僕らを見つめるまなざし

               「あなたが求めているのは あなたを見ているものである」BY・・・・誰だっけ?



 僕らはいつも他者からの注意と関心、そして承認を求めています。

 と、同時に十分なそれらが自分には与えられていないと思ったり、自分はそれらに値しない、ということを恐れていたりもするのではないでしょうか。

 誰しもが成長する過程で、多くの人が嫌われたり、仲間はずれにされたり、影でののしられたり、社会全体から裁かれるのを目にします。
 そして自分はそんな事にはなりたくない。でもひとつ間違うと、自分も見捨てられ、相手にされなくなるだろうという恐れをも刷り込まれました。
 
 そして時には、大勢の中でスケープゴートを見つけ、陰口や批判をしているときに、「うん、自分は確かに【こちら側】にいる大丈夫だ」という安心感を感じたりするかもしれません。

 と、同時に心のどこかではその安心感が砂上の楼閣のようなものであることも知っています。

 敵や異端者、悪いやつ、ムカつくやつ、ダメなやつを設定して連帯感や安心感、承認感を得ることは結局はそれが無条件の連帯感や承認感でないために、潜在的にはよりいっそう愛されないという恐れをも強化するのです。

 それはこちら側(OKな側、愛される側)とあちら側(NGな側、愛されない側)を設定してしまったがために、生まれる居心地の悪さです。

 誰からも興味と関心を払われなくなることを僕らは恐れます。
 
 そのためにその恐れが大きければ大きいほどに、よりいっそうスケープゴートを探してこちらとあちらを設定したり、他者からどうにかして興味と関心を勝ち得ようとするコントロールドラマに巻き込まれていくのです。

 それほどまでに愛を求める衝動は強烈で、それが満たされないときの恐れも大きいといえるでしょう。

 確か中島みゆきの歌の歌詞に「愛の重さを疑いながら 愛にすべてをさらわれてゆく」というのがありますが(土用波)、これは「愛なんてない」を思って生きても、結局は愛されない恐れに基づいた現実を生きてしまうという、愛に表側からも裏側からも支配されている人のあり方を歌っているのだと僕は解釈していました。(よく考えたら作詞者の意図とは違うかもですが)
 
 結局は問題は愛は人からのみ、それも他者からのみ生じるという集合的な思い込みにあるようにも思えます。

 もしそうならば愛は限られており、結局はカップルや友人関係からあぶれるものが出て、人間関係は限りある愛という「資源」を勝ち得るための過酷な競争になるのです。

 多くの人が両親とのトラウマを生涯抱え続けるのは、子供にとっての絶対者である親の言動はその次元を超えた愛をもってしなければ修復が難しいからだと思います。子供にとってのメンタルなセーフティネットは、社会全体が、君は両親から愛されている、と同時に愛からも愛されている、という認識をもつことではなないかと思うのです。

 その愛は人から発すると同時に、空気中に常に遍満しているようなものです。
 あたかも空気中に、僕らへの関心と興味と、そして愛情が常に充満し、それを僕らが気付かないだけとしたらどうでしょうか?

 もし僕らが、それに気付くことができれば、恐れなく生き、注意と関心を惹くために人をコントロールする必要もないことに気付けるのでしょう。

 僕らはどうしても、愛を言葉や、贈り物や、優しげな行いや、肌のふれあいとして考えます。

 ということは、もしも日常に優しい言葉をかけてくれたり、プレゼントをくれる人がいなかったり、肩に手を置いたり、頭をなでたり、キスをしてくれる人がいなければ・・・そこには愛はないということになってしまいます。

 そして、愛がもらえない私は、価値がないという認識にまで時には至ります。

 でも本当にそうなのでしょうか?

 先日講演会に参加させてもらった、臨死体験後に末期の癌が全快したアニタ・ムアジャーニさん。
 アニータさんは、臨死体験中無条件の愛しか存在しない次元にいた話しを聞かせてくれました。
 その愛が、病を治療させた原因であるとアニータさんは考えているようです。

 直観医療者のクリステル・ナニさんも人は死後無条件の愛の空間に赴くということを著書の中で語っています。

 近年(2012年)全米を中心に注目された脳神経医エベン・アレグザンダー氏の著書「プルーフ・オブ・ヘブン」にもやはり無条件の愛の次元、創造主の次元のことが描かれていますが、この人も大腸菌性の髄膜炎というかなり珍しい病気から危篤状態に陥り、臨死体験を経て奇蹟的な回復を遂げた方のようです。

 その次元では僕らは何をしていても、していなくても、無条件に愛されて存在し、また僕ら自身がその愛のネットワークの一部となりその中で、すべてを愛しているようなのです。

 おそらくは愛は宇宙自体の根源的な構成要素であり、人間の中に気まぐれに現れたり消えたりする、一感情などではないのです。 

 いつの日か愛が、光や重力や原子のように宇宙的な力であることが広く認識される日が来るかもしれません。

 それまでは、愛はヴェールの向こう側でその正体を隠しながら、僕らを操り続けるでしょう。
 
 もしそんな時代が来るまでにまだ時があるとすれば、あたかもすべてが自分を愛しているかのように、空気中に愛が満ちてるかのように日々想像力をもって生きてみるのはどうでしょうか。

 無条件の愛が誰にとってもリアルな時代にいる、というシミュレーション、ごっこ遊びです。

 大きな存在が、あるいは天使が、僕らにいつも語りかけている。

 例えばこんな風に

 「あなたがひとりで元気がないと感じるときに、私達と話していると考えてください。実際、私達はいつもあなたとひとつであり、あなたに話しかけているのです。

 私達に一定の形はありませんが、あなたが愛する形として想ってくださって結構です。
 エンジェルとして、妖精として、マスターとして、好きなアイドルとして・・・なんでもかまいません。
 あなたが愛を感じるということが重要だからです。

 そしてあなたには、絶えることのない注意と関心が注がれています。

 あなたが自分のことをどうでもいいと思ったり、絶望するときでも、あなたは私たちによって、いつも見つめられ、感じられているんです。あなたにはいつも関心を持たれる価値があります。

 なぜならあなた自身が、肉体と時空と自我を経験し愛を表現している私達の一員だからです。

 あなたがこの世界で為そうとしていることを私達はいつも応援しています




 それがリアルであるとき、想像力は、単なる空想ではありません。

 世界が丸いというリアルなイマジネーションがコロンブスの航海を助けたように、もしも神が、愛がリアルであるならばそのイマジネーションは実際に愛とつながる力があるはずです。

 この「ごっこ」を続けていると、時々これは単なる空想じゃないという喜びや安心感、エネルギーの高揚を感じるかもしれません。それは愛がリアルであるということの証なのではないかと思います。

 さて、この記事は、誰かが、あるいは何かが、いつどんな時もものすごく僕らに関心を持っているというのではないかというイマジネーションをもとに数日間書き進めてきましたが、さっきカフェで読み進んだエベン・アレグザンダー氏の「プルーフ・オブ・ヘブン」の中でこんな一節と出会いました。エベン氏は、臨死体験中に体験した創造主を、「オーム」と呼んでいます。ちょうど今日出会った、この記事の趣旨そのものでもあるこのセンテンスを引用し、終わりたいと思います。


 「確かに神は、科学が解明に努めながら明らかにしている、完璧な宇宙をあらわす数字の向こうに姿を潜めている。

 しかし逆説的ではあるが、オームにはそれと同時に豊かな情緒が備わり、その人間味はわれわれ以上であるとさえ言ってもよい。

 オームはわれわれの想像を絶するほどの深さと関心をもって、個々人の置かれている状況を熟知し、共感を寄せている。

 われわれが忘れてしまったものの喪失を承知していて、わずかな間でも神聖なつながりの記憶をなくした状態で生きることがいかに過酷であるかを、よく理解しているからなのだ。」 
                                       エベン・アレグザンダー


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セラピー&ヒーリング | コメント(2) | トラックバック(0) | 2014/10/07 21:47
コメント
はいたかさんこんにちは!
はいたかさんのブログは文章のレベルが凄く高いですね。
こちらのブログでアニータ・ムアジャーニさんやエベン・アレグザンダー医師の本を知って読みました。

特に、エベン医師の本なんですが、紛れもなくこの数年で読んだ中で最も良い本の一つなんですが、正直なんかちょっとできすぎてる感じもするんですよね…。先生の生い立ちや家庭環境、ハーバードの超一流脳神経外科医という経歴、細菌性髄膜炎という脳の大部分を停止させる病に原因が良く分からないままに罹って後遺症無しに治ってしまったこと、実妹のエピソード…。批判したいわけではないんですが、ちょっとできすぎな感じもする。

YouTubeでもエベン医師の動画色々見ましたが、先生にはまぎれもなく誠意や熱意も感じましたし、意図的に嘘ついたりする人では全くないと思う。しかし勘違いしていたり何かしらの幻覚を見てしまった可能性もゼロではない。

私としてはもちろん、宇宙のベースや、究極的な存在としての神が無条件の愛や思いやりであって欲しいし、それが本当に真実で皆が知ることができれば、70億人全員の最高の癒しになると思います。しかしながら100%は今のところは信じ切れませんし、まあ精神世界のことは妄信するのは危険ですから、今の段階はそれでいいかなとも思います。

神や無条件の愛を信じたい気持ちと疑う気持ちの間で揺れ動きました。スミマセンw

はいたかさんは、「プルーフ・オブ・ヘブン」については率直にどう思われますか?「天国の証明」だと感じられますか?
Re: タイトルなし

 >みつこさん 

 ご訪問ありがとうございます♪

 「プルーフオブヘブン」読まれたんですね~、あれは何度も読み返したくなるいい本だと思います。

 天国の証明かどうか・・・ということに関しては、僕自身はエベン氏の本を読む前からあっち側はなんとなくあるだろうと思っており、それ前提で楽しく読ませてもらいました。

 臨死体験もののなかでもぶっ飛び度が高くて面白かったです。

 でも厳密には、万人にとって天国の証明となる、ということはどんなすばらしい書籍でもほぼ不可能だと思ってます。

 結局自分がそれを体験して初めて、現実になるんだと思うんですよね。

 でもあれが仮に100パーセントフィクションでも僕は、すごいと思うんですよ。感動しますからね、かなり。あのクオリティなら十分に人を啓発できるし、他の文献との整合性もありますから。

 ハリウッド映画のようなできすぎ感については僕も若干感じた部分はあるんですが、あちら側でプログラミングされたことだと考えれば十分起こりうるストーリーだと思います。ある意味、本にされて拡散するということが最初から込みの体験だったのかもしれないですね。

 でもみつこさんが言われるように、妄信する必要はないと思うんですよ。

 いろいろな経験や情報を通じて、確信は向こうのほうからやってくるのではないかと思います。

 肉体を離れて意識があるかどうか・・・どちらにしろ、みんないつかは自分自身で答えを知ることですからね^^




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