夏至前は暗闇タイム




 5月は久々のX1、X2クラスの大規模フレアが発生したりして、太陽活動が激しかった。
 もともと夏至に向かう4月、5月、6月は光のエネルギーがとても強い。
 それで気づいたんだけど、僕はこの時期になると暗闇タイムを過ごしたくなるみたいだ。
 去年も確か5月とかにブログに書いたと思う。
 照明類は全部落として、小さなキャンドルを一個か二個つけて、ボーっと過ごす。
 これを始めたきっかけは普通以上に疲れてるときは、間接照明の柔らかい光でも目に突き刺さってくるように感じて、まったく照明のない暗がりのほうが神経を安らがせてくれることに気づいた時だった。
 まったくの暗闇と言っても、雨戸でも閉めなければ、外の電柱の光とか、家の明かりとかが差し込んでくるので絶対にぼんやりと薄明るくなる。空全体が、薄く発光している。都市部では自分の家の照明を落としただけでは本当の暗闇はなかなか手に入らない。
 この時期に暗闇タイムがやりたくなるのは、きっと光のエネルギーが急激に増えていくことに対してバランスを取ろうとしているのではないかと思う。間違っても12月の日が短いときには、夜まで明かりを消して過ごそうとは思わないからだ。
 なぜ疲れているとき照明をつけたくなくなるのかというと、光が、神経系統をかき乱す干渉的なエネルギーとして感じられるからだろう。ある特定の波長というか、エネルギー、リズム、照明は間断なくそういったものを放射している。それがうるさく感じられる。一方、暗闇の中ではそういう干渉力が弱くなるので気持ちが安らぐ。

 きっと地球に夜と昼があるのは、人体にとって光と闇が必要だからで、闇の中で過ごすことによって初めて機能する脳の働きだとか、放出される脳内物質というものがあるのだ。
 もしそうならば、先進国で生きる多くの人が「光の過剰」による慢性症候群に苦しんでいる可能性は大いにある。

 20世紀にエジソンが電球を発明して以来、人は昼間の活動をそのまま夜に持ち込むことができる様になった。ビジネスや、娯楽、歓楽、その他多くの領域で昼のままの活動を、夜間も継続できるようになった。
 昼間の活動をそのまま夜間も続けられるということは、一見すると自由の拡大だが、本当にそうだろうか。
 暗闇と言う別次元への扉を駆逐することによって、人は逆に「光の中に」、「昼間の意識」の中に閉じ込められたのではないかとも考えられる。
 人工照明の登場は、便利さをもたらすと同時に別次元の喪失と、「昼間の意識」の活動過剰を生んだのだ。

 暗闇はものの輪郭をおぼろげにさせ、暗闇の中へ溶かし込む。
 昼間明らかだったものが定かではなくなることと、シンクロして、僕らの中の固定観念もやわらかくなり、過去と未来の境が、「あなた」と「わたし」の境が、「現実」と「幻想」の境が、「ここ」と「あそこ」の境があいまいになる。時間と空間の垣根がゆるくなる。昨日と、10年前の距離感が等しくなるのだ。
 それが本来の「夜の意識」であり、「昼の意識」と相補的に互いを必要としているものだったのではないかと思う。①ものごとがはっきりしていること、あるものはあり、ないものはないこと。②すべてがあいまいでよく見えないこと、ないものがあり、あったものがなくなること。このふたつの世界が人間の意識にとっては必要なのだ。

 「夜の意識」とともに夜を生きる限りは、部屋の隅々まで照らし出すような照明は必要ではなかったのだ。
 「夜の意識」にとって必要なのは、部分的な、手元や足元だけを照らすような小さな明かりがあれば十分だった。それ以上の光は夜を壊してしまうものだった。照明の発明とともに、あるいは人は夜を失ったのかもしれない。

 それにしても、ここまでの人工照明の普及と言うのはなにか人類の集合意識が暗闇に復讐しているようなそんな印象すら与える。
 中世を生きる人にとって暗闇が、危険や死、あるいは狂気などと同一であったことは容易に想像できる。ある意味左脳文明による自然の征服と、暗闇の征服は軌を一にしていたのだ。自然は=暗闇であり、暗闇は=自然だった。それを文明の力によって、開拓し、隅々まで「昼間の意識」により照明することを願わねばならないほど、人にとって闇は、そして狂気と死は恐ろしいものだったのだろうか。
 だが、永遠の「光」が、そして「昼間の意識」がずっと続くこともそれ以上に恐ろしく、狂気に等しい。魔物も、恐ろしい森の獣もいないが、白々と均一に照明された安全な世界がどこまでも続くのだ。「異常な正常さ」という新たな狂気が20世紀に出現した。

 照明の登場とともに、夜の喪失にあがらい、キャンドルやランプの生活を続けた人もたくさんいただろう。どんな時にも時代の潮流に疑問を抱き、自分の感覚を尊ぶ人が必ずいる。そういう人たちのことを考えると、いとしさが湧いてくる。

 以前インドに行ったとき、あまりにも頻繁に停電が起こり、ホテルのベッドの上に座って暗闇の中で外に降る雨の音をじっと聴いてるしかないことが何度もあった。「ああ、この場所ではまだ暗闇は征服されていないんだな」と思った。それは確かに、医療だとか文化的な生活にとってはNGな状態かもしれないけど、やっぱり闇が征服されていない場所はどこかに残っていて欲しいと思わずにはいられなかった。



   bathlife08_001.jpg





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知覚、リアリティetc | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/06/02 08:51
コメント
陰陽混合のカオス現象なんですかね? 闇と病み・・・田舎でもコンビニの明かりで、暗闇が侵されていってます
>すうぇい様

 いつもコメントありがとうございます♪

 やっぱり陰と陽、暗闇と光、人体にはそのどちらも必要なのではないでしょうか。
 電気消すと何もできなくなっちゃいますが^^その何もできない時間にでもできることに、大切な秘密があるような気がします☆


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