スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | --/--/-- --:--

Somatic experience(ソマティック・エクスペリエンス)

 一昨年、個人リーディングをしてもらったHさんのところでSEセッションを受けてきた。

 個人リーディング記事→オーラリーディング in あざみ野


 一年ほど前から気にはなっていたのだが、なかなか重い腰があがらず、時間が流れていった。

 でもこれは僕にとって、とても重要な情報だった。
 今回のセッションで強くそれを感じた。

 Hさんのところではトラウマ開放メソッドとして他にTREも行っているということだけど、SEが気になっていたのは、Hさんに強く勧められてたこともあるけど、その神経系やトラウマに関する理論的な部分が自分の体験とぴったり符号していたからだった。

 SEは(somatic experience ソマティックエクスペリエンス)の略で、身体的経験というような意味合いになる、神経学者でもあるピーター・リヴァイン博士が主にトラウマを解放するために開発したセラピー技法だ。

 その概略を書いてみると、人の神経系には周知の通り交感神経と副交感神経がある。交感神経が活性化すると人は適度な集中状態や、目覚め、あるいは緊張状態になる。副交感神経優位になるとリラックス、くつろいだモード、眠りなどに近づく。

 交感神経の適度な興奮は仕事への集中などに必要だ。だから僕らは夜更かししすぎて眠い次の日なんかには、コーヒーを飲んででも交感神経を奮い立たせてオフィスに向かおうとする。

 しかし交感神経の興奮には上限値がある。
 極度のストレス状態、強盗に襲われる、災害に直面する、DVにさらされる、などでは交感神経のメーターはマックスに近くなり、人はいわゆるfight or flight状態、「戦うか、逃げるか」という行動に備えて呼吸を早くし、アドレナリンを放出する。
 生体としての僕らはそのような作用によって、緊急事態をサバイブするように設定されているのだ。

 しかし、交感神経の興奮はそれがマックスで、それ以上になると別の反応を示す。かたまる、気絶する、現実から解離するという反応だ。これもある種の防衛反応で仮死状態になることによって外敵をスルーするという最後の戦術なのかもしれない。

 動物の場合は気絶しても、危険がさるとまた何事もなかったように餌を探しに行ったりするが、人間の場合その交感神経の緊張、蓄積されたエネルギーは解放されないままに残る。動物の場合のように、簡単にリセットすることができないのだ。

 この神経系に蓄積されたエネルギー、そのことによって起こる慢性的な交感神経の緊張状態、これがよく言われるPTSD・トラウマ反応の正体らしい。

 「トラウマとは神経系に蓄積されたエネルギーである

 PTSDのない普通な状態は、何か突発的なストレスがあっても、時間がたてば平静な状態に戻る。わかりやすく書くと交感神経の基底値を0限界値を100とすると、会社で顧客にクレームをつけられて60まであがっても、昼休みにおいしいものを食べたり、まあ遅くても夜になってお風呂に入ったりすれば0近くまで落ちる。というこれが平常の状態。

 しかし、人生において何度もPTSD的経験を体験してきた人は交感神経の興奮値が高い状態のまま止めおかれている。いわばその時のショックがリセットされていない。何もなくとも常に70くらいの状態にあるのだ。

 だから、20くらいのイヤなこと、道でけつまづくとか、高校生が電車ででかい声でしゃべっててうるさい、とか、ドアがバタンと大きい音で閉まるとか、それくらいでも戦うか逃げるか状態に入ってしまう。戦うか逃げるか状態では心拍数が上昇し、呼吸は速くなり、筋肉は過度に緊張し、おさえがきかなければきっと怒鳴りつけたりしてしまうだろう。

 だから傍目にはちょっと人間として危ない人に映ってしまう。でも生体にとっては、動物としての僕らにとってはそこにはすでに70の危険があったから、30の刺激でその閾値を越えて戦闘か逃走モードに入るのはまったく不自然な行動ではないのである。

 また戦うか逃げるか状態を越えてしまい、スイッチが切れた状態、(じっとして動かない(うつ)、解離状態、ひどい時には失神)にもたやすく入ってしまう。

 通常の神経系の興奮レベルをベースラインというらしいけど、PTSD反応を持つ人はこのベースラインが高止まりしているらしい。

 そのPTSDによって上昇したままのベースライン(神経系の興奮レベル)を、蓄積されたエネルギーを解放・統合することにより低下させていくのがSEらしい。


 僕はこの話しを去年Hさん主催の自己成長のためのワークショップで聴いて、すごく自分の心身の状態がよくわかった。空理空論ではなく、自分の体験とすべてが符合するからだ。
 僕自身もかなりベースラインが高止まりしてることが理解できた。

 何度か自分の死を意識させられる体験や、また家族内でのDVを間接的に目撃したりしてることなどが原因かもしれない。

 そこのところはわからないけど、きっと僕は少なくとも10年以上はそういう状態で過ごしてきたと思う。


 リヴァイン博士はPTSDは、危機に直面したときに生体が起こす次の4つの要素を核にして症状が形成されていくという。

 ■過覚醒 (動悸や速い呼吸、動揺、睡眠困難、緊張、筋肉の震え、駆け巡る思考、不安発作)
 ■狭窄   (身体的な血管や筋肉、姿勢の収縮と、危機に対してだけ集中するために知覚範囲が狭くなる)
 ■解離   (内的感覚気付きの継続の崩壊、時空と知覚の歪みが生じる。軽いものは空想に没入してる状態、重いものは、多重人格障害。苦しみから逃れるために体や感覚から離脱する反応。見当識障害、記憶が飛ぶ、記憶喪失、ひどい物忘れ、起こっている現象の否認を伴うこともある)
 ■無力感に伴う凍りつき

 
 トラウマによる具体的な症状には次のようなものがある。

 ■過度の警戒(常に用心していること)
 ■侵入的イメージやフラッシュバック
 ■光、音に対する極端な過敏症
 ■多動
 ■過剰な驚愕反応
 ■悪夢
 ■唐突な気分変調 例 怒りの爆発 かんしゃく 恥の感覚
 ■ストレスに対する能力の減少(容易かつ頻繁にストレスで疲弊してしまう)
 ■睡眠困難
 ■回避行動(特定の状況を避ける)
 ■危険な状況にひきつけられる
 ■頻繁に泣く
 ■過剰な、あるいは減退した性行動
 ■記憶喪失、健忘症
 ■他人を愛し、慈しみ、親密になることができない
 ■死ぬこと、気が狂うこと、早死にすることにたいする恐怖
 ■ものごとに打ち込めなくなる
 ■慢性疲労 非常に低い身体エネルギー
 ■免疫障害や甲状腺機能不全などの内分泌障害
 ■心身症 特に頭痛、首や背中の痛み ぜんそく 消化器系の病気 けいれん性結腸 重い月経前症候群 
 ■うつ 今にも悪いことが起きそうな予感
 ■孤立感 疎外感 孤独 生きるしかばね
 ■人生に対する興味の減退
 
 最後になるほど、PTSDの症状が進行した状態で現れる傾向があるという。
 このリストにたくさんあてはまる場合は、神経系が余剰のエネルギーを抱えている、つまりトラウマを負ってる可能性を疑ったほうがいいと思います。

 トラウマ反応下の典型的な苦しみ

 「私は、何もかもが怖い。朝ベッドから起き上がるのも怖い。家から出るのも怖い。死ぬのが怖くてたまらない・・いつの日か死ぬことが怖いのではなく、あと数分のうちに死んでしまうような気がするのだ。私は怒りが怖い・・・自分の怒りも他人の怒りも。そこに怒りが存在していないときですら恐ろしい。私は拒絶され、見捨てられるのが怖い。私は成功するのも、失敗するのも怖い。私は胸が痛いし、毎日手足にしびれや震えを感じる。生理痛のような鈍い痛みから激しい痛みまで、ほとんど毎日のようにひどい激痛がある。ほとんどいつも、どこかが痛い。これ以上生き続けられないような気がする。頭痛がする。常に不安だ。息が苦しくて、心臓がドキドキして、自分がどこにいるのかわからずにパニックになる。いつも寒くて、口が渇いている。ものを飲み込むのがつらい。生きる気力も熱意もないし、なにか達成しても満足感はまったくない。毎日圧倒され、混乱し、喪失感を味わい、無力で、絶望している。私は、怒りとうつの爆発をコントロールできない。

 ここまでひどくはないけどこの多くがすごくよくわかる。

 特にあと数分のうちに死んでしまいそうな気がするってことは、とてもたくさん経験した。

 トラウマを負う理由は人様々だけど一般的には次のようなものがある。
 またこのような状況下でもトラウマを負わずに切り抜ける人もいるし、一見ほんのささいな出来事がトラウマとして神経系に残る場合もある。PTSD反応の重い、軽いはどういう出来事を経験したかではなく、どれくらいの負荷が神経系に残っているかが問題となる。

 ○戦争 自然災害 犯罪に巻き込まれる 交通事故 落下や転倒 溺れる 病気 医療処置 困難な出産 愛する人を失う ペットロス パワハラ セクハラ いじめ DV 親からの言葉や暴力による虐待  ニグレクト ドラッグ 身近な人の死を目撃する 家庭内の暴力を目撃する 家族がバラバラになる体験 


 災害や事故のような巨大なひとつのショックで生じたPTSDではなく、生育歴などいくつもの複合的な要素がからみあって発生しているPTSD的状態を「複雑性トラウマ」と言い、僕の場合もおそらくそれに該当するのではないかということを言われた。

 以前は頻繁に何度も、夜中に目を覚まし、「今にも死ぬ」という恐怖に突き動かされてもしもの時に救急車を呼ぶため携帯だけをもって、何度も真っ暗な夜の中へ飛び出して落ち着くまでながいこと歩き回った。

 騒がしいオフィスで働いてた頃は、職場で何もかも嫌で体が動かない麻痺状態や、唐突にこみ上げる怒りを抑えきれずキレてそのまま飛び出したとか、そういうことも二、三度あったし、友達にキレて怒鳴りつけるとかっていうことが20代最初くらいからたまに起こるようになった。普段冷静に見えるのでかなり怯えられる。 

 特にある程度のストレスがある状態で、さらにいらいらすることがあると、限界値を越えて制御不能になてしまうことがある。そうなると僕はキレるか(戦う)その場を去る(逃げる)かの反応をせざるを得ない。僕にとってその場を離れる、ということは自分の怒りが暴発するのを防ぐ手段でもあった。

 人といると神経が高ぶりすぎることが多いので、介護の仕事とかが続いたり、外に出かけなければならない用事が続くなどのストレスが多い時ほど、プライベートな時間、一人でいられる時間は本当に命綱だ。

 単に一人が好き、とかではなくそれがなければ自分を保てない。
 神経の興奮レベルを沈める時間が必要になる。

 そこのところを人に説明するのがすごく難しい。

 実家に帰ってさえ、しっかりした自分の空間とプライバシーが確保されていないと耐えられずやはり飛び出してしまったことがある。

 そういうことがあると、そのたびに自分は人間としてどこか決定的にダメなんだという激しい自己否定にも苦しんだ。そしてこの不快な緊張から逃れるためにアルコールやドラッグにも頼った。そのドラッグでまた基底値をあげるような恐怖体験もするわけだけど・・・
 アルコールは不快な過覚醒状態による緊張感を沈めてくれるのでつい頼ってしまう。

 今ではずいぶんパニックや、唐突な怒りの爆発は減った。でも得体の知れない緊張感と警戒感はもう僕の毎日の中で完全に日常の一部になっている。何か張り詰めているかあるいは、睡眠も浅いので、夜中に目が覚めてなかなか眠れず次の日はぼーっとしてるかでとても安定した状態が長期にわたって続きにくい。だから収入はもっと欲しいけど、仕事も安易に増やせない。行きももどりもできない煉獄のような場所で宙吊りになってる感覚をたまに感じる。わかってくれる人は少ないけど、バランスが崩れることが僕には何より恐ろしいのだ。

 Hさんははむしろキレてよかったと言う。
 キレるってことは、交感神経上限値の手前、戦うか逃げるか反応によって起こるわけだから、そこをキレないでずっと耐えしのいでいると限界値を超えて重度の鬱状態に移行する可能性があるかららしい。すぐにキレる危ない人か、もしくは鬱で固まってるかどちらも微妙な選択だけど、自分自身のメンタルヘルスだけで言えば溜め込み続けるよりもキレた方がましってことになるのかもしれない。相手には申し訳ないが。

 この神経系に関する考え方は、僕の自尊心を回復させてくれるものだった。
 それなら自分を許せる。
 そしてこのメカニズムがわかれば、それだけでも救いがある。

 こういう状態の僕にとって、今まで生きていく上で理性とか意志だけが頼みの綱だった。常に感情がテンパって張り詰めてることが多いから、人とコミュニケーションするにも、仕事をやりとげるにも、理性によって抑制をかけなければすべてがぐちゃぐちゃになってしまうという恐怖がある。だから平常はよくクールだとか、落ち着いてるとか、穏和な癒し系的印象をもたれることもある。

 が、それは僕が現実と軽く解離しつつブレーキングしてることが多いからだと思う。
 多くの場合、僕は単に耐えてきた。
 巨大な怒りや絶望感を制御するのは本当に、内的なエネルギーを疲弊させる。

 その理性や意志で状況をコントロールしようとしてたことが、感情との間にまた断絶を生んでいたように思う。今後は今まで以上に、泣いたり、笑ったり、喜んだり、怒ったりする自分を大事にしたいと思う。

 SEセッションにすごく手ごたえを感じたので、SEについて、トラウマについてピーター・リヴァイン博士が書いた本もさっそく取り寄せて読んで見たが・・・

 この本は・・・ 本っっ当にすばらしかった!!

 自分自身が経験してきたことと何もかもが符合し、いろんな形をしたパズルの断片がひとつの絵になる感覚があまりに強く、深呼吸しながら読む必要がある感じだ。誰かの命を救う可能性を十分に秘めた本だと思う。

 本を読んでいてひとりでに涙が滲んできた箇所がある。

 それは博士がナンシーというクライアントにリラクゼーション誘導をしようとしていたときのエピソードだ。



 最初のセッションで私が未熟にも、まったくの善意から彼女をリラックスに導こうとしたとき、ナンシーはひどい不安発作に襲われました。彼女は麻痺し、呼吸ができないように見えました。彼女の心臓は激しく鼓動し、次にはほとんど止まってしまったようでした。私は非常に驚きました。私は地獄のふたを開けてしまったのでしょうか。我々はともに地獄のような状況に入り込んでしまいました。
 
 私自身も激しい恐怖を感じながら、それでもなんとか自分を保っていたとき、私の目の前に、虎が襲い掛かってくる幻が一瞬浮かびました。その体験に押されて、私は大声で叫んでいました。「あなたは大きな虎に襲われています。向ってくる虎をみてごらんなさい。あの木に向かって走りなさい、さあ、木に登って逃げて!」驚いたことにナンシーの足は走る動作をして震え始めました。彼女が血も凍るような叫び声を上げたので、通りがかった警官が何事かと立ち寄ったほどでした。彼女は小刻みに震えだし、やがて大きく震え、最後は痙攣するように激しく体を震わせてすすり泣きました。


 彼女はこのセッションをきっかけに快方に向った。
 このナンシーという女性は、幼い時に手術中の麻酔状態でトラウマを受けるような恐ろしい体験をした。
 その体験は脅威が迫ってるのに動けない、という状態に彼女を閉じ込めていてて、その時のエネルギーがパニック発作や広場恐怖症の原因になっていたというのだ。
 普通動物は、危険を感じたときにFight or Flight反応を起こし、逃げようとする。でも麻酔下のナンシーにはそれができなかった。
 そのときに蓄積されたエネルギーを解放するのに「虎」のイメージが、新たなる生命の危機が役に立ったのだ。その「虎」が彼女を逃走させ、手術時には逃げられなかったため蓄積された生命エネルギーを解放した。

 今では私は、彼女の回復を媒介したのは、子供時代の扁桃腺手術のドラマティックな再体験と感情的カタルシスではなく、彼女が受身で凍りついた硬直反応から、活発で成功した逃走へと抜け出したときに体験したエネルギーの放出だったことを知っています。虎のイメージが彼女の本能的で敏感に反応する自己を目覚めさせたのでした。私がナンシーの体験から得たもうひとつの深い洞察は、脅威の面前で人を成功に導く力は癒しにも役立つということです。これは体験の最中だけでなく、体験から何年も経ったあとでも同じです。

 「心と体をつなぐトラウマ・セラピー」より

 それにしても、このような状況で「虎が出ました!!」なんていう誘導をしちゃうリヴァイン博士の判断は何か神がかっている。博士の内的英知が促したのか、天使が虎のビジョンを吹き込んだのだろうか。どちらにしろ、どこかシャーマニックで普通の医療的な判断ではとっさにできない選択だ。

 僕が感動したのは、ナンシーが逃走に成功したということもあるけど、それを助けたのが「虎」であること。多くの人にとっての脅威でしかない動物であることだった。僕も時々も虎に襲われるという夢を見る。僕にとってもある種恐怖の象徴だ。

 その恐ろしい「虎」が僕が逃げたかったときに逃げ、戦いたかったときに戦えたことを思い出させ、恐れの中で凍り付いていた僕の命を、躍動の中へ解放してくれるのである。そのことを想うと光と闇が融合していくような深い感動を感じる。

 僕もナンシーのように自分の両足で地面を蹴って力いっぱい安全な場所まで逃げ出したかった記憶があるのかもしれない。

 多くの人にとって、脅威それ自体ではなく、自分の生命を尊厳を守るために戦えなかったという記憶、逃げられなかったという記憶(抑制された攻撃性や、逃走本能)が生命エネルギーを制限する問題となっているのだ
 「虎」はそれを解放してくれる。

 この本の原題は、「Waking the tiger 」<虎の目覚め>である。(虎を目覚めさせる・・かな?)
 それはきっと戦ったり、逃げたりする躍動的な動物としての僕らの目覚めでもある。

 硬直していた仮死状態から、逃走と戦闘反応への目覚め、それは感動的なことだ。
 動けないという状態よりも、命の躍動がそこにはあるからだ。

 SEを受けてみて、この枠組みをどのように神様的なことや意識の探求と統合させればいいのかちょっと迷っている部分がある。

 I先生のリトリートなどに行っても、集団宿泊のストレスなどで夜中に一種の、ここがどこかわからないっていう解離状態を起こし飛び起きたことがある(限界値越えちゃった状態)。神のエネルギーがあるはずなのにどうしてこういうことが起きるのかと思った。
 どうして、神様を強く念じたり、バキバキになったらそのあとパニックぽくなるのか意味がわからなかったけど、交感神経が限界超えちゃってたのだ。

 マーヤが全部原因という風に認識していたけど、その枠組みだけだとこのメカニズムの詳細がわからない。
 自分の生き辛さや心の状態について深く学ぶためにはもっと別の枠組みが必要だった。


 他にも、たとえば一度に好きなことをすべてやりなさい、みたいな自己実現系の本を読み、その通りに実行しようとして調子がおかしくなったってこともあった。これも、交感神経は楽しいことやおもしろいことでも跳ね上がり(スポーツ観戦やライブなどでも)、常にベースラインが高ければ容易にそれを越えてしまうと考えればつじつまが合う。

 楽しければいいってことでもないし、神様のことを考え続けていればいいってわけでもない。神経系のバランスを上手に保つことが僕にとっては重要で、その方法は人によって状況によって、まったく違うのである。楽しいことを全部するってこと自体が楽しくないこともある。


 楽しいから楽しいにきまってるだろ
 神だから一番すごいにきまってるだろ

 というロジックではなく、体感覚みたいなものがおしえる方向をもっと大事にした方がいいのかもしれない。

 簡単なことだけど、これがわかるまで結構時間がかかった気がする。

 スペースまほろばのN先生のブレスワークを受けたときに言われた、「幼いときにつらい経験をしてる人ほど、大いなるものにふれそうなときそれがとても恐ろしいものに思えてしまうみたいなんです」という言葉も、この神経系の仕組みとどこかでつながってくるのかもしれない。源からのエネルギーは意識を覚醒させる。

  源からのエネルギーっていうのは、意識を覚醒させるのがメインでいわゆるヒーリングエネルギーとはまた別のものなんだろうか。これはずっと前から考えてたことだけど。それが意識を現象世界を越えさせるってことだけに働くなら、やっぱり別物ってことになる。

 覚醒反応というのは、神経学的に言うと危機に対するリアクションとして、身体にその準備をさせるために起こる。ピーター・リヴァイン博士の著作にあったたとえでいうと、高さ100メートルの断崖絶壁を見ろしていると想像したときに体に起こるような反応だ。この危機状態での「覚醒」と、スピリチュアルな教えで語られる<覚醒>はもちろん意味合いが異なる。しかし、源からのエネルギーも、そして同じくPTDS反応下でも、同じような「眠れなくなる」というような作用が起こることを考えると何かしら共通点があるように思われる。

 僕の推測だけど、幼い頃からの経験などで、交感神経が慢性的にエマージェンシーにあるとき、その源からのエネルギーの覚醒作用が神経系にとって負荷になりすぎる(恐ろしく感じる)ということなのだろうか。
 PTSD反応下の人はやはり生体エネルギーが変動するセックスや、カフェインなどの興奮物質も、リラクゼーションさえも回避するようになることから考えるとこの推測は的外れでもないような気がする。そのような状態の人は恐怖に取り囲まれていて、エネルギーや意識がシフトするどのような変化も受け入れられないのである。
 
 源のエネルギーによって、ハートが開いたり、特殊な意識状態になったりってことがあったことも確かだ。でもその状態でも基本的に僕の日常は張りつめていた。昨日バキバキだと思ったら、今日はコンビニで固すぎるフランクフルトのことで思いっきりクレームを付けてましたなんて頃もあった。

 思うに、よりスピリットや意識に近い領域で起こる体験は肉体に近いレベルにはなんの変化も起こさないってこともあるのかもしれない。スピリットのレベルでものすごく成熟してたり、目覚めてる存在が寝たきりになってたりということは十分にある。覚醒してる存在が、コンビニでクレームつけることがあるかは知らないけど(笑)

 源からのエネルギー、その恩寵によって、僕が変わってないと言えばきっと嘘になるし、かといってすべてが癒されうまくいくようになったと言っても嘘になる。

 もし自分の意識だけを救済しようとするなら、PTSDだって関係ないのだろうか。僕にはわからない。
 肉体がどれだけひどい病にかかっていても人の意識は覚醒する。
 でも例えば、戦争体験によってトラウマを負って自他への暴力に悩んでるようなひどいPTSDの人がいきなり覚醒できるかは謎だし、覚醒したらその神経系レベルの反応が治癒するのかも謎だ。


 僕の経験では、PTSD反応下では焦燥感は強いけど、本当の意味で人生を俯瞰的に見て前向きに思考するということはできない。
 今日を乗り切るのに精一杯で、なりゆきまかせか、刹那的になる。

 ただその状態は常にエマージェンシーなわけだから、生か死か、人生とは、宇宙とは何か、ということにも思考が向く。

 客観的には、こいつ特になにも起こってないのになにを深刻になってるんだと思われるかもしれないけど、神経系がそのような状態から緩まないんだから仕方ない。深刻になりたくてなってるわけじゃないのだ。

 思考のスイッチをオフにできない。
 止めたくても、そのような思考が止まらなくなる状態がある。
 幾晩も、夜中に目を覚まし考え疲れるまで考えてから、僕は眠った。
 死刑囚がいやでもそのような思考になるのと原理的には同じなのだ。

 「明日はいよいよ死刑だから、体調を整えるためゆっくり眠るように・・・!」なんて看守さんに言われても無理な話し。

 ある意味でそれは究極的なものに近い状態でもある。
 V・E・フランクルが「夜と霧」で書いてるように、世界大戦中のユダヤ人収容所のような極限状態において精神的な目覚めを体験するような人がいるからだ。その人たちがリラックスしていたとはとても思えない。
 交感神経系が限界値に近い状態で起こる解離反応も、言葉を変えれば「幽体離脱」になったりもする。
 このように考えればPTSD反応もあながち人間経験のひとつとして否定すべきものでもないかもしれない。
 
 確かなことは神様ごとだけではなく、自分の癒しにも積極的に関わるように僕は<設定>されてるようだ。今までこのブログでも癒し系の記事と、求道系の記事をどちらも書いてきた。

 僕の生き辛さの理由についてもすべては<必然>、<設定>、<カルマ>、<マーヤ>あるいは<みこころ>だと思うけど、その成分の正体が近年少しづつクリアになってきたようだ。HSPだとか、PTSD反応だとか、そのマーヤの成分がよりはっきり見えてきた。

 「これはオレンジジュースだよ」とざっくりしか認識してなかったものが、その中に、果汁、とか甘味料、とか香料とか入ってるのがわかってくるように。そのそれぞれの成分や、その性質が見えてきた。

 基本的に<源>の恩寵に限界はなく、どんなことでも起こりうるし、僕のトラウマをあっという間にリセットすることだって出来るんだろうけど、なんだか僕はこういうことをしっかりプロセスを追って体験・あるいは勉強したほうがいいような設定みたいだ。

 これらすべてが意味があって起こっていて、いつかすべてがまとまることを僕は願ってるし、すべては源から流れきてることも信じていたいと思う。

 SEのセッション内容については、個人的すぎるため詳しく書くのは控えるけど、フォーカシングのような感情を体の中に位置的に特定し誘導によってそれらを見ていく方法と、これが肝だと思うけど自分の肉体を動かすことにより神経系のエネルギーを放出するようなテクニックがあったということだけ書いておく。ソマティックという言葉どおり精神性だけに偏らない、体感的な部分が多いことが気に入った。感情が、実際の肉体的な痛みなどと連動していて、体感と感情はわけられないということがよくわかる体験だった。


 ピーター・リヴァイン博士の著作は震災や事故あるいは生育歴で負った「複雑性トラウマ」で不安や、パニック発作などつらい状態を抱えてる人には是非一読を勧めたい↓
 絶対に重要な気付きがあると思います!

 
 waking the tiger

 「正直に言うと、私がこれまで立ち会った癒しの奇蹟の数々は、否定しがたいより高次の叡智と秩序の現れそのものなのです。宇宙の秩序をもたらす本質的な自然の叡智が存在すると言ったほうがいいかもしれません。それはどんな個人の歴史よりもはるかに強力なものです。有機体はこうした法則に従い、想像可能なもっともおぞましい体験の中さえも通り抜けて生きます。もし宇宙に神や叡智や虎がいなければ、こんなことがどうして起こりうるのでしょう。
 
 トラウマ反応を克服した人はしばしば、その後の自分の生活には動物的な面とスピリチュアルな側面の両方が存在すると話します。彼らはより自然になり、健全な自己主張や喜びを表現することへの抵抗が少なくなります。彼らは自分が動物であるという体験に共鳴しやすくなると同時に、自分がさらに人間らしくなったと感じます。トラウマが変容するとき、癒しが与えてくれる贈り物のひとつは、命に対する子供のような畏敬の念です
。」

 「Waking the Tiger -Healing Trauma」 BY Peter A Levine 1997


スポンサーサイト
セラピー&ヒーリング | トラックバック(0) | 2014/04/17 22:21

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。