大いなるものとつながる


  前々回は「自分とつながる」ことについて書いてみましたが、今回はもうひとつの重要事項「大いなるものとつながる」ことについて書いてみます。

 神、宇宙、愛や叡智、高次の自己

 なんと呼んでもいいのですが、古来より人は人の知の及ばない実在を直観的に感知して来ました。

 太陽や月、星のめぐり、生命系の複雑さと秩序、それらにはある種の「知性」が内在しているとしか思えなかったからです。自然科学が還元主義的な手法により、すべての生命現象を偶然や自然淘汰で説明しようと試みても、やはり自分に正直に人生や宇宙を見ればそこにはある秩序や知性が息づいていることに気付かざるを得ないと思います。

 僕が思うには、すべての存在はその「大いなるもの」のエネルギーにより生かされているので、ある意味ではすべての存在は「大いなるもの」とすでにひとつにつながっていることは確かです。

 でも、重要なことはそれが僕らにとっての「知」に、より確かな認識となり、リアリティとなるということなのです。 
 「大いなるもの」により生かされているということと、それを知っていることとの間にはやはり違いがあるのです。

 なぜなら「大いなるもの」と個々の認識を通じてつながることが、個々の心の救いや、エネルギー、愛、知恵を受け取るパイプラインを築くことになるからです。

 先週師匠の夜の集いに参加したとき、「つながることとわかること(覚醒することの違いはなんですか?」という質問が参加者の方からありましたが、師匠の答えでは、

つながることは大前提、でもものすごくつながっていても、わからないということはある。わかるかわからないかはその人の人生のミッションにも関係がある。つながることは今日明日にでもできるんだよ。つながることによって個々の資質に応じた能力が開花する」というものでした。

 「大いなるもの」につながる方法はたくさんあると思います。
 多くの人が行う神社や仏閣パワースポットへの訪問も、おそらく真摯な気持ちで行えば僕らとそれをつなぐでしょう。
 他にも他者に奉仕するということを、大いなるものへ奉仕する意識で行えば、それもやはり僕らとそれをつなぐでしょう。

 またことさらに神や宇宙という言葉を意識しなくても、「大いなるものの」性質である純粋な愛や正義、創造性などの意識で生きている人はおそらくこのつながりの中でエネルギーを送られています。

 でも基本的には「自分とつながる」と同じように、「意識する」から始まり、理解し、受け入れ、愛するというプロセスを辿ることになると思うのです。その過程のどこかで、あちら側のエネルギーとつながる感覚が自ずから体得されていきます。

 古来からの伝統的な道では、この「大いなるもの」とのつながりを最優先課題とし、自己や日常的、物質的豊かさを捨て去るという方向性が選ばれてきました。

 でも、現代人のスピリチュアリティは、多くの場合その方法とはフィットしません。
 おそらく大きな流れとして、精神性と物質性の統合、大いなるものと自我の共存、というテーマがあるのかもしれません。現代はヒマラヤの奥にこもる覚者がいると同時に、市井の覚者が大勢求められているのです。

 求めて覚者にはなれなくても、「つながってる人」には求めればなれると思います。

 人類のスピリチュアリティの推移を別の例で見てみると、かつては自己犠牲、自分を殺し、他を生かすという行為が美徳でした。現在でもやはりそれは人の胸を打つし、英雄的行為としてみなされます。

 しかし、それを「最高なこと」ではなく、集合的なスピリチュアリティは「他を生かし、自分も生かす」という方向へと推移しているのです。ということは自分を殺し、他を生かすという方向性がこれ以上、必要以上に美化されることは、全体の成長にとって好ましくないからかもしれません。

 なのでこれと同じように多くの人にとって最初から「自分のことなんでどうでもいい、この世界には苦しんでる人がたくさんいる、自分なんか捨てて頑張ろう」という方向性はバランスのとれた道にはならないでしょう。そのように決断しても、何か満たされない心の埋め合わせとなっている可能性が大きいからです。

 だから「自分とつながること」「大いなるものとつながること」このふたつをバランスの取れた形で行っていくことが現代にフィットしたあり方だと思います。

 もちろんその割合は人によって5:5でも、3:7でも、9:1でもかまわないのですが、個人的には「大いなるもの」のためのスペースを心のどこかに少しでも持っていることをオススメしたいです。

 覚醒した存在は大いなるもの10という意識で存在しており、それは大いなるものの他には何もない(あるいはそのほかはイリュージョン)という認識であり、それに基づいた生き方です。

 そこに至っていない僕らがまずそれとつながるためにはまず「意識する」 ことばでもイメージでも

 自分の知性やリアリティを遥かに超えた巨大な存在、秩序を思うことから始まります。

 ポイントはそれが僕らから遠くはなれたものではなく、僕らの人生や生命自体がそれに組み込まれているということでしょう。そしてこの巨大な秩序、生命の織物、宇宙の計画のなかで僕らは人生の役割や存在の意味を与えられていますが、はっきりとはそれを知ってはいないことがほとんどです。

 そのことにより、大いなるものに委ねる、という方向性が生まれます。

 もしも仮に人生が自我の色付けしたあらゆる視点から見て、行き詰っているように見えても、それは本当の行き詰まりではなくある宇宙的プロセスの一部であることは確かです。

 なので自分の「見方」を手放して、その宇宙的プロセスに意識をあわせたときに始めて現れてくる現実があるのです。
 それが神と共に生きる(つながって生きる)というリアリティです。

 僕は決して「大いなるもの」への真摯な探求者とは言えないと思います。
 
 気がついたら「大いなるものに」 バーカバーカと言ってたりします(ごめんなさい)

 それでも学んだことは多くあり、その中でも大事なことのひとつは、不幸や苦しみは外的な状況により起こるというよりも根本的にはその人間の認識に「大いなるもの」がないことにより起こるということです。

 その人の認識に神が出現した途端、状況に関わりなく人は救われるのです。

 そして完全にそのエネルギーと一体化していれば、ホームレス状態でもきっと笑いが止まらないであろうことは確信しています。

 そのような状態への一歩は、「大いなるもの」を思うことから始まります。
 それは小さな一歩だけど、それ以降の歩みと祝福をすべて含んだ一歩です。

 苦しいとき、それに意識を向けて、この出来事の意味は何か、どこへ私を導かれるのですか?と問いかけます。

 答えはあるかもしれないし、ないかもしれない。

 でもきっとそのことによりあなたの心には神と言うスペースが出現するでしょう。

 祈りの意味は、答えが返ってきたり、願いがかなうこと以前に、祈れるということ、それを意識できるということ、その福音にあるからです。



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セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/10/12 10:23
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