個と集合意識~僕らの理由~



最近ノートにやたらと集合意識についての記述が多いので、それをまとめて、書いてみます。




 
 宇宙は完全な知性である神のこころの現れであり、それ自体が生きて呼吸し、生成発展する完璧な生命体だが、それについての理解度は人間の集合意識により規定される。
 例えば「太陽」は高温で核融合を起こす天体であるという科学的見方は、ある実在のひとつの側面を科学という手法によって切り取った理解の仕方だ。しかしこの特定の見方は人間集合意識によって広く支持されているため、あたかも唯一の客観的見方であるかのようにみなされている。
 この見方によってこぼれおちているのは、例えば太陽にもスピリット(意識)があり、独特の個性と、リズムを持った生命体であるという古代の信仰や、詩的に表現される見方だ。「風の声」や「大地の鼓動」などの詩的な表現は、自然にスピリットを付与するという意味合いにおいて、古代の信仰と共通性を持つ。
 というのはもともと詩(ポエジー)は、ファンタジー(人間の空想)ではなく、古代の信仰と同じように実在との架け橋であったからだ。
 しかし人間の集合意識が、宇宙を生命として、意識あるものとみなさなくなったときに、ポエジーは単なるファンタジーと同一視されるようになったのである。

 太陽を生命として、意識ある存在として見る意識に基づいた、社会や文明はまったく別のものになると思うが、太陽を生命と見ない文明の創造物は、太陽を生命と見る認識にストップをかける傾向がある。

 集合意識には無限のスペクトルが存在し、そのどの局面にシンクロするかは個々の僕らがある程度は選択する余地がある。しかし、人類全体の意識が動くのと逆方向に動くのは大変なエネルギーがいるため、個々の成長にも人類全体の意識の後押しが重要だ。そういう観点からいうと、自分の意識レベルをはかり、誰よりも劣っているとか優れているというジャッジはあまり意味をなさなくなる。というのは、個々の人間やスピリットの進化というものがあると同時に、究極的には人類意識というクラスター全体が、光へと、あるいは実在へと進化しているという事実が重要で、誰一人として、本当に自分のみではどこにも到達できないからだ。
 インドの聖者ラーマクリシュナの高弟ヴィヴェーカーナンダは、「人類は光へと向い進むひとつの巨大な命である」と言っている。


 現代は、マスメディアやIT技術の発達で、全世界が同じ意識で共振することが可能になった稀な時代だ。それは二重の意味合いを持っている。マスメディアの権威性が全世界に地獄を中継することもできるし、またある高邁な理想を全世界で共有することも可能だということである。
 しかし現時点においては、多くの人が目にするメディアから流れる情報の多くは集合意識の中でも、最善のものであるとは言いがたい。

 集合意識の中でも高度な部分は、宇宙と調和し、それが生きた実在であるということを知っている。
 アメリカインディアンのグランドファーザーの伝記には、彼が「水の心」とコミュニケーションしたエピソードが登場するが、このようなある能力や感性に特化した人物の体験や人生は彼のみのものではない。それはおそらく仮に誰にも語られることがなくても、人類集合意識によってシェア、拡散されて、人類が完全に自然と断絶しないためのストッパーとなっているのではないだろうか。彼は全人類の代表として、「水」と話したのだ。これと同じように様々な人が、人類と宇宙との絆を、人類と動物たちとの絆を、人類と神との絆を、保ち、結びなおすためにその人生を生きている。

 人類意識全体の傾向としては、これからアクエリアスの時代に入る(あるいは入った)といわれている。
 それは集合意識全体の性質の変化だが、それは次のようなものになるだろうと予想できる。
 まずアクエリアスの時代は、ワンネスの時代であると同時に個が重要な時代でもある。それは個性が完全に花開いた上で、調和が実現される時代であり、他を生かすために自己犠牲をする、自分を殺す、というスピリチュアリティは最善のものではなくなる。そのためある特定の権威に従うよりも、自己を確立する、全体にならえではなく「自分はどうか?」「どうありたいか」という自覚が非常に重要になる。それぞれの個性が開ききった段階での調和、ワンネスが実現されるというすばらしい方向性だ。
 このような集合意識の変化により、外側の権威というのは次第に消滅して、ピラミッド型の組織は弱体化していく。
 集団や組織は、よりフラットにあるいはサークル形になり、それぞれが等しくリスペクトされた上での調和を人は希求し始める。
 そして集合意識のテンプレ中でも、宇宙と結びついていないもの、人類の想念が成立させた擬似的なクラスターもやはり消滅していく。
 というのは、集合意識の方向性自体が、宇宙と分離した擬似的な想念世界に生きるのではなく、リアリティとの接続を強く求めているからだ。

 擬似的なクラスターとは、独特の信念を持つ、思想・宗教・科学の領域だ。
 わかりやすいたとえで言うならば、ある石像を神とみなし崇め、その周辺に信者内のヒエラルキーや、戒律や、礼拝のきまり、生活のスタイル、教団のマークなどを確立する。これらのすべてが擬似的なクラスターである。これらは多くの人が意識のエネルギーを注げば、注ぐほど、シェルドレイク的な意識の共鳴場の作用によりある範囲において一定の影響を持ち始める。例えば教団のマークをいつも肌身離さず実につけていれば、いいことが起こったり、信者間の間でシンクロニシティが多発する。するとそのことがよりいっそう信念を強固にして、強いエネルギーが注がれる。このようにしてできた、発生する不思議現象と共鳴場(集合意識内部の擬似的クラスター)のフィードバックループが、抜け出すことのできないような新興宗教やそのたのグループをいくつもつくりあげる。しかしアクエリアスへの移行に伴いこのようなループに多くの人が嫌気をさしているため、このような擬似的な世界は消えていかざるを得ない。

 では集合意識内部の虚構にもとずいた擬似的なクラスターと、実在に基づいたクラスターの違いはなんだろうか。
 シェルドレイク的意識の共鳴場や、人間の意識が素粒子レベルの現実を操作するという状況証拠が数多くある中でもはや、人間の意識場が脳内だけにとどまらず、いわば世界全体を包んでいるということは次第に認知されるようになってきた。
 心・意識とはおそらく脳の産物ではない。個々の人間の心は、非物質的で、超空間・時間的な媒体により記録された形態共鳴場があるからこそ存在している。それが集合意識のクラスターなのだが、それは多くのアーキタイプイメージ(グレートマザー、オールドワイズマン、シャドウetc)や、思考パターン、認識パターンより成り立っている。脳はその情報場よりパターンをダウンロードして機能しているとするなら、個人の心を支える集合的意識の型は脳から独立して存在している。

 この集合意識、意識というものはいったいなんだろうか。
 人間の意識場というものが宇宙の現実、リアリティを反映していないという見方は主に、意識を脳に還元する科学的見地によって支持されている。
 しかし人間の意識場が、宇宙のリアリティとシンクロするという立場がある。その立場からすると、素粒子レベルに意識が作用するのは当然で、意識こそがすべての宇宙の原因だからということになる。その立場に立つと、集合意識には、実在に基づいたクラスターが存在するということになる。いやむしろ、それがあるからこそこの宇宙が存在するという根源的なリアリティが人類のうちにはある。人類のうちにあるというか、人類がそのうちにある。

 それは例えば神聖幾何学的宇宙、ヤントラの世界、光の世界、創造主の世界、あるいは神、空である。
 神聖幾何学は、あらゆるクラスターの型であり、神・空はクラスターを越えた超構造体だ。
 もしも意識場が宇宙の反映ではなく、意識場こそが宇宙の原因であるとするならば、これらのクラスターはいかに時代が変わっても決して消えない。むしろ、力を持つようになるだろう。

 話を少し戻すと、集合意識のもっとも小さなクラスターは家族内の同族の意識だ。
 もう少し大きくなると、ある地域の、国家の民族の、集合意識になる。
 基本的に人類意識や、民族意識、同族意識の「部分」である僕らは、集合意識の膨大な局面のどことシンクロすることも可能だが、そのカルマやあちら側からの「設定」により家族意識、あるいは社会意識の支配下にあり、特定の位相に同調させられれている。それによって、とらわれ、束縛、苦しみを感じることも多い。しかし、それは個々の存在が体験し、乗り越えていくテーマであることが多い。個々人がそれを体験し、乗り越えることで、そのクラスターが別のクオリティへとシフトするのだ。クオリティのシフトとは、価値観や意識のフォーカスポイントのシフトだ。だから、僕らがかかえるそれぞれの問題は、個々の問題であると同時に、家族のテーマであり、社会のテーマであり、人類の、集合意識のテーマなのだ。それを体験し乗り越えていくことが、おそらく自分の属する家族・民族・人類意識のシフトに貢献しているのである。
 これが正しいかどうかはわからない。でもそう考えると、生きることが、なにげない日常の仕事や悩みの解決が、とても偉大な仕事であるように思えてこないだろうか。どちらにしろ僕らの人生には、きっと僕らが思いもよらない意味と目的があり、存在すること自体で何かに貢献しているのだ。
 もしかすると、僕らは人類意識からこの世界に送られた、斥候なのかもしれない。

 そして、使命は目の前にある。

 mission possible!

                            

                                      2014年 春分


  

    


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知覚、リアリティetc | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/03/21 21:45
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