ロングウォークとアーシング②



 変容期の地球で



 ネパールで大きな地震があり、被害が大きくなっているようです。

 現在地球は、人間で言うと風邪を引いてるような状態にあると思う。

 体温をあげ、せき、くしゃみ、ふるえなどの症状を出すことによって自浄作用を発動させている。

 脈拍も、体温も、血圧も、バイタルは乱高下する。いや、こうなってくるともはや風邪とはいえない。

 極端な暑さや、突発的、集中的な豪雨、雷、夏場の巨大な降雹、竜巻、巨大ハリケーンや台風、大雪、火山の噴火や、地震、磁場の減少、シンクホールなどにみられる異常な地殻変動をみると地球が今まで保っていたホメオスタシスが崩壊しているように見える。これは特に20世紀末から今世紀に入って顕著になった。

 僕が体で感じるのは、地球は僕が子どもの頃の地球ではもはやないということだ。

 地球は病気・・・というか何か、そのシステムを一度リセットさせようとしているか、あるいは人間で言う思春期のころのように急激にそのシステムを変容しようとしているように感じる。

 地球は、宇宙という子宮の中でBPM2に入った。
 生みの苦しみはすでに始まっている。

 そのプロセスが急激で破壊的なものとなるか、あるいは長期に及ぶ比較的穏やかな変化となるかはわからない。
 
 ただ、多くの人が現在の地球は変容期にあると考えているみたいだ。

 こういう時期にあって、必要なことは、ガイアにへばりついていることではないかと僕は思う。

 エネルギー的にも、物理的にも、この惑星に深く根を下ろしていなければ、この変化は僕らを耐え難い状態へと誘いかねない。 
 
 そのためにガイアはGravityを使っているのかもしれない。

 すべてのシステムが腐敗にまみれ、政治がかげり、一人、また一人と平均台の上から脱落していく

 大地に引っ張られ、落ちて落ちて、最後にたどり着くのは、母なる星の土の上だ。

 どうしようもなくなり大地に転がり、土に頬をつけると、大地の中から声が聞こえてくる。

 「さあ、しっかり私にしがみついていなさい、シートベルトをしめた?ジェットコースターが動き出すわよ!!」とガイアは息子達娘達に呼びかけている。

 多くの先住民のシャーマンたちが、ガイアの悲鳴とそして子ども達へのよびかけを聞いている。



 2011年3月11日、東日本大震災が起こったあと、僕は「3・11以降」という記事を書いた。

 それは3・11以前と以後では僕らは違う世界に入ってしまったのだという認識があったからだった。

 3・11以前という世界。
 いろいろな不穏な動きはあったものの、なんちゃってな平和が継続していた世界は、もうあちら側にいってしまった。
 その「あちら側」の世界で僕は来るべき地球規模のシフトを夢想したりしていたが、それはもう「こちら側」となってしまった。
 そんな風に思っていた。
 ACのCMばかりになったテレビや、止まったままのエレベーター、エスカレーター、震度5規模の地震が日常的に起こるような状態が、確かにそうだと感じさせた。
 あれから4年がたち一見してみると、少しづつ時は流れ、穏やかな空気感が戻ってきているようにも見える。
 しかし多くの人が現在の世の中の動きに不安なものを感じているに違いない。
 何かがおかしい、と。
 いつからおかしいのか?
 それはやはり4年前のあの日からだ。
 やはり僕らは3・11というマトリクスにログインしたままなのだ。 
 僕はそんな風に思えてならない。
 平和になったのではなく、僕らは「こちら側」のMATRIX311という仮想現実に慣れつつあるのだと。

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 僕が2011年の3月8日「向こう側」で撮った最後の写真は、自分の裸足の足の写真だった。

 僕は震災前の一週間ほど普通以上に寝つきが悪く、精神状態もテンパリ気味だったので、エネルギーを安定させようと公園ではだし歩きをしたのだった。 


 4月になってからブログににこんな風に書いた。

 
 3月8日、「向こう側」で撮った最後の写真。
 裸足で土や木の根の感覚を感じて歩いた。

 あらゆる矛盾があらわになるにつれて、

 僕ら自身も裸にならねばならなくなるだろう。
 目をそむけていたものと直面したり
 自分自身の嘘や、ごまかしとも向かい合わねばならなくなるかもしれない。
 でも裸の自分自身にほこりを持って、どんなに格好悪く思えても、とりつくろうより美しいことを肝に銘じて生きたいと思う。
 
 人からどう見られても自分の本性を隠さずにいれば、新鮮な空気とともにいられる
 もし裸足で歩けば、少々とげがささろうと、大地がじかに包みこみ支えてくれるように

 裸足で生きる勇気を僕らに・・・・!
 

 そしてMONGOL800の「矛盾の上に咲く花」という歌を貼った。




 矛盾の上に咲く花はまだそこかしこで咲き誇っている。

 いつになれば僕らは大地の上に咲く花に囲まれて生きることが出来るだろう。

 わからないけど

 きっとその始まりは、僕自身が大地の上に立つことから始まるんじゃないかと願っている。


 
 アーシング





 アーシングを知ったのは、これまたエハン塾さんからの情報だった。

 アーシングとは裸足で土の上(もしくは石やコンクリートの上、アスファルトはNG)に30分ほど立つことだ。

 人の体内には過剰な電流が滞っているので、これを大地に流すことで健康状態を大きく改善することができるという。

 アーシングの提唱者クリント・オーバー氏は、室内でアーシングが出来るマットや枕、寝具なども製作、販売しているらしい。

 エハンさんの知人が時差ぼけ防止に、アメリカへ飛行機で行ったとき空港を出るとする向こうの大地にアーシングするとまったく時差ボケの症状に悩まされなかったという話も紹介されていた。 

 天然素材でできた草履だとか、革靴からゴム底の靴という絶縁作用のある靴をはき始めたことが人の健康状態を悪化させている大きな原因だという。

 まあ、アーシングという言葉はなくてもきっと人間は裸足で大地と接するということは何かあると本能的に知っており、だからはだし歩き健康法とかが昔からあったんだと思う。

 僕は過剰電流を流す、という発想はもっていなかったが、アスファルトに対しては昔からすごく違和感ありで、こんな地面ぬりかためちゃダメでしょと常々思っていた。

 なんか大地が呼吸を出来なくなっている、という感じがすごくしていたのだった。多少水はけ悪くて、石ころだらけでも土が露出している道は何かホッとさせるものがある。

 そういうのも地面から<気>のようなものが出ているか、封印されているかによるのかもしれない。

 だからアーシングの考え方によると、大地と僕らの間にはブロックがふたつある。
 ひとつはアスファルトなどの絶縁素材で、もうひとつは僕らが絶縁素材で出来た靴や靴下を常にはいているということだ。
 そして、裸足で大地に触れるということがほぼない生活をしている。

 この動画を見て、僕もさっそくやってみた。

 アパートの庭に裸足で立ってみます。(←たったコレダケ)

 開始後数分でとても気持ちよく、エネルギーが安定してくるのを感じます。
 また気を受けたときに出るような、微妙な体の振動が僕の場合は自然と起こるようでした。
 それほど派手なものではないですが、かなり気持ちはいいです。落ち着きます。

 体内の電気がアースされているかはわからないけど、もしそれが事実なら長時間PCに向ったり、すげーつよい電磁場の近くで仕事する必要のある人はやってみると調子がよくなるかも。


 そういえばサンゲイジングの提唱者は、サンゲイジング時には裸足で土の上に立つことといっていましたが、これをすると確かに太陽からのプラーナと大地からのプラーナをどちらも受け取ることが出来て最高の方法かもしれません。

 ここ一年か二年ほどエネルギーを強化・安定させる方法論を自分なりに模索してきましたが、アーシングはその中でもベスト5に入れておきたい方法です。
 特にこれからの季節はあたたかいので実践しやすい方法です。

 ちなみに残りは


 ●ウォーキング(なるべく空気のいい場所)、トレッキング
 ●節食(あるいは断食)
 ●サンゲイジング、朝日を浴びる
 ●瞑想
 ●呼吸法      
 ●クリーンタイム(情報機器などOFFにして静かに過ごす時間)                  などです。



 生命力とつながる自分なりの方法を持っていることが、これからの時代、結構大事ではないでしょうか。



 アーシングとグラウディング



 アーシングと、スピリチュアルな世界で言われるグラウディングは若干ニュアンスは違う。

 グラウディングとは、エネルギー的に地球とつながること、この物質的次元にしっかり碇を下ろすことなどを意味してると思う。

 僕はグラウデングなんてしなくていいんだもん、と若干馬鹿にしてた時期もあるけど、どうも昨今の流れを見るとグラウディングしろと言われてる感じがする(笑)。
 あるいは個人を越えたユニバーサルな流れなのかもしれないけど。
 それこそガイアのグラビティが僕らを呼んでいるのか。

 それでもグラウディングワークを遊び感覚でやってみたことは今までにも何回かある。

 グラウディングワークはだいたいイメージを使うか、それプラス体の動きが伴う場合もある。

 典型的なものは自分の尾てい骨のあたりからエネルギーの管が伸びて、それが地球のコアとつながっていることをイメージしたりするようなものだ。

 呼吸とともに不要なエネルギーはその管から流れ出し、かわって力強い大地のエネルギーが流れ入ってくる。

 これはこれでいいのだと思うけど、僕としては実際に足を地面につける、ということをしたほうが生々しく、実感を持って大地とつながっているということが感じられる。

 いろんな花や草の匂い、蟻や蜂たちの世界が間近に見えるので、イメージだけのワークよりも僕は体験的なアーシングのほうが好きかもしれない。

 ただイメージだけのワークでもエネルギーとしてつながらないということはないと思うんだけど、僕の今の方向性として体験的なものにより魅力を感じるので、アーシングのやり方に惹かれるのだと思う。

 しかし、人はなぜ、グラウディングなんかをする必要があるのだろうか?

 別に地面から10センチくらい上をふわふわ浮いた人でもいいんじゃないだろうか。

 よくいわれるのはグラウディングはこの世界への影響力や、コミットの強さ、そして生命力に関係するということだ。

 より具体的にいうと、仕事や、お金、物の流れなどをひきつけるにはこの物理的次元にグラウディングしている必要があるというのだ。
 
 もう少し本質的に言うと、グラウディングとはある意味<肉体への受肉の完了>であり、完全に受肉することなしには、僕らはこの3次元世界を完全には生きられない。

 スピリチュアルな比ゆを使うと、この世界に僕らはツアーに来ているのだが、完全にこちら側に着地することを恐れて、ずっとバスの中やホテルの中で過ごしているとも言える。

 グラウディングしていないと、ヘッドトリップが激しくなる。
 この世界よりも頭の中の世界のほうがリアルになるのだ。

 僕らの着地を阻むのは、まずは「恐れ」であるといえる。

 トラウマ反応のひとつとして解離反応があるけど、これは常に体の中にエネルギーが半分くらいしかはいっていない状態だ。

 度重なるトラウマ体験が、肉体の中に存在することを危険だと思わせ、いつも半分くらいからだから抜けた状態が習慣化される。
 曇りガラスの向こうから世界や他者を見ているようで、いつもぼんやりして、時空の感覚も混乱しがちになる。

 恐れがヘッドトリップを加速させ、ヘッドトリップが恐れを生む。
 世界への、人への、身の回りへの恐れ。

 まあ、そんな状態だからこちら側の豊かさとつながりにくいのはある意味当然かもしれない。

 <世界は恐ろしい>のだ。決して、完全にこちら側に着陸してはいけない。
 完全に受肉すると、もっと恐ろしい目に会う可能性がある!
 そのような無意識的な認識がグラウディング、受肉を阻む。

 だから、こうも言える。
 恐れない意識だけが、完全にこの世界に下りてくることができる、と。

 だからきっと、植物たちは、そして4本の足を大地につけて歩く動物たち、常に腹をつけている爬虫類たちはグラウディングしているに違いない。
 彼らには人間ほど恐れにおかされていないため、この世界に完全にいることに躊躇はない。
 生まれたばかりの赤ん坊も、あるいはそうかもしれない。
 肉体が自分ではないことを知ってる存在は、肉体に完全に降りることをいとわない。

 この世界の恐れを知った人間の大人たちだけが、再び大地へと、からだへと戻ってくる必要があるのだ。

 長いことウォーキングを続けて、ひとつ気付いたことがある。

 僕は旅行が好きだから、次はまたインドに行きたいとか、沖縄の離島に行きたいとか夢想することがあったけど、

 なんだ、身の回りでも実際に足を使って歩き回ればたくさんの豊かさや可能性があるじゃないかということだった。

 自宅から数キロ圏内であっても、知らなかったいい場所や、美しい風景がたくさんある。
 一時間ちょっと歩くと小さな飛行場がある。
 滑走路から飛び立つ小型機は、伊豆大島へ向う。
 お昼の太陽を背に立つ僕から見て右手のほうへ、東へ飛んでいくのがわかる。
 海のある方向へ

 いや下手すれば家の軒先にだって。
 庭先にある、植物や、いろんな虫たちの営みがある。
 大地に足をつけて毎日見つめていると、どんどん草の丈が高くなり、蜂が増えていくのがわかる。

 なんだ、旅って、これのことだったんじゃないか。
 見知らぬ風景を見ること。
 自分の足で歩くこと。
 体験することにより、心が喜ぶこと。
 決して遠くへ行くことじゃない。
 山も好きだけど、街は山の裾野だ。そして地球の一部だ。

 つまりこういうことなんだ。

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 すべての場所はつながっている。 

 今僕のいる場所で旅が出来なければ、どこに行っても旅なんか出来ないんじゃないだろうか。

 僕にとっては旅への憧れは、歩かない言い訳でもあったみたいだ。

 そう、本当の旅とはもしかすると、今いる街への旅、日本への旅、地球への旅、大地への旅、そして僕のいるこの場所への、僕自身の命への旅かもしれない。
 地球とからだ、そのふたつにリコネクトすることが、その旅へのパスポートとなるのかもしれない。



 再び変容期の地球で


 もし、この惑星が本格的に変容のための自浄作用を発揮し始めているとするならば、アーシングやグラウディングはその変容期の地球においてどんな役に立つのだろうか。

 世界各地にプレッパーと呼ばれ、来るべき時のために物資を備蓄したりシェルターを作ったり、あるいは自給自足的な共同体を用意している人たちがいます。

 水、食料、土地、ガスマスク、武器、弾薬にいたるまで用意している人がいるでしょう。

 そのようなある種やり過ぎ感さえ漂う物質的な備えと比較するならば、エネルギー的に大地とつながるだけではいかにも心もとないように思われる。

 水はどうする?土地はどうする?マスクは?という話しになる。

 ハリウッドが製作する大スペクタクルカタストロフィー映画でも、いつも助かったり活躍する人々はそういうものの恩恵を受けている。

 あるいは非常時においては、グラディングよりも、電池やラジオの方がよほど役に立つかもしれない。

 でも僕はもっとも本質的には大地や天とのエネルギー的つながり感がもっとも重要な要素だと思うのです。

 なぜかということはうまく説明できません。

 あえて説明しようとすると、このシフトは物理的なシフトであると同時に、やはり精神的なレベルでのシフトであるはずだからです。ハリウッドカタストロフ映画では常に欠落している要素ではありますが、、、日月神示に書かれているような「お土をおろがむ」ようなこころが必要ではないでしょうか。 

 そして、肉体が健康で、プラーナが充実しているという状態はやはりどんな状況でも耐えやすくしてそれを乗り越えやすくしてくれるはずです。
 そして、プラーナは基本的には自然なるものからしかきません。太陽、大地、大気、食物、生命体などからしか来ないのです。
 そのような意味では、天地とつながることが地球変容期における、重要事項であることの説明となるかもしれません。

 まあ、僕としては未来に何かとてつもないことが起こるとか、あるいは今は大変な時代だとことさらに警鐘をならすような記事はあまり書きたくなく、最近はあたかもそういうことはなかったかのようなネタを書くことが結構多いです。
 個人的にも、えぐいことが起こってもあえて、ニュース的なものはシカトするような感じで、生活する傾向にしています。
 地震等の予言が流れても、「あー気のせい気のせい、なんも起こりまへん。富士山も噴火しまへん。漫画でも読みましょ」という感じで。あえて距離をとって、日常的なことにフォーカスしたりします。
 というのは、こういうことは恐れと興奮で脳を刺激させていとも簡単にヘッドトリップに陥り、自分自身のリアリティと絶縁するような類の情報だからです。
 
 でも僕の中ではやはり正直に書くとMATRIX311にいるという認識はなくなっていません。
 だから、こころがざわざわするネタを書くことなく、しかし本格的な地球変容期が訪れたとしても、その用意となるような、楽しく命や生命力を育むような情報をなるべく発信したいと思っていました。

 今後も基本的にはそんな感じで、地球変容期を頭の片隅におきながらも、そんなことは与太話だろのていで、この大地の上にいることを愛して生きたいと思います。



 
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セラピー&ヒーリング | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/04/26 19:18
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