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Seed~スマホと薪ストーブ~

 先週末、埼玉某所でのI先生の夜の集いに参加した。

 始まる前にちょっと雑談をしたけど、最近先生は埼玉での待機場所で使う薪ストーブの薪を材木やさんなどでもらいうけたりしてるらしい。その材木をチェーンソーや斧で薪にしていく過程を面白おかしくいつものノリで話してくれたけど、薪ストーブは普通の石油ストーブなどより全然あたたかいらしい。

 薪ストーブの前でパイプをふかす先生の姿があまりにもはまりすぎなイメージで浮かぶ。
 一度僕も暖炉で燃えてる炎を見てみたいものだ。

 「かなりワイルドな生活をされてるんですね~」

 「そう、そうなんだよw」

 前回も確か、畑を始めて蕎麦を栽培しているという話しを聴いた。
 今年に入ってからI先生もライフスタイルがずいぶん変わったみたいだ。

 開始時間が近づくにつれ、修道会歴○年の方々が次々に窓から入ってくる。
 会場は少し古びた一般の民家で、窓の外のテラスからも階段が下に伸びているという面白いつくりになっているからだ。6畳ほどの和室。趣きがあってなんだか落ち着ける空間だ。今年は個人セッション一度と、夏の修道会で一度、このおうちにお邪魔した。今回であわせて3度目だ。

 開始直後、「M君は調子はどう?」とたずねられ

 「はい、冬にしては調子がいいです」と答える。

 例年秋冬は風邪をひきまくったり、体調を崩してることが多いけど、今年は少し安定感がある。
 
 自分でも腰布一枚で朝日を礼拝したり、耐寒訓練をしたり、塩水で鼻をうがいしたり(?)ワイルドになろうと努力している部分もある。

 「いいでしょ?それはねきっと全体の意識が変わってきてるからだと思うよ。今年は本当変だからね~、多分去年の12月にアセンションしちゃったんだな。」とI先生

 ええ~~もうしちゃったんですか。
 おそらく先生特有の適当発言かと思われたが、まるきり冗談でもないようだ。
 
 先生いわくスマホの普及などで世界全体の意識がひとつに共鳴しやすくなっているのではないかという。

 「すごいよ!だって、最近じゃタイのお坊さんだって、袈裟を着てすっすっ(スマホを指で操作する動き)てやってるんだからねー」

 I先生自身もスマホとタブレットを使っているらしく、いまだに4年前に機種変したガラパゴス携帯を使ってる僕よりIT化している。

 先生によるとティモシー・リアリーなんかもITによる人間の意識進化にかなり期待していたところがあったらしい。

 「まあ、すぐに5次元になったりとかするわけじゃないけど、アクエリアスの時代になると、国家も消滅していくと俺は思ってるんだよね。それで、自給自足をしてる共同体が世界中にできて、インターネットでつながるようなね、そういう時代。100年か200年後には、そうなってるんじゃないかと思うんだけどね」

 少し前のブログ記事で書いたようなことを先生も言っていた。

 100年か・・・かなり長いきせねばだけど、その始まりくらいは見届けたい。

 うお座の時代は父性原理が支配する弱肉強食の時代で、善人はしいたげられて辛酸をなめるようなことが多かったけど、アクエリアスエイジは母性の時代なので愛が基本となって、つながりあった意識で生きるような時代になるという。

 ダンテスダイジは確か講話集のなかで、アクエリアスの時代で人類史上初めて、愛と自由が調和した時代が来るといっている。それぞれが自立して自由でありながらも、ワンネスに結びついている時代だ。

 「ワンネスということのもともとの意味は唯一性で、ブラフマンだけが唯一で、そのほかはマーヤということだから、それだと現象世界に対してはネガティブな意味になる。」

 しかし、そのワンネスとはまた別に、個々の人間の意識がひとつに融合するような、よくいわれるような意味合いでのワンネスもまた存在するようで、I先生がまったく知らない人たちの意識と意識が共鳴しあうという体験をした話も聞かせてもらった。

 20世紀にすでにそのような現象が起こっていたなら、あと何年後か、何十年後か、何百年後か知らないけど人類全体の意識がひとつの巨大なWEBのようなものになっていてもおかしくはない。実はもうその兆しはあって、ITテクノロジーはその雛形である可能性もある。

 なんだかこういうものも開発されつつあるみたいですね~
映画「クラウドアトラス」にこういうんあったような。
 非現実的なまでにSFチックな3Dホログラムディスプレイ 




 今後自給自足コミュニティが増えていくなら、自然と接続することは必須で、だからこそ今後のキーワードは、Spiritual & Wildかなとひそかに思っていたが、ワイルド(アナログ)&テクノロジーっていうのも間違ってはいないのかもしれない。
 ちょうど、畑仕事や、薪割りなどワイルドかつアナログな作業をしつつ、その合間にタブレットやスマホ、PCなどのデジタルメディアを操作するというような日常。
 テクノロジーと自然、片方を軽視したり否定せず、両方の極に足をかけるようなライフスタイルがいいのかも。

 もちろん、spirit(神・意識・魂)をはずすということは出来ないんだけど。


  僕の感覚としては、今年は日本の政治や世情もなんだかこんな感じだし、アセンション祭りも遠きになりけりな印象で、アセンションや天変地異に頭を奪われるより個人の人生の意味にもっとフォーカスしたほうがいいような感じを受けていたけど、I先生によると全体の意識はかなり変化しているのではないかという。

 もし仮に全体が変わるのが100年~200年も先だった場合、今生きてる僕らに見えるのはそのほんのプロローグのようなもので、例えば2050年、今から37年後、僕がじいさんになる頃にも韓国と中国がどうしたこうしたとか、街角の景況感が回復傾向にあるとか、中国で二度目の五輪開催が決まったとか、今年度の流行語は「脳内アプリです」とか、そんなニュースが流れてる可能性もあるのだろうか。

 でも例えそうでも、僕は自分の生を生きるだけだ。

 そして、僕らの生は、種なのである。

 20世紀後半に欧米を中心に起こった、ヒッピーカルチャーや、ニューエイジムーブメント、ナチュラリズム、ドラッグカルチャーなどは一世を風靡して新たな時代の到来を予感させたけど時が経つにつれて下火になりまったく商業的なものに変質しその様をあらわすために「スピリチュアルマテリアリズム」や「プラスティックメディスンマン」なんていう言葉も登場した。

 しかし僕が思うに、それらの潮流のエッセンスは枯れ果てたのではなく、単に潜在化して地中に潜っただけなのだ。人類の集合意識に痕跡されたその波動は、時期がくればかならずその時代にあった形で芽吹いて花咲くものなのではないだろうか。新しい生き方や考え方は、古来から何度も何度も、このようなこの世界への顕在化と集合意識への潜在化を繰り返しているものだと思う。

 例えばニコラステラが発明しようとした、送電線の存在しないエネルギー伝達システムのようなものもあるいはすでに別の時空間では実現されていたものだったかもしれない。テスラはそれをこの時空間でも顕在化しようとしたが、時がいまだ至らずにそれはかなわなかったのだ。しかしテスラの想いと生はそこでまた新たな種となって、この時空の集合意識に蒔かれた。

 それと同じように、僕らは望めば新たなアクエリアスエイジの種となることはできる。

 その文明の型となるような生活を実践することにより、その世界の父祖となることはできるのではないだろうか。例えその世界的到来を見ることが出来なくても、その種の世界、原因の世界を生きることが出来るのだ。それがある種の「希望」なのではないかと想う。
 そしてその希望はあいまいなファンタジーではなく、時空を越えて僕らが父祖たちから受け継いできた「種」なのだ。
 
 「例え明日世界が終わるとしても、私はリンゴの樹を植える」べきなのは、それはいつか別時空での「種」となる行為だからだと想う。


・・・とかなり、修道会での会話から自分の思索を展開してしまったけど、修道会ではこういう話をずっとしていたわけではなかった。それは最初のごく一部で、世間話から、「時間」の話し、すごくゆるい笑い話しなど、いろいろな話題を軽快に飛び回りながら、いつのまにか3時間が過ぎていた。

 ある意味単なるギャグでも、アクエリアスエイジの話でも、それを常にユーモアを交えて話すI先生にとってはほぼイコールのトピックなんだろうなと、いつも想っていたことを改めて感じた。ある主張を押し付けようと言うような意図はこれっぱかしもない。

 I先生は言う。

 「だからいつも言ってるでしょ、俺のいうことを信じるなってw そりゃ、俺だって信じて欲しくてしゃべってるよ。でも、言われたことを信じないってことが洗脳にかからないようにするための方法なんだ。」

 「だから盲信されるのを避けるために、すごい面をだしたりがっかりな面をだしたり交互にやってるわけ。それでバランスが取れるの。タイミング悪くがっかりな回だけに参加しちゃった人はそれで来なくなっちゃうんだけどね。それは俺が意図してやってるわけじゃないからしょうがないよw」


 僕もがっかりの回だった時は、「なんだそれ・・・もう行くのやめよ」と想ったことが何度あったかわからない。でもそれでもいまだにこうして足を運んでるのはとっても不思議だ。それは先生の表面的な言葉とは別の次元で供給される膨大なエネルギーと情報があったからだと思っている。


 僕の意識は日常の出来事から切り離されて、その場の意識状態にかなりシンクロしていた。修道会に行く前に歯科医にいったんだけど、そこでの会話などがまったく別次元での出来事か、はるか以前の出来事のように感じられた。目を閉じて飛び始めた状態で、先生の声や、他の参加者のかたの笑い声を聴いてるのはとても心地よかった。




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修道会日誌 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/12/10 11:21
コメント
ミクロがマクロで、マクロがミクロ

自分が世界、次元を作り出してる事に気づくのは、自分にしかできないんでしょうかね

イメージを具現化する力が復活するのかもですね
すうぇいさん

こんにちは!(^_^)v
日常のなにげない行動も、宇宙【神】の創造プロセスに組み込まれているのだと思います。

いつもありがとうございます♪

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