サマータイムイリュージョン

 
 昨日昭和30年代のニュース映像を集めたDVDをレンタルで観た。

 その時代時代の風俗とか、人々の様子を見るのも面白いけど、ニュースのナレーターの言葉使いや感覚が今の放送コードでぐるぐるまきのしゃべり方と違って、素朴でのんびりしてるけど、時々今ならシャレにならないような発言を平気でしてるのを聴いて結構ウケてしまう。

 ↓こういうの。昭和44年の現代っ子。これなんかも鍵っ子が首から鍵ぶら下げてるってわかりやすすぎて危なくねーか、とか現代目線いろいろ突っ込める。せめてポケットとかに入れたほうが・・・

 





 僕の観たDVDでは2012年にあった金環食が昭和33年にもあり、東京でも80数パーセントまで太陽が欠けた日があった。
 銀座の大通りで大勢の人が空を見上げて観測してる姿がモノクロの映像に収められている。
 金環食は今世紀で最後というナレーションのあと、お年寄りが望遠鏡を覗いてる姿が映され、

 「おじいさんやおばあさんにはこれが多分見納めでしょう」と、サラッと言ってる。

 あ・あははは

 い・いや、そりゃそうかもしれませんが、あえて言うかね^^: 

 安藤アナがこういうこと言ってるの想像してみてください。

 あと、東京の大学から医師団が無医村に出向いて出張診察を行うというニュースでは、ナレーターが医師になった視点でナレーション
 してるんだけど、

 「連日、蒸し暑く頭がおかしいと訴えるばあさんには私の頭の方が痛かった」とかこれまたサラッと言ってて、爆笑する。

 なんか今なら苦情電話殺到して、番組中止になりそう。

 でもこういうのは今より昔はモラルがなかったとか、どっちが正しいかという問題ではないような気がする。

 今世紀最後の金環食だったら、おじいさんおばあさんたちは見納めなのはおそらく間違いのないことだろうし、それをあえて言うのは今なら
 きわめてデリカシーないことだけど、この頃はその感覚というのは当たり前のことだったんじゃないかと。
 昔のほうが人の生と死を直視してるとも言える。なんかある意味粋な感じがするのだ。
 今ならもしかすると、「長生きしてもう一回見ましょうよー」とか無粋に言っちゃうんですよね。

  僕が20世紀初頭→90年代くらいまでの日本の風俗とか、流行語とか、街の風景の変遷を見ることが出来る本とか映像が割と好きなのは、今とはかなりずれた価値観とか雰囲気を見ることでリアリティがすごく「ゆらぐ」気分を味わえるからだ。

 90年代くらいでも、まゆが太くて、いわゆる「ワンレンボディコン」(これは昔の言葉・からだにぴったりのぴちぴちのワンピース着たロングヘアーの女の人)の人がジュリアナで踊り自分がイケてる(これは今の言葉)と思ってるのを観ると、ホント美意識とか、ファッションて100パーセントその時代にしか通用しないものが結構あるのがわかる。

 広末良子主演の「バブルへGO」は、そういう近い過去へのタイムスリップだけど、価値観が違うのを表現していて面白かった。

 


 この昭和ニュース映像のDVD借りて観てて、気づいたんだけど、

 あれ?僕って、いっつも7月とか8月、こういうのにちょっとハマッてることが多いなあ・・・なんで?

 と。

 もしかすると、真夏には過去へと回帰するような意識の流れが存在するのだろうか。

 もちろん春にも、秋にも、冬にも、人は過去を回想すると思うんだけど、なんか夏のそれというのはもっと集合的な現象だと感じられる。

 春は新しい生活が始まることが多い。みなそれに飲まれてあまり内面的にはならない。
 夏になると、夏休みや海や山のレジャー、旅行があったりして、みんな薄着で過ごし、ある意味外面性が極まるんだけど、なんだかその反動のように開ける内面性があるように思われるのだ。
 そしてもっともわかりやすい内面性とは「記憶」なのである。

 日本に限って言えば、夏にはお盆があって先祖供養をしたり、8月には終戦記念日や原爆投下の日もある。
 そのように集団的・部族的な記憶が開かれるきっかけが多い。

 なぜ夏に怪談が合うのか?っていうのが僕はずっと不思議だった。
 
 涼しくなるため、とかは完全に後付の理由だと思う。
 どうして幽霊が、夏に似合うのか? ということを考えると、もしかすると結局幽霊と言うのも広い意味では「過去の記憶・幻像」だからなのかもしれない。

 どうしてかわからないけど、夏には「過去の幻像」が似合うのである。 

 焼け付くような太陽に照らされた路上に、ゆらゆらとゆらめく蜃気楼が現れるように、夏の生の強烈さというのがもしかすると過去の幻像や死者の記憶を召還するのかもしれない。

 真夏は過去へ回帰する。

 よく児童文学的な話しで、夏休みに、沈んだ海賊船の宝を探しにいくなんていう物語があるけど、こういうのにしても、過去の伝説、過去の事故・悲劇、それにまつわる幽霊、といったものが現在の冒険によって紐解かれ、語り始める。

 ドラえもんの映画シリーズでは、「のびたの海底奇岩城」ってのが、現在の冒険が、過去のアトランティス文明の遺産を清算するっていう構造を持ってます。ドラえもんたちの敵は、かつてムー大陸と戦うために作られた人工知能だっていう話しなので、これも完全に過去の幻像が現在に力を行使しようとする話しなんですよね。
 
 どうやら夏には、秘められた過去や、忘れてはならない歴史、そして「死者」という記憶が現在に影響力を行使する、フィードバックループが存在するみたいだ。

 





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知覚、リアリティetc | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/07/13 16:30
コメント
子供時代の夏の記憶はなんかセンチですね。お盆も漠然と“死”を意識させられましたし。おいらも、TVの“夏休み子供スペシャル”としてやってた“じゃりん子チエ”を思い出します(笑)
 すうぃえ様

 こんばんは♪じゃりんこチエいいですね。漫画かなり読みました。大好きです。映画版の小鉄とアンニアJrの決闘は涙なしではみれません。。なんつって(笑)

 そうそう、午前中によくやってた夏休み子供スペシャルっていうのも、夏休みの小学生にとってはメインイベントだったかもしれないですよね。
















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