修道会日記 2014 Oct


  久しぶりの長めの修道会日記ですが、やや濃い目の内容のため期間限定記事となるやもしれません。
   
 ではお楽しみください。

  2011年から2013年までお休みしていた修道会。
  昨年再び参加できるようになってから、今回で3回目になる。
  2010年から2011年はほぼ毎月参加していたことを考えるとずいぶんペースは落ちた。
  今回は、約半年ぶりってことになったけど、ひさしぶりに強烈に何かが来てすごかったが、その分あとがやや大変だった気がする。I先生はお昼から個人セッション×5ですでに修道会が始まる夕方には5時間ほど喋り続け状態で、ほとんど休憩もなく修道会に突入・・・というわけでいつものこととはいえかなり最初から酩酊バキバキ状態。そしてそのまま3時間喋り続けた(笑)いつも思うが超人的なべしゃりパワーである。
 
 灰「空気感は変わりましたかね?前回のセッションのあと今年はすごいマーヤな年だと言う話で・・・」

 師「変わったよ!あのあと。M君が言ってた通り変わった。7月くらいに変わった。7月くらいに変な混沌としたのがなくなってきて、結構エネルギーがまっすぐ流れるようになり始めたよね。そう、良くなった。で、その後一回またあれ?ていう感じもあったけど、またちょっと戻ってきてる。でも・・・なんだろう・・・おかしいじゃん・・・この・・・天災系?噴火したりとかさ。祟られてるわな(笑)水責め、火責めじゃん。


灰: 「このままいい感じになるっていうあれですかね。7月より良くなったってことは」

師:「うーん、なってほしいけどねえ。どうなるかね。なんかやっぱりね、『おかしい』。おかしいのは変わらない。

 だから、2000年の頃にフォトンの影響かなんか知らないけどあれでスピリチュアルなエネルギーが高まったあの頃の時期からすると、低迷してきてるんだよね。でエネルギーが低迷して、もっとここから下がっていくのか、上がっていくのかっていう分かれ目みたいなところにいると思うんだけど、そりゃねこのまま上がっていって欲しいよね~

 富士山がぶわーって噴火したりとかさ、津波がぐわーって来たりだとかさ、日本沈没~みたいなそんなん最悪じゃ~ん、ねえ?それはマズイでしょうやっぱり~」

 I先生があまりにも笑顔で緊迫感なく話してるので、会場笑いに包まれ、「あのうれしそうなんですけど・・・・」と声も

 師:「そうなったらなったで俺の腕まくりのタイミングかな?とも思うけど、そうなったらそうなったでイヤなんだよ、俺は。どうなったってとにかくイヤやイヤやっていってるわけ(笑)どっちにしてもイヤなのよ。このままずっと生殺しみたいな状態が続くのもどうなんだって思うし、なんかそういうのがどかーんて来るのもいやじゃん?やっぱり。だからねーなんとも言えないよね。それくらいまで行かなければ人が目覚めないなら、それくらいまでいく可能性も当然あるし、そうならなくても人が気付くんならそうならなくてもすむかもしれないし、人が目覚めていくことと関連してると思うからね。特に今の時代はね・・・。だから、微妙。おかしい、おかしいって言ってたあの頃よりはいいけどね、全然」


 つながることとわかること




 参加者のSさんから「この前つながることとわかることは違うんだって話しされてたじゃないですか・・・」という振り

 I先生笑いながら、隣のIさんを見て「隣にいるじゃないですか~ガシガシにつながってるけどわかってないって言う人が。」と。

 師:「つながるっていうのは一種の前提なの。つながってないとわかるってことにはならないわけだ。で、つながり方にもいろいろあるわけ。俺達は3次元の世界に生きてるわけでしょ?でもここを越えたところに、4次元だったり5次元だったり、6次元とか7次元(7,8,9と続くが省略)とかあるわけじゃない結局。そのどの次元に自分がアクセスするか、例えば4次元や5次元でも宇宙人が住む次元があったり、パラレルワールドが存在する次元もあるかもしれないし、で、それぞれの能力者はだいたいどこかひとつとしかつながれないんだよ。」

 Sさん:「でも先生がつながってるのは大元ですよね・・・」

 師:「・・・そのはずだよ」

 Sさん:「で、そういう人たちはどこかの次元とつながってると」

 師:「そういうはずだよ。そこんところは僕達の理解の範疇を超えるんだよ。わかりえないこともある。ただ自分にとって与えられてるものは自分にとってはすべてだってことなんだね。だから自分にとって与えられてるものを自分はフォローするしかないわけ。でも自分にわからない世界があるんだってことはどっか片隅においておかないと、やばいことになっちゃうわけ。なんか、私はすべてを知ってるよ。。。みたいな、そういう人になっちゃったりとか

 で、そのつながるっていうのはどことつながるかというと、カルマだったりとか、神様の恩寵とかそれら「条件」によってつながるところは変わってくる。で、その中でつながることによってチャネリングする人がいたりとか未来の透視をする人がいたりだとか、タロットで人の未来を占ったりだとか、そういうことができるというのは起こるんだ。

 でも悟るっていうのは基本的に神かSATANの恩寵がないと悟らないわけよ。

 ということで悟りというのは絶対者によってもたらされるものだけど、悟りっていうのは、自分に対する結論なんだよね
 。
 ていうことは、悟りっていうものは、自分の疑問だったりとか自分の探求の終着点にあるべきもの。。。ということはこれはひっくり返して考えると、自分の探求ていうのがすべて努力し尽くされてもうそこに到達してもいいって時期が来ない限り悟りは起こらないってことになる、ていうことは自分の人生で起こることだったりとかが今・ここで完全にフィットしなきゃいけないわけ。

 これ以上の何かが起こるのではなくて、今までの人生歩んできた結果によってここに辿りついたっていう・・・行為の終着点でなければならないってことなんだよ。
 だからIさんはすごいがっしりつながってるけど、究極のところわかるって感じにはならないって言うわけ。それは理由としては、Iさんの使命、Iさんがなすべきこと、Iさんはバツゲームって言ってるけど・・・あはは(笑)
 そのなすべきことと、わかるってことが多分同時発生的にくると思うのね。あ、すべてこのために自分の過去があったんやなっていうその究極的な得心だよね。自分の人生の全肯定。
 Yなんて結局それできちゃったんだもんね?「私の人生にはもう何もございません」みたいな(笑)

 Yさん:「はい・・・」

 師:「結局、俺達って言うのは生き物なんだよ。いろんな哲学だとかでいろんな理屈を言おうがなにしようがね。結局、どこかの環境の中で我々は生きてるってことなんだよ。ていうことは、それぞれの人が必ず固有の体験をそこでしているってことなんだよね。

 例えば禅なんかで、経験はない、だったりとか人生は幻である、無明であるいうけども、その答えに到達した人って言うのは長い探求と師匠たちの恩寵をいくつも経験した結果そこに到達して、そこに到達した時点でその真理を悟る。

 確かに「人生において経験はない」という結論の次元は存在するわけだよ。

 そればかりか、何もないんだよ。

 何もないって言う次元が存在するんだよ。

 でもそこに到達するためには、経験がないと到達できないわけ。だから我々にとって必要なのは経験をすることなんだよ。人間ていうのは。

 ということは経験の積み重ねが、自分の使命だったり自分がここに存在する役割だったりとか、そのことを明らかな答えとして見出すまで悟りは起こらないってことなんだ。

 つながるっていうのは今日明日からつながれるの、つながろうと思えば。

 悟りは最後に来る。だから覚醒は始まり、悟りは終わり。覚醒は覚醒の始まり、悟りは覚醒の終わり・・・・なんだよ。


 神とSATAN、朝日とおしっこ
 


 Sさん:「だからわかってない人でもつながってたらそれなりの文章が書けるってことですか?」

 師:「そうそう、ただわかってない人はどういう難点があるかというとそれが神なのかSATANなのかという見分けがつかないってこと。わかってない人からすると、神々しい体験をすると、それを神だと思うわけだ。わかってる人からすると、神々しい体験をしたときに、必ずしも神かどうかはわからない・・・ってことをわかってるわけ。

 自分がアイドルが好きだとするじゃん?アイドルが好きで、そのアイドルを見ている時って言うのは神々しいだけなんだよ。でも実際に付き合うってどういうことかっていったら、その「うんこ」とも付き合うってことになるわけ(笑)あはははは。人間はうんこするんだからね、「うんこ」と付き合うことになる。」

 Oさん:「うんこと付き合うわけじゃないと・・・(笑)」

 <場内笑>

 師:「あははははは。だから、両方セットでしょって話なんだ。もしかしたらトイレは行ったときに大好きな彼女のうんこの流し忘れがあるかもしれないそれ見たときに・・(食事中のかたもいるかもしれないので省略w)

 あのさ、Yさんて北海道の人がいてさー
彼は北海道にいたとき牧場でバイトしてたの。で、牛って50リットルくらいの牛乳を出すんだって。でも、5,60リッターのうんこするんだって。だから朝、牛舎行くと・・・・すごいんだよ。

 で、彼はこんな話ししてたよ。彼の覚醒体験の話聴いたの。

 そんなかでクソまみれになって掃除やってるとき、すぐ側にいた牛がじゃーっておしっこしたんだって。

 で、そのおしっこした時に向こうに朝日が昇ってきて、おしっこがキラキラキラーって輝いたんだって。その瞬間に目覚めちゃったんだってさ。

 ね、牛のうんこと格闘してる人が牛の放尿見て覚醒したっていうね、面白いはなしだねーって。そんなもんだよな、なんて言ってたんだけどね(笑)

 結局我々は学校入ったってきれいなビンに入った牛乳が並ぶわけじゃん。それってキレイな一面しか見てないけど、その現場にいる人たちはうんこと戦ってるってことなんだよ。どうだいこの話は?

 だからこの世って言うのは美しいものと汚いものが混在してるってことなわけ。だからそれがふたつあわせてバランスが取られるってことが大事なことなんだ。

 だから神々しいものがわーって出てきて「おー神だ」っていうのはだまされてる可能性がある。

 それよりもその中でSATANの働きだったりが見えてくるっていうのが覚者なんだ。覚者はSATANを熟知してるってわけ。だからわかってる人は基本的に騙されないのはそこに理由がある。

 だからM君がずっと昔に、リトリートのときに、先生神様とつながってるそのときの体験はどうしてこんなにデモニッシュな感じがするんですか?って聴いたことあったじゃん。」

 2008年の春のリトリートのとき確かにぼくはそんな質問をした。今では、なつかしい
 記憶がよく飛びそうなI先生、よくそんな前のこと覚えてるなーと思いつつ

 灰:「あ・・はい」

 師:「で、そのとき、そんなもんだよって言ったじゃない?で今日はKがこんな話ししたわけ。私が神様って思って向ってる神様はSATANかもしれないって。で、そうだよって俺はいったわけ、お前の神はSATANだ!みたいな(笑)あっはっは。そういう意味じゃなくてね。

 もしSATANであったとしてもその背後には神がいるってことを理解しておけば、例えそれがSATANだっていいじゃないかって話しを今日はしてたわけ。言ったらねKもM君が感じたのと同じように感じてるわけよ。なんか、神とつながってわーいと思ってるんだけど、なんかデモニッシュな感じがするから(笑)これSATANなんじゃないかって思って俺に質問してきたっていう。

 で、俺も自分の覚醒の瞬間っていうのはSATANに包囲されてたからね、やっぱり。完全にSATANか神か、どっちのウェイトでもってこの秤がひっくりかえるかっていう感じだった。だから、悟りって思いっきりSATANチックなんだよ。なぜかっていうと悟りの瞬間って両方を相手取るわけだから。で、その中で結局、すべては神のコントロール下にあるだとかということになるわけだけど、で、その時にそこに居並ぶSATANをばーって見るわけだよ。悟りって言う舞台では、神から、天使からSATANまで全員集合なの。チャンチャチャチャンチャンチャンちゃんラー♪おーいすってやつ(笑い)全員集合だよ。

 占い師や予言者はSATANにぐるぐる巻きにされてることが多いけど、結局、SATANがそこにいようが何しようが、その人につたえるべきメッセージを選択してるのは神なんだよ、結局。だからどことつながってようがそこではその人がいうべきことは必ず言わさせられるわけ。」

 師「で、他に質問ない?・・・ないよな。聞いた俺がバかだった。だいたい俺がダラダラしゃべてるんだったね、ここの修道会では。M君に質問したのが始まりだった、俺がなんか質問しなきゃいけないってマーヤになっちゃったんだね

 って言ってもね、どうしよね?(笑)M君なんかない?質問」

 灰:「いやーないっすね、、、今は出てこない」

 もう頭が働くなって来ていた。


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修道会日誌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/10/15 19:41
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