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天地‐人のニューヴィレッジ②

 ■ ニュービレッジ・ムーヴメントの役割と可能性

 確かに数十年以上前から、自給自足のコミュニティをつくったり、その中で持続可能な文明のモデルを模索してる人はたくさんいたと思うけど、今事態は少し切迫の度合いを増しているように僕には思われる。

 東京から200キロほど離れた場所では原発から汚染水が地下水に流れ続け、4号機倒壊の可能性もいまだ消えず、首都直下型地震や南海トラフ地震の可能性、気象庁が運用を始めた「特別警報」に該当するような自然災害の可能性が一段と高まってきているというような状況がそう思わせるのかもしれない。

 TPPというただでさえ弱い日本の農業、食料自給率を根こそぎにする協定に国が参加を始めているということもあるかもしれない。

 このような状況の中で、ニュービレッジはおおよそふたつの役割を持つ可能性がある。
 
 ひとつは「サバイバル村」。

 自然災害や、経済的破綻、それらに伴う食糧危機時などにおいて食料・水を始めとするライフラインのバックアップとして自然の資源や、ローカルなネットワークを活用するコミュニティとなること。

 もうひとつは「新たな文明の雛型」。

 農を基本としつつも、新たなエネルギー技術、心身総合医療、スピリチュアルな知恵、通信手段、メディアなど多くの分野の知恵を結集したコミュニティ、持続可能な文明の雛型を個人や小規模なグループのレベルで創造して、その価値観を世に問うていくことだ。

 占星術家マドモアゼル愛さんの著作に『森と平野に文化定住する時代』という本があるけど、ニュービレッジは、この本の中で<森に住む人たち>に該当する。

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<森に住む人々>は<平野に住む人々>、大企業に関連する人々、金融に関連する人々、国や自治体などの公的機関とも共同できることが理想的だ。

 スピリチュアルな思想でよくある「二極化」という言葉で、平野的な生き方、都市生活やテクノロジーを断罪して切り捨てるべきではないだろう。

 大きな災害が起これば自衛隊のような訓練された組織や、重機などが必ず必要になってくる。

 よく心身総合医療などで言われることだけど、メンタルな部分をケアしたりすることが重要であると同時に緊急的な外科的措置というのは絶対に必要であるし、それを軽視するべきではない。
 この場合自衛隊のような組織は、緊急時の外科的措置に該当する。 

 外科的措置や、薬の投与、MRIやCTなどの技術を、エーテル的レベル(鍼灸、気功、整体)感情体レベルの治療(イメージ療法など)と統合・調和することが求められているのと同じく、山の生き方と平野の生き方を統合することによってこそ新たな可能性が生まれると思う。

 ただ今はあまりにも「山の生き方」の実践度が低いので、自給自足や農に意識を向けることがマクロレベルで求められているのだ。 

 今後仮に、このまま自然災害の脅威や、経済の破綻、食糧危機などが未知のレベルにまで進行した場合、その対策を担うのは主に国や自治体レベルとなってしまう。もしそうなった場合、そのレベルの組織のありようが人の生殺与奪を担うことになる。そして、外科処置的な、対症療法的な措置(瓦礫の撤去だとか、災害の予測技術、食糧の配給など)のみが重要視され、新たな世界へのキーワードとなる「山の生き方」、大地とのリコネクションが忘れられてしまう可能性がある。

 それは、マズイと思う。


 ■情報のグローバリゼーションと、ローカリゼーション


 20世紀は情報のグローバリゼーションの時代だった。

 1906年に初のラジオ放送(それは外洋を航行する船舶へ向けたクリスマスの挨拶だったそうだけど)をして以来、100年と経たない内に映像受像機(テレビ)の一般普及から、80年代、90年代からパソコンによる個人レベルでの情報の受送信が可能になった。
 今では一人一人が携帯型のコンピュータ(スマホやタブレット)で、WEBと常時連結しているということが普通になりつつある。

 これら一世紀に満たない間に起こった、幾度にもわたる情報・メディア革命により僕らは世界の裏側で発生した事件を、ほぼリアルタイムで知ることが出来るようになった。世界の裏側どころではなく、アポロの月着陸の際には、遥かはなれた宇宙空間で行われたパフォーマンスを世界中が見つめた。 

 しかし、これは大きなストレスにもなることだった。僕らは同時に世界のいたるところから送られてくる、
ネガティビティにもさらされることになったからだ。最初の衛星放送で日本人が目撃することになった、ケネディ大統領の暗殺、発展途上の国でやせ細り目を見開いた子供たちの映像、あの2001年9月11日に崩れ落ちたWTCの映像などその数は枚挙に暇がない。   

 これほどメディアが発達する以前は、僕らはきわめてローカルな情報しか知らなかったはずである。
 本当に自分の村の周りで起こる限られたことを、見聞する。メディアと言えば、「瓦版」みたいなものが出回って、遥か遠い「江戸」で起こってることを伝える。そんな時代だって確かにあった。

 人がただ江戸時代に小さな村で生きるだけであれば、地球の裏側で起こったことなどまったく知る必要はない。
 しかしWTCのテロ映像を見て、みなが衝撃を受けるのは、様々なグローバリゼーションの結果として地球が小さくなったからだ。
 それはよくも悪くも、まったく他人事ではなくなってしまった。

 恐怖も善意も一瞬で世界を駆け巡る、いつのまにかそのような時代になったのだ。

 このような時代にあって、あえて今一度の情報のローカリゼーションが必要なのではないかと僕は思う。

 それはあえて情報回路を一番原始的レベルにまで退行させること、つまり自分の目と耳、そして感覚、直観で得られる情報のみにフォーカスすること、一切のメディアを一時的に放棄することだ。

 そうするとどうなるかというと、僕らは目の前にある現実、目の前にある人々との関わりにエネルギーを多く傾けるようになる。

 そして、無数に発生している世界の悲劇や醜聞にエネルギーや注意力を注がなくなる。
 
 大地と結びつき、自分の目と耳で見聞した情報を広げていく、ローカルに得た食物、情報、をグローバルに流していくということが大事なのではないだろうか。
 
 でないと、ローカリゼーションのない情報グローバリゼーションというのは単なる個人の意志や大地の生命を喪失した、冷たい情報ファシズムに意識を明け渡しているに過ぎないのではないかと思う。

 2001年に9・11が起こりその直後、欧米、日本の主要メディアはイスラム原理主義のテログループの犯行だと報道し、それに続くアフガニスタン、イラク侵攻への道を整えた。

 それから数年たってネットメディアでは、実は9・11は周到に巨大な勢力によって演出された陰謀で、その目的はもともと軍事的な侵略にあり、そのためにおこなった自作自演だったという説が広がった。

 これらの情報はまったく内容は異なるが、そのどちらに飲み込まれても、僕らは自分自身や自分の肉体感覚との結びつきというローカリゼーションを失ってしまう。「隠された真実」のグローバリゼーションにも大きな罠がある。その『真実』が、自分自身の知恵や命、大地と僕らを切り離してしまう限りにおいて・・・。

 そうならないように、どのようなプロパガンダにも乗せられすぎないように。グローバルな情報網に載る情報を、ローカルな大地・肉体・感覚・直観に基づいたものにしていくことで真の生命ある情報ネットワークが構築される気がする。

 ニュービレッジ間で構築されるメディアはそのようなものであって欲しい。


 ■潮流


 最後に、1970年代から自給自足の暮らしを実践しているパーマカルチャー安曇野の臼井健二さんのお話し



 からだの使い方や、ヴェーダンタ思想のレクチャーもあったりして面白い。

 『農』と、豊かなカルチャーやスピリチュアルな考え方が結合したら、絶対にすごいものが生まれるはず。



 「365日働かなくて、365日遊んでても生きていけるんだって」

 いいなーそれ^^ 
 
 

 
 







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アセンション考 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/09/16 20:40
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