I先生のこと(4)

 この初回の個人セッションの時には、僕自身のセクシャリティについても話した。
 というのは、I先生を紹介してもらったRさんは基本的にゲイの人対象のセラピストであり、Rさん経由で来たということは僕もゲイであると考えられてまあ当然だろう。
 だが、僕は(基本)ゲイではなく、恋愛対象は女性だ。
 Rさんの所へ行ったのは、自分が本当はゲイなのではないかと煩悶していた時期で、ゲイの人向けのセラピストならそういう悩みも包み隠さず打ち明けられると思ったからだった。
 だが少し、人と比べるとちょっと変っているところがあるとすれば、僕は別に同性とセックスすることがそれほど異常なこととは思えないということ。
 自分を女性化したいという願望が結構強くあるということだろう。「らんま1/2」みたいに日替わりで男になったり女になったり出来たら楽しいと思う。
 しかし、自分を女性化したいということと、男が好きということとは必ずしもイコールってわけではない。
 
 そういうことをI先生にも話した記憶がある(これは本題ではなかったけどRさんの話題から自然にそうなった)。
 「彼女とセックスする時にも、そういう自分の女性的な部分を出せるといいね」とI先生は言った。
 僕は自分の中に住んでいる『女の子』をもっと認めてあげてもいいんだと思うようになった。

 この『女の子』は一時期、僕がある種の意識状態になると、繰り返し出現するようになった。あまりにもその頻度が多いのでこのパーソナリティにのっとられてしまうのではないかと思うくらいだった。しかし、『彼女』がやりたかったのは僕にとって代わることではなく、ただ自分の存在を認めて欲しいだけのようであった。『彼女』と会話をして、優しく接することによってそれは僕の一部として統合されていったように思う。
 『彼女』は「変態」なのではなく、僕の感性や直観を司っている重要な部分なのである。それを無視したり、冷たくすると、彼女は様々ないたずらによって自分の存在をわからせようとしてくる。
 僕は自分のアイデンティティーを固定し、男らしくなろうとするのをやめた。それはつまり、「彼女」に対してドアを閉ざすことだからだ。
 このドアはいつも開けっ放しにして、「彼女」が戻ってきたらいつでも入れてあげようと思う。

 「女の子の部分を大切にね
 それが君の官能の源だから
 女の子の部分が
 全部いたずらしてるんだよ
 君が彼女を認めないから
 彼女を君だと認めないから」←ノートの走り書き


 I先生のところにはRさんからの紹介で、ゲイの人たちもたくさん来ている。おととしに連鎖的に13人くらいが覚醒(色々なレベルがある)した時もその中の3人くらいはゲイの人たちだったと記憶している。
 I先生によると、頭(思考)が邪魔をするので普通の男が一番難しいらしい。

 「ちょっと女々しいくらいでちょうどいいんだよ。」といつかの瞑想会で先生は言っていた。
 



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I先生のこと | コメント(3) | トラックバック(0) | 2006/11/10 11:41
コメント
私自身、中性的な感じですので、内在する両性を意識してます。
特にセックスのときは、表出しまくりになってしまいます。
私の中の男性性と女性性。
彼女の中の女性性と男性性。
この四つ巴の絡み合いで、ダイナミックに戯れています。
ザッハさん、こんばんは。

そうですね、僕は内在する両性を認めるまでにずいぶんかかりました(うーんまだかもしれない)。どうしても他者の視線で自分を裁いてしまいがちです。

でもかなり、重要なことですよね。『彼女』に居場所を与えることは。

ブログと、mixiの日記を少し読ませていただきました。無明庵の「性シリーズ」は習得されましたか?

僕はまだまだっす(^^;


「性シリーズ」は私もまだまだっす(^O^)

性に目覚めて、まだ2年ほどですし、
相手の女性によっても、かなり違ったものになってしまいます。

性を謳歌しているというところでしょうか。
でも、性にはまだ、未発見のことも多くて、
それに遭遇したときは、格別の喜びがあります。

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