神の島 KUDAKA②

 サングーイ・アーキテクト


 画家の岡本太郎氏は久高のウタキについてその著書の中で「『何もない』ことの眩暈」と表現しているという。
岡本太郎氏が久高島のフボーウタキに入った時のこと。
 そこは久高島でももっとも中心的な御嶽のひとつだが、周りをクバの木などがが生い茂る中にぽっかり空いた空き地に過ぎないという。
 そのほかには、神霊の寄り代となる手に平大の自然石が数個並んでいるだけ(イビと呼ばれる)。
 この空き地に久高の神女たちはぐるりと輪になって座り、祭祀を執り行ったらしい。

 セーファーウタキのクオリティも、フボーウタキと同質の質素さだと思う。

 国内外の多くの聖地に見られるような、鳥居、手水舎、狛犬、社殿、神仏の絵や像、賽銭箱、おみくじ、お守り販売、などに代わるようなものがない。

 人工物といえば香炉や壺、石片、石畳くらいだろうか。
そこには聖なるもののシンボルが欠如しているという意味で、日本の寺、神社や、キリスト教の教会、イスラムのモスクとも異なる、別タイプの聖地だと言えるだろう。(聖なるものの像を禁ずるイスラムにも豪華な神殿は存在する。

 
 そこには聖なるシンボルの代わりに、濃密な自然の森と岩がある。
 セーファーウタキの神殿は自然そのものなのかもしれない。
 自然自体を神として交感していた、聖なるもののシンボルが生まれる前のアニミズム的な聖地。
 もしかすると僕らの祖先はそういったシンボルを介在せずとも、岩に森に宿る神を認識する感性を持っていたのかもしれない。ある種縄文的な感性とでも言えるだろうか。

 そのため、あえて仰々しい建物やシンボルをそこにおく必要がなかったのか。
 あるいは神聖な神々の空間に、そのようなものをおくということ自体に、ある種の穢れに似たものを見ていたのだろうか。
 その感性はそのまま、久高島の北部をなるべく手付かずの聖域として残すという感性と通ずるような気がする。
 

 その日の夜の宿泊先、豊見城市のホテルの一室でそんなことをぼんやり考えていた。
 値段がリーズナブルな割には、快適で見晴らしもいい部屋だった。
 フロントの前にはプールもある。さすがにこの季節、泳ぐ人はいないけど、プールの水面を南国の風が渡っていくのを見るのは気持ちがいい。
 普段見ないテレビもなんとなくつけて、ぼんやり見ながら、お酒を飲んでいた。
 朝方、元同居人に出したメールの返事は来ない。無意識に何度も携帯を見ている。
 せっかく沖縄まで来てるんだから、しばらくは忘れたいのだが、なかなか頭を離れない。
 観光中は気がまぎれるけど、こんな風に部屋で一人になると携帯が気になる。
 テレビでは何か気候変動に関する番組をやっている。
 このまま気候変動が進行すると、何十年か後にはスーパー台風がいくつも日本を襲うようになるだろうと専門家が話している。

 セーファーウタキのエネルギーは、個人的には僕のエネルギーを高揚させる方向に働いたようだった。
 なにかすごいものに触れたという感覚が残っていた。
 
 しかしそのあとがなかなか大変ではあった。
 僕はどうも予約するホテルの場所を間違えたようだ。
 那覇空港→斎場御嶽→一泊→久高島というルートであれば、御嶽の近くか少なくとも南城市の近場に宿泊するのがベストなのだが、中々値段が折り合うホテルが見つからなかったため、僕は豊見城市に宿を取ってしまった。
 ちょっと離れてるけど、バスかなんかで簡単にいけるさー・・・と、沖縄風楽観主義で思ってたけど。
沖縄のバス事情をよく理解していなかったようだ。
 斎場御嶽をでたあと、豊見城市のホテルに行くには、同じルートでバスターミナルまで北上し戻り、そこからまた南に下がるしかないことがわかった。
 那覇バスターミナルまで一時間、そこからホテルの最寄バス停アウトレットモールあしびーなまで40分ほど。
 そこから徒歩でさらに15分。
 朝の四時おきで、移動に移動を重ね、食事はほぼバナナ二本・・・。
 あしびーなについたころには、さすがにバナナ二本分のエネルギーは燃え尽きており、だんだんふらふらして頭もぼーっとしてきた。
 夜は近場で沖縄料理でも食べようと思ったが、いい店を探す気力もうせており、僕は近場の「大戸屋」に吸い込まれていった。「ここなら、全国同じ、安心の品質~~」とつぶやきつつ。
 まさか沖縄最初の夜ご飯が大戸屋になろうとは思わなかった。
 しかし、しかし、そこで食べた「チキン母さん煮定食」のなんと旨かったことか・・・。
 そして店員さんの出してくれたお茶のなんと温かかったことか・・・
 あんな旨い「チキン母さん煮定食」は東京にはなかった。さすが沖縄!
 多分極度の空腹のためだと思うが、いやー旨かった、大戸屋ご飯。
 そんなこんなで人心地ついたあとにホテルにチェックインした。

 少し休んでいるボーっとしてると、斎場御嶽で感じたエネルギーのようなものが、いまだに心身を振動させているような気がした。まれに調子を崩す人もいるということだったが、アップかダウンかといえば今のところ、僕の場合はアップに作用しているようだ。もしかすると、チキン母さん煮定食のエネルギーも若干入ってるかもしれないが・・・。

 21623735.jpg


 セーファーウタキに来る前にちょっと不思議なシンクロがあった。
 沖縄行きはLCCの値段や仕事のスケジュールなどで11/11に決めていた。
 問題はどういう順序で久高島やセーファーウタキを回るかということだったが、ネットで検索してると11月12日からセーファーウタキは数日間の休息日に入るということが書かれていた。
 休息日明けは、帰りの飛行機のあとだった。

 あっぶね~、ギリギリセーフ!

 11月12日の飛行機を予約してたらアウトだった。
 これでは嫌でも11月11日到着の日にセーファーウタキに参拝せざるを得ない。
 そして、その後久高島へ行くという日程になる。そんな風にある種オートマティックにスケジュールが決まっていったのだった。


 美しい直角三角形の形態をしたサングーイのゲート。
 それは自然岩によって成っており、意図的につくられたものではない。
 サングーイをくぐりぬけると、久高島が眺望できる遥拝所に出る。
 サングーイに人間の設計者は存在しない。
 しかしそのロケーションはなんらかの人智を超えた意思によって形作られた聖域のように思われる。 
 いったい斎場御嶽は、そして久高島はいつごろから聖なる島だったのだろうか。

 琉球王朝時代に、聞こえ大君という巫女と琉球王が久高島に参拝していたそうだからその聖地としての歴史は数百年以上あることは間違いない。
 常に宗教は政治と結びつき、国家の維持と他国との紛争のために利用される。久高島もそうしたさまざま政治的思惑とのかかわりの中である位置を与えられ、存続してきたこともまた違いない。
 それは伊勢、出雲、富士をはじめとする、そのほかの内地の霊性の地とも代わらないだろう。

 しかしあのサングーイが形成されたのはいったい何千年、何万年前のことだろうか?
 琉球王朝、その王朝が明治政府によって廃止され、日本が軍国化の道を突き進み、やがて沖縄にも久高にも米軍からの砲弾が飛び交い、焦土と化す。
 それらのめまぐるしい歴史的マトリクスを超越した時間軸に、サングーイを形成した「意志」は存在し、その同じ「意志」が久高を一種の聖域としているのではないだろうか。 
 それは神話的に考えるなら「他界・異界」からの意志であり、琉球ではニラーハラー、日本ではタカアマハラと呼ばれる。

 人間の意志が介在する以前に、ある土地というものは聖地として機能するように設定されている。

 人は岩や樹に宿る神を認識できたと同様に、ある土地に特有の強烈なエネルギーの場に対する感受性も研ぎ澄まされていたのだろう。その時代においては、聖地の証明は奇蹟ではなかった。きっと、あまりにも明白に感じてわかるものだったのではないかと想像する。

 セーファーウタキの「何もなさ」というのは、そのことに対する信仰というか確信にも基づいているのかもしれない。
 

                            KUDAKAへ


 P1010235-edit.jpg


 あざ間港発久高行きのフェリーは一日に6便出ている。

 久高→あざま港も同じ数だ。冬季・夏季によって最終便の時間は前後するものの、船数自体に違いはない。

 僕はセーファーウタキに参拝した翌日、バスに一時間揺られて、またこの静かな港にに戻ってきた。

 それにしてもこの辺の雰囲気はすごくのどかだ。

 前回滞在した辺りよりも、ずっと落ち着ける。

 国道沿いの歩道を歩いていると、青い羽根の蝶がひらひらと木々の間を舞っているのが見える。

 お昼ごろにはセーファーウタキ前のバス停に到着したが、久高へは14時のフェリーでわたることにして、それまでは付近の知念岬などをぶらっと歩いて回ることにした。
 ターコイズブルーの海を背景にして、パラグライダーがいくつも舞っているのが見えた。

 P1010239-edit.jpg


 P1010259-edit.jpg


 そしてここからも久高島がはっきり見える。

 P1010227-edit.jpg
 
 今日は天気もいい。空は夏空。気温は、やはり暖かいというよりも明確に「暑い」というレベル。
 那覇に到着した時は思ったより長袖の人が多いようと見えたんだけど、あれはもしかすると防寒ではなく、日差しを防ぐためだったのかもしれないと思い始めていた。
 現に曇りがちの昨日、セーファーウタキを観光しただけで、僕の顔はじんわりと日焼けで赤くなっていた。
 11月でも南国の日差しは馬鹿にできない。


 出発の時間が近づくにつれ緊張感が高まってきた。
 今日は久高へ渡り、島の交流会館に宿泊する予定だ。
 いろいろな話しは聞いてきたものの、いったいどんな感じなのか予想できない。
 島という一種の村社会に入っていくというのも、大都市に観光に行くのと違い、どこかよそ様のお宅にお邪魔する感があるが、加えて久高の聖域としての特殊性が緊張度をいや増しに増していた。
 安座間港待合所には、もう数組の乗船客がいて、雑談の声が響き渡っていた。
 意外と若者やカップルが多いようだ。
 それを見ていくらか肩の力が抜けると同時に、ややうんざりもした。

 なんだー他の観光地と同じだなー。

 なんとなく、なぜか僕一人でわけのわからない世界に入っていくというイメージを持っていたのだ。
 同船するとしてもスピリチュアル系バリバリの巡礼者みたいな人が多いのかと思いきや、集団で何かゲームの話しをしているやや秋葉系ぽい男性チーム、じゃれあっているカップルなど、一見たとえば国際通りですれ違うような観光客と変わりないように見える。
 ほっとすると同時に、なんかイライラもしてきた。
 なんで久高島への船待合所でゲームの話し?
 「君たちーちょこっと位は神の島にわたるっていう厳粛さをもってもいいんじゃないのー」と心の中で説教を始めそうになる僕は何様だ。壁には、島の石などは持ち帰らない、ウタキなどにはみだりに入らない、などのお願い事項が貼られている。

 まあ、この待合室、全員白装束で首や手首にをぐるぐる巻きにした巡礼者集団で埋め尽くされていても、それはそれで辛いもんがあり、逃げ出したくなるに違いない。
 心の中での説教はやめることにするが、うるさいのもいやなので一足先に乗り場へ出て、フェリーを眺めながら一服することにした。

 PB120277-edit.jpg


 

                               

 30分ほどはフェリーに揺られていただろうか。

 遠くの水平線上に、細長く蛇のように伸びていた島影はじれったいほどゆっくりと大きくなり、やがて浜辺や港、鉄塔らしきものも見えてきた。

 PB120283-edit.jpg

PB120284-edit.jpg

 フェリーは久高島の得仁港に着岸した。

 隣り合って座っていた乗船客は、三々五々に分かれて港から集落への道を歩いてゆく。

 ガイドが着いているらしき集団、カップル、男性集団、こういう時はやはりグループのほうが安心感がありそうだ。

 この感覚、海外に行ったとき群れたくなる感覚と似てる。

 一応NPO久高島振興会のホームページから島のマップをプリントアウトして持ってきてはいる。
 しかし、急になんだか心細くなってきた。

 あやうく、ガイドがいる集団のお尻に着いて行きそうになったが、そこは思い直し、事前にプリントアウトしてきた地図を片手にまずは「最初にここで挨拶」と書かれている、外間殿(ふかまどぅん)へと一人向かうことにした。

 地図はゆるいイラスト風で、中心的な拝所や、浜辺、岬の名前などが記されている。

  13_nekotizu.jpg

  港近くに何件かレンタルサイクル屋さんもあるが、地図によると北端の岬まで歩いても一時間くらいらしい。
 まだ夕暮れまでには時間がある。 
 今日は徒歩で回ることにしよう。

 集落内は静かで、ほとんど住民の姿も目に入らない。
 小学校の横を通り過ぎるが、授業が行われてる様子もなく、子供たちの声も聞こえてこなかった。

PB120293-edit.jpg


 いつのまにかあんなにたくさんいた乗船客もどこにもみえなくなり、僕はしんとした田舎道をひとりで歩いていた。
 道の両脇には木々が生い茂っている。
 道がよくわからない。

 PB120301-edit.jpg

 誰もいな~い・・・

PB120302-edit.jpg

 誰もいな~~~~いよ・・・・・・・

 ちょっと静か過ぎてやや怖い。

 
 最初に会ったのは下校中らしい制服を来た女の子二人組み。
 僕を見ると、向こうから「こんにちは!」と異口同音に元気な声をかけてくれた。

 
PB120306-edit.jpg

 PB120308-edit.jpg


 迷いながら外間殿にたどり着き、そこで一応ご挨拶。
 ここでも自転車に乗った地元の方と遭遇し、「こんにちはー」と挨拶した。

 PB120309-edit.jpg

 そのあとまたぐるぐる。
 やぶの向こうに積み上げられた石の前で、なかなかの面構えの黒猫が僕をじっと見ている。

 PB120312-edit.jpg

 地図に載っている『大里家(うぷらとぅ)』の前に出た。
 『大里家』は島の始祖家のひとつで、もっとも古い家だという。
 僕はなんとなく島の地主的な人が住んでいる旧家なのかとイメージした。
 その前でお土産を売ってる人がいる。ちょっと宿泊先への道を尋ねてみよう。
 あれはもしや『大里家』の人々なのだろうか?しかし地主がパラソルの下でおみやげを売ったりするか?
 高貴なお方に私のようなよそ者が話しかけてもいいのだろうか。

 「こんにちは、お茶でも飲んできませんか?」とパラソル下のご夫婦らしきかたが言った。
 家の前には大きなガジュマルの樹がある。

 「あ、ありがとうございます。いただきます」

小型のタンクのバルブをさげて、プラのコップにお茶を注いだ。お茶は冷たく、レモンの香りがしてさわやかだった。

 「ここは大里家っていうんですよ」と奥さんが言った。

 「ああ・・・一番古いおうちだっていう・・・今でも人が住んでるんですか?」

と尋ねつつ、僕の目に映るのはどうみても廃屋でどうみても無人の、古い空き家だった。

 「いえ、もう誰もいないです。コーロだけがおいてあって、、コーロってあっちの言葉でなんていうんだろう?コーロ?香炉でいいんだっけ。わかります?」

 奥さんが笑われたので、僕も笑いながら、「はいはい、わかります」と答えた。お礼を言って大里家の中へ入ろうとすると入り口の木々の葉に蝶が羽根を休めていた。きれいなので何枚かカメラを向けてシャッターを押した。

 PB120315-edit.jpg


 蝶の写真を撮っていると、さっき港で別れたガイド付きの集団もどやどやと敷地に入ってきて、僕もそのあとに続いた。
 確かにうちの中には棚があり、いくつか香炉が並んでいるのが見えるだけだった。
 これはいったいどういう意味があるんだろうか?
 

 あとから勉強したところは、大里家(ウプラトゥ)という香炉だけが置かれた家は、普通に考えられている田舎の地主的旧家という存在とはまったく異なった概念の存在だった。どうも大里家は、島全体のルーツであるだけではなく、神話的な時間軸と日常的時間軸のつなぎ目のような家らしい。ただの古い空き家ではなく、祭祀の際にも回られるような聖域だ。

 久高島にはムトゥという言葉があり、草分けの家を意味する。
 集落の北側に位置するほど歴史的に古く、南に行くほど新しい。
 ムトゥの中でも最古の八家を「古ムトゥ」といい、大里家(ウプラトゥ)は中でももっとも古い。
 そして古いということは神々の世界、あるいは神々の時とのつながりが強いということでもある。
 
 久高島の穀物伝来神話にもウプラトゥの、シマリバーとアカツミーの話しがある。 
 イシキ浜で漁をしていたアカツミーが沖の方から流れてきた壷をみつけた。
 彼は壷を拾おうとしたが、沖に戻され、拾えない。
 そこでアカツミーが家に戻り、シマリバーに相談する。
 シマリバーはヤグルガーで身を清め、白い着物を着てもう一度挑めば取れると教えてくれた。
 言われたとおりにすると、壷はアカツミーの手におさりまり、中には麦、粟、アラカ、小豆の種が入っていた。

 この神話を持つ大里家は、「五穀世大里(グウクウクユーウプラトゥ)」「種世(サニユー)大里」と呼ばれている。

 また歴史的信憑性が高い話しとしては、大里家の娘、クゥンチャサンヌルの話がある。
 クゥンチャサンヌルは異界と交信する力を持ったシャーマンだった。
 その噂を聞いた琉球王朝の尚徳王(1441~69)は、久高島の彼女を尋ね、通っているうちに恋に落ちた。
 尚徳王がクゥンチャサンヌルとのロマンスに政治を忘れてしまってるうちに、城内で革命がおき、それを知った王は帰りの船中で海に身を投げた。これを知ったクゥンチャサンヌルは家の前のガジュマルで首をつり、あとを追ったというのだ。 

 そのガジュマルがまだ大里家の前に生えているものらしい。

 大里家を含む古ムトゥの家々は、それぞれひと創り神話、穀物伝来神話、島創り神話などを担い、そのルーツとなった神々を宿す寄り代となる。祭祀の際には、それぞれの神々が神職者におりて、創造のとき、つまり神代を再現するとされてきた。

 いまだ誰もいない大里家が残り、そこに香炉があるのは、それが根源の神々や祖霊の寄り代であるからだろう。

 オーストラリアの原住民アボリジニーは原初の神々が息づく神話的時空間を「ドリームタイム」と呼んだ。
 久高島では重要な祭祀の折に、その「ドリームタイム」が再現されてきたが、やはり特徴的なのは実際のそれぞれのムトゥがそれを担っているという「家」や血脈の生々しさではないだろうか。 

 もちろん理性的に思考するならば、これらの家々が実際に神々と密接なつながりを持つことを検証する方法はないのだが、尚徳王とクゥンチャサンヌルのエピソードなどを見る限り、何か秘められた力や役割をこれらの家々が持っていたということは確かなのかもしれない。

 こういうムトゥという概念は馴染みがないために、理解するのに少し時間がかかった。


 大里家を訪れたときは、その空き家や香炉の意味がよくわからず、ずあまり興味が持てなかったため、僕はガイド付き集団よりも先にそこを抜けて、さっき教えてもらった宿泊先へとさっさと向かうことにした。

 十字路で立ち止まり、ふと空を見上げて息を呑んだ。

PB120318-edit.jpg

 あ・・・虹・・・・ 

 鉄塔と電柱の間に、虹のアーチのかけらが浮かんでいる。
 雨も降ってなかったのに。
 背後からどやどやとやってきたガイド付き集団もやはり虹に気づき、「お、虹が出てる、歓迎サプライズだな」と言って通り過ぎていった。
 久高島には虹がよくでるみたいだけど、僕にもこのタイミングはなにか特別なものに思えた。
 夢中で何度もシャッターを押す。

 すごい。。。やっぱここは神の島なんだろうか。
 
 やはりこの場所は何かが違う。
 虹は島の北端のカベール岬の方向に確かにかかっていた。


 PB120321-edit.jpg


スポンサーサイト
久高島 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/12/03 14:16
コメント

管理者のみに表示