神の島 KUDAKA ③

 
                              神の原へ


 カベール、
 すなわち、神の原とその岬は呼ばれている。

 神代のとき、琉球創生の神、アマミキヨが上陸したといわれる地。
 また岬の背後に生い茂るクバの森カベールムイは竜宮神の寄りしろであると考えられていた。

 言い伝えによると、この海の神は、壬(みずのえ)の早朝、二頭の若い白馬となり真っ白いたてがみを風になびかせて島を一周するいう。
 そんなカベールは、今なお重要な祭祀がおこなわれる地でもある。 

 カベール。

 久高に来る前から僕はその名の響きに魅せられてきた。

 カベールと口の中でつぶやくと、遙かさと甘酸っぱい懐かしさのような感情が湧いてくる。
 決してカマンベールではない、

 カベールだ。

 そこへ早く行ってみたい。
 久高島交流会館にチェックインし、ひとまず荷物を部屋に置くと、僕はカベールへ向かうことにした。
 オレンジ色の屋根の交流会館はちょうど集落の北のはずれにあたり、それよりも北は人が住むことが許されない聖域になる。
 岬まではおそらく三キロほどだろうか。
 往復しても6キロ。歩いて向かうことにした。

 少し歩くと道の両側にはただ原野が広がり、ところどころ立つ電柱のほかは何もなくなった。

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 近くからモーという声が聞こえてきて、少し驚く。牛舎があるようだ。
 それを過ぎると、電柱も電線もなくなった。
 どうやらこの牛舎が人工的な施設のある北限らしい。

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 気持ちいいほど何もない。そして何もないということがこれほど心地よく、わくわくすることなのだろうか。
 しかし、日が沈むとかなり完全に漆黒の帳が降りるに違いない。
 まだ三時を回ったころであり、時間には余裕があったが、暗くならないうちに帰ろう。
 
 北端の岬へ向かう島内の道は、およそ3本ある。
 島の中央部と、東西の海岸沿いに一本ずつ北へと向かう道があり、それぞれの道は何箇所か左右の分岐があり他の道にもつながっている。しかしコンクリートで舗装されているのは中央部の道だけだ。

 たまにレンタルサイクルで走る観光者や、島の人とすれ違う。
 そろそろ帰りの船の時間も押しているので、夕暮れが近づく日帰りの観光客も減りさらにさびしくなりそうだった。

 中央の道を数十分歩くと、左(西)への分岐があり、「フボーウタキ」と書かれていた。
 こ・これが噂の・・・
 フボーとはクバの樹のことであり、フボーウタキはクバの樹の拝所ということになる。
 フボーウタキは久高島を代表するウタキであり、以前は神の女が集う男子禁制の聖域だった。
 現在は島の外部の人間は、男性も女性も入場を禁止されている。

 「本当は怖い沖縄」に、この聖域にあやまって入りそうになった女性のレンタルサイクルが風もないのに突然ぶっ倒れたというエピソードが書かれていた。
 多分こっち行けばフボーウタキの入り口ってことで、この先入り口までは行ってもいいんだろうけど・・・
 でも気づいたら入っちゃってました。なんてことは避けたい。
 僕は徒歩だ。
 神様がイエローカードを差し出す自転車ぶったおしはないから、僕自身がぶっ倒れるということになったらいやだ。
 いくらかおそれおののきながら、フボーウタキへの分岐を息を殺しつつ通り過ぎた。
 さらに進むと、今度は、急激に俗っぽい名称の「ロマンスロード」への分岐(西)があった。
 久高島北部の観光ポイントはだいたい、イシキ浜、ヤグルガー、シマーシ、ウパーマなど、沖縄の言葉で命名されてるけど、たったひとつだけ、ある種場違いな「ロマンスロード」というポイントがある。
 観光向けに後付された名称ぽい。
 しかし、突然南の島のバカンス感が出て、安心できる名称でもある。
 いやーずっとなんたらウタキばっかりだと肩が懲りますからね。
 ロマンスロードに出ると、思わず息を呑む絶景が広がった。
 紺碧の海。

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 それまで両側に樹が生い茂る道が多かったから爽快感がある。
 ウエットスーツを着た女性がたったひとり、仰向けで波間にぷかぷか漂っている。
 そういえば近くにチャリがとめてあった。
 このロケーションの中、海を独占するのはとても気持ちよさそうだけど、ずいぶん勇気がある。
 ロマンスロードの名前どおりにカップルであふれていたらイヤになってしまいそうだが、見かけたのはマイペースに一人で海を楽しむこの女性の姿だけだった。

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 ロマンスロードが終わり、農道のような道を歩いていると、T字路に出た。
 異様に存在感のあるガジュマルの巨木が分岐点にそびえている。

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 この大木はこの場所で島の移り変わりをずっと眺めていたおじいさんのような存在に違いない。
 『わしゃ見てきたよ みーんな知っとるよ』
 明らかにそんなしゃがれ声が聴こえてきそうな存在感をたたえている。
 そこを曲がり少し歩くと、カベール岬への一本道に出た。

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 両脇にクバが茂る舗装されていない、砂利の道が一本、まっすぐに伸びている。

 その道を歩き続けた。

 いつか何かの映画の中で見たような道。

 どこかへと見知らぬ地へと向かう主人公が通り過ぎる道。

 大きな希望と郷愁をいだく舞台となるような道。

 そして、神聖な道。

 祭祀の時には、白装束の女性が列を成してこの道を岬へとむかったようだ。

 今は、僕と、空と、このまっすぐの道のほかには誰もいない。何もない。

 思わず空を仰ぐ。

 ふと不思議な気分に襲われる。

 大いなる何かのなかを、その何かとともに歩いてるようなそんな気分だ。

 波の音がまたいよいよ近づき、気づくと僕はカベールに立っていた。
 
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 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ここが

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    神の原・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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  ところどころに穴が開く、ごつごつぎざぎざしたサンゴの岩でできた一見荒涼とした岩場。

  だがそこにはカベール植物群と呼ばれるたくさんの植物が生えている。

  それらの植物たちはどこか太古の趣を宿しているように見え、この岬一体を時間を越えた特別な場所のように思わせた。ごつごつした男性的な岩場をユニークな植物たちが覆っている。

 人工物と言えば、岬の入り口に小さな看板があることと、歩くのを補助する砂袋が斜面にいくつか詰まれているくらいだ。

 何かの祭祀のあとなのか、観光が残したものなのか、岩場に白い石が規則正しく並んでいる。

 相変わらず辺りには、海と、空と、岩と、僕のほかは誰もいない。

 振り返れば生い茂る森が見つめ返してくる。

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 誰一人いない空間に同時に感じる、何かの存在感。

 この場へこれたことへの感謝を祈りながら、しばらくたたずんでいた。

  
 何がこれほど静かな喜びで心を満たすのか。

 カベールまでの民家も、自販機も、電線もない道を歩くことはとても楽しかった。

 蝶がたくさん飛び交い、浜辺にはヤドカリが這っていた、ごく普通のすすきが午後の空にむかって伸び、風に揺られていた。そんなすべての光景が完成された絵のように美しかった。

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 ここではすべてが僕に向かって話しかけてくるような、そんな風景との一体感が常にあるようだった。

 ひとり歩いてるのに、一人じゃない。命があふれている。

 僕はここに『含まれている』。

 村上春樹が小説「ダンス・ダンス・ダンス」の中で書いていた、そんな言葉を思い出す。

 到着してまもなく空に現れた虹のサインは、確かに「何かが」僕を見守ってくれているという感覚を与えてくれた。 思えば今までも、いくつかの聖地を訪れたけど、そんなサインをはっきりと感じたことは初めてだった。

 どんな立派な社におまいりする時も、僕は参拝者、観光者でありもっと言えばその他大勢の部外者だった。

 僕はそこに『含まれて』はいなかった。

 少なくとも、僕の意識としては。

 でもここは違う。僕はここに含まれているように感じる。

 虹なんて単なる自然現象だということもできる。

 でもこの感覚は理屈ではない。

 その虹が「いらっしゃい、見てるよ」というメッセージサインであるとその時の僕には素直に感じられたのだ。

 その虹を見ることによって、僕は今何者かに見守られ、この島に含まれている。という感覚を持つことができた。

 周りと融合するに努力を要さない特別な場所。

 なにひとつ人工物がないことが、これほど心を穏やかにするんだろうか。

 それとも噂でささやかれている久高島の特別なエネルギーに感応しているためだろうか。

 わからないが、着いて数時間で僕はこの場所が本当に好きになっていた。
 東京で悩んでいたことのいくつかが、ここではあまり実体のないことのように思える。
 この岬に立ち、海に向かっていると、天と地との間に、人として生きていることがはっきりとわかり、そのことここそがリアルで重要なことだと思えてくる。何もないことで、天地の存在感があらわれる、すると僕らはそれを思い出せる。

 あのカベールへの道を歩いていたときに感じた、「何か」

 全長数キロの小さな小島だというのに、ここには宇宙を感じさせるエネルギーが脈打っているような気がした。

 
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久高島 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/12/05 22:45
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