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神の島 KUDAKA④

                            
                             漆黒の夜


 PB130462-edit.jpg
 

 夕闇の中を宿に向かって歩く僕の心に、ひとつのアイデアがあった。
 それは来る前から考えていたことではあったけど、 
 明日、日の出前に起き出して、またカベールに行って、そこで日の出を迎えよう。
 その昇ってくる太陽をカメラにおさめようということだった。
 朝の太陽はさまざまな伝統で癒しと浄化の力が強いとされている。
 カベールで見る朝日はいったいどれくらいすばらしいだろうか。
 あの古代の趣をもつ植物群に覆われた岩場が、朝の太陽に照らされ色づいていくのを見るのは想像するだけでもこころ踊る。
 宿泊会館に戻ると、真っ先に翌朝6時ころにレンタルサイクルを予約した。
 夕方少し雲が増えてきていたので、心配なのは翌朝の天気。
 だが、ここまでくればもう朝日がみれるかどうかは久高島の宇宙にゆだねるしかない。
 もし万一みれなくても、もう随分美しいものを見せてもらったので、気持ち的には十分満たされていた。
 すでに僕は、ここに来れてよかったと思っていた。

 今日、久高島に到着してから撮った写真を何枚か見直してみる。
 持ってきたのは一眼レフ風のオリンパスのデジカメ。 
 もうまる6年ほど仕事で自宅に通っているAさんという利用者の方が貸してくれた。
 Aさんは手足の自由がきかないが、写真が趣味で電動車椅子のテーブルにカメラを固定して、写真を撮るのが趣味だ。もう二回ほどレンタルスペースを借りて、自分で個展を開いたりもしている。
 そんなAさんが、ある時、新しいカメラに買い換えて以前のは使ってないからあげるよ、と言った。
 多少型は古いとはいえ、結構高価なカメラなので、もらってしまうのは気が引ける。
 仕事上、利用者の人からあまりものをもらわない方がいいというのもあるし、なんだかそんな高いものをただでもらうってのはやはり「重たい」。
 でも久高島に行くことに決めたとき、Aさんのカメラのことが思い浮かんだ。
 「そうだ、久高に行ってる間、カメラを貸してもらおう。お土産に何かちょっといいものを買ってけばバランスがとれるかな」
 そんなことを思う。
 と、ちょっと僕が神経質になるのは、Aさんとの関係の中で距離感がなくなればなくなるほど問題が発生しやすいという体験を何度かしてきたからだった。
 だから僕はリラックスして、オープンでありつつ、境界線ははっきりさせるということをずっと意識して仕事をしてきた。僕の中でよりそうということは、近寄りすぎず、離れすぎず、かつ心を開いているということだ。
 こういうような物をもらうということでも、そのバランスがおかしくなるということは十分あるので自然と用心深くなる。
 でもその一方で、もう6年ともなるとAさんとの間にある種の職業を越えた人同士の信頼関係のようなものも深まっているのも最近感じていた。
 だから人から人への好意として、純粋にAさんの申し出もありがたく受け取ってもいいんじゃないかというような気持ちもあった。 
 Aさんは快くカメラを貸してくれ、使い方を詳しく説明してくれた。

 「彼女と写真を撮るときはね、このセルフタイマーを使って、こうやって・・・いい記念になるよ」と
 「あはは、そうですね^^;(ずきずき)」
 
 というよな若干、複雑な気持ちになる会話もしつつ・・・・・

 そんなこんなでAさんのカメラとともに僕は旅に出ることになった。
 明日はそのカメラでどんな風景を捉えられるだろうか。


 久高島宿泊交流会館は島にある、唯一の民宿以外の宿泊施設で部屋数はもっとも多い。
 島に何件かある民宿に泊まるのも面白いかもしれないけど、一般のホテルに近い場所に泊まりたいと思うならここを選択することになる。
 ただあくまでもホテルに「近い」というだけで、夕食はなし、風呂もなし(シャワーのみ)、部屋は簡素で清潔な和室だがテレビなどはない。これはこれですっきりしてていい。
 交流会館は二階建ての建物で、一階には久高島の資料室がある。たくさんの写真や、昔の船が展示されている。
 皇太子夫妻もここに宿泊したことがあるらしく、お二人が座った座布団までもが展示されていた。
 男女別のシャワー室はあるけど、浴槽はない。食事は集落の食堂まで足を伸ばす必要があるようだった。



 交流会館に戻ると、そろそろさすが沖縄でも薄暗くなってくる時間になっていた。

 食堂のラストオーダーが七時か八時くらいと聞いていたので、部屋に戻って少し休憩すると、すぐに集落に向かった。

 もうあたりは真っ暗になっている。小さな明かりがところどころついてるだけで、道は相当暗い。

 さっきまで辿ってきたカベールから宿泊会館までの道には、その明かりすらないはずだ。

 今夜は新月直後だし、月明かりもあまりない。いったいあの空間がどれほど濃密な暗闇に閉ざされているのかと思うと少しぞくぞくするようだった。その闇の中にたくさんの人ならぬもの、死者、自然の精霊たちが目覚めうごめきだしている頃かもしれない。

 カベール岬の闇、闇の中で岩に砕ける波頭、ガジュマルの巨木があったT字路の闇、立ち寄ったうぱーま浜の闇、禁制のフボーウタキの闇を僕は思った。

 十数分も歩くと、徳仁港をのぞむ食事処「とくじん」に到着した。

 「とくじん」の窓からは明かりが漏れ、店の前には数十台の自転車が止まっており、一瞬、村中の人、観光客が夕食をとりに殺到してるのかと思ったが、よく見ると貸し出し用のレンタルサイクルだった。

 店の中はテーブル席に4,5人の女性グループと、年配の男性、それにカウンターには中年の男性が一人いるだけだった。テーブル席の年配の男性は島の人のようで女性たちに、何か戦争についての昔話を話し続けている。

 僕は疲れてたのもあり、そのグループとは距離をとってカウンターに座った。
 うん、戦争の話しは興味がなくもないけど、今はとりあえず、ゆっくり食事だ。

 僕が会った沖縄の中年以降の男性はおしゃべりな印象が強い。
 
 前に北谷に滞在していたとき、海岸で見知らぬ男性から声をかけられ、少し話していた。
 いや、話すというよりも僕がその人の話しを聞いていたという感じだった。
 米軍基地でバーテンダーとして働いていたこと、家族のこと、基地のこと、夕方の散歩のことなど話しが切れることなく延々と続き、興味深い話も多かったのだが、途中から僕はいったいどうやって切り上げればいいのかと悩み始めた。
 その方が特別おしゃべりだったのかもしれないが、沖縄の人のコミュニケーションはオープンかつ、とてもマイペースであるように思われた。
 そんなこともあり、少し離れたところに座ったのかもしれない。

 食事の注文は食券式。
 半年分の元気がもらえるというイラブー(海蛇)汁は久高島の名物だ。なんでもイラブーは海から上げられえさを与えられない状態でも何ヶ月も生きるほどに生命力が強いという。

 しかし1500円と少し値が張る。お刺身定食1200円、島野菜のてんぷらかー・・・うーむそれも捨てがたし。

 なんて散々悩んだ末に、結局沖縄ソバというべたべたなチョイスに落ち着いた。

 しばし待ってソバがやってきた。さあ~いっただきまーすと思った瞬間、 

 「どこにとまっとるの?」という声がした。
 おっ キターっ
 
振り返るまでもなく、カウンターにいた体格の立派な中年の男性が話しかけてきたことがわかった。
 
「あ、交流会館です」と僕は答えた。
 うぬぬ、今まさにそばをすすりこもうとした瞬間・・・・
 なんだかこの感覚前も感じたことあるな。
 そうか、だいぶ前にインドに行ったときか・・・小さな村の食堂だと主人がいきなり僕のテーブルに座って新聞読み始めたり、なんだかんだ話しかけてきて、ゆっくり食事がなかなか出来なかったんだよな。
 
「ああ、そうか。交流会館とか、久高島留学センター、のこと全部やってるNPOがあるんだけど、わしそこの役員」とその方は言った。
 
「あ、そうなんですか。お世話になってます」
 
確か、久高島振興会っていうNPO法人。ここに来る前にもそのホームページを何度か訪れ、カベールまでの道中使った地図はそのサイトでプリントアウトしたものだった。
 
「この地図、使わせてもらいました。」と僕は地図を広げた。
 
「ああ、サイトのやつか。それ、港で買うと50円する」
 
「そうですよね」と僕らは笑った。
 
 実は、これ五、六席あるカウンターの端と端で喋っている。
 なかなかの距離感。
 ソバをすすりながらかなり声を張らないと会話できない。
 NPOの男性は、元チャンピオン具志堅ようこうさんの奥さんや、今名前の知れている20代のウェイトリフティングの選手も久高出身であることなどをカウンターの端から時々教えてくれた。 

 「どっから来た?」

 「東京です。」

 「ああ、留学センターには渋谷からも来てる子がおる。不登校とかいじめにあってくる子もいるけど、だいたいよくなって帰っていく。」

 久高島には留学センターというのがあり、島外の小中学生を受け入れて一定期間集団で島の暮らしを体験させるという取り組みが行われているようだ。



 「ここに住んだら元気になりそうですね」とお世辞ではなく、かなり本気で僕は言った。

 「こちらご出身なんですか?」

 「ああ、生まれてから、ずっとこっちさ。」

 「今人口はどれくらいなんですか?」

 「200人ちょっとかな。」

 「やっぱりみんな顔見知りみたいな?」

 「うん、車がどっかの家に前に止まってたら、誰がどんな用で来てるのかもわかるわ」と男性は言った。
 
 「あ~はは」

 と相槌笑いをしつつ、わーやっぱり島の暮らしってのはそうなんだなーと思う。

 西表島などの離島でもやっぱ移住した人たちは、村の付き合いや年中行事などへの参加がとても大事だと語っている。特にこれほど小さな島の場合集落の中での結びつきはかなり緊密に違いない。

 仙人のように、洞窟にこもって暮らすのでもない限り、やはり自然の中で暮らすということは人との連携、そしてコミュニティの統一性が必要になってくる。

 久高島を訪れる前によそのお宅を訪れるように緊張したのは、ある種、いい意味でも悪い意味でもみんながバラバラに暮らしている都市部からある種内側で完結した世界に入っていくという緊張感もあったのだろう。

 当たり前のことだけど、久高島には北側の聖域だけではなく、人間の世界があるのだ。

 久高の自然の中を歩き癒されるのを感じたけど、島のコミュニティのことを考えると緊張感があるのはなぜだろう。

 もともと僕は、昔からイベントとかそういうのが苦手で、よく逃げていた。
 集合写真とか、嫌いだ。
 高校の文化祭は全日程休んだ。

 行事や守るべき暗黙の規則がたくさんある、閉じた世界というものに本能的に恐怖を感じる部分があるようだ。

 だから、あまり近所づきあいもなくみんながある種バラバラに暮らしている東京のような都市は、孤独感があると同時に僕を放っておいてくれるという安心感もある。

 でもどこかで、そういう自分の役割がはっきりしたコミュニティに属して、自然の中で暮らしたいという憧れのようなものもある。
 
 10代の多感な時期に久高島での生活を体験できる小中学生たちは、僕から見ればちょっとうらやましい。



 「あっちのテーブルあいてるよ」

 さっき女性グループ相手に戦争の話しをしていた白髪の男性が、席を立ちざま、僕に声をかけてきた。
 「あ、ここで大丈夫です、どうも」

 男性はカウンター近くにおいていた三味を手に取ると、穏やかな顔で店を出て行った。

 やがて僕も沖縄ソバを完食したので、「お先に失礼します」とNPOの男性に一声かけた。

 「ああ」という返事が返ってくる。
 店を出て、一人になると少しホッとした。
 でも三味の男性も、一見朴訥なNPOの人もきっといい人たちなのだ。




 夜も更けてきた。
 交流会館には屋上があるらしいので、登ってみた。

 風が強い。「とくじん」から帰るときは雨がほんの少しだけぱらついていた。空を見上げると雲が多いのかあまり星も見えなかった。これじゃ明日の朝日は難しいだろうか。

 港がある明るいほうから、北東の岬の方向へ目をやる。

 黒々とした森の輪郭があるだけで、やはりそこには明かりひとつなかった。

 僕は再び、カベールの闇、うぱーまの闇、ウタキの闇を思った。

 何かその暗闇はじっと見ていると、頭がずきずきしてきそうな、そんな圧迫感があるように感じた。
 何かがいる。
 あの中に何もいないはずはない。
 そう思わせる漆黒の闇。

 東京の自宅でだって、うち中の明かりを消した後トイレにでも行くとき、何かいるんじゃないか?と思うことはある。
 でも窓から道路の明かりがかすかに差し込んでいるような暗闇ならば、気のせいだ、気のせい、と簡単に打ち消すことが出来る。
 
 何もいるはずがないじゃないかと。
 
 でもあの暗闇の中を一人歩むとすれば、きっとこう思うに違いない。
 
 何もいないはずがないじゃないか・・・って

 人口の光が一切ない森や浜辺はそう思わせるに十分な何かがあり、僕らの「何もいるはずがない」というおまじないはきっと通用しないんじゃないだろうか。
 頭がずきずきしそうな感覚を覚えながらも、僕の目はその闇に魅了され離れない。 
 普段お目にかかれない本物の暗闇があると思うと、不安を覚えつつもどうしても僕の心は暗い森にひきつけられていくのを感じた。

 明日は6時・・・いや5時半には起きてみよう。
 東京より30分くらい日の出は遅いとしても、きっと6時くらいには明るくなってくるはずだ。
 岬まで3キロほど。
 自転車で行く時間を考えると、やはり6時前には出発したい。
 まだ相当薄暗いだろうけど、少しづつ明るくなって、異界の闇を追い払っていくだろうから怯える必要はない。
 昨夜とは違い、この宿泊施設にはテレビはない。
 10時くらいにはもう寝てしまおと思った。


 携帯を見る。相変わらず、誰からもメールは来ていない。
 僕はもうきれいに彼女のことは忘れたほうがいいのだろうか。
 未練がましくつきまとい、嫌がられるような存在にはなりたくない。
 


 館内に若い女の子たちの声が響いている。かなり壁が薄いというか声が反響しやすい構造らしく、隣の会話もよく聞こえてくる。
 うっるさいな。
 お静かにっていう注意書きが部屋のテーブルにもあるのに・・・いつまで喋ってるんだろう。
 しかしこんなときのために、

 「たったらたったらた~ん♪サイレンシアぁ~~(ドラえもん風)」
 
 という秘密道具を持ってきている。要は耳栓。
 かなりの騒音もカットできる高品質の耳栓だ。
 騒音に弱い僕は、時々お世話になっている。
 ふたつの小さなスポンジ状のものを押しつぶして細長くし、耳に詰める。
 さあ、これで大丈夫だー、
 ところが気がゆるみ、少しうとうとしかけると、「きゃはははは」というような笑い声がサイレンシアを通過して飛び込んできて目が覚める。サイレンシアをスルーするとはなかなか手ごわい。

 うとうと・・・(きゃははははは)・・・はっ

 うとうと・・・(きゃはははは)・・・はっ

 うととと・・・(きゃはははは)・・・・・はっ・・・

 ・・・っていうか・・・昔の中国の拷問か!バカっっ

 眠りを何度も妨げられると、怒りが湧いてきて、さらに眠りを邪魔する。

 どんだけアホなんだよまったく・・・人に迷惑かけるって発想がないのかな・・・誰か注意してくれいないかな・・・一言言いに行こうか・・・でもそれも面倒くさい・・・

 無神経そうで、陽気にはしゃぐ、若い女子の集団。
 僕にとって異質で、苦手な生命体。 
 それは向こうにとっても同じかも。
 カメラをさげて祈りながらうろうろしてる30代の男。
 なかなか気持ち悪いかもしれない。

 考えてみれば僕は旅行中ずっと団体のグループや、カップルにイライラしてた。
 一人で旅をしてると気ままでいいけど、時々そんな気分になる。
 彼女らには、彼らには、あの岬も今島を包んでいる暗闇も関係ないんだろうか。
 ただ、思いつくまま喋り続け、時々嬌声をあげている。
 それはいいんだ、人それぞれだ。趣味嗜好の違い、まだ分別がないわけ。
 でもどうしてその無分別な人たちにこっちの眠りを妨げられないといけないんだろう。
 まだ20歳そこそこの女の子たち。もっと寛容でいたいのに、どうしてこんなにイライラするんだろう。自分が嫌になる。

 さっき「とくじん」で島の人と話してから、僕は妙に人のことを意識するようになっている。
 意識させられるようになっている。
 例えばサイレンシア着用の耳に強引に飛び込んでくる笑い声を通じて。
 星砂の浜辺や、蝶、無人の草原には無条件でうっとりできるけど、誰かが歩いてきたり、大勢人がいる食堂に入っていくと途端にこころにバリアができる。そんな僕の感性はどこかアンバランスでもっというと偽者くさい。
 僕が見てる久高島は、本当の久高島なんだろうか。ただ、明日には帰る観光客として、この島を自己満足的なフィルターをかけて眺めているだけなんじゃないだろか。

 そんな風に・・・・

 久高島の暗闇の中で、心の闇に飲まれそうになりながら、うとうとと、「はっ」を繰り返しているうちにいつの間にか眠りに落ちていた。

                          
                                 不死鳥の光



 日の出の太陽を久高の人々は神と仰いでいた。
 儀式でノロたちが歌う神歌ではそれを「七色の羽を持つ不死鳥」(ビンヌスゥイ)、「白い光りの羽根」(マジャバニ)と称えていたいう。
 何度も沈んでは、新たな光となってよみがえり、すべての生命を照らす。日の出はまさにフェニックスの新たな誕生のようだ。
 特にあのような濃密な闇がある世界では、日の出は本当に新たな蘇りを意味しており、神聖な瞬間に違いない。

 翌朝早朝五時前に起き出して、身支度をし、宿の前の喫煙所でタバコを吸いながら薄明るくなるのを待った。
 そろそろ6時になろうという時間なのに不死鳥の気配はまったく感じられなかった。
 大騒ぎ集団はさすがにもう眠り込み、館内は静かだ。
 体を動かし始めると、寝床の中にいたときの重たい思考は消えていく。
 夜空は晴れていてようやく満天の星空を見ることが出来た。
 しかしそれにしても夜明けが遅い。
 さすがに真っ暗な中を聖域に入っていくのは気が引ける。
 少し痺れを切らし、宿の裏側に回ると、東の空はわずかに白んでいた。
 宿の影になっていてわからなかっただけだった。 
 あ、行ける、これなら大丈夫そうだ。
 自転車にカメラだけを載せて、岬への道にこぎだした。
 ただ夜明けの光りは差し込んでいるものの、東の海上には雲がたくさん流れている。
 ちょっときれいな夜明けが撮れるか微妙。でも朝のカベールを拝するだけでもいい。
 島は、ここに宿る「何か」はきっと今も僕のことを見ているような気がした。
 僕の祈りも、僕の闇も、僕の希望も。
 僕はここに「含まれている」。

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 雲が流れ、風が海を渡っていく。

 早朝のカベールには、やはり誰もいない。

 恐竜時代の夜明けの海岸を、ひとり歩いているようなそんな感じ。

 遠くの対岸にぽつぽつと見える沖縄の明かりだけが今が2015年であることを遠慮がちに示している。
 僕はサンゴの岩肌に腰をおろして、日が昇るのを待った。
 やっぱり東の空は雲に覆われている。時間的には日の出のはずだが、おそらく水平線にかぶさる雲に隠れて太陽は見えなかった。
 しかし不死鳥の光りは、空を少しづつ焦がし始めた。東の空にかかるうろこ状のまだらな雲がじんわりと赤くなっていく。その下の雲も黄金に光り、あの向こうでは確かに壮大な光のショーが始まっているのがわかる。

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 間近の海面にも赤い光りの帯が現れ始めた。間もなくか・・・
 やがて水平線にかぶさる雲の上に、ほんの短い一瞬、オレンジ色の太陽が顔を出した。

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 あっ!と思い、シャッターをきった瞬間、すぐに南から流れてくる無数の雲にまた隠れてしまう。

 なかなか不死鳥はその全貌を現さない。

 とうとう巨大な帯状の雲の向こうに入ってしまった。 

 ああ、やっぱり今日は無理なのかな。

 あきらめかけていた頃、帯状の雲の上で強烈な光りが生まれた。

 僕は呆然とそれを眺めた。時間が止まり、宇宙の中に投げ出されたような気分だった。

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 不死鳥の誕生。

 そのつんざくような叫びが聴こえる。

 それはもはや時間が経ったため、夜明けのオレンジではなく、白熱した光りの卵だった。

 マジャバニ(白い光りの羽根)だ。

 もはや流れる雲に隠されることもない高度に上昇し、大空に君臨した不死鳥は神の原をその威光であっという間に染め上げていった。

 不死鳥はあの雲の向こうで力を蓄えていたのだ。そしてオレンジ色のひな鳥から、突如成鳥になって僕の前に現れた。

 カベールは僕に夜明けを二度見せてくれた。最初は夜明けの兆しを、そして次に二度目の本物の始まりを。

 それはこれまでになくドラマチックな日の出だった。

 何かが、僕の心の中の何かが言っていた。

 光りが昇るとき、たくさんの雲がやってきて、その姿を隠すだろう。 

 しかし光りは消えたわけではない。その向こうでいつも上昇し、少しづつ輝きをましていく。

 そして、やがて雲も届かない高度に達したとき、その真の姿を現すだろう。

 光りが昇るとき、たくさんの闇がやってきて、それを隠す
 僕らの人生にもたくさんの雲が次々にかかる。

 現れたと思った希望はつかの間光り、、また暗雲に閉ざされる。

 そんなことを何度も繰り返すうち、夜明けは来ないものと思い込む。

 しかしそんなはずはない。

 光りはすでに昇っている。

 僕らはもうすでに最初の夜明けを見たのだ。

 時が来れば、十分な高さまで、日が昇れば、その光りは僕ら自身の目にはっきり明らかになるだろう。 

 色づき始めたカベールのあちらこちらに向かって僕はシャッターを切った。

 神の原に朝が訪れた。

 不死鳥はその輝く羽毛で世界を抱いていた。 

 
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久高島 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2015/12/07 21:23
コメント
「含まれている」感覚、いいですね。旅日記の記事大好きです。また楽しみにしています。
Re: タイトルなし
 >ヒデさん

 こんばんは♪ありがとうございます。とても励みになります☆☆☆

 先立つもののゆえに中々出かけられないですが、行きたい場所はたくさんあります。最近は近所の徒歩旅行でも旅感覚って味わえるなーと思ったりしています。今後ともよろしくお願いします!

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