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ロングウォークとアーシング

 

  ここんところ、ロングウォーキングにはまっています。

  それちょっと長いやろ、電車使えよという距離をウォーキングしてしまうことをなんとなくそう呼んでいます。

  自宅近くに多摩湖自転車道という遊歩道があります。

  これは結構素敵なところで 春は桜の花や新緑のトンネルの下を歩けてとても気持ちがよい道です。

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  起点は武蔵野市で、終点は一応西部遊園地駅、だいたい23キロくらいでしょうか。  

  途中で花小金井駅、小平、萩山など西武線の駅を通り、多摩湖に出ます。

  途中の丸亀製麺でさくさくの天ぷらを食べたりも出来ます(笑)

  その道をよく歩いていたりしたのですが、自分は一日にどれくらい歩けるものかということが気になり始め、その限界ラインのようなものを見定めたく20キロから30キロくらいのウォーキングをたまにしてます。

 20キロだったら普通に歩いてだいたい4時間弱くらい?ですね。

 最初は自宅(西東京市)から、日野駅まで歩いて、そこから東中神までぐるっと周り電車で帰りました。

 続いて多摩湖自転車道を多摩湖まで歩き、そこから瑞穂町に出て、JR八高線箱根ヶ崎駅から電車で帰ると言うコース。

 などを歩きましたが、今回は自宅から青梅駅までにチャレンジ!
 少し寄り道しつつ40キロほど歩くことを目標としました。
 なんで40キロかというとフルマラソンの距離を意識してるのでしょう。

 でもただ直線的に最短距離を歩くのはつまらないので、ウォーキングツアー玉川上水の源流を見にいこう!を開催決行することにしました(参加人数一人w)

 玉川上水の横はいつも日常的に通りますが、あまり歴史は知りませんでした。
 歴史的なエピソードとしては太宰治が入水したくらいした知りません。
 そこで調べたところ、1653年に多摩川から江戸市中に飲料水を引くためにのちに庄右衛門・清右衛門ののちに玉川兄弟と呼ばれるようになる2人が工事を請け負ったとのこと。羽村から四谷までの距離で、当時の技術。
 これは数年かかったのかと思いきや、4月着工、11月15日完成ということで七ヶ月ほどでやり遂げたということなので驚きました。

 そこでこの上水の起点となる羽村堰と呼ばれる場所までとりあえず、歩いて、ついでに青梅まで行って見よーというプランです。

 起床六時で、7時に家を出ました。

 多摩湖自転車道もよいのですが、玉川上水沿いの道というのも場所によっては、遊歩道のような感じになっていて木々に囲まれ森林浴気分を味わえる場所もあります。電車の駅で言うと鷹の台とか拝島とかのあたりでしょうか。

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 こういう個人宅を公開してるオープンガーデンもあります。
 なかでうどんとか食べれるみたい。
 この日は生憎まだ開店前。
 次は行ってみたいな~

 拝島近くの上水。下流とかなり趣が異なります。

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 午前11時半頃、JR拝島駅に到着。(20キロくらい)

 拝島駅周辺にも自然が豊かな公園があります。
 そこでランチ、コンビニのり弁当を・・・。


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 13時半頃羽村堰着です。家から出て6時間半ですが、休憩などを省くと歩行時間6時間弱くらいかな。

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 そんな歩いた気がしない。

 玉川兄弟銅像。

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 羽村多摩川の近辺で、チューリップのイベントをやっていました。

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 畑一面にチューリップが咲き乱れ圧巻です。入場料など不要。これすごかった~

 青梅到着15:45 証拠のニャロメ。


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 時間から考えると、歩行距離35キロ~40キロくらいでしょうか。
 40キロの壁を越えたかったんだけど、いまいち不明。
 まーいいか。

 面白かったし^^

 うちに帰ってから疲れがどっと出てこたつに座ってるのもダルクなり、8時ごろに布団を敷いてごろごろしたニャロメ。

 でも翌日筋肉痛などは一切ありませんでした。

 最近10キロ走った翌朝は筋肉痛なったけど、歩くのと走るのでは使う筋肉が違う模様。
 あるいはロングウォーキング慣れしてきたのかも。

 ウォーキングは2011年くらいからよく行ってきました。

 その頃自分の力を取り戻す必要を感じており、気功の本にとりあえず足の筋肉を鍛えることが全身のプラーナの強化につながると書いてあったからです。

 精神的なストレスや感情の滞りも健康状態にもちろん影響すると思いますが、肉体に近いエネルギーの層が分厚く安定していれば、ストレス性の収縮力が体内に侵入してくるのをガードすることができるそうです。基本的に筋肉を動かし、エネルギーを発電することでこのエネルギーの層は分厚くなるのですが、足の筋肉は全身でもっとも大きいためにここを稼動させることがエネルギーの層を分厚くするためにもっとも効率的であるようです。

 悩み事やストレスはメンタルに解決する方法と、別のエネルギーレベルに働きかけることにより解決する方法があります。意味性によって支配されるメンタルな次元から、もっと生命力の根源的なレベルに働きかけることで、とりあえず動物としての生命力を活性化させると意味的な次元はそれがメインではなくなるために、悩みは力を失います。

 大地や動物的な生命力 体で言えば 足 丹田以下 につながる方向性。 

 動くこと 息をすること 飲むこと 食べることなどの根本的活動の気持ちよさがしっかり感じられる状態です。
 
 そしてそのあと、考えても仕方ないものに関してはスルーし、行動が必要なことに関しては行動するということになります。どちらにしてもある程度肉体が活性化してなければ、ストレスにやられやすいという側面はあると思います。

 あと、ウォーキングを長時間するとタバコを吸いたくなくなるという効果があり、喫煙を減らしたいという場合にもよさそうです。おそらく酸素の摂取量が増え、新鮮な空気をたえまなく取り入れているからでしょう。


 1時間から90分くらいはよく歩いていたのですが、今年に入ってから塩沼亮潤阿闍梨の体験が語られた、「大峯千日回峰行」という本を読み、僕の中の何かに火がついたようでした。

 ご存知の方も多いと思いますが、大峯の千日回峰は48キロの山道を毎日15時間かけて歩きます。

 その毎日のスケジュールはすさまじいもので23時半に起床して、午前零時半に出発、歩き続けながら夜明けを迎え午後3時に帰ってくるというものです。それから身の回りの仕事(掃除洗濯)などをして、翌日の準備をし19時に就寝、23時半には起床。数時間寝るとまた出発・・・という繰り返し。これが5月から9月までの期間毎日続きます。

 それが9年間続き1000日の満行となるわけです。

 食事はほとんどおにぎりと水(胃が弱って梅干、お茶類など受け付けないため)だけ。爪がわれ、血尿が出て、行の途中には幻覚を見るといいます。

 全長数メートルのいのししが現れたり、天女が金剛石をくれたりしたそうですが、行も終わりに近づくとそんな体験も消えうせてしまうとか。

 これだけの修行が行われるのは、千日回峰満行後の四無行に耐えられる精神と肉体をつくるためだということです。
 四無行とは、9日間堂にこもり行われる、(寝ない・飲まない・食べない・横にならない)の行。
普通に命が危ない行で、生存確率は半々とも言われているようです。
 行者の心身は生と死のボーダーラインに限りなく近づき、その体からは文字通り死臭が漂うといいます。 
 ちなみに塩沼アジャリのお話しでは、一番つらいのは食べないことでも、寝ないことでもなく、「飲まない」ということらしい。

 こんな激しい行と、のり弁当を食べて、キャンディーをなめながら歩く、僕ちんのウォーキング旅行を比較する気は毛頭ないのですが、この千日回峰の話しが僕の中のプチ修行癖のようなものを刺激したのは確かなようでした。

 
 なぜかあの本が僕の中では、「よし、僕も歩こう」というモチベーションになったのです。

 一日中ずっと歩いてみたいなーと思うようになりました。

 次は12時間~15時間くらいの行程にチャレンジしてみたいです。

 まあトレーニングであると同時に、結構面白いんですよね。ロングウォーク。

 まずお金がかかりません!(←ココ重要) 帰りの電車賃とか食事代くらい。

 そして歩いていると、今まで目に入らなかったものとか、知らなかったことが結構飛び込んでくるんですよね。

 チューリップ畑のイベントとか。オープンガーデンとか。
 
 数十キロという距離を肉体感覚で理解することもできます。

 歩くというのは人にとって根源的な行為なので、自分がそれだけ歩けることを実感することは自分のエネルギーを知り、力の感覚を感じることでもあると思うのです。

 歩き続けるということは体験の連続になります。8時間なら8時間、見知らぬ体験が続きます。まあ、日本の街なのでコンビニがありスーパーがあり似たり寄ったりでもあるのですが、それでもはじめての街はやはり始めての街です。見たことのない風景を見続けるという刺激を脳は受け続けることになります。その刺激が心をリフレッシュさせてくれるという作用があるように思います。

 芭蕉のような旅する俳人や詩人がいるのもそういうことが原因なのかな?とちょっと思いますね。

 先日参加したI師匠の夜の集いで、「M君何かオモロイことない?」と尋ねられ、最近山登ることとか歩くことにはまってますと答えました。


I師匠: 「山登ってんだ?どんな山?」

  灰:「奥多摩のほうの山とか・・・」

  I師匠:「御岳とか、雲取とか・・・」

 灰:「はい、雲取はまだ行ってないけど東京とでは唯一2000メートル越えの山らしいですね」

   歩いたりしてると一番気持ちよくて、今日も赤羽から歩いてきたんですけど・・・

   体を動かして精神的な面を安定させようというのはありますね。」

 I先生:「悪くないよ。あのね、歩くのはね、四国の話ししたのは昨日だっけ?

     八十八箇所のお遍路あるじゃん?あれってお寺に手を合わせて八十八箇所をまわるのがメインじゃないんだよね。歩くのがメインなの。今みたいに車でお寺からお寺に移動するんだったら、あんまり意味がないんだよ。

  お寺からお寺の間に、やっぱりもくもくと歩くじゃん。その黙々と歩いてるときに思考が自分の内面に向いてくる・・・これはマラソンだったり、チャリンコで山走ったりするのでも一緒なんだけど・・・何時間も黙々と自分の内側に向っていくという作業が必要になる。それがスポーツの場合をお遍路の場合では意味が違うじゃない。

 次のお寺からお寺の間で黙々と歩いてるというのはやっぱり、自分の命とか人生とかそういうことを考えるんだよね。その黙々と自分の内側に向かって考えて歩いてることに意味があるんだよ。

 お寺行ってお参りしてるときは意識が外向いてるじゃん?あの仏さん、えらい古そうやなーってこう見てたりだとか、そういう時は全然メディテイティブじゃないんだよね。ところがやっぱ次のお寺に向かって歩き始めたときから10分、20分たつと完全に自分の内側に入っていって、歩いてる記憶がないみたいな(笑)それが大事なんだ。

 灰:「歩きながら考えると違う思考になりますね」

 I師匠「そうそう、マーヤ解きでもなんでもそうなんだけど、内側に向かっていかないとダメだから。だからM君が精神的に不安定だとかいうけど、不安定なのは内側に向いてるからなんだよ。外側にもっと自分を興奮させるようなものがあればね、そっちに気をとられてると、不安定にはならない。

 なんで自分の内側を向くと不安定になるかっていうと、自分の内が確立されてないからね(笑)

 自分の内側が確立されてなくて、内側を向いちゃうと、不安定になるっていうのがあるんだよ。

 だからそれが覚醒するだとか、「わかっちゃう」だったりとかして内面が安定すると、内側に向くことが幸せになってくるっていうことなんだよね。
 
 だから内側を向きつつ安定させるっていう意味で、歩くっていうことはどっちにも属さないの。外に向いてるとも内に向いてるともいえないわけ。外にもある程度気を使いながら、かつ内側も向いてくるから、だから歩くとか巡礼をするとか、歩行瞑想をするとか、っていうことは有効な手段になってくる」

 灰:「あのー大峯山の千日回峰行を読んで奮起させられまして・・・」

 I師匠:「塩ちゃんね。多分あの人の師匠がK寺のGさんだったと思うけど・・・俺はK寺のGさんって言う人と一時とても仲良くしてて、吉野に行ったりとかして電話してさ、院主さん今吉野に来ましたーっていうと、夜になると一升瓶かかえてやってきてさ、飲みましょ、飲みましょつって結局夜明かしで飲んだりとかさ。すごい仲良くしてたの、なんか。」

 でたっ><

 I師匠に自分がいま興味あることとかマイブームを話すと、なんかそのトピックの裏側にすでに控えていましたなんてことがたまにあるけど。ちょっとびっくり。

 それにしても偉いお坊さんとたくさん知り合う縁に恵まれるというのは、多分基本的かつ本質的にI先生がお坊さんだからなんだろうなとちょっと思った。

 I師匠「俺はなんかねー修験宗の偉い人とすっごく仲良くなっちゃう傾向があって、京都のS院てあるじゃん。平安神宮のちょっと上の方。どこだっけあそこ、白川通りと丸田町通りが交わるところだよね。そのS院のMさんと俺と、チベットを旅行したときずっと同室だったの。」

 僕はあまり詳しくないのだが、修験宗はだいたい3つの派があって天台宗系は塩沼さんの金峰山修験宗と、京都S院の修験宗だという。そして真言宗は京都山科の醍醐寺が拠点だという。3つのうちふたつの拠点が京都にあるとは知らなかった。I先生はかつて京都に住んでたことがある。時期的には僕が10代の頃だろうか。

 僕が生まれ育った京都市の岩倉実相院のあたりも仕事で来てたようで、詳しかった。

 しかし

 京都出身やけど、いまだに白川通りとか、丸田町って言われても全然ぴんとこおへんわー
 京都いた頃は、小説とゲームくらいしか興味あらへんかったしなー(せめて京都なまりで)

 また京都に帰ったときにいろいろ歩き回ってみたいと思います。

 師匠の話でもあったけど、歩くことは内側と外側の橋渡しというか、世界とつながる根源的な行為なんだろうなと思いました。

 シンプルですが、セラピー的効果、プラーナ強化効果、メディテーション効果いろいろ複合的に作用します。

 エネルギーのほしい方は是非お試しを♪

 またスピリチュアルな世界でよく言われる、グラウディングやあるいは最近メジャーになってきたアーシングともつながると思いますが、長くなるのでまた日をあらためて書いてみたいと思います。


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セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/04/24 12:11
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