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神の島 KUDAKA ①

                       神の島 KUDAKA 


  安座間港


 あざまさんさんビーチでバスを降り、少し歩くと港があった。
 目的地の斎場御嶽まではあと二つほどバス停があるはずだ。
まったく土地勘のない場所。こんなとこで降りていいのかどうかわからなかったけど、なんとなく降りて歩きたくなった。
 あまり人影は見えず、防波堤の方からかすかに三線の音が、風に乗って運ばれてくる。 
 何人かの人たちが堤の上三線を練習しているようだ。

 PB110167-edit.jpg

 朝の四時おきでまだ真っ暗な中自宅を出て、中央線に乗った。
 東京八重洲口からの成田行きバスに乗るためだ。さすがにすいてるかと思いきやもう電車の中は、座席はすべて埋まり、立ってる人も多い。この時間からこれだけの人が通勤してるのに驚く。みな黙々と本を読んだり、スマホをいじったり、寝ている。
 外はまだ暗い。一瞬夕方なのか朝なのかわからなくなりそうだ。この時間中央線は各駅停車が走ってるらしい。代々木や千駄ヶ谷にも止まっていく。
 八重洲口から高速バスに乗りしばらくすると、高速道路のかなたからようやく太陽が昇り始めた。
 成田へ到着後、LCCで那覇へ、モノレールでバスターミナルへ、そしてバスに乗り換えて沖縄南部の南城市までやってきた。
 すでに家を出てから9時間ほどが経過している。

 移動につぐ移動で張り詰めていた心が潮の匂いと静けさの中でほどけていくのを感じた。
 昨日まで雨もよいで肌寒い東京にいたのが嘘みたいだ。
 少し歩くと本島最大の霊場と言われる斎場御嶽(セーファーウタキ)があるはずだ。
 世界遺産にも登録されているということで、もっと観光地的な喧騒が支配しているのかと思ったけど、11月というオフシーズンの為だろうか一帯はとても静かだった。
 一本タバコを吸ったあとで、海岸沿いの道から急な坂を登ると青い海が視界いっぱいに広がった。
 水平線の近くに細長く伸びる島影が見える。
 
 あれが今回の旅の目的地、久高島だ。

 PB110169-edit.jpg


 久高島の名前を初めて聞いたのはもう7年くらいは前になる。
 沖縄にはユタやノロと呼ばれる巫女やシャーマンのような存在が昔からいるが、そのノロの一人と親交のある方の講演を聞きに行ったことがきっかけだった。
 現在、巨大な天変地異が差し迫っており、そのノロのHさんは巨大災害を未然に防ぐために、車に乗って日本中を行脚しているということだった。
 まだ東日本震災が起こる前だった。
 そのHさんの出身が久高島だった。
 Hさんは幼い頃から霊感に目覚めていて、神様からたくさんのビジョンをみせられてきたという。
 久高島にはHさんだけではなく、たくさんの霊的感覚に恵まれた人々を輩出している島だ。

 久高島南北4キロほどの小さな島だが、特殊な島である。
 沖縄最大の霊場と言われる斎場御嶽そのものが、久高島に向かうように作られているかに見える。
 事実セーファーウタキには久高島の遥拝所がある。

 どうして久高島という小さな島が、斎場御嶽から礼拝されるのだろうか。
 その理由は琉球発祥の伝説にあるようだ。

 日本神話のイザナギとイザナギの国生みや、天孫降臨の神話に似たものが琉球にも存在する。
 神々の世界<ニライカナイ>あるいは<ニラーハラー>から降り立ったアマミキヨが沖縄をつくったとされるが、そのアマミキヨが降り立った地が久高島のカベール岬だとされている。
 内地で言うと高千穂や淡路に該当するのが、沖縄の南部一帯であり、その中心が久高島なのだ。
 そんな久高島では古来より、巫女によって行われる祭祀を中心とした生活が営まれていた。
 男はウミンチュ(漁師)になり、女はカミンチュ(巫女)になる。
 それが久高の伝統的な人間の生き方であったという。
 12年ごとに女性が神となる儀式、イザイホーが行われていたが、これは1978年を最後に行われていない。
 イザイホーはしかるべき年齢に達した女性が、祖母霊と一体となりそのパワーを受け継ぐ儀式だった。
 そのように久高島は母系性の世界であり、女性が神となり男を、そして家族を守るという価値観の世界であったようだ。

 久高島の特殊性はそれだけではない。
 南北4キロほどの小さな島だが、集落は島の南側3分の1ほどところに集中しており、北側には無人地帯が広がっている。
 舗装された道路はあるものの、人が住んでいないために電柱や電線もない。
 島の北部はアマミキヨが降り立ったカベール岬、中心的なウタキであるフボーウタキを含む聖域とされており、人が住む地ではないという。
 久高島では土地を私有するということが許されていない。島全域は神々のものだとみなされている。
 観光客にも島の石や貝などを持ち帰ることがないようにという注意がいろいろなところに書かれている。
 それを破ったために、トラブルが起こり、また本土から島にそれを戻しに来ざるを得なくなったという話もあるらしい。

 聖地と呼ばれる場所は日本全国に数多い。
 しかし、多くの場合そこには店があふれ、金銭がやりとりされ、電信柱が立ち並んでもいる。
 それに比べると、久高島は本当に現在でも聖地を聖地としてあつかい、いまだある種の神々への畏れとともに成り立っている世界のように思える。そんな土地は今では希少な存在ではないだろうか。

 また久高島にいった人は、とても不思議な経験をすることもあるようだ。
 たとえば、長い間会ってなかった人にたまたまそこで再開するようなことがよく起こるという。
 沖縄に関する不思議な話しを集めた、「本当は怖い沖縄」という本にこう書いてある。

  たとえば、10年間も音信普通だった元同僚と久高島でばったり会ったりとか、消息不明だった肉親と久高島に渡る船で再会したりといったドラマチックな再会劇にまつわる話しはたびたび耳にするし、スナップ写真にオーラのようなものが写っていたなどの心霊的な話しも枚挙に暇がない。あるいは、突然どこからか蝶々がひらひら飛んできて、まるで神の使いのようにクボー御嶽の入り口まで案内してくれたという話しもよく聞いたりする話だ。

 あるシャーマンから「久高島は自然界のエネルギーの波動と人間のこころの波動が共振する場所」というような話を聞いたことがあるが、久高島は島全体が聖域で、島にあるすべてのものがある種のエネルギーを放っているのだそうだ。


 そんなさまざまな不思議話で聞いていた久高島が、今海の向こう側に見えている。
 霊能者、巫女の島
 今なお禁制の地がある島
 沖縄発祥の聖地
 なんだかわからないけど不思議なことが起こる島。
 明日はあそこに渡るんだと思うと、なにか少し緊張してきた。
 島の交流会館に宿泊し、その土地のエネルギーを感じ、風景をカメラに収めたいと思う。

 でもその前に行っておかなければならない場所がある。
 それが今日の目的地。
 アマミキヨがつくったとされる琉球七大ウタキの筆頭
 久高島をのぞむ、斎場御嶽に向かって僕は歩き出した。

 
 斎場御嶽・セーファーウタキ


 沖縄は二回目だ。
 いや、中一くらいに家族旅行で連れられてきたのを入れれば三回目になるっけ。
 あの時は祖母と二人の弟も含む6人の大家族旅行。
 玉泉洞や、沖縄植物園などを回った。
 12月だったから青い海では泳がなかったけど、グラスボートできれいな海を覗き込んだことを覚えている。
 あとから父親に聞いた話では、一度の旅行で数十万円使ったという。
 LCCもない時代、年末料金のANAやJALに乗って食事つきホテルに6人泊まればそれくらいかかるのだろうか。今の僕とそれほど年の変わらない父母がずいぶんがんばってくれたんだなと思う。
 
 二度目は三年前の9月。
 もと同居人と一緒に住み始めたころ、僕はダイビングのライセンスを取るため一足先にゆき、あとから彼女も追いかけてきた。
 ダイビングポイントが多い、北谷の砂辺海岸。
 嘉手納基地が近く、周辺にはたくさんの米軍用住宅があった。
 1945年の沖縄戦では米軍が上陸した辺りからも遠くない。
 ハンバーガーと沖縄そば、そして砂辺のサンゴ礁。
 あいにく後半は台風の直撃を受けて、彼女にはシュノーケリングを体験してもらえなかった。
 でも国際通りの公設市場を散策して、万座毛にも足を伸ばした。
 それはそれで楽しい旅だった。
 
 そして、今回ははじめての一人旅。
 季節は11月。
 さすがにダイビングをする気分でもない。
 そこで琉球発祥の地とされる、久高島やセーファーウタキ、そして南城市一帯をめぐり、沖縄のエッセンスに触れる旅にしたいと思った。
 前回の滞在は米軍が上陸した海岸、今回は神々が上陸した地である。
 見えてくる風景もずいぶん違うものになるかもしれない。

 那覇空港に着陸して、飛行機の外に出たとたんに、むわっとした湿度に包まれた。
 亜熱帯特有の空気感。
 長袖のシャツを脱いで、半そでのパーカーに着替えたけど、それでも暑い
 Tシャツ一枚だって十分な気候だ。
 11月の東京は雨が続き肌寒かったけど、那覇はまだ秋という感じではない。
 空港からモノレールに乗って、車内を見渡しても ほとんどの人はTシャツや薄手のシャツ一枚という格好をしていた。 
 前回は9月の終わりだった。あの時は完全に真夏同然で、日差しも強烈だった。
 今回はあのときよりも過ごしやすい温度だけど、11月の「秋の気配」というものはこの湿度の中では感じられない。

 
 世界遺産であるセーファーウタキは、パワースポットとしても有名だ。
 最近のパワスポブームも合間って、そっち系に興味がある人もたくさん訪れるようになったという。
 しかし、パワースポットとはなんだろうか。
 何か他とは違うエネルギーを持った場所。
 そしてそこに訪れることで、癒されたり、運気があがったりする場所?
 人によって考えは違うだろう。
 僕は、パワースポットとは、宇宙や大地に向かって開いた場所なのではないかと思っている。
 そこで人々は神なるもの、自分のルーツに向かって祈りをささげて、心を清め、生まれ変わった気持ちでまた日常に戻っていく。  パワースポットとは本来そんな祈りの場である聖地。そこを巡るのが巡礼だ。
 癒されたり、幸運が舞い込むのを願うのはもちろん悪いことじゃない。
 でもご利益信仰がパワースポットの本質でもないような気がする。

  斎場御嶽の歴史はどのようなものだろうか。

  まず伝説上では、久高島に降臨したアマミキヨ神がその後本土につくりあげた七大御嶽の筆頭とされている。

  史実上では、琉球王朝三代目の王、尚真王の時代、王朝最高位の神女である聞得大君(きこえおおぎみ)が新たに即位するときその式典の会場となっていたのが斎場御嶽だったという。

  その儀式は「お新おり(おあらおり)」と呼ばれた。
 
 聞得大君は、その深夜から夜を徹して行われる儀式により神力を得て、翌朝久高島から昇る太陽を拝したとされている。このような祭事の折には久高島からの白砂が御嶽全体に敷き詰められた。

  聞得大君の巫女的な地位は、国王の権威を圧するほど強力なものであったという。
  斎場御嶽ではこのほかにも琉球王朝の存続と繁栄を祈るような祭事がいくつも行われたと想像できる。
  これが歴史的な史実。   

  しかし、パワースポットには歴史的な事実だけではなく、何か地球エネルギー力学的な仕組みが介在しているはずだ。
 レイラインや、竜脈、竜穴とよばれるような見えないエネルギー、磁場の流れの中にある特異点、、人体で言うところのチャクラや経絡経穴のようなもの。
  逆に言うと、そのような地球のツボのような場所であるからこそ、さまざまな歴史的事実がそこに積み上げられる。
 そして、人々のその地への祈りの念が、さらに土地の気場と相乗効果を起こす。
 パワースポットとはおおむねそのような仕組みでできているのではないだろうか。

 「本当は怖い沖縄」という面白いタイトルの本にこんなことが書いてある。
 セーファーウタキでは不思議な現象がよく起こるらしく、南城市の市長さんが書籍の中でこう語っている。

 「腰が痛くて痛くて、行きはかつがれて斎場ウタキに入った人が、祈ったと同時に体が軽くなり、自分で歩いて帰ったという話し、入ろうとしたら青い光が見えてどうしても中に入ることができなかった人の話し、サングーイの中でぐるぐると竜巻のようなエネルギーを感じたという人の話し・・・

 セーファーウタキでは逆に体調が悪くなる人もたくさんいるという。
 おそらくそこに存在するエネルギーとのバランスで、エネルギーが強烈な場所に行くということは、必ずしも表面的には気持ちよくなるとは限らない場合がある。
 それが、見えないエネルギーの難しいところかもしれない。
 具合が悪くなっても、そこがよろしくないと簡単には言えない。

 またカメラの調子が急に悪くなり、写真が撮れなくなったり、不思議なものが写り込むことも茶飯事らしい。
 沖縄出身の霊能力が強い人が、その本の中で語っている。

 「セーファーウタキは沖縄で最高峰というべき神聖な空間です。それだけにパワーが強い。私でさえ恐れ多くて入ったことがないのに、修行もしていない素人がむやみに近づくものではありません!」

 世界遺産にもなっちゃってる今、ガイドブック片手にはるばるやって来る外人さんにとってはそんなこと言われても「What(イミワカランワ~)?」だろうし、
 霊能力もない僕としても、近づくものではないと言われたところで、それがどんな場所かわからない以上、まず行ってみるしかない。
 何を感じるだろうか。
 そして僕はこの場所でどんな祈りを捧げたいと思っているんだろうか。

 ぶっちゃけて言うと、いろいろなことが行き詰っているようだった。

 先月、2012年から一緒に住んでいた相棒との同居生活が終わった。
 彼女は引っ越してゆき、僕はひとりでは広すぎる賃貸のアパートに一人残った。
 どちらが悪いというわけでもないし、このまま一緒に住んでいても二人ともどこにも行けないようだ。
 だから仕方のない流れだとも思ったが、3年間の共同生活が終わるその脱力感は大きかった。
 加えて、一人で広すぎるだけではなく家賃の負担も高すぎるため僕も引越しを余儀なくされた。

 彼女と暮らし始めたときに最初に旅行したのが沖縄だった。
 今度は一人。
 一応「沖縄にでも行ってくる」と事前に彼女には言ってたので、出発の朝にメールしたけど、返事はまだこない。
 込み合っている行きの飛行機、僕の隣の席はなぜか空いている。
 誰か、一緒に来たのかな?ふとそんな変な思いが浮かんだ。
 空っぽの席。
そこに座っている見えない「誰か」は誰なんだろうか。
 いやもしかすると
 それは誰かがいるというよりも、僕のそばには誰もいないことの暗示に過ぎないんだろうか。

 関係性の面ではそんな感じだった。
 仕事の面では7年間ほど続けてきた在宅介護ヘルパーの仕事も、このまま同じようにこれを続けていても、自分はどうにもならないという焦りや疲弊感を感じることが多くなっていた。
 最初はハンディキャップを持った人をヘルプするということに感じていた遣り甲斐や、意味感、充実感を、疲労感や絶望感が上回ることが増えていた。
 一月が終わると、また翌月のシフトがメールで届く。
 気がつけばもう年末だ。
 このまま淡々と時間が流れていくことに不安を覚えるようになった。
 でも、新たなことを始めるエネルギーが自分の中にみつからない。
  
 そんなこんなで、終了した同居生活を引きずる気持ちや、この希望のない不気味な繰り返しに埋め込まれているという感覚から離脱したいという思いでこの土地にやってきた。
 正直、旅でもしなきゃやってられないという気分でもあった。

 だから祈りを捧げるとすれば、気分を一新してやり直したいということ、そのためのエネルギーをもらいたいということ。そして沖縄をもう少し深く知り、この地との絆を強くしたいということだろうか。

 朝から移動スケジュールに押されてバナナ二本くらいしか食べてない。
 ちょっとふらっとするが、エネルギーを感じやすくなってていいかも。


 そんなことを考えつつ、ウタキ入り口への坂を登っていく。
 一帯はとても静かで穏やかな雰囲気だった。
 11月の平日というかなりのオフシーズンだったということもあると思うけど、その空気感ですでに気持ちがよくなってきた。
 それでもやっぱりメジャーになった世界遺産。団体やカップルの観光客が何組かいる。
 チケットを見せて入場(※注※チケットは御嶽ではなく、斎場御嶽バス停前の物産会館で購入する)すると、小部屋に入って御嶽の歴史的いわれなどをビデオで見るという手順のようだが、 僕はなるべく一人でその場のエネルギーを感じたかったので、団体様と少しタイミングをずらすため、小部屋をスルーし一足先にウタキの中へ入っていった。
 
 なんだろう、これは・・・・

 PB110177-edit.jpg

 斎場御嶽はその昔、王国繁栄にかかせない聖地だったはずだけど、立派な建物や神仏の像があるわけではない。
 数箇所あるは拝所は、巨岩の下に簡素石つくりの祭壇を組んだだけであったり、鍾乳石のように垂れ下がった大きな二本の岩だったりする。その他は鬱蒼と生い茂った森だ。その森の中の石畳の小道を歩いて、拝所をめぐる。それだけなのだが、ものすごく圧迫感があるのだ。

 一言で言うと、ここにいると癒しの空間であるというよりも、やはり鬼気迫るという雰囲気、畏れ多いという感覚が沸き起こってくる。森や岩も濃密な強いエネルギーを発しているように思えてならない。

 要所要所の拝所などでシャッターを押しながら僕はさっきから

 なんだろうなこれは、、なんだろうこれは・・・

 と繰り返しつぶやいてる自分に気づいた。

 ボキャブラリーが非常に貧弱になるような何かに圧倒されていた。

 それが何かはわからない。この鬱蒼とした森と、むき出しの巨岩に圧倒されたのかもしれない。

 来る前に聞きかじってきたセーファーウタキに関するうわさの為プラシーボ効果に陥っていたのかもしれない。

 あるいは朝からバナナを2本ほどしか食べてなかったせいかもしれない。

 何かはわからないが、相当僕はポカンとした状態で、カメラのシャッターを押し続けていた。
 今まであまり経験のない感覚であることは確かだった。  
 

PB110185-edit.jpg




 巨岩がふたつ組み合わされ、直角三角形のゲートを形作っている。
 これはサングーイと呼ばれる、よく御嶽の写真で紹介される拝所だ。
 とても自然に出来たとは思えない、見事な造詣のサングーイをくぐり、久高島遥拝所に出る。
 木々の小窓に縁取られるように、久高島が浮かんでいた。
 僕はそこでしばらくたたずみ、ここに訪れられたことへの感謝を捧げた。

 PB110190-edit.jpg


 帰り道、再びサングーイをくぐり森の中を歩いていると、さっきまで曇っていた雲間から日が出てきて、突如森が輝き始めた。

 うわっ すごい!

 さっきとはまったく違う世界が目の前にある。

 活気付き命を与えられたように、木漏れ日に目の前のくさむらが光っている。

PB110195-edit.jpg

 いや、ただ日が出て明るくなっただけなんだけど、なんだこれは?

 ただただ言葉を失うような美しさに僕は呆然とした。

 ここは聖地だ。

 なにか疑い得ない感覚が僕をとらえていた。

 PB110197-edit.jpg





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久高島 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2015/11/30 20:56
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Re: タイトルなし

こちらこそ、ありがとうございます♪

「千と千尋」ですか~確かにそんな別世界に入った感はありましたよ!

 ちなみに僕もガラケーです(シンクロ?^^) 

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