「いじめ」で自殺者が連鎖的に増えているのは、確実にマスコミの影響であると感じる。

 昔、これもテレビでだが、自殺は一種の伝染病として捉える見方が報道されていた。報道によって確実にその後の自殺者の数が増加するので、報道をどのように規制するか・・・とかそういう議論だったと思う。

 昔々、ゲーテの小説「若きウエルテルの悩み」が出た時に、若者の失恋自殺が激増した。これはつまり、この小説を読むことによって、「失恋による死」というものが一種悲劇的だが美しいものとして、インプットされ死への集合的回路が出来上がったものであると思う。
 自分の遺書というものを既に「ウェルテルの悩み」でゲーテが書いてくれているのだ。そして、死にたい人は出来上がったその回路にどんどん流れ込む。
 文豪により正当化された、美しい死だ。

 基本的にこれと同じ事が、現代の自殺についても言えるだろう。
 自分の死を正当化する理由、そして先に逝った人達がある程度いれば、その回路に適性のある人は引きずり込まれていく。
 他に仲間がいる、先例があるというだけで、そのパターンを自分も演じてしまう。

 この世には「いじめ」というものがあり、どうやら自分はその犠牲者らしい、他にも「いじめ」で死んでる子がいっぱいいいる。
 というシナリオを、報道は無自覚に与えている。

 マスコミの影響が異様に強いこの国において、どのテレビ局もそのことを報道するわけである。それは現象をある意味、悪化させている。

 「いじめられたら死ぬ」としか書いてない遺書には、もっともっと語られなかった言葉、本当の理由があるはずである。

 社会現象のひとつとして、その犠牲者の一人として、簡単に処理されるほど単純な人間は一人もいないのだ。
  

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未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2006/11/24 23:08
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