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冬は断食の季節?



割とどうでもいい話だけど、僕は、あまり体につける化学製品を使わない。

  洗顔剤→使わない。(10年以上使ってない)

  ヘアワックス→使わない。(7,8年前に一度使ったキリ べたべたするのが気持ち悪い)

  ボディソープ→使わない。

  特に意識してそうなったわけではないけど、気がつけば、何年も化学製品で体を洗っていなかった。
  えーと10年くらい使ってません、泡のでるやつ。

  一応シャワーは毎日浴びる。
  でもお湯で体を流す、それ以上の必要性を感じず、自然と使わないようになった。

  もともと体臭がやや希薄というのもあるかもしれないけど。

  なーんつって実は僕が近づくとみんな鼻呼吸から口呼吸になってたら笑えますけどね~。
  
  あーハンドソープは使うかな。

  仕事上、手はよく洗います。

  トイレに行ったあとも手を洗うよ!(清潔さアピールが必死になってきたw)

  あとそんな僕でもさすがにシャンプーは使っている。(歯磨きも)
  このキューティクル至上主義のご時世。
  そしてハゲるくらいなら腹を切れというくらいの勢いの毛髪全体主義のこの時代。
  シャンプーを使わないこと、=死に等しい(言い過ぎか)

  しかしよく考えたら、頭以外の部分に洗剤的なものを使っていないのに、頭だけ念入りにあわ立てて必死に洗ってるって、そんなに俺の頭って体の中で一番汚いのか??という素朴な疑問が湧いてくる昨今。

これに関してマドモアゼル愛さんのブログが面白かった→×× シャンプー 歯磨き クリーム 化粧水

 これはシャンプーなしでどこまでいけるか実験にもいずれ着手せねばならないようだ。きらーん(メガネの光る音)

 まあよく思うことではあるけど、化粧品とか、ヘアケア製品のメーカー、あるいは製薬会社のメッセージというのは

 表向きは「さあ、私達の商品で、美しく、清潔に、そして健康になりたまえ!」だけどその裏側には

 「だって君たちは、私達の商品ナシでは、汚くて 臭くて 不健康なのだからね」というものがあるように思える場合がある。現にそういう汚さ、臭さをまずアピールするCMは多い。

 つまり肉体や生命はもともとは汚い。それをケアするには、化学製品が必要だ、という大前提があるような気がする。

 「肉体 生命 自然」 だけでは十分だけではなく、それ+科学の知恵が必要だという思想だ。

 断食や 情報断食 自然の中で暮らすことなどが いくら健康に貢献するとしても、それはビジネスのモデルにはなりにくい。なぜなら、それはあるものを取り込むことではなく、取り込むものをゼロにするという方向性のものだから。

 ゼロにするということで、生命自体の生命力を賦活しようとするものだからだ。

 ゼロのパワーが、マネーと、そして資本主義経済と結びつくのは至難の業かも。

 もっと多くを買い、もっと多くを食べるというそのビジネスモデルの前提では、何かを断つ事によって生命や心を純粋化する、何かを加えるまでもなくすでに完全なものとしてある生命力をリスペクトするというモデルは生まれにくい。

 だから逆に言うと、商業社会に生きるということは、商品なしでは不完全な存在だということを刷り込まれ生きることでもある。

 「買わぬものは 醜く 不健康だ」という暗黙のメッセージが心に刻まれざるを得ない。 

 でも一番すばらしいのは、間違いなくなにを加えるまでもない、人間そのもの、生命力そのものだ。

 赤ん坊には何もいらない。なにもなくても美しい。
 でもすぐにこのおむつがとか、ミルクがとかいろいろなものが寄ってくる。

 ボロキレだけをまとい、なおかつ神を悟り、超常的能力を発揮するヨーギもいる。

 例えばそのような人間は、とっても臭いかもしれないが、人間生命の潜在的能力を完全に開花させたその極の存在だ。

 その一方には あらゆる商品に囲まれ 清潔で キューティクルぴかぴかで 自らの可能性を忘れた現代人がいる。

 人間、肉体、生命力 もしも医療や体につける薬品を販売にすることに携わるひとなら、どうかそれらへの可能性と神聖さを信じ、無条件のリスペクトを忘れないでほしいと願わずにはいられない。

 まーそれはひとまず置いとくとして・・・

 なぜか去年くらいから冬になると小食とか、断食とかが気になるけどなんでだろうと思っていた。

 でも、自然界においては冬場は断食(ファスティング)の時期であるに違いない。 

 木の実もなく、草も枯れ、それをえさにする小動物、昆虫も減る。命の絶対数が減るということは、食料が減るということだ。

 野性の生命は冬季には低カロリーで生きるか、あるいは仮死状態・冬眠できるるように体が設計されている。

 そのような半分死んだ状態とか、省エネモードで春を待つのだ。

 だとすれば人間にも冬季には食を制限するようなプログラムが組み込まれていても不思議じゃない。

 きっと人間にとっても冬季にこれだけの、食料が手に入るというのはここ100年とか200年のことに違いない。それまでは冬場は野菜や肉類、魚などを塩漬けしたりして作った保存食で人は冬をしのいできた。 

 一年中野菜や肉が手に入ることにより、季節による食物の増減という感覚が完全に人間からは失われた。
 しかし、生命としての人間の中にはいまだその感覚が残っているような気がする。

 その原始的プログラムが僕にも、冬季にリトリートや節食をさせるのかなと思ったりする。

 確かに寒くていつもより動かないことにより食欲もそれほどじゃないというのもあるけど、それだけでもない。生命の記憶、太陽のめぐりや寒暖により刺激され起動するプログラム。。。そういうものかもしれない。

 まーあまり寒いからって動かなくても不調になるから、体動かしたりもするんだけど、原始的な生活においては冬季は人体も半冬眠だったのでは?と想像する。

 季節感覚はONとOFF、活動と休息のリズムとつながっている。
 冬でも寒さに負けず元気に動き回るのがいいという価値観は、冬でも食料が十分あるから言える事だ。 

 冬場動かず余計なことをせず、あまり食べないことにより自動的に浄化が行われていたという側面もありそうだ。

 普通生き物が眠る冬や真夜中にどれくらい活動するべきなのか、わからない、

 ゲーマーは夜通し起きていて、朝眠りにつく

 聖者は一晩中起きていて眠らない

 やはり人間は自然のリズムに沿うだけではすまない。それを超えることも、それからずれることもできる。

 しかし春を祝う喜びや、祭り、収穫の喜びは、このONとOFFのリズム感から生まれる。飢える事のない人間には生きる喜びも希薄だ。
 
 春を迎える喜びは、きっと原始においては冬を「生き延びられた」その喜びだったのだろう。

 人は自然に無意識になり、文明という不夜城だけに生きるようになった。

 そして不夜城はガイアを蝕んでいく。
 
 冬場には飢えと寒さを感じてみる。
 何も食べない 冷たい水を浴びる 日の出前に起きる あるいはシャンプーや歯磨き粉をしばらく使わない(笑)
 もしかするとそんな単純なことが生命力とつながるきっかけになる可能性もなくはないと思う。

 


 

 ↑抗がん剤を注射されたマウスのふたつのグループのうち、48時間絶食したマウスはすべて生き残り、普通の食事のマウスはすべて死亡した。絶食は化学療法からからだを守れるかの検証 35分30秒~

 これ本当ならかなりすごーい。

 ↓糖質を制限すると、うつや不眠が改善されやすいというデータ↓ 

  急激に血糖値をあげる食べ物は、その後急激に血糖値をさげる→不眠などの不調
  当たり前といえばそうだけど、夜のカップめんとか、炭水化物、あんまりよくないんですね。

 午後のあの眠気は血糖値が原因だった 心を蝕む低血糖症の怖さ


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私的雑記 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2015/02/13 00:02
コメント
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Re: タイトルなし
 ありがとうございます♪

考えすぎてうまくいかなくなる・・・なんてこと日常生活でもありますけど、文明もその現象のマクロバージョンとしての側面がありそうです。シンプルにすればするほど内なる生命力に気付きやすくなりそうです。

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