I先生のこと(6)

 最初の瞑想会については↓

 http://homepage3.nifty.com/egghouse/meisoukai.htm
 で以前概略は書いた。

 今日は、新たに思い出したことを書いてみる。
 少しづつディープになると思うが・・・。

 覚醒した人二人が部屋を出て行った。

 部屋に戻ってきた時、一人が

 「ずっと目を見詰め合って涙を流してました。」と言った

 お二方は恋人同士と言うわけではない(多分)。


 目覚めた人同士は、お互いに通じ合う何かがあるようである。
 I先生には、「わかった」人が、わかる。
 これは確かな感覚のようだ。

 瞑想会参加者の女性が、ふすまを開けて会場に入ってきた瞬間、「あ、わかったんだ?」とI先生の方から声をかけた時もあった。
 その女性は「はい、お礼を言いにいかなきゃと思って・・・」と言った。

 わかることにはいくつかパターンがある。

 ひとつは、I先生が「誰か」わかること。
 ふたつめは、自分が「誰か」わかること。
 みっつめは、神が何かわかること。

 だったと思う。

 そのためには神に身を委ねることが何よりも大切なことだと先生は言う。

 まず神を信じること、そして好きになること、愛すること、そして初めて委ねるということが可能になると言う。

 I先生は覚醒すると、「(器質的に)脳が変化する」と言った。

 「俺は宗教やってる人とはケンカになるけど、脳の研究者とかとは逆に話しがあうんだ」

 I先生が僕に「その頭で覚醒したら面白いことになるよ」と言った。

 その言葉は僕に自分がいくらかオウムチックなニュータイプになるようなイメージをもたらした。また自分の知性が認められたようで心地よかった。

 しかし、今思えばこれらは僕のエゴを引っ張るための撒きエサだったのではないかと勘繰っている。なぜなら、しばらくはその「突然覚醒することへの期待」が会場へ足を運ばせる原動力になったからである。





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I先生のこと | コメント(2) | トラックバック(0) | 2006/11/22 16:21
コメント
いす
こんばんは

すこし昔の記事のようですが、
この記事を読んで、I先生に会ってみたいと思いました

>わかることにはいくつかパターンがある。
>ひとつは、I先生が「誰か」わかること。
>ふたつめは、自分が「誰か」わかること。
>みっつめは、神が何かわかること。

特にこの箇所に、何かピンとくるものがありました
まずはお話会に参加してみようと思います
ご紹介ありがとうございました
>いすさん

おはようございます。
コメントありがとうございます☆

>ひとつは、I先生が「誰か」わかること。
>ふたつめは、自分が「誰か」わかること。
>みっつめは、神が何かわかること。

I先生によると、今回この3つのプログラムが組み込まれているそうです。真我と、グルと、神の三つ組み・・・ですね。
いすさんにとってよき出会いになりますように!
いつかお会いするかもしれませんね^^

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