Somatic experience(ソマティック・エクスペリエンス)③


 SEセッション二回目以降の記録
 
現在、三回体験。

 興味深いことがあればアップして行こうと思いますが、効果を確認しつつ、心を整理しつつなのでかなり時間差レポートになると思います。

 *比較的に内面さらしてるので期間限定記事となるかも・・・・


 ■SEその後


 一回目のSEセッション(4月初旬)のあとエネルギーの高まりを感じた。
 次の日は5時半ごろ目が覚めてしまったけど、よくある目覚めの重苦しさはなく、胸が躍るような感覚があった。
 「木々の形はそのままで喜びの表現なんだ」というような言葉が浮かび、また二度寝することもないかという気になり、早朝の公園を散策にいった。

 その日は自分にしては活動的にいろんなことをした。活動しすぎてラインを超えてしまったのか、夕方ごろにはなんか熱っぽくなっていた。
 夜寝ると「ハッ」と驚いたような驚愕反応で一度目を覚ましたけど、すぐに寝付く。翌日仕事なので安定剤を半錠飲んで・・だけど。

 SEの影響かどうか微妙な部分もあるけど、重要なものを見つけたという感覚はとても強かったので、翌日二回目のセッション予約メールを出した。
 仕事もいつもよりも心の余裕があって、コミュニケーションもやや力がぬけてるように思えた。
 夜も更けて仕事が暇になってくると、SEのセッションや、そのトラウマ理論のことで頭がいっぱいになってきた。
  
 明らかに自分の生きづらさの根本はこの持続する内的過覚醒にもとづく慢性的緊張、苦痛にあった。
 精神状態でも、経済的にも、人間関係でも、僕の人生はいつも外的にはギリギリ感が強かったけど、これは明らかに、内的ギリギリ感(つまり常時警戒態勢の)の反映に過ぎず、苦しみの原因ではなく、むしろ結果だったのだ。

 頭ではすべては起こるべきタイミングに、完璧に起こってるとわかってるが、強烈な感情が次々に湧いてくる。

 でも、恒常的になってるこのある種の緊張状態が良くなるという可能性を考えても、どこか、そんなうまい話あるか、なんてささやく部分がある。
 
 心身の安定へのささやかな希望さえも、どうせ無理かも・・・何も変わらない、とか、そのまま受け入れ苦しむ必要があるとか、そんなことはやめて神だけを追求せよとか、そのうち癒しなんて言ってられない時代が来るとかって思う、実人生への期待値が下がった自分にある種驚いた。

 というかこの思考パターンの重さに気付いた。

 怒りの感情はSE的には、大歓迎ということになるらしい。
 興奮レベルは高い位置にあるけど、少なくともそれを越えてエネルギーが凍り付いてるというわけではないからだ。
 怒り大歓迎といわれるとちょっと安心するけど、問題は人といてそれが出るときかな。怒りが強くなりすぎると、僕はそのエネルギーで凍り付いてしまい、自分自身でそれを解除することがなかなかできない。誰かがお湯かけてくれるの「待ち」のめんどくさい状態になる。この解凍がセルフでできるようになったらいいんだけどな。そのための一歩はまず、どれくらい不条理な怒りでも自分でしっかり「感じる」ってことなんだろう。

 ということで「怒り」をしっかり感じてやろうと決意。


 ■二回目のSEセッション



 2回目のSEセッション(4月中旬)もとても興味深かった。

 今回はストレートに、僕の恐怖の中核をテーマにしてセッションが進んだ。

 「怖くなりすぎたら目を開けてください」と事前に言われた。

 誘導に従い徐々にイメージを感じ、深めていくと、すぐ苦手な雰囲気、黒い悪の気配に飲み込まれ

 「あーちょっと気持ち悪くなってきました、目あけていいですか」と

 即効でギブ(T_T)/~~~  (笑)

 激しい呼吸法はしてないのに両手がじんじん痺れてるし、頭の後ろも痺れ感が

 これは神経系のエネルギーが放出しているってことらしい。なにか見てはいけないものの直前まで行き、その気配におののきすぐにUターンしてきたみたいな感じ。

 ホラースポットの廃病院に見物に行ったはいいが、近づくにつれその禍々しさに圧倒され門柱くぐる前に引き返しました・・みたいな。
 きびすを返すその寸前、暗い窓のあたりに見てはいけないものの姿がちらっと見えてしまいました。。。みたいな。

 なんだこりゃ・・この感じは・・・こんなものいつか直面できるのかって思ったけど。

 でもHさんによると、パンパンになった風船から少しづつ空気を抜いていくのがセッションの目的なので、一見中断したみたいだけど今のでも、エネルギーが抜けてるということ。「1ミリづつふたを開けていきましょう」と言われた。

 少しづつ少しづつ、このプレッシャーを弱めていけば深く感じるところまで入れるし、入れるようになってそこを懐中電灯で照らしたらただの粗大ごみ置き場でしたとかそういう感じのものらしい。その段階では、トラウマは分解され力を失ってるから。でも一度にふたをあけようすると、そのトラウマエネルギーに圧倒されるから注意が必要とのこと。 

 SEでは、トラウマの領域と、リソース(資源)の領域(自分にとって心地よい体感覚)の間を交互に往復しエネルギーを解放していく。

 リソースの渦と、トラウマの渦の相互作用によってふたつの力が統合される。というのがSEの主要なセオリーのひとつだ。

 リソースの体感が、トラウマの解放・統合をサポートしてくれるという。

 僕は昔からリラクゼーションなどで心地いい体感を感じるのが苦手だ。きれいなイメージを思い浮かべても、ビジュアルとして見えるだけで現実感が感じられないというか、そこにいる喜び、楽しさがなかなか感じられない。マインドの働きがリラックスを邪魔する、拒絶する。今回のセッションでも自覚していたその傾向を指摘された。

 不安になるのは得意なのだが・・・

 この、すぐバッドトリップできる能力、何かに生かせないものか・・・


 木漏れ日の森をイメージするけど、やはりなかなかその世界の現実感と接触できない。

 さっきの恐ろしい世界と、この世界を対比すると、ここはとても美しく思える。そのことを伝えると

 「どちらに行きたいですか?」

 そりゃきれいな世界に行きたい。
 でも現実感があるのはまださっきの恐怖世界だ。

 「それが体の感じてる現実なんですね」とHさん。

 そのままリソースを探っていくと、胸の中にある生き物がいるイメージが出てきた。その生き物がいとおしくてなぜか少し泣きそうになった。

 心地いい感覚がゆっくりとひろがってきた。この生き物のことを考えると、さっきの恐怖世界の感覚が遠のいていった。
 うれしさ、よろこびがあらわれる。

 とても不思議だった。これがリソースの感覚?
 もともと僕の中にあったのか。

 最後のほう誘導されることに疲れてきたのか体感的には左胸の辺りにイライラ感が脈動し始めた。

 言っていいのかどうか少し迷うが、「あの・・・ちょっとイライラしてきました」と伝えた。

 「大丈夫ですよ。その感情はとてもウェルカムなので。やっと出てきてくれましたかっていう感じですから。その感覚が次回以降のテーマになるかもしれません」と。

 表層的には、疲れたとかでイライラしてると思っても、誘導によってフェルトセンス(常に移り変わっていく感情・体感覚・イメージなどを総合した概念)を見ていくと、別の内的なエネルギーとつながってることがわかってきたので、なるほどと思う。
 
 以上セッションのごく一部。

 前回はすっきり感と共にセッションが終わったけど、今回は地下世界をのぞき見た動揺がまだ残っていて、頭痛もした。
 すごくいろんな世界を旅して疲れた。
 でも駅まで歩き、ホームで電車を待つころになると、気持ちがいい覚醒感覚が意識に浸透してきた。
 夜は不安を感じることが多いけど、線路に降る雨の線がなんかきれに見えた。
 またインドにでも行って、どっかの駅でこんな風に雨を見ながら電車を待ってみたいなと思った。

 SEちょっと癖になりそうだ。
 
 自分の感じる感覚を、それがなんであれ尊重してもらえることが心地よい。

 あんまこれに依存してもなと思うが、当初の予定通りとりあえず3回は受けて見ようと思う。

 セッション翌日、動画サイトでやりすぎ都市伝説をぼーっと見てる。
 怖い話し系が多くて、こういうの見てるの久しぶりだなと考えてると、もしかして昨日のセッションと関係あるのかなと思った。
 フェルトセンスで体験したトラウマ世界はどっちかというとこういう超自然の恐怖系だったからだ。うん、そうこの不気味ーな体感が似てるような・・・
 ただリヴァイン博士によると、トラウマがイメージに置き換わるときに、そういう形になることもあるようなので、必ずしも現実に体験したイメージかどうかはわからないみたいだ。



 ■ 二回目のセッション後 <4月中旬以降~>

 相変わらず激しい感情の表出は続いてるけど、なんか知覚の範囲が広くなったような印象がある。
 気のせいかな?
 今まで、ここにこんなのあったっけ?という感じとか、ああ、この幼稚園の先生は毎朝門の前に立って一人一人にハイタッチしたりして「おはよう」って声かけてるんだなーとか。
 大変だなー、でもそれくらい子供が好きなんだろうなとか。
 いつもの道を散歩しててもいろんな刺激が新鮮に見える。
 
 非常時に生体がする反応のひとつとして「狭窄」というサバイバルのために知覚を狭めるというのがあるけど、そういう知覚の限定が少し緩んだのかとも思う。

 激しい怒りが出てきたときに、解放する方法のひとつを教えてもらった。

 タオルを横にし適当な分厚さに折りたたんでその上部を握る。そして、ぎゅーっと力を込めて、ゆっくりゆるめる。また力を込めて、ゆるめる・・・・これを何度か繰り返す。
 
 これは神経系に負荷をかけないで怒りを表出させるためによいらしい。

 まあ普通に生きてたら誰でも一度や二度は家具や壁をぼこって凹ましたりしたことあると思うけど(え・・・ないかな?)、こういうことをするとそのあとスッキリするかもしれないけど、なんか暴力的になったことによって余計気持ちが昂ぶったり、ある種の恥の感覚が強くなったりする。自分が怪我をすることもあるだろうし、なにかその激しさが自分自身のどこかをきづつけてるような気もする。

 このタオルを使ったやり方だと、穏やかに表出させるということを脳に学習させる意味でもよいらしい。

 これを何度かやってると悲しさと一緒に涙も出てくる。
 怒りと悲しみがセットになってることはフェルトセンスで見ていけば、わかることだけど、このやり方も穏やかだから悲しみも感じられるのかも。
 怒りに任せて枕ぼこぼこにするとかだと怒りオンリーになっちゃう可能性がある。

 
 ■リソースの渦とトラウマの渦



 二回目のセッションから一週間ほど経って(4月下旬)、感情の出方がさらに激烈になってきた。

 こんなに一日中怒ってるのはあまり経験したことがなかったので、ある意味興味深いけど、あまり続くとちょっと衰弱する。怒り疲れ(~_~;)

 頭がおかしくなるような感覚があるくらい底なしに湧きあがってくる。

 これだけのものがあったことに戸惑いつつ、自分で驚く。

 基本的に感情は感じつくすのがいいとは言うけど、SEの本にも圧倒されたら注意を別のことに向けることを勧めているので、この状態はさすがに感じすぎだと思い、タオルに怒りをぶつけるのもやめて走ったり、ストレッチをして体を動かすことに意識を移した。

 うーんそれにしてもタオルを握りながら「このバ~カ~ヤロウ」って呟くくらいいいと思うんだけど、それくらいでも結構罪の意識を感じたり、こんなことしてて次に相手と会ったときにぎくしゃくしないか、スピリチュアル的にこれはいいもんだろうかと気にする部分があり・・・どんだけ良い子ちゃんやってるのかと思った。

 ずっと基本的には感情を押さえつけ、コントロールすることで対処していた。だからそれを出すのは本当に不本意ながら切れてしまった時が多かったから、切れるだいぶ前からこうやって怒りを表現するというのは新鮮だ。

 それにそのほうが人に迷惑がかかりにくい。

 結局相手は、エネルギーを投影した仮の標的になってるだけだから本当の意味では憎んでいないことが多いんだと思う。ただそれをわかるためには、その怒りをトータルに感じたり、ひそかに放出させるということが必要だ。念が飛んでいかないことを祈りながら。

 ただあまりに頭がマッドな状態で、プラクティショナーの方にも「その怒りをひとりで感じつくすことはお勧めしません」と言われ、かわりに「心地よさ」を意識的に感じることを勧められた。ありのままに感情・感覚を感じるのと平行して、ここちよい体感覚を意識するようにする。

 ここちよい体感覚はおそらくSEの考え方で<リソース>と呼ばれるもので、生命エネルギーを巻き込んだトラウマの渦の解放と統合には、リソースの渦が重要な役割を果たすと考えられている。それは自然の中を散歩してさわやかに、広がったような「感覚」とか、夕日や朝日を見てその美しさに感動した「感覚」とかお風呂に入って気持ちよかった「感覚」とかとにかくここちよい「感覚」であることが大事みたいだ。体感覚の希薄な難しい理論や理屈は、きっと脳の新しい部分に属するので原始的な脳の部位が喋る言葉とは異なる。

 リソースをふくらませることが、セッションにもいい効果をもたらすらしい。

 頭が感覚や感情と切り離されて空転している状態が多いので、このここちよい感覚を感じつくすというのも新鮮だ。

 普通現代人は理性が優勢だから、ある程度は頭が感覚や感情と切り離されている。
 よくあるたとえでいくと、動物は体感覚で生きているので調子が悪くなるとエサを控えたりするけど、体感覚ではなくマインドのパターンにとらわれている人間は、体が食事を嫌がっていても食べ続け、飲み続け、タバコを吸い続ける。体がそれを欲していなくても、心がそれを望んでいなくても、自動的に回転するマインドパターンの輪の中に閉じ込められてしまうのだ。この閉鎖系が人の生命力と可能性を大幅に限定しているもののひとつじゃないかと思う。

 リソースを感じていると、本当に体や心が喜んでいるものと、そうでないものの見分けもつくようになるかもしれない。

 トラウマエネルギーは神経系の収縮で、リソースは拡大だ。
 リソースの拡大力が、トラウマの収縮力を中和する。

 以下トラウマの渦とリソースの渦にヒントを得た考えで、ちょっとSEの理論外の話になるけど、<収縮する渦>と、<拡大する渦>というのは癒しや人生の出来事を考えるときとてもいいモデルになるような気がする。
 人生の総合的バランス度は、このふたつの渦の勢いの均衡によるとも言えるのではないだろうか。
 収縮する渦の方が勢力が強いと、人生はやはりつらいもの、耐え忍ぶもの、ひとつ間違えば地獄のようなものになる。
 拡大する渦のほうが強ければ、人生はつらいことはあるが生きるに値するもの、喜びに満ちたものにもなりうる。

 収縮する渦は、本来、拡大発散する生命エネルギーを巻き込み、脳神経系や細胞レベルに「帯電」する。
 それは危険時においてサバイバルのために起動し、生命エネルギーを凝縮するためのものだ。
 収縮する渦のとらせる姿勢は筋肉を硬直させ、首や肩に力を入れさせる。
 恐れや怒り、悲しみというエネルギーがリアルなのはおそらく肉体に「帯電」しているからだ。
 もしかするとそれは電子機器に異常さえ起こすかもしれない。
 それに対して拡大の渦は、拡散し、よろこびを放射する。
 拡大の渦のとらせる姿勢を象徴化すると、両手を広げ胸を開いたような姿勢と、全身のリラックスだ。
 その渦は、エネルギーを帯電させるのではなく、放電している。

 収縮の渦は人生を耐えがたいものにもするが、収縮の渦の巨大さに対応した拡大の渦が、それとバランシングするために潜在的に形成される。
 それがきっと、どんな状況でも人に希望を与えるもの=Spirituarityだ。
 きっとそれが顕在化することもあれば、そうならないこともあるだろう。
 でも潜在的には、収縮の大きさと比例した拡大の渦が同時的に作られるのではないだろうか。

 つまり巨大な恐怖を抱えているということはチャンスであり、預金残高のようなものなのだ
 記憶喪失で換金の仕方を忘れてしまった外貨貯蓄と言ったほうが近いだろうか。
 収入は30万くらいあるけどその大半が自動的に外貨に投資されて、手元に残る日本円は10万くらいで、しかもどうしたら日本円にできるかわからなくなってしまい貧乏を余儀なくさせられてるような。
 あるいは買い込んだゴールドを常にリュックでしょって歩いているので、なにをするにも疲れて働くこともできなくなった状態。

 そんな風に巨大な収縮は、巨大なよろこびをはらんでいるし、巨大な闇は、おそらく光の卵なのだと思う。


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  「収縮」を換金した時の、映画「ショーシャンクの空」 アンディ・デュフレーン

  「希望はいいものだよ 多分最高のものだ いいものは決して滅びない

 I hope I can make it across the border.
 I hope to see my friend, and shake his hand. I hope the Pacific is as blue as it has been in my dreams.
  I hope
.

 どうか無事国境を越えられますように。どうか友と再会しやつと握手ができますように。どうか太平洋が夢の中で見たのと同じように濃いブルーでありますように。それが私の望み(希望)だ。

  ショーシャンクの原作 S・キングの「刑務所のリタヘイワース」より

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セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/05/19 22:12
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