zen」より抜粋
初めて一人で長時間やってみたらとても面白かった。
なんか、普通の言語をしゃべり続けていくことで蓄積されるストレスを解放する効果があるような気がした。
これやると、意味のあることはまったく喋ってないんだけど、エネルギーは放出されているので、この感じは動物とか子供とか、外人さんとコミュニケーションする練習になるんじゃないかと思った。普通異文化を学ぶ場合は異なる言葉を「正しく」学ぼうとするんだけど、言語以前の場に出るこのようなテクニックもなにかしらの役に立つんじゃないかと思う。実は、意味のあることを常に喋ってるストレスって相当かもな~と。子供の時はよくやるんですけどね、こういうむちゃくちゃな発話とか、歌とか。
これをやるといつもの言葉の使い方や、抑揚が、ある無限のスペクトルの中のある限られた部分だけしか使用していないということがよくわかる。ジベリッシュをやった翌日仕事中、たまたま外人さんとボディランゲージでコミュニケーションする機会があったけど、なんかあんま緊張しなかった気がする。
ということで、ブレスワークは激しいけど、それだけ気づきも多そうなので、今年は機会があったら継続的に体験したいと思います(*^^)v
どういう世界に入ってしまうのか少し心配だ。
頭近くのスピーカーから結構大きいBGMが流れてくる。
Nさんが近くに座り「ハーっ ハーっ」というその呼吸の速度に合わせて、僕も目を閉じてブレスを開始する。
「ハーっ・・・ハーっ・・・ハーっ・・・ハーっ」
閉じた目の裏でめまいがした時に見えるような光の模様がぐるぐると回る。
5分もしないうちからすぐに、手が指先から肩くらいに至るまで強く痺れ始めた。
やがてそれは頬のあたりや顎にも広がっていく。と、同時にエネルギーが入ってきた時に起こる、泣き出す前のようなしゃくり上げが時々出始めた。
「ウェっ ウエっ ウエっ(;_;)」
「はい、それをそのまま感じていってくださ~い」とNさん。
もう少し経つと、まったく寒くないんだけど胸から肩のあたりにかけて震えがつよくなってきた。
感じとしてはドキドキした時の武者震いの、強いの。でもそれが強すぎて、なんだか歯までガチガチ鳴り始めた。上半分痺れと、震えと硬直でなんだか深呼吸どころではなくなってきたので、声をかける。
「あ・あの~なんか震えて歯がガチガチして、呼吸するのが辛いんですけど」
「わかりました。じゃあ今からちょっとそのエネルギーを流すワークをしますね。私が今からまったく意味のない言葉を しゃべりますから。あとから続いておなじようにやってみてください。」と言うと・・・・
「アウオウイイエオロイエアウーウケリュオオアオアチュカカイエウー」と、原始人の言葉のようなものが聞こえてきた。
僕も若干、恥ずかしさが残りながら「オウオウオウオアアアエエイウレムアカカアエエエ」みたいな感じで続ける。
「そう、もう頭がおかしくなったみたいな感じで、少し続けてください。」
いわゆるひとつのジベリッシュというやつ??
(↑↑一人でやってもいいし、グループでやってもいい。目を閉じ、意味のない音声"ジベリッシュ"を話し始めなさい。15分~30分ジベリッシュのなかに全面的にはいり込みなさい。あなたの内部の表出されなくてはならないものをすべて表出することを、自分自身に許しなさい。何もかも投げ出すのだ↑↑ oshoのメソッドのひとつ)
「次にね、手をバタバタさせながら、こう言ってみてください。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ~~っ」
「嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だー嫌だ、嫌だ!! 嫌だっ!!!」
続けてるうちに言葉に感情がこもり、声も大きくなってくる。
そのうち突然に、どこかでスイッチが入り、泣き崩れてしまった。
でもこれで手や、顎のあたりのブロックが解除されたのか、呼吸はしやすくなってきた。
しばらくして、音楽が変わった。
そのイントロを聞いた瞬間、僕はまた泣き出すしかなかった。
それはクリムゾンコレクションのメロディだった。
I先生の修道会やリトリートでいつも流れていたBGMだ。
なんだかわからないけど、すべてつながっている、そしてすべて何か大きなものに面倒をみてもらっている、そんな想いが感極まって溢れ出した。
その感情の流れをすべて言語化するのは難しいけど、瞑想会の会場から急にふらっと立ち去ったままだということ、どうしてそうなってしまったのかという葛藤、M会や、I先生へのいろいろな想いが一度に溢れたような感じだった。
そのあとエネルギーの感じがよくなった。
上半身はまだ全体的に強く痺れているけど、それは苦にならずむしろ気持ちいい。
今度は急に楽しく、なにかはしゃぎたいような気持ちが訪れ
「あは、アハ、ハハハッ、ハハハハっo(^▽^)o」と笑い出した。
笑い声がおさまっても、気持ちはとてもいいままだった。
顔がずっと笑ってるのが自分でもわかる。
アイソレーションタンクに入った時も、気持ちよくてこういう感じだったけど、少し違うのはただくつろいでいるだけではなくエネルギーの流れに貫かれ、浸され、一体となってる感じが強いことだ。
このエネルギー感が自分の感情なのかなんなのか、どこから来ているのかも曖昧になっている。
生(なま)の感情
少しきゃぴきゃぴしたような、はしゃぎたいような気持ち。
よろこびがあふれてハグしたい気持ち
みんな可愛く思える
理性や、いつものペルソナの奥にある感情の深い立体性に触れ、それが解き放たれたような感覚。
自分がいつも自分だと思ってる自分が、なにか無味乾燥な人格のように感じられる。
Nさんがハートチャクラのあたりを円を描くように撫でた。
「あなたはあなたのままでいて大丈夫です。あなたの感じることを、そのまま感じて大丈夫ですよ」と言う。
そのあと、
違う曲にすでに変わってるBGMに合わせて、「あああああああああーーーーー」とか「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」とか声を出してみた。音の宇宙に浸って、自分てなんだったのかよくわからなくなってくる。なんか変。
ちょっといっちゃってる。身体はむちゃくちゃ痺れてるし・・・・
来るかな・・・あれ来るかな・・・・恐怖・・・冷たい感覚・・・・いつ来るかな・・・・
そんな思考がループ始める。
「・・・ちょっと、不安モードになってきました」と声をかける。
「その不安を体で感じられますか?」
「なんか痺れすぎていて、それを感じるのはちょっと・・・でも、これ実際に不安というよりも、不安だって思ってるだけなのかも。不安が来るという思考だけかもしれないです・・・あはははっ」とまた笑う。
「そろそろ時間になったので、呼吸は普通に戻していってください。そして静かに横になって内側で起こることを感じていましょう」
と言い残し、Nさんは部屋を出て行った。
終了後、椅子に座りまた熱いハーブティーをご馳走になる。
「かなりエネルギーが動いていたと思います。泣いていらっしゃった時はどんな感じだったんですか?」
「あのかかってたクリムゾンコレクションの音楽、前お世話になっていたところの瞑想会とかでよく使われてたもので、、、それを聴いたとき神様とか宇宙とか、そういうものに全部面倒を見てもらっていて、全部つながってるんだというのが突き上げてきて感極まってしまったような感じでした」
「そうですか、、、Mさん自身がね、その宇宙であり、神様でもあるわけですから全部つながっているのはある意味で当たり前のことなんですね」
「あといろんなものをハグしたいような気持ち・・・」
「はい、あらゆるものをハグしてください^^」
「痺れなんですが、上半身全体が痺れていたんですけど、足はそれほどでもありませんでした。」
痺れが感じられたのはお尻のあたりまでだったので、足はそれほどブロックがないのかと思った。
「先ほど私が足に触ったとき、左足が硬いようだったので、おそらくそこまで(呼吸が及ばず?)エネルギーが回っていなかったのかもしれません」
「このブレスワークってやっぱり一人でやるのはちょっと危ないんですか?」
「それはよく質問されることなんですが、、どうしてダメと言われるかというと一人で長くやってた時に予想がつかない突発的なことが起こるとパニックになってしまうからだと思うんです。でも、私としては例えば、5分、10分、深く早い呼吸を続けてそのあとゆっくり横になって何が起こってるかを見つめるというくらいならば安全だと思います。ただ、ここでやってるようのは私の意識と共鳴してのセッションなのでそこは少し違ったものになると思います。」
「東京に帰っても継続してブレスワークをしたいと思うんですが、Nさんのお知り合いであっちでされてる方はいらっしゃらないんですか?」
「知らないんですね~これが(^_^;)、でも近々あちらに出張してのセッションは行うかもしれません」
「そうですか、、、では機会があればまたよろしくお願いいたします<(_ _)>」
という感じであっという間に2時間が終わった。
はっきりしたビジョンが見えたりとかそういう体験はなかったが、感情の動きがダイナミックで泣いたあとに、すぐ笑い出すということがまったく何も不自然ではない、一連のつながった流れのように思えた。
これだけ豊かな運動が自分の中に感じられるのは、うれしいし、普段はやはり知性というか、頭の中でこちゃこちゃ考えてる部分を自分だと思って、感情のよろこびをかなり封印していることが理解できた。そして、そのよろこびというものは、「悲しみ」や「怒り」や「恐れ」を感じないようにしているとそれと同じようにしなびてしまうものなのだと思う。それら負の感情のビッグ3を全力で受け止めると、その度合いに応じてよろこびも生き返ってくるものなのではないかと思った。
笑ってるときや、叫んでるときや、ジベリッシュも僕の表現のトーンに合わせてNさんもエコーしてくれるのでやりやすかった。
あと、うちに帰ってからジベリッシュが気になり調べてみた。、
マインドはいつでも言葉で思考する。ジベリッシュは、この絶えざる言語化のパターンを粉砕するのに役立つ。あなたは思考を抑圧せずに、ジベリッシュによって投げ出せる。あなたのからだにも同じく豊に表現させなさい。そうしたら、同じく15分~30分うつぶせになって横たわり、母なる大地と溶け合っているかのように感じなさい。息を吐き出すごとに、自分がからだの下の大地のなかに溶け込んでゆくのを感じなさい。
これは浄化作用の高いテクニックで、表現に富んだからだの動きを促します。ラティハンをするデヴァヴァ二瞑想とは区別されるものです。
「ジベリッシュ」という言葉は、スーフィーの神秘家、ジャバールからきている。ジャ バールはどんな言葉も話さなかった。彼はただナンセンスを言っていただけだ。それ でも彼には何千という弟子がいた。なぜなら、彼の言っていることは、
「あなたのマ インドはジベリッシュ以外の何物でもない。それを脇に置くことだ、そうすればあな たは自身の存在を味わうだろう」
ということだからだ。
ジベリッシュを使いなさい。意味のある言葉を話さないこと、あなたの知っている 言語を話してはいけない。もし中国語を知らないなら、中国語を話しなさい。日本語 を知らないなら、日本語を話しなさい。ドイツ語を知っているなら、ドイツ語を話し てはいけない。
初めて自由を手にしなさい。あらゆる鳥たちが持っているのと同じ自由を。論理性 や理由づけ、意味や重要性などは気にせずに、ちょうど、鳥たちがそうしているよう に、ただあなたのマインドにやってくるものを許しなさい。
「Live Zen」より抜粋
初めて一人で長時間やってみたらとても面白かった。
なんか、普通の言語をしゃべり続けていくことで蓄積されるストレスを解放する効果があるような気がした。
これやると、意味のあることはまったく喋ってないんだけど、エネルギーは放出されているので、この感じは動物とか子供とか、外人さんとコミュニケーションする練習になるんじゃないかと思った。普通異文化を学ぶ場合は異なる言葉を「正しく」学ぼうとするんだけど、言語以前の場に出るこのようなテクニックもなにかしらの役に立つんじゃないかと思う。実は、意味のあることを常に喋ってるストレスって相当かもな~と。子供の時はよくやるんですけどね、こういうむちゃくちゃな発話とか、歌とか。
これをやるといつもの言葉の使い方や、抑揚が、ある無限のスペクトルの中のある限られた部分だけしか使用していないということがよくわかる。ジベリッシュをやった翌日仕事中、たまたま外人さんとボディランゲージでコミュニケーションする機会があったけど、なんかあんま緊張しなかった気がする。
ということで、ブレスワークは激しいけど、それだけ気づきも多そうなので、今年は機会があったら継続的に体験したいと思います(*^^)v
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