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HOW TO LIVE?


  自由の中で、どう生きるか


 joy of not working




 最近読んで面白かった本。

 「働かないってワクワクしない?」は、自由時間をどのように過ごすかについての本です。

 だいぶ前に出版された本ですが、この本のポイントは働いていない時間にこそ人生のエッセンスが存在しているのではないか・・・?と投げかけていることです。仮に失業したり、退職したときにできた膨大な時間をどのように過ごすのがもっとも満足できるかということについて考えています。

 この作者のアーニーさんは、週に数日働きrがつかない月、つまり三月から八月までのアウトドアにもってこいの季節は働かないといううらやましい生活をされているようです。


 僕が最初に膨大な時間に直面したのは、6・3・3の半義務教育を終えて大学に入学したときでした。

 普通僕らは小学生、あるいは3,4歳の幼稚園の頃から生活の枠組みを外側から提供されて育ちます。

 何時から何時は勉強、そして給食やお弁当、昼休み、午後からは体育、部活・・・というような感じで約12年間がたちます。そして時々行われるテストは、どれくらい提供された情報を暗記・応用できるかということを機軸に行われます。

 学校を終え、卒業すると、今度は通常は職場のフレームが待っており、それに基づいて毎日生きていきます。

 大学生活というのは、その合間で比較的自由時間が多い、一種エアポケット的な世界です。
 授業時間もそれほど多くはないので、提供されるフレームが相当ゆるく、個人の裁量に委ねられています。

 いきなりの価値転換をある意味求められるのです。
 しかし、6・3・3の義務教育のあとに、いきなり自由な世界に入っていくということは長年働いた人が急に退職してぼけーっとしてしまうようなリスクも潜んでいます。
 この自由というものに関しての洞察の低さと自主性の欠如が、結局は「適当に遊んですごそう」的な価値観を生み出したりします。
 いきなり骨抜きになっちゃうわけですね。
 学校と、就職の間の長い夏休み的にしか学生生活を捉えていないと、ここには結構なトラップがいくつも潜んでいるように思います。
 「自由」をどう生きるのかというオリエンテーションこそが必要なのかもしれません。

 「働かないって・・・」はそういう自由へのオリエンテーションの教科書になりそうな本です。

 自由に教科書なんていらないっしょ、せっかくノンフレームなんだから好きにすればいいじゃん?とも考えられますが、これは18歳そこそこの人にとってはちょっと酷かもしれません。

 だって僕らは普通、自由をどう生きるか、人生をどう充実させるかという教育ではなく、外側のフレームにいかに自分をはめ込むかという教育しか受けてこないからです。

 「引きこもり」の主な原因のひとつとして、そういった自分力の欠如があるような気がします。

 ノンフレームの時間を充実して過ごすには、ある程度の意志力と自主性、そして自分の深い望みを理解し、それに基づいて生きるということが必要です。
 
 もちろん、時にはだらーっとするのも楽しいですよね。
 好きなときに寝て、起きて、好きなものを食べて、ぼーっとテレビや映画を見て、一日過ごすっていうのも。
 そんな一日があってもいいと思います。
 でも一週間もそんなことをしてるとだらっとするのにも飽きてきます。
 好きなことを自由にすると言われると、往々にして人は、意思を低きに流してダラダラしてしまうという傾向があるようです。そしてこんな毎日むなしいけど、このサイクルから自分で抜け出せないという状態が「引きこもり」的生活の根っこにあります。

 僕は「引きこもり」状態からなんとか意志力を奮い立たせて、本屋さんでバイトを始めた時期がありました。
 2,3ヶ月ほとんど人と話してないような状態も頻繁だったので、最初はかなりレジに立つなんていうことはきつかったのですが、慣れてくるとバイトが与えてくれるフレームの中で過ごすことにより精神的には少し安定しました。そして、新しく入った女子学生に仕事を教えたりすることである種の先輩感すら経験することができたのでした。それは一種の「成功体験」として社会生活に関わる自信にもつながりました。

 こう書くと「ほらねー人はやっぱり仕事をして社会参加をせねばいかんのだよ」という結論になりそうですが、この文章の趣旨はそういうことでもありません、むしろ逆です。

 仕事をして人間的に成長したり、お金を稼いだりということは大事な経験だと思いますが、どうも問題は外側から提供されるフレームのない状態で、僕らが意図も簡単に自分を見失ってしまうということにあるように思うのです。だから多くの人は、仕事がなくなると新たなフレームを求めて就職活動にいそしみますが、これはお金の問題だけではないような気がします。生活の中にフレームがないという不安感がそうさせている部分もあるでしょう。

 ポイントは日本には、外側のフレームに自分をはめ込んだ状態と、だらっとした怠惰な暮らしの間がないことです。
 ウツや自殺率の高さ、就職できなかった学生の自殺などはそれときっと関係があります。

 日本人は社会的圧力にもんのすげー弱いんです。
 DNA的にもそうかも。海外から賞賛される協調性や秩序の負の側面、自我の欠如です。

 就職できなかった、ということは言い換えれば、「就職せずにすんだ」ということですよね。
 価値観を勝手に都合よく書き直せるということが、自分力であり、それは命を守る力なのです。
 何をしていても、生きてる状態が大事だという認識。
 価値観よりも存在を重んじる意識。

 こういうニュースを聞くたびに僕は「就職せずにすんだ」仲間が死んでしまったことへの悲しみを覚えます。
 これは彼らの無知であると同時に、家庭内や社会的圧力の後押しがなければ起こりません。
 ただの認識が、命をここまで左右するのです。
 
 きっと僕が意識だけタイムトラベルをして、昔に戻ったとしても、僕は同じコースを辿って本屋でバイトはしないでしょう。
 懐かしいからちょっとだけその雰囲気を味わってみたいなー
 あの頑固そうな店長の説教を聴いてみたいなーなんて思うかもしれないですが・・・
 今の自分の認識ならば、無理して外に出る必要はないとわかるからです。
 ただ、その頃の自分にとっては外に出て働ける、社会と関われるという自信が必要でした。
 それとどこかに属しているという帰属意識。
 多くの人が帰属意識を、労働の場に求めます。
 この社会で精神的に村八分になる、不適応になるという恐れは意外と単にお金がないということの恐れよりも強いのです。そして、自分としては入りたくない一群に、負けてる感じの一群に分類されてしまうのではないかという恐れですね。

 しかし、この分類の基準自体が外側のフレームであり、自分の命を守るという意識が勝っていれば、それには左右されません。(まー・・お前負けてんなーと言われたら、いい気持ちはしないかもしれないですが)

 このような恐れが、働いていない状態を何かとても陰惨かつ不幸なイメージで彩っているのです。

 でもなら働いている状態がよいイメージで彩られているかというと、そうでもありません。
 よく言うワーキングプアや、ブラック企業など労働にまつわる様々な問題と微妙な景気が職業全般に対するイメージを低下させています。10人に4人が派遣労働ならば、年金や保険料なんて払えません。払うことも出来ますが、そうすると、ほとんど生きるだけになり、将来になかなか希望も持てません。

 夢は正社員!なんていうCMは、個人的にはマジか・・・と思う昨今であります。

 なんで、夢は幸福でいること!にしないのかな。
 夢ってそういう抽象的で、ぼやーっとした感じのほうがよいですよ、きっと。

 多くの人はもしかすると働くのもイヤ、働かないのもイヤ、でも働かないで落ちていくのももっとイヤという意識状態で働いているのかもしれません。これは楽しくありませんよね。

 さてさっきの、 外側のフレームに自分をはめ込んだ状態と、だらっとした怠惰な暮らしの間ですが、

 間、というのは外側からのフレームに依存することなく、100パーセントの自由が与えられても自分の才覚でそこを充実した色で塗ることができる、ということです。そんな才能がある人が、これからの時代幸福に近い場所にいるような気がします。

 僕は幸か不幸か、平均的20代、30代よりもずっと労働時間が少ない生活を送ってきました。
 現在週の労働時間は多くて24時間~28時間くらいでそれを越えると調子がおかしくなります。
 社会保障費までは正直払えません。
 おかげで両親はなかなか安心させてあげられないのですが・・・

 もっとも昔はフルタイム勤務にも何度か挑戦しましたが、どちらも2,3ヶ月でウツ状態がひどくなり離脱しました。
 心療内科にいくとあっさりと坑ウツ薬を処方されましたが、そんなものを飲んで働き続けたくないので、辞めちゃいました。

 お金や生活の安定、帰属意識を求め外側のフレームに自分をはめようとすると、調子が悪くなる。
 そしてまた自分の部屋に振り戻される、ということを繰り返しました。
 そのうち、このノーフレームの空間にこそ何かすべきことがあるのではないか、ここでこそ意識を研ぎ澄ませられるのでは
ないかという結論にいたり、また社会と適度に関わるペースもつかめてきたわけです。
 
 どうも会社というものと相性が合わないようで、会社に毎朝でかける仕事は続かない(もって一年)のですが、お宅に伺うという今の仕事は5年以上続いております。そういうケースもあるわけです。自宅でできる仕事が一番向いてる人もいます。
 だから会社や役所に就職できないからって死んじゃダメ。探せばいいんです。生きる道、生きられる道を。

 まあそんなわけで、自由な時間に何をするか、どういうフレームを自分で作るか、なにをしてると自分は幸福なのかというテーマとはずっと取り組み続けてきました。

 その過程で気がつくと一日3時間くらい対戦型テトリスをしていた日々もありました。
 どうせもうすぐこの文明は崩壊するとか思って、その考えに振り回されていたのですが、それすらも外側からのフレームだったのです。そんな毎日の中で、何が不毛で何が充実か、という感覚がややわかってきました。

 また9・11や3・11のようなことが起これば、恐れに基づいた外側のフレームが優勢になるということも理解できました。
 幼稚園の子どもが何度も地震がまた起こると予言しましたが、ひとつも現実にはなりませんでした。

 だから生きる中で経験することは、何も無駄ではないのでしょう。

 仮にまもなく大災害が起こって死んでしまうとしても、それまではかけがえのない今を幸福に、平和に生きてる実感を味わったほうがよいのです。

 この投稿では、外側からのフレームなしにいかに生きるか、ということについて考えてきたことを少しシェアできればなと思います。


 大切ないくつかのこと



 ①自己理解と受容

 自分の個性、強み、弱み、生まれてきた目的、ミッションなどについて深く気付き、自分マニュアルを作成することです。
 そしてその個性を受け入れ、慈しみます。

 ②ビジョンマップ

 心を喜ばせること、楽しませることについての地図を作成して生きる指針にします。

 ③スピリチュアル&アウェアネス

 人生を振り返り、導きを受けてはいないか調べることを習慣にします。
 自分の人生やシンクロニシティの流れを注意深く観察して、信頼する。
 何を食べるか、どのような本を読むかなどに関して、自分がどう「感じて」いるかという感覚を研ぎ澄ませます。

 ④ダウンシフトする

 あわただしい生活ではなくスローなリズムの省エネ型生活へ切り替えます。
 お金をかせぐことよりも、自由時間を大切にします。

 最後の長期休暇が大学生四回生の夏、その次は60歳の夏だよ!ってなんかおかしくないですかね。

 春と夏は働かないというアーニー・ゼリンスキーさん並みが当然とは言いません。

 でも 

 人生に少なくとも何度か、一月程度休めることがあってもいいんじゃないでしょうか。
 それすらも非常識とされる社会はやはりどこか問題があると思わざるを得ません。

 もしも、体やメンタルな不調があまりにもつらい時は、薬などでごまかしごまかし働くのではなく、休職・退職という選択を優先します。
 経済状況、扶養家族の有無などで一概には言えないことではありますが、収入や世間体よりも、自分の命、健康を守るということを一番に考えます。

 健康を犠牲にしてお父さんは僕を育ててくれたって知るとき、子ども達は本当にうれしいんでしょうか。。。
 自分の命を守ることは、家族のために働くことよりも、本当に男の面子が立たないことなのでしょうか。。。。。

 「お父さんは好きなことをして、僕をなんとか育ててくれた。豊かじゃなかったけど、毎日パパは楽しそうにしていた。」

 思い出としてどっちがいいでしょうか?

 ⑤フレームを相対化する

 すべて外側のフレームは人間がつくったもので、時と場所が異なれば意味をうしないます。
 現代と日本の価値観は一時忘れます。
 アウターフレームの洗脳装置であるテレビを捨てるのもよいでしょう。
 遥か未来人や宇宙人になって自分を見て見ましょう。
 あるいは、イヌイットの長老や、インドの隠者や、オーストラリアのアボリジニなら自分にどう言うかを考えて見ましょう。
 先になくなった知人や親族は自分を見てどう言うでしょう?

 どんなアドバイスが、声が、時を越えた場所から聞こえてくるでしょうか?
 
 その中で、浮かんでくる愛のある答えだけを真実として取り入れます。
 実際それは真実なのです。
 どうしてイメージの中の言葉が、現実の人間の言葉よりも説得力がないと言えるでしょうか。

 また逆に、昭和20年終戦直前、戦争に行きたくなくてどこかに失踪しようかと考えてる若者がいて自分を責めているとすれば、あなたはなんと声をかけるでしょうか?イメージしてみましょう。

 戦争に行け!そして国のために死ね!そう言う人はほぼゼロでしょう。

 いいんだよ、逃げても。

 君の感覚は当然だよって多分言うでしょう。

 でも若い兵隊に優しい僕らが、この現実ではいろんな人を、そして自分を現代のフレームでジャッジしてしまいがちです。

 いつの時代でも、その時代の「当たり前」が命を殺すのです。

 内的なフレームによって生きてる人たちのブログや、本をたくさん読みます。

 あるいは海外を実際に旅して、異なったアウターフレームに触れてみます。

 例えばインドでは、男性同士が仲良く手をつないで歩いていますが、これは別にゲイのひとたちじゃありません。一種の友愛の表現としてこういうスキンシップがあります。

 日本で男同士がお手つないで歩いてたらおかしいですが、これってどちらが正しいという問題じゃありませんね。

 こういうアウターフレームの違いを肌身で感じることが自由でいられる秘訣のひとつだと感じています。

 アウターフレームは異なるという認識→より深いインナーフレームの確立

 海外ではなくても、国内でも可能ですね。



 ⑥何かになろうとするのではなく、自然に自分らしく生きること




 このようなことがポイントとなってくるように思われます。


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セラピー&ヒーリング | コメント(2) | トラックバック(0) | 2015/03/13 13:37
コメント
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Re: タイトルなし
こんばんは!耳を澄ませて、魂(深い自分)が求める暇つぶしをすることが重要ですね。無為、というか何もない時間って本来はとてもスリリングなのではないでしょうか~~☆いつもありがとうございますe-68

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