Somatic experience(ソマティック・エクスペリエンス)②



 ■定位反応と太陽電磁波



 リヴァイン博士の本を読んでいて、すごく気付くことが多かった概念のひとつに「定位反応」というものがある。

 「定位反応」とは著書の説明によると次のようなものだ。


 広い草原を楽しくぶらついていて、突然視界の隅に影が動いたと想像して見てください。
 あなたはどう反応するでしょうか?
 本能的に、あなたのそれまでの動きは止まります。あなたは少しかがんだ姿勢をとるかもしれませんし、自律神経系が活発になると心拍数もあがるでしょう。このつかの間の「停止」反応の後、あなたの目は大きく開かれます。影がどこにありなんであるかを見極めるために、意志とは無関係にあなたの頭は影の方向を向きます。自分の筋肉をかんじて見ましょう。筋肉はなにをしているでしょうか?

 あなたの首、背中、脚、そして足の筋肉が、体の向きを変えるため同時に働き、あなたの身体は本能的に伸び上がります。周囲全体を広く見渡そうとしてあなたの目は細くなり、骨盤と頭は水平に動きます。あなたの内的状態はどうなっていますか?影を見たことに対して自分の中で漠然と感じたり気付いたりすることはほかにあるでしょうか?ほとんどの人は警戒と集中を感じ、影が何なのか知りたいと思うでしょう。知りたいという欲求を刺激する興奮と期待があるかもしれません。起こりうる危険の感覚も存在するかもしれません。

 (中略)

偉大なロシアの生理学者イワン・パブロフは、彼の記念碑的研究である動物の条件付けの中でこうした定位反応について説明しています。彼はこの反応に固有の特徴を「shto eta takoe」反射と呼びました。これを文字通りに訳すのならば「それは何?」反射ということになります。しかし、より正確に言えば「あれは何だ」「ここではなにが起きてるんだ」「やっこさん、どうなってるんだい!」といったその反応に内在する驚きと好奇心を強調した意味になります。この二重反応(反応+欲求)は定位行動の主な特徴として広く知られています。人間やほかの動物にとって期待、驚き、警戒、好奇心、そして危険を察知する力は、こうした定位複合体から生じる、運動的、知覚的な気付きの現われです。



現象の正体を突き止め、認識しようとする定位反応はすべての動物にとって必要不可欠なものだけど、トラウマを受けた人の中ではこの定位反応があだとなっている。

トラウマ反応のひとつに
 


■過度の警戒 



がある。

通常、 定位反応→外的危険の認知→覚醒

となり、脅威が去ると覚醒レベルは下がるので、定位反応も終わる。

しかし過去のトラウマより起こる余剰エネルギーによって内的過覚醒→強迫的な定位反応(過度の警戒) が起こり、24時間体制の警戒モードに入ってしまう。


 過度の警戒は、危険に初めて対応するときに起こる過覚醒が、拡大された強迫的な定位反応を引き起こすときに起こります。このゆがんだ定位反応は非常に逆らいがたいため、人はたとえ外にある何かに対してではなく、内的な覚醒に対して反応しているときでさえ、危険の原因がなんであるか突き止めずにはいられないという気持ちに取り付かれるのです。

 覚醒が継続するとき(解放するのがあまりに恐ろしいため)、私たちはジレンマに陥ります。危険のもとを探さずにはいられない気持ちがしますが、その衝動は内的に発生したものであり、たとえ外の危険を突き止めたとしても、内的な覚醒は引き続きそこにあるため、その強迫的な過度の警戒状態は消えません。私たちはその危険のもとをしつこく見つけようとし(それはどこにあるのか)、それを特定しようとします(それは何なのか)。なぜならその探索こそが、神経系が覚醒したときに原始的定位反応が行うようにプログラムされていることだからです。問題は、多くの場合、実際の危険は何も見つからないことです。




 いつもその場にそぐわないほど強迫的な「危険はどこにあるのか?」「危険は何か?」あるいは「敵はどこにいるのか?」「敵は誰か?」反応が起こる。

 もちろんその場合、過度の警戒と暴走した定位反応の原因は単に内的過覚醒であるために、客観的な危機は存在しない。

 でもトラウマ反応下にあり、その認識がない人は、「いや外的危険あるいは敵があるはずだ」という認識からおりられず、常にびくびくしていたり、怯えていたり、危険情報を探し回ったり、身近な人間や近隣に対して敵意を投影したりするのだと思う。自分がうっとおしい(不快な覚醒感)のは「あいつのせいだ」あるいは「あの危険のせいだ」という特定ができれば、仮の安堵感を得ることができるからだ。しかしそれをそのまま行動化すると関係は壊れてしまう。

 トラウマを負っている人は、神経系覚醒レベルのベースラインが高いので、例えばコーヒー二杯飲んだ、とか最近性エネルギーが蓄積されている(むらむらしている)というようなことでも過覚醒、過度の警戒モードに入ってしまう。

 それだけではない。リヴァイン博士の本ではふれられていないけど、自然のエネルギーの影響もきっとある。
 満月、新月、低気圧、台風、寒暖の変化、太陽フレアに伴う電磁波、地殻変動前のエネルギー変異、未知の宇宙エネルギー・・・こういったものにもベースラインが高いPTSDの人は影響され、容易に限界値を越え、うつ、怒り、緊張、不眠、そわそわ、テンパリというモードに入ってしまうはずだと推測する。精神が不安定な人は満月になるとおかしくなる(Lunatic)とか、春は変な人が増えるとかっていうのはその現象を言ってる。

 神経系がタフで、回復力があって、余裕がなければ、あらゆる神経を刺激するエネルギーが飛び交いまくるこの世は、とかく生きつらいのだ。

 またこういう状態の人は、「なまず」的な役割を自然と果たしてしまう可能性があり、地震の前に体調が必ず崩れるというような人もいるのではないだろうか。体感で地震を予知できるような人の多くはかなりベースラインが高いのではないか。

 僕自身、太陽フレアの影響(他の自然現象全般も)をすごく受けやすいことは前から気付いていた。
 このことがわかる前は、きっと大規模フレアのたびに過覚醒状態になり、定位反応が活発になったはずだけど、危険の原因はみつからなかったはずだ。
 それは結構ストレスになる。内的に覚醒し自動的に警戒モードに入るのに、目に見える危険は見つからない。このジレンマがひどい場合は誰かに喧嘩をふっかけるかもしれない。フレア増大事に起きる事件や事故は、その強迫的な歪んだ定位反応の結果かもしれないと思う。
 
 「太陽のせいで人を殺した」というカミュの「異邦人」主人公ムルソーの不条理な言葉は、実は相当切実な意味を持っている。
 人は自然現象によってひそかにもたらされる過覚醒に対して、ゆがんだ定位反応と行動化を起こしてしまうことがある。が、それらの行動の理由はまったく理解される枠組みがない。エネルギーにやられていたことが原因のひとつとはみなされず、社会人として不適切なふるまい、みんな我慢してるのにお前何やってんだ?というようなことで切り捨てられる。切り捨てられれば当然本当の理由は理解されない。
 
 でもこの反応はもう少し社会全体が、自身や宇宙に対するアウェアネスを深められれば克服できるはずなのだ。

 ただ意志と忍耐だけで、システムに適応するのではなく、本当の意味での自己理解や他者理解、自然への理解があれば。

 天体マーヤのエフェクトがあると知ったあとは、「うーん、この調子悪さはまたフレアが起こってそう・・・!」と予測すると結構その通りだったりということがあるようになった。

 現在の活動状況はこのページで確認→http://swnews.jp/

 まだCクラス連発くらいならいけど、中規模のMクラス、大規模のXクラスとかが長期間続くと眠りが浅くなり、かなり頭もおかしくなりやすい。
 が、「フレアのせい」と認識すると危険を探す定位反応はいったん安心するので、少し救いになる。まったく原因がわからない焦燥感とか過覚醒ほど気持ちの悪いものはない。
 統合失調症などでも、かなりものすごい過覚醒が脳内で起こるので、それが敵に狙われていたり監視されているという妄想(ゆがんだ定位反応の結果)につながるのかもしれない。
 狂気の閉じ込めているエネルギーは本当にものすごいのだ。
 生きようとする根源的なエネルギーが姿を変えたものだから。

 ということで自分が自然エフェクトにもてあそばれやすいということはわかってたけど、そもそもの常時興奮レベルを下げるという発想はなかった。

 
 なぜそこまで太陽の爆発で興奮するのか?

 この体質はなにに起因するのか?

 どうすれば普通に生きて行く安定感が得られるのか?(一生このままなのか?)という謎が解けなかったのだった。



 でもSEの考え方に出会い、このエネルギー状態をシフトできる可能性が具体的に見えてきた。
 きっともともとエネルギーには敏感に反応してしまうほうなのだと思うけど、PTSD反応がそれを耐え難いレベルにまで高めてるような気がする。


 だから僕は自分のエネルギーバランスを変えるものすべてに対して、注意深くなってしまった。

 
 睡眠時間、食事、飲み物、性、職場環境、人間関係、ひとりでいられる時間、読む本、見るDVD、自然現象・・・・
 
 
 まあ神経過敏でなければ自分がこれだけ多種多様な現象の影響を受けてるってことに、気付かなかったかもしれない。

 んで、かなり引きこもりがちな生活をするようになった。

 僕は一種の修道生活をしていて、ここは修道院かと思っていたけど、どうやらPTSD避難用シェルター、回復施設でもあったのかも(笑)

 トラウマは人間のもっとも強い生命力が形を変えたものであるため敬意をもって扱う必要があるとリヴァイン博士は書いている。


 ならば敬意をもってトラウマ神 様を拝まねば 
 トラと馬が合体した姿の神様かな?(笑
 しかし日本語ってすごいね。トラウマってある意味、虎と馬が合体したものだもんなー。狩るものと狩られるものの相互作用。
 その正体は動物としての僕らの根源的パワーそのもの。


 自分の生命の力を敬い、トラウマが与えてくれた知恵を大事にしたい。



スポンサーサイト
セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/04/24 17:57
コメント

管理者のみに表示