意識のスペクトルから考える、マーヤの進化


●意識のスペクトルから考える、マーヤの進化

 
 10年以上前に読んだケン・ウィルバーの『意識のスペクトル』を物置から取り出して読んでみた。
 かなり面白かったけど、ちょっと買うのが早すぎて、以前は半分も理解できなったのではないかと思った。
 で、以下考えたことなど。

 ●有機体の性質と、ペルソナ‐シャドウ

 意識のスペクトルとは、『純粋意識・真我・神』 というリアリティのベースから、環境対個という二元的分割が生じたケンタウロス(心身統合体)のレベル、ケンタウロスのレベルに自我と肉体という二元性が働き、生まれる自我のレベルさらに自我のうちで許容できる自分と、許容できない自分という二元分割によって生じる影(シャドウ)のレベルなどが発生していくプロセスを説明した意識のモデル理論だ。

 唯一の意識に二元性が働き、スペクトルが複雑化していくほどに、自己像は理想的で、かつ虚構的(観念的)なものになっていく。
 その行き着く先が、影(シャドウ)のレベルで、これは自我の理想的な仮面(ペルソナ)と、認めたくない影の側面(シャドウ)との葛藤に意識がとらわれている状態だ。

 その葛藤は無意識下で働いているものなんだと思うけど、自分の一部を否定して、他者や自己に認められる部分だけでつくったペルソナだけを自分だと思い込もうとすると、それ以外の拒絶されたシャドウは、たいてい外部に対して投影される。
 よって、ペルソナは外部、他者の中に自分が葬ったはずのシャドウを見出し、それを非難する。
 そしてシャドウはおそらく引き寄せの法則的な意識原理によって、何度も、それが統合されるまでペルソナの前に現れては揺さぶりをかけてくる。

 ペルソナは、自我がOKだと勝手に思い込んだ自分だけでできているので構造的だが、戯画的であり、「どことなく」偽者くさい。 
 一方シャドウは、ある局面では、邪悪にさえ見える、混沌とした存在だ。
 しかし多くの場合、僕らが他者の中に見る「悪」とは、自分自身の罪悪感をいだく部分であることが多い。

 そして面白いことに、このレベルでは、理想化された自己像<ペルソナ>はシャドウによってこそ存在している。なぜなら愚か者がいなければ賢きものもいないし、不純なものがいなければ、純粋なものもいない、自分勝手な乱暴ものがいなければ、優しきものも存在しないからだ。

 ケンタウロスのレベルではそうではないが、二元化された観念が支配する影の領域では、そういった観念の対立がコインの裏表であるペルソナーシャドウの存在を可能にしている。
 だから例えば自我を霊的で高貴な存在とみなし、それ以外の要素を否定すれば、それらのものをすべて、外部に投影せざるを得ない。
 ウィルバーが述べてるように、ある「形」はその背景なしには存在しない。
 クラインの壷のように、顔と、壷は一体なのだ。
 賢さという形の背景は、愚かさだし、優しさの背景は、優しくない人、礼儀正しさの背景は、失礼な人、上品な人の背景は下品な人になる。

 このように両者一体のゲシュタルトをつくているために、ペルソナ(ある特定の傾向を持つ自分)に執着するほどそれとは反対の要素(影)に付きまとわれることになる。 

 じゃあどうすれば、この領域をひとつにできるかというと、やっぱり自我への無条件の愛、
 自分のすべての側面を受け入れて、慈しむことというのは有効な気がする。
 優しさにこだわる人は、自分勝手な自分も存在させてあげていいし、礼儀正しさにこだわる人は、失礼な自分も受け入れることで葛藤がなくなっていくのではないだろうか。
 この場合他者の中に現象化したシャドウを「許す」ということも、やはり仮面と影の統合につながると思う。

 ●有機体へのストレスと、マーヤの進化


 刺激に敏感なHSP(highly sensitive person)というタイプがあることを最近知った。
 大体人口の20パーセントはその傾向があるらしく、同じHSPでもちょっとしたショックで気を失ってしまうような
 本当に過度に敏感なタイプから、人ごみはちょっと疲れやすいという少し敏感なタイプまで幅広い。
 僕は気を失ったことはないがHSPの中でも、結構刺激に弱い部類に入るのではないかと思う。 
  体を鍛えたり、プラーナを増強するようなトレーニングによってある程度は耐性がついてくると思うけど、基本的な性質は変わらないだろう。
 この世界は言わば80パーセントの戦士と、20パーセントの僧侶によって構成されているのだと、「ささいなことにも、すぐに動揺してしまうあなたに。」の著者エレイン・アーロンは述べている。
 そして僕も前記事の中で少し書いたように、HSP特有の性質を、社会への不適応として「治療」しようとするセラピストがいるという 問題点についても語っている。HSPは治すものではなく、本人が自分の体質を理解して、なるべくやすらぐ環境を選び、HSP特有の繊細な長所を生かすということが重要なのだ。
 
 先日、仕事で中高年の方たちが5時間ライブをするその会場で、演奏を聞き続けるという状況になった。
 時間が経つにつれて、正直、僕は「泣きそうなほど」のきつさを感じるようになってきた。
 席も最前列で、スピーカーがすぐ前にあり、加えて照明の変化や、客席の振動も苦しくなってきた。
 そのうち僕は、この環境だとか、演奏をしている人たちに怒りや批判的な気持ちを感じるようになってきた。
 さらに進んで、こんな仕事をいつまでも続けるのはもう嫌だというような考えにまで発展した。
 「これは音の拷問だ」

 少し休憩をとろうと会場を出て、ロビーのいすに座って考えていると、
 これらの気持ちは、有機体としての僕(ケンタウロス的自己)が環境への脅威を感じているところから発生しているということがわかった。その有機体としての性質は、HSPの傾向がある。人格でも、トラウマでもない、もっと根本的な自己の性質だ。

 その有機体の感じる不快感が、スペクトルの別の部分へと翻訳・変換されると、投影された他者への怒りとなったり、もっと飛躍した「この仕事自体が嫌だ」というような発想とかになるのだろう。
 この複雑化したマーヤは、その根本が「感覚過多」、不快な環境から来ているということを理解することで力を失う気がする。それは還元すれば、音とか、光、振動の刺激にさらされそこから逃れられないという苦痛からきている。
 
 マーヤには感覚やエネルギーが主体のものと、情報が主体のものとがあるようだ。

 感覚・エネルギー系は 今・ここにある感覚やエネルギーの働きによって、今・ここにない思考や情報が機能する。

 情報が主体のものは、今・ここにある情報によって、本当は今・ここにない感覚が機能するのだ。



 感覚・エネルギー系はさっきのライブ会場のような例とか、あとは満月や新月、太陽の影響、低気圧、荒れた天候などが有機体の機能を撹乱することで起こる。

 情報が主体のものは、例えば、パッとテレビをつけるとキャスターがテンパリながら

 「福島第一原発でなんらかの大きな爆発が発生した模様です。現在現場とは連絡が取れない状態です。こちらからは何か大きな雲が発電所上空に立ち上っているのが見えます。現場付近に設置されているモニタリングポストの放射線量が若干上昇している模様です」

 みたいなことを例えば言ってると、それに呼応して、ドキドキや手に汗を書く、という感覚が発生する。
 しかし、情報系マーヤは完全に受け手の解釈に依存しているので、これをアラスカに住んでいる人が見たり、
 「ママー、ゲンパチュってな~に??」
 というような子供が見ても、ここまでの感覚的反応は起こらない。
 東日本や原発周辺に住んでいて、それを不安情報として解釈できる人たちの間でだけ、そのような生理的反応が起こる。

 その情報が真っ赤な嘘だとわかったり、その情報に拘泥するのがまったく意味がないということが心底理解されると、その情報はその人の意識と結びつくとっかかりを失い、影響を与えなくなる。

 また例えば、優秀なサイコセラピストが催眠術をかけて、「あなたはアラスカにいるのでまったく関係ありません」という情報を心底潜在意識が確信すれば多分なんの感覚的反応も起きないだろう。トータルな、意識が疑問を発生させる余地のない情報はそれくらいの強さとリアリティを持っている。

 ケンタウロス的自己が受信する感覚が主体で、そこからペルソナ‐シャドウの領域にまでマーヤが進化・発展してしまったものに関しては、もともとの感覚は何か?ということをサーチすることによってマーヤがなくなる場合がある気がする。

 それは「スペースまほろば」のN先生に教えてもらった、「感情を体で感じる」ということとつながるのではないかと思う。エゴや知性の働きによって複雑化したマーヤを、→感情で、からだの位置で、そして最終的には有機体の感覚にまで還元し、本当の原因を見つめることでそれらはまったく違った意味を持つようになる。



 ●HSPのサバイバルメソッド


 HSPの問題は、刺激に敏感で、神経が高ぶりやすすぎるということにある。メリットはその裏返しとして、普通よりも微細な感覚、印象を受け取ったり場の空気感を察しやすいということなどだ。

 だから、要はどのようにして最適なレベルの神経の興奮を保つか、ということだ。
 神経の興奮自体は、日常の活動に必要なものなのでそれを完全排除する必要はない。
 問題は、HSPの人は、必要レベル以上の興奮状態にすぐにぽーんといってしまい、いっぱいいっぱいになってしまうということだ。
 HSPの人に最も向かないのは、パチンコ屋で働いたりすることだろう。
 また周囲で様々な動きが同時多発的に発生してるようなオフィス環境も本来はあまり得意ではない。
 HSPの人は、それらすべての音や会話を拾ってしまいがちだからだ。集中力はあるのだが、環境という外圧に弱いのである。

 だから自動的に、その対策としては、感覚入力を遮断するということが有効になる。
 主なものは視覚・聴覚なので、イヤホン、耳栓、アイマスク、サングラスなどをTPOに応じて使い分けるのがよい。単に5分ほど目を閉じるだけでも、視覚情報が落ちるので、結構くつろぐことができる。

 あと毛布や、ショールなどからだ全体をすっぽり覆ってしまうような「安全装置」を頻繁に使用するのもいいらしい。
 僕は布団の中に入って、アイマスクをして、イヤホンで波の音を聴く、というのがちょっと気に入っていたが、その状態でうとうとしてる時相方に体を叩かれて、死ぬほど驚いて飛び起きた。これやるときは事前に身近な人には言っておいたほうがいいかも。

 これらを使うことでかなりストレスが減るだろうし、また使うこと自体が自分の体質を受け入れいたわることにつながるのではないかと思う。

 それともちろん、瞑想や黙想、テレビやPCを消して静寂な「超越タイム」を持つことも、すごく大事らしいです☆


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知覚、リアリティetc | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/05/09 14:50
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